正 札 附
文化十一年(1814)正月

作曲 四代目 杵屋六三郎
[前弾]〈三下り〉 
それ磯山おほふ雲霧や ただ引幕の初霞 蹴破る勢は鳴瀧を 登る鯉龍の如くにて 
曽我の五郎時致は 逆澤瀉の重鎧 軽げに提さげ駈け出すは 目覚しくも亦見えにけり 
裳裾にしっかり小林が 手をかけ烏帽子鶴の丸 左右の髭に天津風 
苦もなく遣らじと力量に 引けども引けども動かばこそ 
時致笑って振り放し いらぬ腕立よしやその 
力あるともそりゃ行かぬ 仁王立ちなる勢ひは 草木も靡く鬼神や 
鬼を欺く小林も 今は心を和げて 野暮な力はおくの間の 浮気らしさの辛気節 
女子の愚痴な真実が 届かぬことか待つ夜半も 
蒲団重ねて敷妙の 枕の土俵化粧紙 間夫に逢ふ夜の力水 
漏らさぬ仲の文ずまひ 人眼を関の憂き思ひ 
煙草は憂さを忘れ草 烟りくらべん富士浅間 
そっと覗いて そのまア顔は憎らしやと 云うては又も取付いて えいやえいやと 
引けども押せどもこりゃどうぢゃ 朝比奈力はそれきりか 
ウムえエ 髭が試しの力瘤 
落しやせぬかと撫で廻はし 引くに留まらば耐へて見よ モサモサモサ 
別足踏みしめ時致は 時こそ来れ嬉しさよ 蛙の声も身にぞ知る 
今や遅しと夢の間も 忘れぬ父の仇敵 討たんずものと飛上り 
走り行かんとする所を 又も遣らじと引き留むる 
これ待った 留めてとまらぬナ 
無理酒に 気強い朝のひぞり言 えエ何ぢゃいな 置かしゃんせ 
肩に手拭染めもかまはぬ江戸自慢 かまひます 妙でんす はでな所がわしゃ嬉し 
これ留まらんせ 勇ましや 互ひに争ふ勢ひは 
前代未聞当世無双 後代無二の評判は 
吾妻に並ぶ二見潟 ここに移して神風や 恵みも深き若者と 
貴賤上下おしなべて 恐れぬ者こそなかりけれ

(歌詞は文化譜にしたがい、表記を一部改めた)


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ここに「正札附」のほんの一部をYouTubeで紹介しています 見られない方はこちらへ
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歌舞伎舞踊(所作事)のうち、草摺引物と呼ばれる系統の代表曲です。
草摺とは、鎧の下の垂れ下がっている部分のこと。
曽我五郎が手に持っている鎧の草摺を、小林の朝比奈がつかんで引っ張り合う、力くらべの場面です。
江戸では享保頃(1716~1735)から、初春(正月)狂言に必ず曽我物を上演する慣習が生まれたため、
草摺引を題材にしたものだけでも数え切れないほど多くの作品が生まれました。
といっても、本曲は〈力くらべ〉という趣向を取り入れているだけで、
内容は『曽我物語』のストーリーとはだいぶ異なるものです。
この「正札附」がつくられたのは江戸時代後期の文化十一年(1814)ですが、
力くらべの趣向は江戸歌舞伎創生期からの特色である〈荒事〉の演出のひとつで、
歌詞にも勇ましい言葉が並びます。
初演時、五郎を演じた七代目市川団十郎は、歌舞伎十八番を制定するなど、
市川家歌舞伎の正統化に努めた人物で、
本曲でも荒事の雰囲気を残す昔風の草摺引物の復活を試みたと言われています。
もっとも、荒々しいばかりではなく、途中に小唄風の歌詞をはさみ、
立役の朝比奈が女形のように滑稽な振りをしてみせるのは、文化文政期ならではの洒落っ気でしょうか。
題名の「正札附」とは、値引きなしの正しい値段札がついていること、つまり一級品であること。
「根元」は本家を示します。
数ある草摺引物の中で、本曲こそが正統な代表曲だ、という意味です。
唄の結びには演じる役者のことを讃える歌詞もあり、
江戸歌舞伎の雰囲気や魅力を随所に感じられる曲です。



