時雨西行
元治元年(1864)九月
作詞 河竹其水
作曲 二代目 杵屋勝三郎
[謡ガカリ]〈本調子〉 
行方定めぬ雲水の 行方定めぬ雲水の 月諸共に 西へ行く 
西行法師は家を出て 一所不住の法の身に 吉野の花や更科の 
月も心のまにまにに 三十一文字の歌修行 廻る旅路も長月の 秋も昨日と過ぎ行きて 
都をあとに時雨月 淀の川船行末は 鵜殿の芦のほの見えし 
松の煙の波寄する 江口の里の黄昏に 
迷ひの色は捨てしかど 濡るる時雨に忍びかね 賎の軒端にたたずみて 一と夜の宿り乞ひければ 
あるじと見えし遊女が 情なぎさの断りに 波に漂ふ捨小舟 どこへ取付く島もなく
世の中を 厭ふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな と口ずさみて行き過ぐるを 
なうなう暫し と呼び留め
世を厭ふ 人とし聞けば仮の宿に 心留むなと思ふばかりに 
それ厭はずばこなたへと 云ふに嬉しき宿頼む 一樹の蔭の雨やどり 一河の流れのこの里に 
お泊め申すも他生の縁 いかなる人の末なるかと 問はれて包むよしもなく 
我も昔は弓取の 俵藤太が九代の後葉 佐藤右兵衛尉憲清とて 鳥羽の帝の北面たりしが 
飛花落葉の世を観じ 弓矢を捨てて墨染に 身を染めなして法の旅

〈二上り〉 
あら羨まし我が身の上 父母さへも白浪の 寄する岸辺の川舟を 留めて逢瀬の波枕 
世にも果敢なき流れの身 春の朝に花咲いて 色なす山の粧ひも ゆふべの風に誘はれて 
秋の夕べに紅葉して 月によせ 雪によせ 問ひ来る人も川竹の うきふし繁き契りゆゑ 
これも何時しかかれがれに 人は更なり心無き 草木も哀れあるものを 或時は色に染み 
貪着の思ひ浅からず 又ある時は声を聞き 愛執の心いと深く これぞ迷ひの種なりや
[謡ガカリ]

〈本調子〉 
げにげにこれは凡人ならじと 眼を閉ぢて心を静め 見れば不思議や 
今まで在りし遊女の姿たちまちに 普賢菩薩と顕じ給ひ 
実相無漏の大海に 五塵六欲の風は吹かねども 
随縁真如の波の立たぬ日もなし 眼を開けば遊女にて 
人は心を留めざれば つらき浮世も色もなく 
人も慕はじ待ちもせじ 又別れ路もあらし吹く 
花よ紅葉よ月雪の ふりにしこともあらよしなや 
眼を閉づれば菩薩にて 異香のかをり糸竹の調べ 
六牙の象に打乗りて 光明四方に輝きて 拝まれ給ふぞ有難き 拝まれ給ふぞ有難き
[謡ガカリ]
西行法師が正身の 普賢菩薩を拝みたる 江口の里の雨宿り 
空に時雨のふることを ここに写してうたふ一節

(歌詞は文化譜により、表記を一部改めた)

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ここに「時雨西行」のほんの一部をYouTubeで紹介しています 見られない方はこちらへ

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長唄の歌詞を大きく二つに分けると、
気持ちや情景を断片的に唄ったものと、起承転結のある物語を唄ったものがあります。
物語を唄う長唄のうち、江戸時代に成立したもののほとんどは、
謡曲のあらすじをそのまま使って長唄につくりかえたものですが、
この「時雨西行」は謡曲を素材として使いながらも、
オリジナルストーリーを作り出しているところが注目ポイントです。
それもそのはず。作詞はかの有名な歌舞伎狂言作者・河竹黙阿弥で、
自身が前年に書いた作品の趣向を元に、初代杵屋勝五郎の追善供養のために作り直した作品です。
雨に濡れた西行法師が、一人暮らす遊女に宿を借りたいと願いますが、断られてしまいます。
「俗世を捨てて出家するのは難しいだろうけど、だからって一夜の仮の宿まで惜しまなくったって……」
西行が「仮の宿」という言葉に「俗世」と「一夜の宿」の二つの意味を含めた恨み言の和歌を詠むと、
「あら、あなたは俗世を捨てた人だと聞いたから、一夜の宿に執着しちゃだめよ、と思ってお断りしたのよ」
と、遊女は西行の言葉を即座に転換して歌を返します。
「心留むな」=執着してはならない、と遊女は語ります。
人を愛することも憎むことも、執着は悲しみを生み、生きる苦しみを増やすだけ。
学問を積んだわけでも、仏道の修行を重ねたわけでもない遊女ですが、
訪れる人のすべて、寄せられる想いのすべてが消え去っていく日々を生きる中で、
俗世にありながらこの世の無常を肌で知ったのでしょう。
自分の生業のはかなさを知りながらも、その道を受け入れて生きる遊女の姿こそが、
仏道を生きる西行には現世を生きる菩薩と写ったのです。



