五 大 力
寛政七年(1795)正月
作詞 初代 並木五瓶
作曲 二代目 杵屋弥十郎

〈三下り〉
いつまで草のいつまでも なまなかまみえ物思ふ 
たとへせかれて程経るとても 縁と時節の末を待つ 
なんとしょう 互ひの心うち解けて 表面は解かぬ五大力 
さはさりながら 変る色なき御風情 
やがて逢ふぞえ語ろぞえ 惜しき筆とめ候かしく

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「宵は待ち」「黒髪」などと同じめりやすの一つで、
女性から男性へ宛てたラブレター形式の歌詞が特徴的です。
後の【参考】に挙げたように、艶書(ラブレター)形式の歌は本曲が最初ではなく、
古くから題名や歌詞を変えてたびたびつくられていたようです。
本曲は、それら艶書体の古歌を下敷きに作られた地歌「五大力」を元に、
その後半部分を改作してつくられました。
「五大力」とは、五大力菩薩のことです。
手紙の封じ目に五大力と書くと、
五大力菩薩の加護で他の人に中を見られることなく無事に届くという俗信があり、
転じて、貞節の誓いの言葉として、
女性が持ち物に書いたり、装身具のデザインとして取り入れられたりするようになりました。
本曲初演の時も、芸者・小万が恋人への誓いとして、
自分の三味線に五大力と書く場面で演奏されています。

歌詞を読むと、逢えばかえって苦しいとか、どうしようとか、
やっぱり早く逢いたいとか、ラブレターにありがちな繰り言ばかり。
他人の目から見れば、手紙にしてまで伝えるべき内容は特にないような気がします。
言葉で表現できるものというのは、それほど多くありません。
伝えようとすればするほど、ありふれた言葉にしかならないもどかしさ、
ありふれた言葉のすき間の、当人同士しか共有できない思いこそ、
ラブレターの醍醐味なのでしょう。
「五大力」という封じ書きには、
言葉にならない気持ちも全部届けて欲しいという、
女性の恋心が込められているように思います。

なお本曲は初演の「五大力恋緘」と合せて読むと、
筋書きに沿うかたちで歌詞の解釈が限定されますが、
本ページの現代語訳では歌舞伎の筋書は採らず、
広く艶書体の歌として解釈しました。
歌舞伎台本とのすりあわせは、【語句について】の欄で補足してあります。



【こんなカンジで読んでみました】

逢えずにいても、私の気持ちは、いつまでも。
かえってお目にかかった時の方が、心が乱れて思い悩むことばかり。
たとえずっと離れていても、
ご縁があればきっと大丈夫。私はその時を待っています。
でも、どうしたらいいのかな。
お互いの気持ちは分かっていても、五大力のおまじないに秘密を隠して、
素知らぬふりをしていなきゃ。
それにしても、変わらず優しいあなたのご様子に、ひとときほっとします。
はやく逢おうね。話したいこと、いっぱいあるんだ。
いっぱいありすぎてとまらなくなっちゃうから、手紙はもう終わりにします。

またね。



【五大力とは】

1.五大力菩薩の略。三法を護持し、国を守護する五人の大力ある菩薩のこと。
 金剛吼(く)・龍王吼・無畏十力吼・雷電吼・無量力吼
 の五菩薩とする説(旧約「仁王経」)と、
 金剛手〔東〕・金剛宝〔南〕・金剛利〔西〕・金剛薬叉〔北〕・金剛波羅蜜多〔中〕
 とする説(新訳「仁王護国経」)がある。
2.五大力菩薩の加護により書状が無事に先方へ届く、余人の目に触れない、という俗信から、
 遊里などで主に女性が書状の封じ目に記した語。
 江戸初期に上方の遊女から始まり、のち男性が記すこともあった。
3.魔除け・貞操の誓いとして、
 煙管・かんざし・小刀・三味線の裏皮などに刻んだり書きつけたりした語。
 本曲が用いられた「五大力恋緘」の中で、
 芸者小万が三味線の裏に五大力と書く趣向が大当たりしたため、
 五大力をデザインした煙管やかんざしが流行した。
 また入れ墨として五大力と彫ることもあった。



【歌舞伎「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」】

三幕、世話物、初代並木五瓶作。
寛政六年(1794)五月、京都西の芝居で初演。
同年二月、大坂仲の芝居初演の「島廻戯聞書(しまめぐりうそのききがき)」三つ目以下を
独立させたもの。
元文二年(1737)、薩摩藩士の早田八右衛門が、大坂曾根崎桜風呂の菊野ら五人を斬殺した、
曾根崎五人斬り事件を題材とする。
寛政七年(1795)江戸で初演の際、舞台が曾根崎から深川に、芸者の名が菊野から小万に改められ
以降、上方系と江戸系が並行して上演された。
めりやす「五大力」は、江戸初演の際に初めて行われた。