【こんなカンジで読んでみました】

磯辺の山を雲が覆い霧が隠し、初霞が引幕のようにたなびく、めでたき今日の初春狂言。
とどろに流れる滝川を、登って鯉は龍になるという。
引幕を蹴破るほどの勢いで皆様にお目見得しますは、
御存じ曽我の五郎時致、まさに鯉龍の風格でございます。
逆沢瀉のずっしり重たい鎧をつかみ、ひょいと軽げにひっさげて駈け出すその姿は、
目が覚めるほどに立派な押し出し。
と、その鎧の草摺をむんずとつかんだのは、烏帽子姿の小林の朝比奈。
素襖に羽ばたく鶴の丸の紋、左右にもじゃもじゃ生やした髭を、天吹く風になびかせて、
風は雲をも吹き消した、俺もたやすく行かせるものかと、
力任せに引くには引くが、五郎はびくとも動きやしない。
はっはっは。五郎は笑って振り放し、
無駄な力自慢はよせやい。たとえお前がどれほどの力持ちでも、俺が相手じゃそう簡単にはいかないぜ、
と、仁王立ちするその威勢は、誰もがひれ伏す鬼神の勢い。
常には鬼をあざける関東武者の朝比奈も、五郎相手に力くらべでは太刀打ちできぬ。
ここは作戦変更とばかり、なぜだか急になよやかな振り、野暮な力は置いといて、
奥の間でひとり人を待つ、ぽつり寂しげな女の風情と相成りました。
あの人が浮気してるみたいだから、つらいワ、思わず辛気節が口から出ちゃうワ。
♪女の、バカみたいな真っ直ぐな気持ち、あなたには届かないのかしら。
こうして私があなたを待つ夜更けにも、
あなたはどこかの布団の上で、枕で囲った土俵の中で、化粧紙を散らしてるのね。
好きな男に逢う夜は、力水を口に含んで、こっちだって勝負のつもり。
水も漏らさぬ二人の仲の、手紙のやりとりは恋の駆け引き、相撲で言えば大一番。
噂を立てる人目が邪魔でイライラするわ、
煙草は切なさを忘れさせてくれるものだから、ぷかりぷかりと浮かべる煙、富士と浅間とくらべっこ……
と、そっと五郎の顔をうかがう小林。
その顔が憎らしいワァ、と言ったと思えばまたも草摺につかみかかり、えいやえいやと、
引いても押してもどうしたことか、五郎にはまるで歯が立たぬ。
朝比奈どうした、お前の力はそれきりか。
五郎の言葉に、ううむ悔しや、この髭の朝比奈、自慢の力瘤を見せてくれるわい……っと、
おっとっと、力を出し過ぎ髭を落としゃせぬかと撫で廻し、
そこまで言うか、俺の引く力に止まるというなら、耐えて見せろ、意地だモサァ!
朝比奈渾身の力にも、ぐっと足を踏みしめた五郎。
嬉しや、今こそ時がきたのだ。蛙の声ならぬ、父・河津三郎の声を俺はちゃんと覚えている。
敵討ちの日はまだかまだかと、夢の中にも忘れ得ぬ父の、その敵、必ずや討ち取ってくれる!
と、飛ぶ勢いで駈け出そうとするところを、またも行かせまいと引き留める。
ちょ待った、待って、今はまだ、あーもう留めても留まらないナァ、
まるで廓の朝の風景、客と遊女の痴話喧嘩。
♪無理に飲んだ昨夜のお酒が残ったかしら、今朝は強気に、拗ねた言葉で責めちゃうの。
何よもう、いい加減にしてよ。
なのにあなたは構わぬ構わぬと、肩に鎌〇ぬ染の手拭いかけて江戸っ子気取り。
こっちは構いますっ。何だかヘンです、起こってるのに、あなたのそういう気取った派手なとこが、
あたしなんだか嬉しいの。
ね、行かないで?留まって?……留ま、留まれっ。
とまあ、五郎と朝比奈の力くらべ、なんと勇ましいことでしょう。
互いに争う勢いは、昔も今も次の世も、並ぶ者がないとの評判、
神州伊勢は二見浦の夫婦岩を、お江戸に移したかのごとし、大江戸歌舞伎ここにあり!
伊勢の神のご加護を受けた若者達と、誰も彼もがほめ讃えたのでございました。