【こんなカンジで読んでみました】

雲が漂い、水が流れるのと同じ。廻国修行は行先の決まった旅ではない。
傾く月を友として行こう、悟りの地、西方浄土のある方へ――。

西行法師は家を捨てて、旅に生きる仏道の人となった。
吉野の桜や更科の月、心の赴くままに諸国をめぐって、三十一文字に心を写す和歌修行。
旅の月日はいよいよ長く、九月の秋もいつしか過ぎた。
都を後にしてどれほどが経ったろう、時雨降る十月、淀から乗った川船の行先はどこだろう。
やがて船は、鵜殿の蘆の穂蔭にぼんやり見える松に煙る波が寄せる、暮れなずむ江口の里に到着した。
西行法師はもはや出家の身。煩悩に乱れる色めいた気持ちなどはとうに捨てたが、
体を濡らす冷たい時雨に耐えかねて、粗末な家の軒にたたずみ、一晩の宿を願い出た。
が、家の主と見えた遊女からは情け容赦のない断りの返事。
渚の波に漂う乗り捨てられた小舟のように、とりつく島もない。思わず西行が

「俗世を捨てて出家するのはたしかに難しいことでしょう。
しかしあなたは俗世間を惜しみ、かりそめの宿さえ惜しむのですね……」

と歌を詠んで立ち去ろうとすると、「もし、しばらくお待ち下さい」と遊女が呼び止め、こう返歌をした。

「あなたに冷たくしようとして宿を断るのではありません。拝見すればあなたは出家の身。
ですから、俗世に執着なさいますなと思ってお断りしただけですよ」

差し支えがないのでしたらどうぞ、と言われ、西行は喜んで宿を頼んだ。
同じ木の下で偶然雨宿りするのも、川の流れるこの江口の里に偶然あなたをお泊めするのも、
前世からの不思議な因縁によるものでしょう。今は僧となったあなたは、元はどのような方だったのですか。
遊女の問いに別段隠す理由もなく、西行は自分の半生を語って聞かせた。
「私も以前はもののふの身。かの有名な藤原秀郷から数えて九代の末裔、
名を佐藤憲清と言って、鳥羽院の北面の武士を勤めた者でありましたが、世の無常に思うところがあり、
弓矢を捨てて、墨染の衣を着る僧侶となって、仏法の旅をしているのです」
西行の言葉に、遊女もおのれの身の上を語り出す。
「まあ、それは羨ましいこと。私の身の上を申せば、そもそも父母の顔さえも知らないのです。
白浪寄せる岸辺に行き来する船を呼び止めて逢瀬を重ねる、世にもはかない遊女の身。
春の朝には満開の花に彩られる山も、暮れ方の風に誘われて、秋の夕べには赤く色づき、移ろうもの。
月を眺め、雪を眺めても、無常を感じない日はありません。
私を訪ね来る人はいつも変わります。それは私が流れに任せる川竹のような遊女の身だから。
訪ね来る人はたくさんいます。でも、つらく悲しい遊女の身、どの人も、おとずれはいつしか絶えるのです。
人間はもちろんのこと、心を持たぬ草木でさえ、世の無常から遁れることはできません。
それなのに、ある時は美しい姿にひかれて愛しさの虜となり、ある時は美しい声にひかれて愛しさに溺れる。
執着すること、これがすべての煩悩の根本なのでしょう」
何という達観、まったくもって、この女性はただの遊女ではあるまい。
西行が眼を閉じて心を静めると、なんと不思議なことだ、たった今まで目の前にいた遊女の姿が変わり、
普賢菩薩が示現なさった。
「真理の清らかな海に、煩悩の風は吹かないが、機縁によって悟りの波は立つのだ」
心に聞こえる仏の声に眼を開いてみれば、目の前では遊女が遊女のまま語り続けている。
「人は執着を捨てれば、つらい世もつらい恋もなくなるのでしょう。
誰かを慕うのはやめます、待つのも、もうやめにします。
愛することに執着すれば、別れにもまた嵐が吹き荒れるのだから。
花が咲くこと、紅葉が散ること、月も、雪が降るのも、全ては変わっていくのだから、
過ぎたことに心を揺らしても、何にもならないのです」
みずから知った無常を語る遊女の姿は、目を閉じればやはり菩薩であって、
かぐわしい香りの中に典雅な音楽が響く。六牙の象に乗った姿からはまばゆい光があふれ出て、
西行はただただ、その姿を拝み申し上げたのだった。
西行法師が、人の姿を借りた普賢菩薩のお姿に出会ったという、江口の里の雨宿りの夜。
空に時雨の降る日のこと、その昔の出来事を、今この唄に伝えよう。



