連獅子(勝)
文久元年(1861)五月
作詞 河竹其水
作曲 二代目 杵屋勝三郎

〈本調子〉 
それ牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の長とかや 
桃李にまさる牡丹花の 今を盛りに咲き満ちて 虎豹に劣らぬ連獅子の 戯れ遊ぶ石の橋 
これぞ文殊のおはします その名も高き清涼山 
峰を仰げば千丈の みなぎる瀧は雲より落ち 谷を望めば千尋の底 
流れに響く松の風 見渡す橋は夕陽の 雨後に映ずる虹に似て 虚空を渡るがごとくなり 
かかる険阻の山頭より 強臆ためす親獅子の 恵みも深き谷間へ 蹴落す子獅子は転ころころ 
落つると見えしが身を翻し 爪を蹴たてて駈登るを 又突き落し突き落す 猛き心の荒獅子も 

〈二上り〉 
牡丹の花に舞ひあそぶ 胡蝶に心やはらぎて 花に顕はれ葉に隠れ 
追ひつ追はれつ余念なく 風に散り行く花びらの ひらりひらひら 翼を慕ひ 共に狂ふぞ面白き

〈本調子〉 
折から笙笛琴箜篌の 妙なる調べ 舞ひの袖
獅子団乱旋の舞楽のみぎん 獅子団乱旋の舞楽のみぎん 牡丹の花ぶさ香ひ満ちみち 
大巾利巾の獅子頭 打てや囃せや牡丹芳 牡丹芳 
黄金の蘂あらはれて 花に戯れ枝に臥しまろび 
実にも上なき獅子王の勢ひ 靡かぬ草木もなき時なれや 
万歳千秋と舞ひ納め 万歳千秋と舞ひをさめ 獅子の座にこそなほりけれ


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親子の役者が毛の長い頭を勇壮に振る「連獅子」は、歌舞伎が好きな人にはおなじみの舞踊でしょう。
歌舞伎舞踊における「連獅子」は明治五年(1872)に三代目杵屋正次郎が作曲したものが最初で、
これは本曲とは別の曲です。
現在でも、歌舞伎で上演されるのは「正次郎連獅子」の方で、
二代目杵屋勝三郎作曲の本曲は、もっぱら素唄で演奏されています。
謡曲(能)「石橋」から生まれた長唄は数多くありますが、
本曲は能「石橋」の小書(特殊演出)である「連獅子」を元につくられたものです。
ふつう、「石橋」で登場する獅子は一頭ですが、小書「連獅子」では複数の獅子が登場します。
謡曲に描かれる“石橋”とは、清涼山の中の深い谷にかかる石の橋。
橋の向こうは文殊菩薩の浄土で、生半可な修業者に渡れるものではありません。
この橋のたもとを訪れた寂昭法師の元に文殊菩薩の使獣である獅子が姿を現し、
荘厳な狂いを見せる、というのが謡曲「石橋」のストーリーです。
獅子の勇壮な舞は能においても重要な場面ですが、話のうえでのテーマはあくまでも石橋そのもの。
つまり能においては、石橋という“場”が主役です。
一方、本曲の主役はあくまでも“獅子”であり、石橋は場面として説明されるにすぎません。

本曲の内容は、親獅子が子獅子を谷へ蹴落とす前半と、
その荒々しさから一転、咲き誇る牡丹の花のもと、獅子が胡蝶に戯れ風流な狂いを見せる後半に分かれます。
前半の内容は、「ライオンは自分の子を谷底に蹴落とす」という言い伝え通り。
なお、この言い伝えについてはライオンの実際の生態とは合致しないことが知られています。
小書「連獅子」に関する先行研究で、
「演出によっては白が親獅子で赤の子獅子を谷底に突き落とす振を見せるものもある」※
と指摘されていますから、この言い伝えは能に端を発し、
本曲の流行によって世間に広く認知されたものと考えられます。
なお、本曲の初演は花柳寿輔の子・二代目芳次郎の襲名披露の時。
寿輔・芳次郎の親子二人で踊ったことから、
本曲には芳次郎に対する、河竹黙阿弥の激励の意味が込められていた、とも伝えられています。

