秋の色種
弘化二年(1845)
作詞 諸説あり
作曲 十代目 杵屋六左衛門
〈本調子〉 
秋草の 吾妻の野辺のしのぶ草 
しのぶ昔や古へぶりに 住みつく里は夏苧ひく 
麻布の山の谷の戸に 朝夕迎ふ月雪の 春告鳥のあとわけて 
なまめく萩が花ずりの 衣かりがね 声を帆に 上げておろして玉すだれ 
端居の軒の庭まがき うけら紫葛尾花 
共寝の夜半に荻の葉の 風は吹くとも露をだに すゑじと契る女郎花 
その暁の手枕に 松虫の音ぞ [虫の合方]
たのしき 
変態繽粉たり 神なり又神なり新声婉転す

〈二上り〉 
夢は巫山の雲の曲 雲の曙雨の夜に 
うつすや袖の蘭奢待 とめつうつしつ睦言も 
いつかしじまのかねてより 言葉の真砂敷島の 道のゆくての友車
暮ると明くとに通ふらん 
峰の松風岩越す波に 清掻く琴の爪調べ [琴の合方]

〈三下り〉
うつし心に花の春 月の秋風〔月は秋かも〕ほととぎす 雪に消えせぬ 楽しみは 
尽きせじつきぬ千代八千代 常磐堅磐の松の色 幾十返りの花にうたはん

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地下鉄の広尾駅から坂を上がっていくと、やがて木立の茂る公園にたどり着きます。
私がいつも、ホームページ用の原稿を書いている都立中央図書館は、この有栖川記念公園の中にあります。
公園の中は丘になっていて、ふもとには池があり、
水鳥が遊び、天気の良い日には釣り人がきままに糸を垂れています。
春には桜、夏には蝉時雨の中を抜けて丘を登った先に図書館があり、
すぐ脇には大きなイチョウが、毎年美しい紅葉を見せてくれます。
本曲「秋の色種」は、麻布不二見坂にあった大名・南部家の下屋敷新築のお祝いとして開曲しました。
この南部家下屋敷の跡が、今の有栖川記念公園です。
本曲は、武蔵野の面影を残す秋の庭の風情を中心に、四季の美しさを唄った曲です。
従来、盛岡藩主・南部利済の作詞と言われてきました。
十代目杵屋六左衛門を困らせようと、わざと作曲しにくい「変態繽粉たり……」という漢詩文を引用した、
というエピソードがよく知られています。
教養ある大名が作詞したため、和歌や漢詩が多用された格調高い雰囲気の歌詞である一方、
内容としては特に一貫性のないもの、と考えられてきました。
しかし近年、利済作詞説は誤りとされており、
代わって、前藩主の未亡人であった教子という女性が作詞者であると考えられています。
女性が作詞者とすると、本曲には「秋の庭」というメインテーマの他に、
もうひとつのテーマが読み取れるように思います。
「巫山の夢」の故事は、想い合う男女の幻想的な恋にまつわる故事。
雲になり雨になっても愛する人の元へ通う、という、深い愛情を感じます。
「蘭奢待」は香、「敷島の道」は和歌、「峰の松風」と「岩越す波」は琴の音のこと。
どれもみな、高貴な女性のたしなみです。
これらの歌詞からは、愛する人に先立たれたあと、
一緒に眺めた庭の四季の移ろいを楽しみ、思い出を慈しみ、寂しさを教養ある遊びで慰めながら、
美しく年老いていく女性の姿が思い起こされます。

たとえ再び寄り添えなくても、自分に残された時間を思い出と共に生きる。
秋という季節は、人生の後半の時間を穏やかに過ごす自らの姿と重なるものだったのかもしれません。
本稿では、そんな一人の女性の姿を思い浮かべながら現代語訳してみました。



【こんなカンジで読んでみました】

秋草が生い茂る武蔵野の野辺。
しのぶ草を見るにつけ、遠い昔のことが偲ばれてなりません。
古風な暮らしはそのままに、長らく住み着いた麻布の谷かげに、
幾度も月を見上げ、雪を眺めて日々を過ごしてきました。
春を告げる鴬の声を追いかけるうちに、野にまぎれ、衣は美しい萩の花に染まって、いつしか秋を迎えました。
雁が天高く鳴き渡るのを、帆を上げて行く舟に例えた和歌があるけれど、
私は帆ならぬすだれを上げて、秋の眺めを楽しみましょう。
軒の縁台から庭の垣根を見やれば、うけら、紫草、葛、すすき、とりどりに繁る秋の色種。
荻の葉に宿る露は、かすかな風にもふるえて散ってしまうもの。
想う人と共寝をした夜更けの女は、その露のようにはかない逢瀬にさえ、変わらぬ未来を信じようとするのです。けなげに揺れる女郎花のように、たとえ風が吹いたとしても。
その女も、松虫の声を聞いたでしょうか。
まどろむ暁に腕枕をしながら、夢の中で松虫の声は、楽しげに、ひそやかに。