【歌僧・西行】

平安時代から鎌倉時代の歌人。
俗名佐藤義清(憲清とも)で、出家前は武士であった。
父方は藤原北家の流れで、平将門の乱で功を得た俵藤太(藤原秀郷)の流れを汲む部門。
西行自身は俵藤太から数えて九代目にあたる。
十八歳より鳥羽上皇の元に北面の武士として仕え、和歌などをものしていたが、二十三歳で出家。
出家の理由は、鳥羽上皇の女院に対する叶わぬ恋や友人の急死などが取り上げられることが多いが、
実際のところは分かっていない。
三十歳での陸奥行きを皮切りに生涯にわたって何度も廻国修行に赴き、
これによって各地に西行説話が残った。
高野山での二十年を越える修行、伊勢での暮らしを経て、後年は嵯峨や河内国・弘川寺に庵を結ぶ。
「ねがはくば花のしたにて春死なむそのきらさぎの望月のころ」という自らの歌の通り、
文治六年(1190)の二月、七十三歳で入滅。
『新古今和歌集』に94首、勅撰集の合計で266首が入集する当代第一等の歌人。
歌人として、また僧として多くの説話を残す。



【謡曲「江口」】

(あらすじ)
江口の里を訪れた旅の僧が、昔西行法師がこの地で遊女と詠みかわした歌のことを思い返していると、
一人の女が現れて「その時遊女が詠んだ返歌は」と問う。女は自分が遊女の幽霊だと告げて姿を消す。
その後正体を見せた遊女の幽霊は、舟遊びの様子を見せながら、
遊女のはかなさ・この世の無常を述べ、舞を舞う。
やがて遊女は、西行法師にこの世に執着してはならないと返歌した私なのだから、もはや帰ろうと告げる。
遊女は菩薩に、舟は白象となり、西の空へ消えていく。

前半は『新古今和歌集』『撰集抄』などにある西行法師と遊女・妙の問答歌に基づく。
『新古今和歌集』の詞書には「天王寺へ詣で侍りけるに、にはかに雨の降りければ、
江口に宿を借りけるに、貸し侍らざりければ、よみ侍りける」とあるのみで、
面白みは西行と遊女の機知あふれる皮肉のやりとりにある。
同和歌を元にした『撰集抄』の説話では、遊女を四十歳過ぎの美しい女とし、
遊女が西行に発心を語るなどの脚色がなされている。
後半、遊女が普賢菩薩の姿を現じるくだりは、『十訓抄』などにある性空上人の説話によるもの。
性空上人がなんとかして生身の普賢菩薩を見たいと思っていたところ、夢に神崎の遊女に会いに行けとの
お告げをみる。
性空が神崎の遊女の舞を見ていると、遊女の姿はいつの間にか普賢菩薩に変わり、
「実相無漏の……」と経文を述べる。
はっと目を開いて見据えると、遊女は遊女のままで、元の歌を歌い舞っている。
感激した性空に、遊女は「この事は誰にも話してはいけない」とささやき、にわかに死んでしまった。
謡曲『江口』はこの二つの説話を融合させ、江口を訪れた旅の僧の前で、江口の遊女が普賢菩薩の正体を
見せる、という一話としている。
長唄「時雨西行」はさらに、
西行と和歌のやりとりをした遊女が西行の前で菩薩に現じる筋にしている点において独自性を加えている。



