助  六
天保十年(1839)三月

作曲 十代目 杵屋六左衛門
[前弾]〈本調子〉 
咲匂ふ 桜と人に宵の口 野暮は揉まれて粋となる 此処を浮世の仲の町 
恋に焦がれて助六が 
傘さして 濡れに廓の夜の雨 店清掻に声添ふる 
鐘は上野か浅草に その名も伊達な花川戸 
この鉢巻の紫は 由縁ぞかかる藤波の 洗うて千代の色まさる 
松の刷毛先 透き額 堤八丁衣紋坂 通ひ馴れたる塗鼻緒 一とつ印籠一とつ前 
二重廻りの雲の帯 さした尺八鮫鞘は これ御存じの出立栄

〈三下り〉 
急くな急きゃるな さよえ 浮世はな車 さよえ 
廻る月日が縁となる 廻る月日が縁となる 恋の夜桜浮気で通ふ 間夫の名取の通り者 
喧嘩仕かけや色仕掛 力づくなら何手管なら 流儀流儀で向ふづら ただは通さぬ大門を 
また潜るとは命がけ 土手節やめよ編笠を 取って投げるは曲がない 
蹴込んで見せう 家形船 こりゃ又何のこった 江戸の花 
富士と筑波の山間の 袖なりゆかし君ゆかし 
しんぞ命を揚巻の これ助六が前わたり 風情なりける次第なり

(表記は文化譜に従い、表記を一部改めた)

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ここに「助六」のほんの一部をYouTubeで紹介しています 見られない方はこちらへ

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文学には、その時代を象徴する色男が描かれます。
たとえば平安時代なら、『伊勢物語』のモデルになった在原業平や『源氏物語』の光源氏。
高貴な身分、情熱的な恋、もののあはれを解する心などが特徴として挙げられる人々です。
江戸時代随一の色男と言えば、本曲の主人公・助六でしょう。
江戸歌舞伎の代名詞でもある助六ですが、実は元々は上方・京都の人物。
京都の助六という男性と島原の遊女・総角(あげまき)との心中が、一中節となって江戸に流入しました。
これを二代目市川団十郎が曽我物の要素を取り入れて改作を重ね、
現在の歌舞伎十八番の原型となる江戸の助六像をつくりあげたのです。
町人でありながら武士にもひるまず喧嘩を売る姿は、男気を看板に掲げた江戸の「男伊達」そのもの。
黒羽二重に紅の裾をのぞかせる粋な着こなしを当時の通人達はこぞって真似し、
月代を広く剃った髷の結い方は、その後、吉原へ通う男性のスタンダードスタイルになりました。
吉原で仲の町に桜を植える行事が始まったその年には、助六の舞台も桜満開の仲の町に変わりました。
江戸の人にとって、助六は特別な存在。
長い年月をかけて、江戸の理想と流行の最先端を生きる男になったのです。
強くて色気があって、筋が通っているけど不器用で、しかもちょっとやんちゃ。
あらどうしましょう、私には惚れない理由が見つかりません。

本曲は助六劇を元に変化舞踊のために作曲されたもので、いわばダイジェスト版ですが、
市川宗家以外の役者が助六を演じる際には、その登場場面で演奏されることもあります。



【こんなカンジで読んでみました】

咲き匂う桜と人波に酔いしれる吉原の春の宵、
世の酸いと甘いを煮詰めたような、ここ仲の町に通ううち、野暮も粋になるってもんさ。
粋な男といえば、ほら、恋に焦がれた助六が傘差して、廓の夜雨に濡れに来た。
清掻に音を添えるのは、寛永寺の鐘か浅草寺の鐘か。
「花川戸の助六」とはいかした呼び名。だって浅草の花川戸、昔から粋と侠気で知られた町じゃないか。

この鉢巻の紫色は、愛しい人との縁のあかし、藤の花が揺れる波に、洗われて色はいよいよ深く、
千代に変わらぬゆかりを結ぶ。
松の葉のようなまげの先、色気ただよう透き額、土手八丁と衣紋坂を通い慣れた塗鼻緒、
腰には印籠ひとつを提げて、一つ前に着た黒羽二重、二重の帯を雲のようにめぐらし、
そこに鮫鞘の脇差と尺八を差した、皆さん御存じの助六のいでたち。