もっとも、「獅子」はライオンを原型とする想像上の生き物です。
勇猛正義の獣で、すべての獣がそのひと吼えにひれ伏すほどの勇猛さ、気高さ、威厳を兼ね備えた百獣の王。
仏教の世界では、普賢菩薩の乗り物でもあります。
百獣の王である獅子の峻厳さ、幾度落とされても爪を蹴立てて駆け上る子獅子のたくましさ、
そして舞い遊ぶ蝶、戯れる獅子、散りかかる牡丹という三者が躍動しながら一体化する狂いの風流なさまが
本曲の主眼です。

※古井戸秀夫『新版 舞踊手帖』(参考文献参照)による



【こんなカンジで読んでみました】

牡丹はすべての花の王であり、獅子はすべての獣の王であるという。
桃李の美しさにもまさる牡丹の花が、今を盛りと咲き誇れば、
虎豹の勇ましさにも劣らぬ二頭の獅子は、石橋のたもとに戯れ遊ぶ。
その石橋がかかるのは、文殊菩薩がおわすることでその名を知られた清涼山。
山々を仰ぎ見れば、雲の上から千丈の滝が流れ落ち、谷をのぞき込めば底も知られぬ千尋の深さ。
響いているのは谷底の水の流れか、松の枝を揺らす風の声か。
谷にかかるこの石橋は、まるで雨上がりの夕日が映し出した虹、大空を渡っているようだ。
これほど険しい山の頂きから奈落の谷底へ、谷ほどに深い慈愛をもって、親獅子は子獅子を蹴落とす。
―お前は勇敢な獣王の子か。それとも臆病なただのけものか。
まっさかさまに落ちたかと思えば、子獅子はひらりと身を翻し、小さな爪を岩に蹴立てて駆け上る。
それでもなお親獅子はまた突き落とす。そのあまりの猛々しさに、獣たちは恐れ息をひそめるばかり。

荒ぶる親子の眼前を、ひらりひらりと一羽の蝶が横切った。
牡丹の花に舞い遊ぶ胡蝶の群れに、猛き心もいつしかやわらぎ、二頭の獅子は無心に蝶を追う。
花のすきまから顔をのぞかせ、葉の裏にその身を隠し、ひらひら舞い散る花びらと、ひらひら舞う蝶を慕って、
ともに狂い遊ぶさまの、なんと風流なことだ。
折から雅楽の不思議なほどに美しい調べが聞こえ、舞の袖がひるがえる。
今は獅子と団乱旋、二つの秘曲の舞楽演奏のとき。
牡丹の花は甘い香りに満ち溢れ、
獅子舞の獅子頭さながらに、二頭の獅子は舞い狂う。
打てや囃せや、牡丹の花はかぐわしく花開き、黄金色の蕊をのぞかせる。
花に戯れ枝に寝転がり、遊ぶ獅子こそ王の風格、その威勢に草木もすべてひれ伏すのだ。
御代をことほぐように舞いおさめた獅子は、やがて自らの座に静かに座したのだった。



【獅子と牡丹と蝶】

長唄「連獅子」の歌い出しでは、対句表現を用いて、獅子と牡丹をともにその世界の王であると讃えている。
また狂いの部分では、牡丹・蝶・獅子が混然と一体化した躍動的な一場面を演出している。
『江戸近世舞踊史』(参考文献参照)が
  「獅子の狂ふ処には必ず牡丹の花のあるのが不文律に定つて居る」
  「獅子の狂ひには蝶は、附属物の如くで、獅子と蝶と牡丹とは、三角関係をなして居る」
と述べるように、本曲以外の石橋物でも「獅子」「牡丹」「蝶」の三点は
不可分の物として描かれることが一般的である。

このうち、「獅子と牡丹」の取り合わせは、謡曲「石橋」において、既に合わせて描かれている。
「獅子」「牡丹」を取り合わせた理由について、
『俗曲評釈』『江戸近世舞踊史』『鏡獅子』(いずれも参考文献参照)は喜多村信節『筠庭雑考』の以下の記述を
引いている。
  又獅子牡丹にとり合する事は、名物法言に、獅子を獣王といふ。牡丹は唐の代にはいたく愛で貴重して
  花王とす。共に其種族の王なるを対しむかへたるなるべし。