【『曽我物語』と歌舞伎の曽我物・草摺引物】

曾我十郎祐成(じゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(ごろうときむね)の兄弟は、
鎌倉時代初期に実在した武士。
伊豆の豪族・河津三郎祐泰(さぶろうすけやす)の子で、父を殺した工藤祐経を討った敵討ちで知られる。
兄弟の伝記に『曽我物語』があり、
その成立には箱根権現・伊豆山権現を本拠とする僧侶が関わっているとされる。
また、書物として伝播する他、語り・芸能として巷間に広まり、
その伝播はゴゼや巫女などの女性宗教者・芸能者によるものと考えられている。

曽我物とは、人形浄瑠璃や歌舞伎のうち、曾我兄弟の敵討ちに関する逸話や物語を脚色した物の総称。
創生期の歌舞伎では、曽我物は五月狂言として定着していた。
これは兄弟による敵討ちの日(5月28日)にちなみ、楽屋で曽我祭が行われていたことを受け、
追善の意味も込めて興行されていたもの。
享保頃になると、曽我物は初春狂言に行われることが慣例となる。
正月に演じられるようになった理由としては、
1.江戸を含む関東地方における曾我兄弟信仰に基づいた、初春の御霊鎮撫の意味
2.江戸城における新年の対面(将軍と大名の謁見)を模した「寿曽我対面」によるもの
等が指摘されている。
毎年の正月に演じられるため、江戸時代を通して膨大な数の曽我物狂言がつくられ、
やがて物語には重きを置かず、設定や趣向だけを曽我の世界に借りた作品もつくられるようになった。
「助六」もその一例。
草摺引物も同様で、『曽我物語』巻六(一部伝本)、幸若舞の『舞の本』「和田酒盛」が典拠ではあるが、
その話筋をとるものではなく、草摺を引き合う力くらべの趣向のみを採用したものである。
草摺引物は近世・近代を通じて多くの作品がつくられたが、
現在長唄三味線の場では、本曲「正札附」の他、稀に「菊寿の草摺(いきおい)」が演じられるにとどまる。

本曲に登場する小林の朝比奈は、和田義盛の三男で朝比奈三郎義秀、
歌舞伎では鎌倉の郷名をとって「小林の朝比奈」と呼ばれる。
『曽我物語』では敵方の人物ながら兄弟に理解を示す人物として描かれるのみだが、
歌舞伎ではほぼ兄弟の味方として描かれる。
朝比奈役は、元禄十年(一節に十一年)『兵根元曽我』で朝比奈を演じた初代中村伝九郎の当たり役で、
その後の曽我物でも伝九郎の演技・演出・扮装が伝承された。
伝九郎の工夫については、『歌舞妓年代記 巻之一』貞享五年「大磯通」の項に逸話が残る。



【語句について】

磯山
 磯辺にある山。

引幕
 横に弾いて開閉する幕の総称で、特に芝居の舞台と客席の間に設ける幕のこと。
 「引く」から後の「初霞」を導いている。

初霞
 新年になってはじめて野や山にたなびく霞。新年を表す季語。

鳴滝
 ここでは大きな音をたてて流れ落ちる滝のことを言うか。

(昇る)鯉龍
 『後漢書』にある伝説。
 黄河にある龍門という滝を登ろうと多くの魚が試みたが、そのほとんどが叶わず、
 わずかに登れたものだけが龍になった、というもの。
 鯉が滝を登ること。転じて、立身出世の例え。
 この伝説から、困難ではあるがそこを突破すれば立身出世ができる関門のことを「登竜門」と言う。

逆沢瀉の重鎧
 本来は「逆沢瀉縅(さかおもだかおどし)」という、鎧の縅(小さい板をつづる糸や革)の一種。
 歌舞伎では丸に沢瀉を逆さにした大きな紋を、鎧の胴につけて表現する。

目覚ましく
 「めざまし」は目が覚めるほど○○だ、という風に、良い意味にも悪い意味にも用いられる。
 1.立派だ、すばらしい 2.心外だ、あきれるほどだ。ここでは1.の意。