ひとときとして同じことなく、きらきらと散らばる、それは神の声。
生まれては消え、また響き。

うつつに見た夢は、古い異国の恋物語。
朝には雲に、暮れには雨になって逢瀬を重ね、袖の香りが移るほどに寄り添ったのでしょうか。
あの人の匂いを私の体にとどめ、私の香りをあの人に移し、ささやきあった言葉も、今は静寂の中に消えた。
けれど、悲しくはないのです。
世に言葉は尽きることなく、想いは歌となってあふれ、これからの長い日々を共に行く道連れとなるのです。
巫山の雨となり雲となった唐土の仙女と同じく、朝に夕に、私の心はあなたの元へ通うでしょう。
心のすきまを慰めるのは、つまびく琴のまばらな音色、それは時に松風、時に波の音。
大丈夫、寂しくなんてないのよ。
あなたを想う夢から覚めてみても、春には花、秋には風、夏のほととぎすの声。
冬の雪が解けても、あなたと過ごしたこの庭の、四季の楽しみは消えないのですから。
千代に尽きない、永久に変わらない松の色。長く生きてなお美しいその姿に、この歌を歌いましょう。



【語句について】

秋草 
 1.秋に花の咲く草の総称。 2.菊の異名。
 枕詞として用いる時には、草の葉を結び合わせて幸せを祈る習慣があったことから
 「秋草の」で「結ぶ」にかかる。 ここでは1の意。

吾妻の野辺
 「吾妻」は東方、転じて東国。中世には京都から見て鎌倉(鎌倉幕府)、
 近世には上方から見て江戸をさす。「野辺」は野原。

しのぶ草 
 ノキシノブのこと。シダ類(ウラボシ科)の植物。単に「しのぶ」とも。
 軒に生えることから、軒と合わせて和歌に詠まれ、多くは、荒れた寂しい家のイメージを想起させる。
 花が咲くものではないので、特に季節は限定されない。
 動詞「しのぶ」と掛けて詠まれるが、「忍ぶ」なら人を恋しく思う意、「偲ぶ」なら昔を追慕する意と、
 動詞の意味によって「しのぶ草」の担う意味も変化する。
 「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり」(百人一首、順徳院)

しのぶ昔や 古へぶりに 
 ここでは「偲ぶ」で、昔をしみじみと思い出す、賞美する意。
 「古へぶり」は古い時代の様式や流儀、風習。昔のさま。
 広義に解釈すれば「古風に(暮らす)」だが、教子作詞説に従って亡夫をしのぶ歌と解釈すれば、
 「夫の生前の様に(再建されたこの屋敷に暮らす)」となる。

住みつく
 1.定住する。住み慣れる。 2.夫婦の関係が定まって落ち着く。 ここでは1。

夏苧ひく 
 「苧(お)」は植物「麻(あさ)」または「苧(からむし)」の異名。
 『長唄名曲要説』には「麻布の枕詞」とあるが、諸氏が指摘する通り麻布の枕詞としての用例は見当たらず、
 「夏苧」「夏苧ひく」では、日本国語大辞典・古語大辞典に記載なし。
 次の「麻布」の連想で置かれる語と思われる。
 なお『万葉集』所収の歌に「夏麻引く(なつそびく)」の枕詞があり、これが転じたもの、
 あるいは誤用とも考えられる。
 「夏麻引く」は夏に畑から麻を引き抜いて収穫することによる詞句で、海上・宇奈比・命に掛かる枕詞。

麻布の山の谷の戸
 「麻布」は現東京都港区の地名。古来、麻を栽培して布を作ったことによる名と伝わる。
 盛岡藩南部氏の下屋敷(大名の別邸)があったところで、跡地は明治二十九年に有栖川宮御用地となった。
 現在の有栖川宮記念公園。
 麻布は地形の変化に富んだ台地で、公園内も東側の高台から西側の低地へ大きく傾斜している。
 「谷の戸(やのと)」は「谷(やと・やつ・やち)」と同義語と思われる。低湿地、谷のこと。
 「(麻布中学校の)裏手に戦争中迄ガマの池という意毛があり、
 そこの所が崖になっていて土地の人はここを〈谷の戸〉と呼んでいました」(稀音家義丸氏『長唄囈語』より)