また、『和漢三才図会』でも、それぞれ中国の書物に拠りながら「百獣の長」「花王」と紹介されている。

牡丹は隨のころから園芸栽培が始まり、唐代に入ると牡丹愛好が広まって盛んに詩歌に詠まれた
(中村裕一『中国古代の年中行事 第一冊 春』)。
「牡丹芳 牡丹芳……」の一節が謡曲「石橋」にも引用される白居易の詩「牡丹芳」は、
唐の人が牡丹の花に熱狂するさまを
  花開き花落つ二十日、一城の人皆狂へるがごとし
と表現している。
日本には平安の初めごろに伝来し、別称「深見草」「二十日草」としてまず貴族社会で受容され、
室町時代に入ると生け花の流行とともに、牡丹愛好は上流階級に広まった(『和歌植物表現辞典』ほか)。

獅子と牡丹の結びつきについて、雨宮久美氏は論考の中で、鎌倉時代の仏像の仏座に獅子と牡丹が彫られたものがあることから、仏教が契機となったこと、
またその定着に、謡曲「石橋」が大きな役割を果たしたことを指摘している。

一方、謡曲「石橋」には、蝶は登場しない。
石橋物への蝶の初出は、長唄の元になった上方歌「石橋」(別名「番獅子(つがいじし)」か。
『類舩集』に収められる俳諧の付合語としては、
   獅子―牡丹
   牡丹―胡蝶、獅子
   蝶 ―牡丹 (それぞれ抜粋)
であり、蝶は獅子ではなく、牡丹からの連想によって導かれ、「石橋」の世界に付加されたと考えられる。
(本項目未定稿)



【謡曲「石橋」と連獅子】

〈「石橋」概要〉
五番目物(切能)。作者、成立年不明。
寛正六年(1465)に「しゝ」の名の上演記録があるが、同曲であるかは不明。
祝儀物として、祝賀の会で上演されることが多い。
各流を通じて一部演出が異なり、
半能として前半を省略し、ワキの名乗りの後にすぐ獅子が出るかたちで演じられることもある。
また、獅子が二頭あるいは四頭出る場合もある。

内容の典拠としては、室町時代の法会で演じられていた小風流や歌舞が指摘されている。
また、中心となっている獅子舞は本曲以前の南北朝時代から能のなかに取り込まれていたというが、
これは古代から伎楽・舞楽の一つとして演じられていた獅子舞の系統によるものと思われる。
『能を読む』「石橋」小誌(参考文献参照)によれば、室町時代は上演されることがまれで、
江戸時代初期にはどの流派も上演しておらず、五流で上演するようになったのは江戸時代後期からという。
上演が途絶えていたため、五流の間だけでなく同一流儀の中でも演出にさまざまな幅がある。

長唄「連獅子」の元になった小書(特殊演出)「連獅子」もその一つ。
「連獅子」のほか、「大獅子」「和合」などの小書では、白赤二頭の獅子が出るのが普通。
白頭の獅子はどっしりと、赤頭の獅子は敏捷に動く。


〈「石橋」あらすじ〉
日本の僧侶・寂昭(じゃくしょう)法師が唐土に渡り、文殊菩薩の浄土があるという清涼山を訪れる。
石橋(しゃっきょう)を渡ろうとすると、一人の子ども(あるいは老人)が現れて、
石橋を渡ることのむずかしさを告げる。
子どもは寂昭法師に、この橋は人がつくったものではなく、自然に出現したものであり、
幅は一尺(約30センチ)に満たず、その表面は苔むしてつるつる滑り、長さは三丈(約10メートル)、
下は千丈(約3,000メートル)の深い谷で、中途半端な修行者に渡れるものではない、と説く。
そして橋の向こうは文殊菩薩の浄土で、まもなく菩薩来現のころであろう、と言って姿を消す。
やがて、文殊菩薩の使いである獅子が姿を見せ、牡丹の花に戯れて獅子の舞を見せて安座する。



【語句について】

牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の長とかや 
 「百花」は多種多様な花、いろいろな花。「百獣」は多くのけもの、またはすべてのけもの。
 牡丹と獅子を対にして、それぞれが各界でもっとも優れた存在であることをいう。
 牡丹は中国で唐代から「花王」と称され、愛好された。
 また「獅子」を「百獣の王」とする言説は、中国の北宋時代(11世紀後半~12世紀前半)の
 『侯鯖録』に確認できる。