裳裾
 裳や衣のすその部分。
 ただし本曲では、朝比奈が手をかけている鎧の下の部分=草摺のこと。

小林
 「小林の朝比奈」こと、朝比奈三郎義秀。【『曽我物語』と歌舞伎の曽我物・草摺引物】参照。
 血気盛んな曽我五郎を押しとどめる役回り。

手をかけ烏帽子
 「手をかける」と「懸烏帽子」の掛詞。
 ただし、本曲では言葉をかけるために「かけ烏帽子」と言っているだけで、
 実際に朝比奈が着ている扮装は侍烏帽子。

鶴の丸
 朝比奈が着ている素襖についている鶴の丸の紋のこと。
 初代中村伝九郎がはじめて用いたもので、伝九郎の家紋でもある。

左右の髭
 朝比奈の鎌髭。
 鶴の丸の紋・鎌髭ともに、初代中村伝九郎が創始し、その後朝比奈の型として継承された。

天津風
 天を吹く風。
 一説には朝比奈の顔、左右に流れる鎌髭が「風」の字ににていることを表すとも言うが、
 長唄「五郎時致」に「十八年の天津風 今吹き返す念力に」とあるように、
 「天津風」は曽我兄弟の敵討ちに対する天啓・追い風の象徴として表出する。

苦もなく遣らじ
 「くも」に天津風の縁で「雲」を掛ける。
 「じ」は打消し意志。たやすくは行かせないぞ、の意。

動かばこそ
 「動詞の未然形+ば+こそ」は強い否定を表す。ちっとも動きはしない、の意。

いらぬ腕立
 「腕立」は、自分の腕力が強いことを自慢すること。
 また、腕力をたのんで人と争うこと。

よしやその
 「よし」に、やめるの意の「止す」と「よしや」を掛ける。
 「よしや」はもし、かりに、たとえ、の意味でとるのが妥当か。

鬼を欺く
 「欺く」は1.よくない方へ誘う、そそのかす、だます。
 2.あざける、あなどる、みくびる。 ここでは2.の意。

おくの間の
 「置く」(途中で止める、中止する)と「奥の間」の掛詞。
 力づくでは五郎が微動だにしないと悟った朝比奈が、力くらべを一旦やめ、
 浮気な男を待つ女が家の奥の間(寝所)で恨み言を言う体で五郎をくどく(説得する)という趣向。

浮気らしさ
 「浮気」は1.浮ついて落ち着きのない心や状態。心が浮かれて思慮に欠けるさま。
 2.陽気で派手な性質や状態。ぱっと人目につくさま。
 3.気まぐれに異性から異性へと心を移すこと。また、決まった妻や夫などがいながら、
 他の異性と恋愛関係を持つこと。 ここでは3.の意。
 「らしさ」は接尾語「らしい」の語幹に、さらに接尾語「さ」がついたもの。
 名詞や形容動詞語幹につき、そのものにふさわしい様子をしていること、
 またそのものであると判然される程度、などの意の名詞をつくる(男らしさ、確からしさなど)。

辛気節
 「辛気」は、心憂く、気重になること。あるいは「心気」で単に心のこと。
 「辛気節」はじれったい気持ちをうたった小唄節で、文化文政期に流行した俗謡。
 唄の終わりに「ささしんきえ」という囃し言葉がつく。

敷妙の
 「蒲団」を「敷く」の縁で置かれた語で、「衣」「袂」「袖」「枕」「床」などにかかる枕詞。
 次の「枕」を導く。
 以下、力くらべからの連想で、男女の褥を相撲に例えた詞章が続く。

枕の土俵
 『日本舞踊全集』では、「二枚重ねた布団のまわりに枕を並べて、土俵の見立てをするもので、
 元禄期の浮世草子に挿画があるから廓では古くからこのような遊びがあったのであろう」と説明する。 
 大津絵節に、
 「吉原くるわの稽古角力、四本ばしらとなぞらひて、六枚屏風立てまわし、枕は土俵とかたどりて、
 手とりの名人お茶引山、つきでの名人いのこり山、行司のやくめは中どんで、四十八手のうらおもて、
 手をつくし互ひに疲れて水をいれ、いのこり山がお茶引山を、四ツに組んで土俵の中へとちょいと投げた」
 という唄がある(『日本歌謡集成一一 近世編』「第六・巷歌集 大津絵節」所収)。