(あらすじ・江戸本)
一幕

九州千島家の若殿仙太郎と、家臣の薩摩源五兵衛・笹野三五兵衛は、
紛失した家宝・竜虎の呼子を探すため江戸に上り、深川で遊んでいる。
三五兵衛は芸者小万に恋慕し、しつこく言い寄る。
迷惑に思った小万は三五兵衛を振るため、源五兵衛に情人のふりをしてくれるよう頼む。
はじめは嘘いつわりの仲だったが、小万は源五兵衛の一徹な性格にひかれ、
いつしか本当の恋仲になる。
二幕

探索中の呼子について、三五兵衛の関与を疑った源五兵衛は、
恋人である小万に、三五兵衛に近づいて内情を探るよう頼む。
小万は芸者の魂である三味線の裏皮に「五大力」と書き、
決して秘密を漏らさないこと、源五兵衛への想いは変わらないことを誓った上で頼みを了承する。
三幕

三五兵衛は小万に対し、源五兵衛への離縁状を書くよう強要し、
さらに三味線に書かれた五大力の五の上に「三」、力の左に「七」を書かせて
「三五大切」と書き換えさせる。
離縁状と三味線を見た源五兵衛は小万が心変わりしたと勘違いし、小万を斬り殺してしまう。
その後、すべては三五兵衛の企みだったと知り、
源五兵衛は三五兵衛を斬り、家宝の呼子を取り戻す。



【語句について】

いつまで草のいつまでも
 地歌の詞章「よしなし草のよしやよし」を改訂した詞句。
 「いつまで草」は植物の木蔦あるいは万年青の異名だが、
 ここでは「いつまでも」を導くための飾り言葉。
 「五大力恋緘」では、直前に小万の「わたしが心は」という台詞があり、
 「(別の男になびいた振りをしても)私の心はいつまでも(変わらない)」
 というつながりになっている。

なまなか
 副詞。かえって、むしろ、いっそ。

まみえ(「まみゆ」)
 「会ふ」の謙譲語。お目にかかる。

物思ふ 
 思い悩む。思いにふける。

〔たとへせかれて……縁と時節の末を待つ 〕
 文化初年成立の『音曲神戸節』に
 「たとへせかれて、ほどふるとても、えんとじせつの、すゑをまつ」(161)
 「五大力では、わしやないけれど、えんとじせつの、すゑをまつ」(303)
 の類歌が収録されており、この一節が広く流布していたことが分かる。

せかれて
 カ行四段動詞「堰く・塞く」未然形+受身助動詞「る」連用形+接続助詞「て」。
 「せく」は1.せき止める、さえぎり隔てる。 2.さえぎって人に会わせない。
 3.抑える、制止する。 ここでは1.の意。

程経るとても
 「程」はものごとの程度を表す語で、ここでは時間。
 「とて」は、ここでは理由・原因を表す格助詞(接続助詞)。
 全体で「時間が経ったからといっても、時が過ぎたとしても」。

なんとしょう
 「何と」は疑問・反語を表す副詞。
 1.どのように、どう。 2.どうして……か(、いや、ない)。

表面は解かぬ五大力 
 前の「互ひの心うち解けて」を受けて、心は解けても表面(上)は解かぬ、という流れ。
 五大力菩薩の加護で封書が他人に開けられない(解かれない)、と言う文面に、
 男女が表面上は素知らぬふりをしている意味を含ませる。
 なお「五大力恋緘」では、三五兵衛の内心を探って欲しい、という源五兵衛の頼みを受けた小万が、
 その頼みを決して外へ漏らさない誓いとして、芸者の魂である三味線に五大力と書き付ける、
 という筋で、特に手紙の封じ目の意味はない。

さはさりながら
 「さは」は1.そうは、そのようには。 2.それでは、それならば。
 「さりながら」は、そうではあるが、しかしながら。

変る色なき御風情 
 「色」はここでは様子、そぶり。
 「風情」は様子、気配、姿、態度。
 「御風情」であるので、手紙の受け取り手である恋人の様子を指す。
 『日本舞踊全集』『長唄名曲要説』は、
 「心変わりした様子も見えないので、まずまず安心であるということ」と解釈している。

やがて逢ふぞえ語ろぞえ
 「やがて」は1.そのまま、引き続いて。 2.すぐに、さっそく。 
 3.とりもなおさず、ほかならぬ、すなわち。 4.まもなく、そのうち。
 現代語では4.の意味で用いられるが、本来は時間的にも状態的にも隔たりがなく、
 前の状態から引き続く様を言う。 ここでは2.の意。
 「……ぞえ」は終助詞「ぞ」「え」が重なったもので、念を押す意味で使われる近世語。

惜しき筆とめ候かしく
 「惜し」は、失うのにしのびない、残念だ、捨てがたい、といった意味。
 ここでは名残惜しいの意。
 「かしく」は「かしこ」の転訛。
 手紙の結語として、多く女性が用いる。
 原義は「かしこし」の語幹で、恐れ多いこと。「恐惶謹言」などと同義。