桃李にまさる牡丹花の 今を盛りに咲き満ちて
 「桃李」は桃とスモモ、またその花。
 「桃李の顔(かんばせ)」「桃李の粧い」は、それぞれ美しく華やかな顔、あでやかな粧いのたとえ。
 また「試験管が採用した門下生」の意もあり、
 「桃李門に満つ」で「優秀な門下生がたくさんいること」。
 ここでは単純に桃とスモモの花の意で、中国で愛好された花である桃李の名を挙げ、
 それよりもすぐれた存在として牡丹を賞賛する。
 「今を盛りに咲き満ちて」は、牡丹の花が満開であることだが、
 本曲初演の5月が花の盛りの時期であることと、初演が名披露目の会という晴れの場であることも含むか。

虎豹に劣らぬ連獅子の
 前の「桃李にまさる牡丹花の」と対句表現。
 「虎豹」はトラとヒョウ。転じて、勇猛なもの、猛悪なものを例えていう語。
 「連獅子」は二頭の獅子、本曲中では特に親子の獅子。

石の橋 
 広く石でできた橋ではなく、ここでは清涼山の石橋(しゃっきょう)のこと。

これぞ文殊のおはします その名も高き清涼山 
 「清涼山」は中国山西省五台山の別称。寺院が多くあり、文殊菩薩の霊場として栄えた場所。
 石橋は本来天台山という別の場所にある橋だが、謡曲「石橋」では清涼山にあるとしている。

峰を仰げば千丈の みなぎる瀧は雲より落ち 谷を望めば千尋の底 
 石橋のかかる谷の深いさまをいう。
 謡曲「石橋」地謡に以下の通り。
  しかるにこの、石橋と孟子は、人間の渡せる橋にあらず、おのれと出現して、続ける石の橋なれば、
  石橋と名を名づけたり。その面わづかに、尺よりは狭うして、苔はなはだ滑らかなり。
  その長さ三丈余、谷のそくばく深き事、千丈余に及べり。上には滝の糸、雲より懸りて、
  下は泥梨も白波の、音は嵐に響き合ひて、山河振動し、雨土塊を動かせり。橋の気色を見わたせば、
  雲に聳ゆるよそほひの、たとへば夕陽の雨の後に、虹をなせる姿、また弓を引ける形なり。

流れに響く松の風
 謡曲「石橋」に「谷の川音雨とのみ、聞こえて松の風もなし」の翻案か。
 謡曲の詞章では川音が雨音のように激しいため、松風の音が聞こえない、の意だが、
 本曲では川音と松風の音がともに響く様子。

見渡す橋は夕陽の 雨後に映ずる虹に似て 虚空を渡るがごとくなり 
 前掲の謡曲「石橋」詞章山椒。
 石橋のかたちが虹のように弓なりであることをいう。

かかる険阻の山頭より 
 「かかる」はこのような、このように。
 「険阻」は1.道や地勢がけわしいこと、またそのところ。2.顔つきや性格がとげとげしいこと。
 「山頭」は1.山岳の頭部、山頂。2.(古くは多く山上にあったことから)焼場、墓地。

強臆ためす
 「強臆」は強くて勇気のあることと、気が小さくて物怖じすること。剛勇と臆病。
 子獅子が強いか臆病であるかを試す、ということ。

恵みも深き谷間へ
 親獅子の慈愛の心が深いさまと、谷の深いさまを掛けていう。

折から
 おりしも。ちょうどそのとき。

笙笛琴箜篌(しょうちゃくきんくご)
 「笙」「笛」「琴」「箜篌」がそれぞれ楽器の名。
 「笙」は中国古代にあった、十数本の竹管を並べた管楽器。また、雅楽に用いる管楽器のひとつ。
 奈良時代に中国より伝来したが、現在使われているのは日本で独自に改良されたもの。
 「箜篌」は古代東アジアの弦楽器。琴(きん)に似た臥箜篌、ハープに似た竪箜篌など数種ある。

妙なる調べ
 「妙なり」は1.不思議なほどにすぐれているさま。霊妙なさま。2.上手であるさま。
 「調べ」は音楽を奏でること。演奏、またそのメロディ。

〈獅子団乱旋の舞楽のみぎん……獅子の座にこそなほりけれ〉
 「相生獅子」以降、長唄の石橋物に共通する詞章。

獅子団乱旋(ししとらでん)
 「獅子」「団乱旋」という、二つの舞楽の曲名。
 ともに唐から伝来した曲で、秘曲とされ、「獅子」は盤渉調、「団乱旋」は壱越調(いちこつちょう)。