【語句について】

〔行方定めぬ雲水の……月諸共に 西へ行く〕
 謡曲における次第を取り入れた部分で、長唄でも次第と呼ぶ。
 七五・七五・七四(または七五)の三句からなる形式で、謡曲ではワキの登場第一声として、
 その役の意向や状況を述べる。
 本曲に限らず、「勧進帳」の「旅の衣は篠懸の……」や「道成寺」の「花の他には松ばかり……」など、
 謡曲を素材とする長唄の唄い出しに存在する。
 「雲水」は雲や水が一か所にとどまらないように、諸処を修行して歩く行脚僧。
 「西へ行く」は月が沈む方向であることから時が過ぎるままに旅をする様子を示すが、
 同時に西方浄土の方向、また「西行」の名の意味も含む。

一所不住の法の身
 前の「行方定めぬ雲水」とほぼ同義。
 ひとつの所に定住せず、廻国修行に生きる法師・僧侶のこと。

吉野の花や更科の(月)
 大和国吉野山は桜の名所、信濃国更科は月の名所。
 具体的な地名と本曲の話筋に関連はなく、ここでは花鳥風月の代表として挙げられている。

三十一文字の歌修行
 「三十一文字(みそひともじ)」は五七五七七の合計で、和歌のこと。
 西行の廻国修行を和歌の修行の旅として言う。
 西行の旅は必ずしも和歌の修行のためだけに行われたものではないが、
 西行は実際に旅の途中に各地の歌枕をたずね、平安中期の歌人能因の足跡をたどるなどしている。

まにまにに
 正しくは「随に(まにまに)」で一つの副詞であり、「まにまにに」は重複表現。
 そのままに任せるさま。……のままに。

廻る旅路も長月の
 「旅路も長き」と「長月」を掛ける。長月は陰暦九月。

都をあとに時雨月
 「都をあとにし」と「時雨月」を掛ける。時雨月は時雨が多く降る月、陰暦十月の異称。

〔淀の川船……松の煙の波寄する〕
 謡曲「江口」(以下「江口」)の詞章をほぼそのまま採った部分。
 「淀」は山城国、「鵜殿」は摂津国の地名。鵜殿の蘆は雅楽で用いるひちりきの下の材料として知られ、
 『摂津国名所図会』にも記述がある。
 「ほの見えし」は「蘆の穂」と「ほの……」の掛詞。
 「松の煙(の波)」は『長唄全集』『長唄名曲要説』では「魚を捕る船の松明の煙」とするが、やや唐突。
 『謡曲集1』「江口」の頭注のように、
 「松の煙」は霞んでみえる松、「煙の波」はもやのように煙ってみえる波、と解するの方が適当。
 
迷ひの色
 「迷ひ」は心が煩悩に乱されて悟りえないこと。
 「色」は、ここでは「色めいた心」の意味か。

あるじと見えし遊女
 その家の主人と思われる遊女。
 「江口」では「江口の長」「江口の君」、『十訓抄』の性空上人の説話では「遊女の長者」であり、
 元はその地の遊女を代表にあたる人物に設定されていた。

情なぎさの断りに
 「情なき」と「なぎさ」を掛け、渚の縁で波、捨小舟、島と続ける。

〔世の中を 厭ふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな〕
 西行が遊女に対して詠みかけた和歌。第四句を「仮の宿をも」とする作品もある(『西行上人集』)。
 「世の中を厭ふ」は世俗を嫌うことで、多く隠棲すること、出家すること。
 「仮の宿り」は西行が求めている一夜の仮の宿と、「現世・俗世間」の意味がある。
 係助詞「こそ」+已然形の後に文が続くときは、逆説の意。
 「世を厭い出家することは難しいだろうが、俗世間を惜しみ、かりそめの宿さえを惜しむ君なのだなあ」。

〔世を厭ふ 人とし聞けば仮の宿に 心留むなと思ふばかりに〕
 遊女が西行に返した歌。初句を「家を出づる」とする作品もある(『山家集』『撰集抄』など)。
 「世を厭ふ人」=出家した人=西行を暗示し、西行の歌を受けて即妙に返歌する。
 「あなたは世を厭って出家した人と聞いたから、
 俗世にも一夜の宿にも執着してはいけないと思ってお断りしただけですよ」。