☆「五大力恋緘」台本
 小万「わたしが心は」
  〈めりやす「五大力」独吟〉
 小万「これ見て下さんせ」
   ト三味線を見せる
 源五「ムウ、すべて女の人手に渡す、文の封じ目に、開かせまいとて認める五大力」
 小万「サイナア。お侍さんの魂は刀」
 源五「町人の魂は算盤、秤」
 小万「芸者の魂は三味線、その三味線の封じ目堅う、心の誓いの五大力」
 源五「外へ大事は漏らさぬという」
 小万「アイ、お前の頼み、三五兵衛さんが胸のうち」
 源五「首尾よう聞いたその上で」
 小万「やがて逢おぞえ、語ろぞえ」
 源五「マア、それまでは、暫しのうち」
 小万「別れのように思われて」
 源五「ヤ」
 小万「惜しき筆とめ候かしくじゃわいなア」



【成立について】

寛政七年(1795)正月、江戸都座初演。
「江戸砂子慶曾我(えどすなごきちれいそが)」の第二番目「五大力恋緘」二幕目、
大和町浪宅の場で、芸者小万が三味線に五大力と書く場面に使用された。
作曲二代目杵屋弥十郎。
歌詞は地歌「五大力」の後半を改作したもの、作詞初代並木五瓶。



【参考】地歌「五大力」とその他の艶書体類歌

元禄歌舞伎の所作事歌で、次に掲げるような恋文の形式をとるものが流行した。

『増補絵入 松の落葉』巻第二 中興当流浄瑠璃
三 文ことば
 誠に文は閨の友、いよし御げんと書いたるは、ほだしの種か花薄、ほんに誓文いとしさに、
 幾夜の夢を結び文、方さま参る梅よりと、思いまゐらせそろべくと、分の盃色めいて、
 わきて泉の思わくは、ただ逢ひまして逢ひまして、又の縁をまつかしく。

同 巻第六 中興当流所作
七 富士禅定
 二上り
 一筆と書きそむるは懐かしさのまま、道より問はせまいらせそろべく候、
 別れより程はあらず候へど、思ひ寝にする独り寝は、心も澄みて目も冴えて、
 煙草恋草伽となる、閨の内かはる色なき御暮し、やがて逢はうぞや、語ろぞや、
 筆に任せぬ物思ひ、ただ逢ひまして逢ひまして、残る言の葉かへすがき。 

『色里迦陵頻』
三 おくりぶみ(半太夫ぶし)
 〔上記「富士禅定」とほぼ同〕

これらの歌詞に、手紙の封じ目に五大力と書く習慣を踏まえて、
「五大力」の語を加味してつくられたのが、
地歌「五大力」である。
『歌系図』の「五大力」の項目には、その作者について
  白川検校調/李丈作
  此李丈といふ人は、さいかや七兵衛とて風流人なり、
  此人の作の歌猶多きよしなれど、今知れがたし、
  白川は作物の上手にて、其作今に残れり、悉く後篇に出すべし
とある※。歌詞は次に掲げる通り。

『吟曲古今大全』
「五大力」
 一筆と。書き初むるは懐かしさのまま日々に。思ひ参らせ候へど。
 別れより程はあらず候へども。思ひ寝にする独り寝の。我が心も澄みて目も合はず。
 多葉粉恋草縁となる。さりし御見の移りのみ。暮し候折からの。
 暑や寒やの起き伏しに。風など引かせ給ふなよ。ささを控へて身の養生。
 これ第一に頼み入る。よしなし草のよしやよし。生中見へ物思ふ。
 たとへせかれて程経るとても。縁と時節の末を待つ。はて何としよ。
 互の心打解けて。上ひは解かぬ五大力。さはさりながら変る色なき御暮し。
 やがて逢ふぞえ語ろぞえ。惜しき筆留め候かしこ。

※黒木勘蔵校訂『歌謡音曲集』長唄之部の「めりやす五大力」解説には、『歌系図』の同箇所が
 「さかや七兵衛」と記載されるが、
 『日本歌謡集成』(翻刻)および『日本歌謡研究資料集成』(影印)収録の『歌系図』では
 どちらも「さいかや七兵衛」になっている。



【参考文献】

藤田徳太郎編『校註日本文学類従 近代歌謡集』博文館、1929.6
平野健次解説『日本歌謡研究資料集成 九』勉誠社、1980.10
高野辰之編『日本歌謡集成 六・八』春秋社、1928
早稲田大学演劇博物館編『演劇百科大事典』平凡社、1960.6
パスカル・グリオレ「遊女の手紙をめぐって」『江戸文学』33号、2005.11
河竹登志夫ほか編『名作歌舞伎全集 三・並木五瓶集』東京創元社、1970.3
水野稔編『洒落本大成 二一』中央公論社、1984.4