朝夕迎ふ月雪の
 「朝夕」は朝と夕べ。朝晩。転じて、「毎日」「常に」などの意で副詞的に用いる。
 「月雪」は1.月と雪、月または雪。 2.月や雪などの自然美に感じて風流を楽しむこと。

春告鳥
 鴬(ウグイス)の異称。
 「鴬の谷よりいづる声なくは春来ることを誰か知らまし」(『古今和歌集』春上)に基づく表現とされる。

あとわけて 
 「鴬の跡を追って分け入る野山に」の意か。

なまめく萩が花ずりの
 「なまめく」は、
 1.人の容姿や行い、心映えなどが奥ゆかしく上品で優美である。
 2.物や情景などが優美で趣がある。
 3.異性の心を誘うような様子を見せる。色っぽい様子をしている。 ここでは2の意。
 「萩が花摺り」は、萩の花が咲いている原に分け入って、衣服が萩の花の色に染まること。
 またその衣服。萩の花を布に摺り込んで染めることやその布も言う。
 萩はマメ科ハギ属の総称。秋に房状の花が咲く。秋の七草のひとつ。
 「鹿」「雁」「露」との取り合わせ、また女性の例えとして用いられる。

衣かりがね
 「夜を寒み衣かりがね鳴くなへに萩の下葉もうつろひにけり」(『古今和歌集』巻四・秋上、211)
 による表現。
 「かりがね」は、「衣を借りかね(衣を借りられなくて)」と「雁」の掛詞。
 「かり」だけを掛詞として「衣を借りて」と解釈する説もある。
 「衣かりがね」の表現を用いた和歌は『金葉和歌集』『新古今和歌集』にも見受けられるが、
 上記の和歌の次に収録される212番歌が次の「声を帆に」の典拠となっているので、
 本表現も『古今和歌集』211番歌に拠るものと考えてよい。

声を帆に
 「秋風に声をほにあげてくる舟は天の門わかるかりにぞありける」(『古今和歌集』巻四・秋上、212)
 による表現。「声を帆に(あげてくる舟)」は、秋の空を渡る雁の声の比喩。
 次の「上げて」を導く。

上げておろして玉すだれ 
 「上げて」から対義語で「おろして」と続け、「すだれ」を導く。
 「玉すだれ」は珠玉で飾りたてた美しいすだれ。また「たま」は美称で、美しいすだれ。

端居の軒
 「端居」は家の端近くに座っていること。特に夏、暑さを避けて風通しの良い縁先や縁台などにいること。

庭まがき
 庭にめぐらした、竹・柴などを粗く編んでつくった垣。

うけら紫葛尾花 
 四種の草花を羅列する。
 「うけら」は「朮が花(うけらがはな)」、「おけら」の古語。
 キク科の多年草で、秋に白または淡紅色の花をつける。和歌では「色に出」の序として用いられる。
 『万葉集』の東歌「恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ」(巻十四、3376/3393)
 以来、武蔵野の名物となる。
 「紫」は紫草。「紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(『古今和歌集』雑上、867)
 以来、武蔵野の代表的な景物。季語としては夏で、夏に白い梅花形の小花を咲かせる。
 「葛」はマメ科の多年生つる草。山野に自生し、初秋に紅紫色で強い香りの花が咲く。秋の七草のひとつ。
 根からくず粉がとれ、蔓は生活材に用いられるなど、古代から生活に密着した草花。
 和歌では、夏に葉が繁茂するさま、蔓が這うさまの他、白い葉裏が印象的なことから、
 「裏見」の連想で「恨み」や「うら悲し」の掛詞となり、恋の怨情の比喩としても用いられる。
 「尾花」は、花の形が獣の尾に似ていることから、ススキの花穂をいう。
 「武蔵野は月の入るべき峰もなし尾花が末にかかる白雲」(『続古今和歌集』秋上、425)に詠まれるように、
 武蔵野の景物のひとつ。
 風に揺れなびくさまを、人に心を傾ける恋の状態や、人を招くしぐさに見立てて詠まれることが多い。