化粧紙
 1.相撲で力士が体をぬぐい清めるのに用いる紙。
 2.化粧をする時、おしろいのむらを堕としたりするのに用いる柔らかい紙。
 ここでは1.の意だが、暗に枕紙の意もきかせた表現か。

力水
 化粧水(けしょうみず)とも。
 相撲で、土俵上の力士が口をすすいだり、水入りの時に飲んだりする水。
 転じて、力をつけるために飲む水。
 歌舞伎「戻橋脊御摂」(もどりばしせなのごひいき、文化十年〔1813〕、鶴屋南北)大切に
 「忍び大関逢ふ夜もあらば、人目関脇あらうと儘よ、(中略)
 百手くだいてその睦言も、漏らさぬ中に力水」とある。

漏らさぬ仲の
 前の力水から「水も漏らさぬ(仲)」(非常に仲睦まじいこと)を導く。

文ずまひ
 「すまひ」は「相撲」。土俵、化粧紙、力水、相撲は縁語的関係。
 文脈の流れ上は、男女が褥で繰り広げる痴態を「相撲」と例えるところだが、
 あえて「文相撲」=手紙による恋のかけひき、として婉曲な表現をとっている。

煙草は憂さを忘れ草
 「忘れ草」はカンゾウの別名。また、『音曲神戸節』に
 「酒ぢやおもひ出し、たばこちやわすれ、とかくたばこは、わすれぐさ」
 とあるように、吸えば憂さを忘れることから煙草の異名でもある。

烟りくらべん富士浅間
 煙草の煙からの連想で、関東の活火山である富士山・浅間山を導く。
 遊里歌集『音曲色すごもり』に所収される「煙草曽我 江戸半太夫ぶし」の詞章に、
 「まだ覚めやらぬ、閨煙草、煙較べん富士浅間、……」の類句がある。

髭が試しの力こぶ
 「髭」は朝比奈を指す。
 「試し」は手本・模範の意?

モサモサモサ
 朝比奈の独特なセリフ回し、通称「モサ言葉」を表したもの。
 初代中村伝九郎が、下女の言葉遣いにヒントを得て創始したものと伝えられる(『歌舞妓年代記』)。
 語尾に「~だもさ」とつけて、関東訛り、勇壮な中に滑稽味を感じさせる口調にした。
 本曲中、長唄以外の台詞部分にも、
 朝比奈「……われは鎌輪奴、おりゃ鎌井升、一番とまってくんさるなら、かたじけ成田屋、
 滝野屋だもさァ」とある。

別足
 『日本国語大辞典』に項目なし。
 『日本舞踊全集』演目解説には「改めて踏み出す足を言う」とある。

蛙の声も身にぞ知る
 蛙(かはづ)に曽我兄弟の父・河津三郎をかけた表現。
 「知る」はここでは経験がある、覚えがある、の意でとるのが妥当か。

討たんずもの
 「討つ」未然形+当然の助動詞「むず」。必ず討つべきもの。
 ただし「むず」の活用が連体形になっていない。

留めて留まらぬナ
 以下、小唄の引用という説があるが(『俗曲評釈』『日本舞踊全集』)、典拠・類歌未詳。
 「とめてとまらぬナ」という句には、俗謡に類型が見られる。

無理酒
 飲みたくもない酒を強いて飲むこと。

気強い
 1.気丈である。勇気があって少々のことは恐れない。強気である。
 2.情にほだされない、つれない、冷酷である。
 3.頼もしく心強い、安心である。 ここでは1.の意味。

ひぞり言
 すねて無理を言うこと。また、その言葉。

何ぢゃいな 置かしゃんせ
 遊廓で遊女が用いる廓言葉。何よ、ほっといて。

肩に手拭
 類型句・同様の表現があると思うが未詳。
 江戸っ子を表すか?要検討。

かまはぬ
 鎌の絵に○(輪)、「ぬ」の字を組み合わせた江戸の文様。
 本曲初演時に五郎を演じた七代目市川団十郎が考案し、人気を得た柄。

かまひます
 鎌の絵、井桁、枡形を組み合わせた江戸の文様。
 本曲初演時朝比奈を演じた初代市川男女蔵が団十郎に対抗して考案し、人気を得た柄。
 五郎役、朝比奈役ともに、衣裳の下には鎌○ぬ柄、鎌井升柄の襦袢を着こんでおり、
 「染めもかまはぬ江戸自慢 かまひます……」の詞章で着物をまくって襦袢を見せる演出。