舞楽
 舞いを伴う舞楽。
 唐楽の伴奏で舞うのを「左方の舞楽」、高麗楽の伴奏で舞うのを「右方の舞楽」という。

みぎん 
 「砌(みぎり)」の変化した語。
 「砌」は本来「水限」の意で、雨滴の落ちるきわ、またそこを限るところからいう。
 1.軒下などの雨滴を受けるために、石や敷瓦を敷いたところ。 2.転じて、庭。また境界。
 3.あることの行われ、またあるものの存在する場所。そのところ。
 4.あることの行われる、またあるものの存在する時。そのころ。
 ここでは4の意。

牡丹の花ぶさ香ひ満ちみち 
 牡丹の花が開き、その香りが満ち溢れる様子。

大巾利巾の獅子頭 
 「大筋力(だいきんりき)」の転じた語。勢いのある、力強い様子。
 『日本舞踊全集』の解説(参考文献参照)では、
 「一説に、祭礼などに用いられる獅子頭の雄氏氏の頭に玉があるが、それが大きんで、
 雌獅子にはそれが無い。これをりきんというのが、一般には知られている」とのこと。

牡丹芳 黄金の蘂あらはれて 
 白楽天(白居易)の詩『白氏文章』巻四風諭「新楽府」の「牡丹芳」からの引用。
 「牡丹の花はかぐわしく開き、金色の蕊をのぞかせて」の意。

花に戯れ枝に臥しまろび 
 二頭の獅子が牡丹の花に戯れかかる様子。

獅子の座にこそなほりけれ
 「獅子の座」は、
 1.(獅子が百獣の王であるように、仏が人中でもっとも尊いものであるというところから)
 仏の座るところ、仏の座席。また、仏像の台座。
 2.舞楽また民俗芸能の獅子舞で、獅子頭を飾るところ(参考文献『俗曲評釈』による)。
 ここでの文意としては、単に獅子が王として座るところの意だが、
 本曲詞章の後半には古代から伝来していた獅子舞の影響が見られるため、2の意も含むと考えられる。



【成立について】

文久元年(1861)五月、花柳寿輔の子・二代目芳次郎襲名の際に初演。
作詞河竹其水(新七、のちの黙阿弥)、作曲二代目杵屋勝三郎。
初演時には、寿輔と芳次郎が親子で踊った。
作曲者の勝三郎の名をとって「勝三郎連獅子」「勝連」、
また勝三郎が馬喰町(初音の馬場があったところ)に住んでいたことから「馬場連」とも呼ぶ。

なお同材の長唄に、明治五年(1872)東京・村山座初演、三代目杵屋正次郎が作曲したものがあり、
こちらは「正次郎連獅子」、正次郎が瀬戸物町に住まいしていたことから「瀬戸連」と通称される。
作詞は本曲と同じ河竹黙阿弥で、詞章の内容はほぼ同様ながら、
「正次郎連獅子」の方が掛詞などの修辞を多様し、描写に富んでいる。



【参考文献】

浅川玉兎「長唄の獅子もの」『季刊邦楽』通巻29号、1981年12月
雨宮久美「日本における牡丹と獅子文化の形成と謡曲『石橋』」『国際関係研究』第36巻第1号、2015年10月
喜多村信節『筠庭雑考』→『日本随筆大成 新装版 第二期第8巻』吉川弘文館、2007年10月
国文學編集部『知っ得 古典文学動物誌』學燈社、2007年8月
九重左近『江戸近世舞踊史』萬万里書房、1929年12月
小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集59 謡曲集二』小学館、1998年2月
佐々政一『俗曲評釈』忠文舎、1908年7月
中村裕一『中国古代の年中行事 第一冊 春』汲古書院、2009年1月
野間光辰監修『俳諧類舩集索引 付合語篇』1973年3月
平田喜信・身﨑壽『和歌植物表現辞典』東京堂出版、1994年7月
古井戸秀夫『新版 舞踊手帖』新書館、2000年11月
堀越福三郎(市川翠扇口述)『鏡獅子』芸艸堂出版部、1948年7月
和漢三才図会刊行委員会『和漢三才図会 上・下』東京美術、1970年3月
『日本舞踊全集』「連獅子」

稀音家義丸「長唄聞書・勝三郎連獅子」(webページ)