共寝の夜半
 「共寝」は同じ寝床に寝ること、特に男女・雌雄が同衾すること。
 「夜半」は夜中。夜間のうちもっとも遅い時間を指すことが多い。
 恋人と会う時間であり、転じて、その時間を一人で過ごすことのつらさや寂しさを、
 その時の景物と合わせて「夜半の月」「夜半の嵐」のように表現することが多い。

荻の葉
 「荻(おぎ)」はイネ科の多年草、湿地に群生し、ススキによく似るが、葉が広く大きい。
 和歌では「風」と取り合わせて、荻の葉のそよぐ音によって秋の到来を感じる、という歌意で詠まれる。
 また荻・風・露の取り合わせで無常観を表出する詩歌も見られる。

風は吹くとも
 「とも」は逆接の接続助詞で、ここでは前の「吹く」が連帯家であるため、逆接仮定条件を示す。
 「風が吹いたとしても」。

露をだに すゑじと契る女郎花 
 「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝るとこ夏の花」(『古今和歌集』巻四・秋上、167)
 に基づく表現とされる。
 和歌中の「塵」を「露」に置き換え、前の「荻」「葉」とのつながりを保つ。
 「だに」は副助詞で、程度の軽いものを挙げて更に重いものがあることを類推させる表現。
 (「塵ひとつでさえ置くまいと思っています……」)。
 「据ゑじ」は「置くまい」の意だが、
 本曲では、はかないものの象徴である「露」を「置くまいと誓う女郎花」では文意が通らない。
 「女郎花」を女性あるいは狭義に遊女の比喩ととり、「すゑじ」に「末」「末路」(未来、将来)の意を掛けて、
 「はかない露(のような情け)にさえ、未来を誓う女心」と解するのが適当か。
 「女郎花」は秋の七草のひとつ。初秋、黄色の小花が傘状に密生して咲く。
 「女郎花」という名および表記の由来・典拠は未詳。
 和歌では女性の比喩として用いられることは多いものの、「女郎」という花名に拘泥した歌はそれほどなく、
 秋の景物として捉えられるにとどまる。


 夜半から夜明け前までのまだ暗い時刻、未明。ただし現代ではもう少し遅い時刻、夜明け頃を指す。

手枕
 「手枕」はちょっと横になる時などにひじを曲げて枕にすること。ひじまくら、たまくら。
 自分の腕でする時にも、誰かの腕でしてもらう時(うでまくら)にも言う。

松虫の音ぞ たのしき
 「松虫」は秋を代表する虫。平安時代には、松虫と鈴虫の名が逆であったと伝わる。
 松虫の名に「(恋人を)待つ」の意味を掛けた詠歌が一般的で、直接的な掛詞でなくとも、
 歌意全体に「待つ」の意をきかせたものが多い。
 次の「変態繽粉たり……」を挿入句と見て、「たのしき」を「夢は巫山の……」にかかると解釈する
 向きもある(稀音家義丸氏「南部家と「秋色種」」、参考文献参照)。
 この辺りの詞章は複層的な解釈が可能で、それによって情景を効果的にぼやかし、
 場面転換を図っていると解釈できる。

〔変態繽粉たり 神なり又神なり新声婉転す〕
 『朗詠九十首抄』雑部「管弦遊」に収録される朗詠のひとつ
 「変態繽粉タリ 神也リ又神也リ 新声婉転ス 夢カ夢ニアラザルカ」の引用。
 終句の「夢」を利用して、本曲では次の「夢は巫山の……」につなげている。
 朗詠は雅楽の声楽曲の一種で、漢詩の秀句に旋律をつけ、笙・ひちりき・横笛の伴奏により謡う芸能。
 平安貴族の遊びとして好まれた。
 この一節の典拠は、菅原道真『菅家文草』巻第二の漢詩文「早春内宴……」(148)で、
 舞姫の舞の美しいことを述べた詩文。
 原文では、
 「その舞の姿がすばらしい変化をみせるのは、まったく神技で、人間のわざともみえない」
 「そのうたう声の清(さや)かに変化の妙をきわめることは、まるで夢かうつつかわきがたいさまである」
 の意(『日本古典文学大系72 菅家文草・菅家後集』補注引用)。
 本曲においては虫の音が美しくすだくさまの描写に転用されている。
 前後と文体の異なる抽象的な詞章が挿入されることで、場面をぼかし、次への転換を効果的にしている。
 吉川英史氏は、詞章の上では次の「夢は巫山の雲の曲」の方につながるものとしている。