妙でんす
 『俗曲評釈』はこの前後を朝の廓の口説としているが、文意はやや不明瞭。

前代未聞 当世無双 後代無二
 前代、当代、後代にも並ぶものがない、という賛辞で、
 五郎と朝比奈に対する言葉であるとともに、演じる団十郎・男女蔵への賛辞でもある。

吾妻
 広く京都からみた東国の意味だが、ここではより狭く江戸を指して言う。

二見潟
 二見浦とも。伊勢国(三重県)の海岸で、沖合にある夫婦岩で有名。
 ここでは舞台上に並ぶ五郎と朝比奈、すなわち団十郎と男女蔵を讃えて言ったもの。

神風や
 神の威徳によって吹きおこるという風。
 伊勢の神の威徳によると考えられることが多かったため、伊勢を表すこともあった。
 「神風や」「神風の」で、伊勢にかかる枕詞。

貴賎上下おしなべて 恐れぬ者こそなかりけれ
 本曲が典拠にしている『舞の本』所収「和田酒盛」の結びの一文を引用したもの。
 誰もがみんな敬ったことだよ、の意。



【成立について】

文化一一年(1814)正月、江戸森田座初演。
「双蝶々化粧曽我(ふたつちょうちょうよそおいそが)」第一番目五立目・大詰所作事。
作曲・四代目杵屋六三郎。

佐々政一(醒雪)は『俗曲評釈』で、
「本曲を解するには、先づ、初代市川団十郎の五郎、中村伝九郎の朝比奈即ち稀有の名優が、
元禄十年に中村座で顔を合せた時に、初めて出来たものであることを記憶せねばならぬ
(其後、多少変化を経たものではあるが、大体は当初のものであらう)」
と述べている。
初代団十郎の五郎とは、「兵根元曽我」(元禄一一年〔1698〕)を指すもので、
上記の指摘はすなわち「兵根元曽我」と「正札附根元草摺」の詞章が同一のもの、ということになるが、
確証はない。
むしろ、「辛気節」などは元禄年間には存在しなかったもので、
原型が古いものであったとしても、大幅な改変がなされていることは間違いない。
ただし、本曲が所作事として演じられる際の扮装や演出に、
「兵根元曽我」の演出が用いられていることは確かである。
また、「野暮な力はおくの間の……その顔はまァ憎らしや」、「留めて留まらぬナ」付近の詞章を
小唄の挿入と説明することがあるが、
該当詞章は本曲の趣向である〈力くらべ〉に即した内容であり、
既存の小唄をまるごと挿入したものではなく、
小唄の定型句を用いながら、新たに作詞された詞章ではないかと推定する。

なお、「蒲団重ねて……文相撲」の詞章には、以下の改訂歌詞がある。
「一人かこちて敷妙の 枕の塵はつもるとも いつか逢瀬をちからぐさ 問はぬをうらむ文づかひ」



【参考文献】
長唄総合研究会「正札附」『芸能』通巻五二号、芸能学会
麻原美子・北原保雄校注『新日本古典文学大系六九 舞の本』岩波書店、一九九四年
正宗敦夫編『日本古典全集 歌舞妓年代記上巻』日本古典全集刊行会、一九二八年(再版『覆刻日本古典全集 花江都歌舞妓年代記 上』現代思潮社、一九七八年)
佐々政一『俗曲評釈』博文館、一九〇八年
郡司正勝ほか監修『名作歌舞伎全集一九 舞踊劇集』東京創元新社、一九七〇年
清水泰校注『古典文庫一五七 曽我物語中』古典文庫、一九六〇年(万法寺本)
市古貞次・大島建彦校注『日本古典文学大系八八 曽我物語』岩波書店、一九六六年(十行古活字本)
古井戸秀夫編『歌舞伎登場人物事典』白水社、二〇〇六年
稀音家義丸『長唄閑話』新潮社、二〇〇二年
早稲田大学演劇博物館編『演劇百科大事典 全六巻』平凡社、一九六〇~一九六二年
高野辰之編『日本歌謡集成八・一一 近世編』東京堂出版、改訂版一九七九、一九八〇年