〔一樹の蔭の雨やどり 一河の流れのこの里に〕
 「江口」の「一樹の蔭にや宿りけん、または一河の流れの水、汲みてもしろしめされよや」による表現。
 この世において一樹の陰に宿り合い、一河の流れの水をともに汲む間柄であるのは、
 前世において深い因縁があったからだ、という考え方。
 元は『説法明眼論』の「或一村ニ処リ、一樹ノ下ニ宿リ、一河ノ流レヲ汲ミ、
 一夜ノ同宿、一日の夫婦、(中略)、皆先ノ世ノ結縁ナリ」が原典(『謡曲集1』「江口」頭注による)。

他生の縁
 多生の縁とも。今の姿に生まれ出る前から、輪廻の中で多くの生を受ける間に結ばれた因縁。

〔我も昔は弓取の……身を染めなして法の旅〕
 西行が遊女の問いに答えて、自らの半生を述懐する部分。
 「弓取」は弓を用いる人、転じて武士のこと。
 「飛花落葉」は、花は風に散り葉は季節に落ちることで、この世が無常であることの例え。
 「墨染」は「墨染衣」の略。墨の色に染めた衣のことで、僧侶が着る衣を指す。
 「墨染に身を染める」で、出家して僧侶となる。

〔あら羨まし我が身の上……これぞ迷ひの種なりや〕
 西行の述懐を受けて、遊女が自分の半生、生業のはかなさを述べる部分。
 「江口」の詞章によるところが多い。

〔父母さへも白浪の……流れの身〕
 「川舟」「(逢)瀬」「波」「流れ」は縁語。
 「父母さへも白浪の」じゃ「父母さへも知らぬ」と「白浪」の掛詞。
 「流れの身」は遊女の生業を表す語(「流れを立てる」で色を売る意味を持つ)。

〔春の朝に花咲いて……月によせ 雪によせ〕
 朝に咲いた花も夕べには散り、春の花盛りに賑わう山もやがて秋の紅葉を迎える、ということ。
 春と朝、夕と秋を組んで、それぞれを対にした表現。
 この世のものは全て移ろいやすく、永遠であるものはない、という無常観を表す。

問ひ来る人も川竹の うきふし繁き契りゆゑ
 「川竹」は「問ひ来る人も変はる」と「川竹」の、「うきふし」は「浮き」と「憂き」の掛詞。
 また「川竹」は「流れ」にかかり、「川竹の流れの身」で遊女を差すことから、
 転じて「川竹」のみでも遊女を表す語となった。

かれがれに
 草木が枯れる「枯れ枯れ(かれがれ)」と、人との交流が疎遠になる「離れ離れ(かれがれ)」を掛ける。

人は更なり心無き 草木も哀れあるものを 
 「ものを」は接続助詞として順接確定条件、逆接確定条件の両方を表す。
 ここでは下に続く詞章から順接として取った方が良いか。
 心を持つ人間には勿論のこと、
 心を持たない草木にも、移ろい変わって行く寂しさや悲しみがあるのだから。
 「江口」では「およそ心なき草木、情ある人倫、いづれあはれを遁るべき」で、
 訳文では「あはれ」を「無常」としている。

色に染み
 「色」は多義語だが、ここでは次の「声」と対になっているので「容色」の意が適当。
 美しい見た目に心を深く寄せて。

貪着の思ひ
 足ることを知らず、むさぼるように物に執着する思い。

愛執の心
 愛する物に拘泥する心。

普賢菩薩
 釈迦の右方に侍する菩薩。左の智恵の文殊に対し、慈悲の普賢。
 仏の理・定・行の徳をつかさどり、延命や障り除け祈願の対象とされる。
 全ての菩薩の長と解されることもある。