夢は巫山の雲の曲 雲の曙雨の夜に 
 中国南北朝時代の詩文集『文選』に収められる、宋玉「高唐賦」という詩文から生まれた故事による表現。
 「巫山の夢」「巫山の雲」「楚夢雨雲」「朝雲暮雨」も同義。
 巫山は中国四川省にある山の名で、昔、楚の懐王が夢の中で神仙女と契りを結んだという。
 神仙女は、懐王のもとを去るにあたって、
 「朝には雲になり、暮れには雨となってあなたの元へ参るでしょう」と言ったという故事から、
 転じて、男女が夢の中で結ばれること。男女が会って、情交の細やかなことをいう。

うつすや袖の蘭奢待
 袖はたきしめた香がもっともよく薫るため、和歌では「香」とともによく詠まれ、
 恋人と密接している状態や、過去の恋人の記憶などが仮託される。
 「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」(『古今和歌集』夏、139)など。
 「蘭奢待」は香木の名。伽羅の一種で、別名「黄熟香」「東大寺」ともいう。天下第一の名香と言われる。
 正倉院収蔵の巨木で、ベトナム産・十世紀頃の渡来と伝わる。
 足利義満・義教・義政、織田信長、明治天皇などの截香で知られる。

とめつうつしつ
 「つ」は並立の助動詞。
 相手の袖の香りを自分の体にとどめたり、自分の袖の香りを相手に移したり、の意。

睦言
 「睦言」はむつまじく語る言葉。特に、男女の閨の中での語らい。
 
いつか
 「いつか」は時についての疑問を表す表現だが、
 1.未来のある時点についての疑問「いつになったら……か」
 2.過去のある時点についての疑問「いつの間に……たのか」
 の両方を表す。ここでは2の意で解釈するのが妥当。

しじま
 1.口を閉じてだまっていること。ものを言わないこと。無言。
 2.物音ひとつしないで森閑としていること。静まりかえっていること。静寂。
 前の「睦言」を直接的に「言葉」として受けるものと考えれば1になるが、
 睦言を語る相手、愛する相手を失った状態として2で解釈した。

かねてより
 「しじまの鐘」(騒ぎ立つ人々を静止して静かにさせるために打つ鐘)という表現によって
 「かねてより」を導く。
 事前に。前から。昔からずっと。

言葉の真砂
 言葉が尽きることのないさまを例えるか。

敷島の 道のゆくて
 「敷島の大和歌」は和歌のこと。
 「敷島の」は、崇神天皇・欽明天皇が大和国磯城郡に都をおいたという伝承から、
 敷島の宮があった現奈良県の「大和(やまと)」、日本を表す「大和(やまと)」にかかる枕詞。
 また、「敷島の大和歌の道」が和歌の道(歌道)を表すことから、「道」にかかる枕詞。
 ここでの文意は不明瞭で、他作品に類似表現があるかとも思われるが未見。

友車
 平野健次氏は「供車」であるとして、次の「暮る(くる)」を導くために置かれたものと解釈している。
 『日本国語大辞典』では、「供車」の用例として本曲「秋の色種」詞章が掲載されている。
 「供車」は供が乗る車のこと。

暮ると明くとに通ふらん 
 前の巫山の夢の故事を受け、
 朝には雲となり暮れには雨となって愛する人の元へ通う意。

峰の松風
 「松風」は松の梢にあたって音をたてるように吹く風。
 特に「峰の松風」は、時雨や琴の音に似ているという趣向で和歌に詠まれることが多い。
 「琴の音に峰の松風通ふらし いづれのおより調べ初めけん」(『拾遺和歌集』451斎院女御歌)
 ここでも、琴の音色を表す表現。

岩越す波
 琴の柱(じ)の上部にある糸をのせる溝を「岩越(いわこし)」というところから、
 琴の音のことを指すか。
 『長唄註解』では、「琴の手」としている。

清掻く琴の爪調べ
 「清掻く」は、琴や琵琶などを演奏する前に、弦の調子・音色などを調整するためにつま弾くこと。
 本式の曲や手を引くのではなく、試みに演奏すること。
 清掻はもともと和琴や箏の奏法のひとつ。本来は菅で掻いたことからでた名称ともいう。
 「爪調べ」も同じく、曲を演奏する前に、調子を整えるために弾く短い旋律。