〔実相無漏の大海に……立たぬ日もなし〕
 謡曲「江口」詞章に依るもので、『十訓抄』にも、遊女が舞う乱拍子の歌詞に同様の表現がある。
 一切の煩悩を捨てた清らかな世界を、大海に例えた慣用表現。
 「実相」は生死や転変から離れた真実の姿、「無漏」は煩悩がなく、けがれがないこと。
 「五塵」は煩悩のもとになる「色、声、香、味、触」の五つ、
 「六欲」は「眼、耳、鼻、舌、身、意」から生まれる六種類の欲望。
 「随縁真如」は、真理がさまざまな縁に従って色々な形になって表れること。
 全体の文意としては、
 「真実、きよらな広い海に、煩悩、欲望の荒い風、吹きこそしないが、
 縁により、縁に従い、悟りの波はいつも立つ」(『十訓抄』訳文による)。
 
〔人は心を留めざれば……ふりにしこともあらよしなや〕
 「江口」詞章を元とする。
 人は執着さえ捨ててこの世を所詮仮の宿だと悟れば、無常の苦しみから逃れられる、ということ。

つらき浮世
 耐えがたく苦しい無常の世の中。文意に従えば、表記は「憂世」が適当か。


 ここでは次の詞章につながる「色恋、愛情」の意が適当か。

花よ紅葉よ月雪の
 「春の朝に花咲いて色なす山の粧ひも ゆふべの風に誘はれて秋の夕べに紅葉して 月によせ 雪によせ」
 と呼応する表現で、時の移り変わりを感じさせる自然の景物の例として挙げられている。

ふりにしこと
 前の「月雪」を受け、「降りにし」と「古りにし」を掛ける。
 「古る」+完了助動詞「ぬ」+過去助動詞「き」、古くなってしまったこと。
 「江口」では「月雪の古言」で、遊女が生きていた頃の西行との歌のやりとりについて言う。
 本曲でも広義には過ぎ去ってしまった全てのこと、狭義には前の西行との歌のやりとりと読める。

よしなや 
 「由無し」に詠嘆の終助詞「や」で、ここでは無駄だ、意味のないことだ。

異香のかをり
 普通とは異なった良い香り。謡曲詞章には同表現はない。
 『十訓抄』の性空上人説話の中で、普賢菩薩である遊女が死んだ場面に
 「異香、空にみちて、はなはだ香(こう)ばし」とある。

糸竹の調べ 
 音楽のこと。ここでは普賢菩薩の示現を表す。

六牙の象
 六本の牙を持つ白い象。普賢菩薩の乗り物。
 釈迦の母・摩耶夫人がこの象を夢に見て釈迦を懐妊したことから、釈迦入胎の象徴でもある。

正身
 しょうじん、「生身」とも。
 仏や菩薩が人々の救済のため、人間の姿になってこの世に現れたもの。
 
空に時雨のふること
 「時雨が降る」と「ふること(故事)」を掛ける。



【成立について】

元治元年(1864)九月成立。
作曲・二代目杵屋勝三郎、作詞・河竹其水(後の河竹黙阿弥)。
黙阿弥が前年江戸市村座で、両国広小路の白象の見世物を当て込んで書いた
富本節「恋計文殊智恵輪(こいのてくだもんじゅのちえのわ)」を受けた作品(古井戸秀夫氏指摘による)。
二代目勝三郎が、父である初代勝三郎の七回忌に素唄として初演したため、
初演時は結びの一節が以下の歌詞で演奏された。
「江口の里の雨宿り 空に時雨のふることを ここに写してうたふ一節」
 ↓
「そのふることを亡き父の 跡を弔らう七めぐり 今日の手向けにうたふ一節」



【参考文献】
久保田淳「長唄「時雨西行」の詞章と曲調」
(久保田淳編『文学と音楽-ことばを奏でる調べ、音に託す文字-』所収、教友社、2005)
長崎由利子「音曲詞章と西行の和歌-西行遊女問答歌を中心に-」(『芸能文化史』第20号、2002.10)
吉積舜三「「時雨西行」とその周辺」(『季刊邦楽』63号、1990.6)
池田弘一『長唄びいき』(青蛙社、2002)
古井戸秀夫『新版 舞踊手帖』(新書館、2000)

新編古典文学全集43『新古今和歌集』(小学館、1997)
新編古典文学全集51『十訓抄』(小学館、1997)
新編古典文学全集58『謡曲集1』(小学館、1997)
『撰集抄』(現代思潮社、1987)

『日本古典文学大事典』(明治書院、1998)
『日本伝奇伝説事典』(角川書店、1986)
『日本説話伝説大事典』(勉誠出版、2000)
『演劇百科大事典』(平凡社、1960)