うつし心
 「現心」で1.現実の心、正気。 2.本心。
 「移心」で1.(特に男女の間の愛情について)移り気、心がわり。
 2.人の上にうつった心。恋い慕う心。
 ここでは前の「夢」と対照させての表現ととり、正気(夢から醒めた心)と解釈した。

花の春 月の秋風〔月は秋かも〕ほととぎす 雪
 春秋、夏冬を対称させながら四季の風物をあげる。

消えせぬ
 動詞「消ゆ」+動詞「す」の複合動詞「消えす」に、打消助動詞「ず」連体形がついたもの。
 動詞「す」による複合動詞は、多く打消表現を伴って用いられる(次の「尽きせじ」も同様)。
 消えない、の意。

尽きせじつきぬ千代八千代
 「尽きせじ」と「つきぬ」はほぼ同義で、重ねることで意味を強めている。
 「千代八千代」は千年と八千年。また長い年月を差し、永遠の繁栄を祈る表現。

常磐堅磐の松の色
 「堅磐」はかたくしっかりとした岩で、「常磐堅磐」で永久に変わらないことを祝っていう語。
 「色」は色彩だけでなく、その姿・様子も含めていう。

幾十返りの花にうたはん
 「十返りの花」は、長い年月を経た松の花のこと。
 百年に一度の開花を十回繰り返すことが「十返り」の原義で、それを幾度も繰り返すということ、
 つまり非常な長寿、永遠をことほぐ言葉。



【成立について】

弘化二年(1845)十二月、麻布不二見坂の南部侯邸新築祝いとして初演。
十代目杵屋六左衛門作曲。
作詞者については諸説あるが、
近年は盛岡藩三十六代藩主・南部利敬の妻であった教子が有力視されている(【作詞者について】参照)。


【作詞者について】

従来、「秋の色種」の作詞者は、盛岡藩三十八代藩主であった南部利済(としただ)とされ、
利済が十代目六左衛門を困らせようとして「変態繽粉たり」という漢語調の歌詞をつくった、
という挿話とともに広く伝えられてきた。
しかし、「秋の色種」作曲時に、利済は江戸にいなかったことが明らかになっており、
近年では利済作詞説は誤りと考えられている。
代わって作詞者の候補として名を挙げられるのが、1.三十六代目藩主・南部利敬の妻であった教子と、
2.利済の子である三十九代目藩主・南部信侯(のぶとも)である。

稀音家義丸氏は、十一代目六左衛門による『御屋舗番組控』に記される南部侯が関連した曲目が
Aおおむね謡曲詞章によるもの とB独創的なオリジナルのもの の二系統に分類できる点に注目し、
Aが信侯作詞のもの、Bが教子作詞のものと推定する。
さらにこの系統立てにしたがって、謡曲の世界によらない「秋の色種」は教子作詞であり、一部漢語調の部分を信侯が補ったとしている。
また、歌詞に香・和歌・琴という女性の教養が列挙されること、亡き夫・利敬との思い出を偲ぶ文意が読み取れることも、教子作詞説の根拠として挙げている。

本稿においても教子作詞説を支持し、現代語訳の下敷きとした。



【参考文献】

川口久雄校注『日本古典文学大系72 菅家文草 菅家後集』岩波書店、1966.10
吉川英士『邦楽鑑賞 上』宝文館、1952.1
稀音家義丸「南部家と「秋色種」」『芸能』25巻7号、1983.7
稀音家義丸「「秋色種」作詞者についての問題」『季刊邦楽』40号、邦楽社、1984.9
 →以上『長唄雑綴』新潮社、2000.10収録
稀音家義丸『長唄囈語』邦楽の友社、2015.3
国文學編集部『知っ得 古典文学動物誌』学燈社、2007.8
現代思潮社編『覆刻日本古典全集 歌謡集 上』現代思潮社、1978.5(『朗詠九十首抄』)
 →オンデマンド版、現代思潮新社、2007.5
小島憲之・新井栄蔵校注『新日本古典文学大系5 古今和歌集』岩波書店 1989.2
小島憲之ほか校注・訳『新編日本古典文学全集7 万葉集2』小学館、1995.4
小谷青楓『長唄新註』法木書店、1913.4
高橋忠彦訳『中国の古典23 文選 上』学習研究社、1985.5(『高唐賦』)
田中裕・赤瀬信吾校注『新日本古典文学大系11 新古今和歌集』1992.1
平野健次「「秋の色種」の詞章注解」『季刊邦楽』40号、邦楽社、1984.9