そんなに急ぐな、急ぎなさんな。この世は車の輪と同じ。
めぐる月日が縁となり、またいつの日かめぐり会う。
夜桜が彩る恋の世を、派手に浮かれて通う奴、その名を知らぬ者はない、間夫の名取と聞こえた男。
助六が喧嘩をしかけりゃ揚巻は色で返す、助六が力づくなら、揚巻は、なに手管なら負けません。
流儀と流儀の真っ向勝負、女は通さぬ吉原大門、又潜るとは命がけ。
助六流の喧嘩で言えば、股くぐるのも命がけ、土手節唄う男の編笠、取って投げてもつまらない、
その鼻の穴へ蹴込んで見せよう屋形船。え、どういう了見だ、と、派手な喧嘩は江戸の花。
富士と筑波が大道具、その山間の江戸の町。
姿を思えば君が恋しい、命をあげてもかまわない。
これこそ江戸の男伊達、助六登場のありさま。江戸の趣あふれる一幕なのでした。



【江戸の助六像と男伊達】

近世期、体制に安住せず権威に屈服しない人、意気地を貫き面目を立てる人を「男伊達」と称した。
男気を通して生きる人全般を指す言葉で、武士や町人などの身分にとらわれない。
江戸時代初期の男伊達は、戦国時代末期から近世初期のかぶき者の流れを汲むものであった。
旗本身分のうち、権威に反発を覚える者や泰平の時代に鬱憤を抱く者が「旗本奴」と称し、
奇抜な服装や行状で自らを誇示した。
また旗本奴に対抗する形で町人の中から「町奴」が登場したが、
これらは体制に反する者として取り締まりの対象となり、元禄年間には姿を消した。
代わって、体制の枠内で侠気を貫く新しい形の男伊達が生まれた。
担い手となったのは札差などの富裕層や、人足・鳶・博打打ちなどの血気盛んな者たちで、
彼らの洗練された身なりや洒落っ気、義侠心などが、体制に対するアンチテーゼとして認知された。
通り者・競い(きおい)・侠み(いさみ)と呼ばれた新しい男伊達の「男気」は、
札差による吉原での豪儀な散財のように、金銭の使い方に端的に表れる。
また、盛り場を治める地回り・仲裁の役割も担った。

男伊達について、助六は劇中で次のように述べる。意休が
「総じて男達(おとこだて)というものは、第一正道を守り、不義をせず、無礼をなさず、
不理屈を言わず、意気地によって心を磨くをまことの男達という。
理非を弁えず、慮外を働く奴をば気負いという」
と理詰めで非難するのに対し、助六は
「大きなつらをひろぐ奴は足であいしらう。無礼咎めをひろぐと下駄でぶつ、ぶたれてぎしゃばると
引っこ抜いて切る。これが男達の意気地だ。誠の男達の嘘の男達のと、習いも伝授もないわ」
と答えるのである。
理屈ではなく心意気を信条とし、何者に対しても負けぬ強さを持つ男こそ、助六が具現化した男伊達であり、
江戸っ子が理想とする男の姿であった。

『助六由縁江戸桜』における助六のスタイルは、
黒羽二重に紅絹裏の小袖、緋縮緬の襦袢に緋縮緬の下がり(ふんどし)。
小袖と襦袢を合せて一つ前に着る。
鮫鞘の脇差し、高蒔絵の印籠、同じく高蒔絵の尺八、右結びの紫縮緬の鉢巻を身につけ、
蛇の目に杏葉牡丹の紋を付けた傘を差して登場する。

札差で通人として知られた大口屋暁雨(治兵衛)をはじめ、
富裕な町人層はこぞって助六の扮装を真似て吉原へ通ったという。
また通人は、月代を極端に広く剃り、鬢の毛を散らした「本多髷」を好んで結ったが、
これも助六の「松の刷毛先 透き額」を真似たことに端を発する。
江戸の助六のモデルについては諸説あるが、どれも後世に付け加えられたものという見方が強い。

(参考:「助六由縁江戸桜」あらすじ)
花川戸の助六は吉原の遊女・揚巻の間夫で、実は曽我五郎。敵討ちに必要な友切丸という刀を探すため、
毎夜吉原へ通い、わざと喧嘩をふっかけては刀を抜かせている。
横柄なかんぺら門兵衛には真っ向からたてつき、虐げられるうどんの担ぎ売りを助ける。
吉原へやってくる柔和な白酒売は実は兄の曽我十郎、揚巻に執心する髭の意休は実は敵の伊賀平内左衛門。
母・満江に喧嘩をせぬよう諭された助六は意休の辱めに耐え、やがて意休が友切丸を持つことを知る。
助六は意休を切り、天水桶の中に隠れた後に吉原を逃れる。

現行劇と同筋の『助六由縁江戸桜』の初演は天保三年(1832)、八代目団十郎襲名時。
同劇を市川宗家以外の役者が演じる時には外題を変え、河東節も別の音曲に改めることが常だが、
江戸時代には必ずしも役者によって曲の種目が違ったわけではない。



【語句について】

桜と人に宵の口
 「(桜と)人に酔う」と「宵の口」を掛けた表現。「宵の口」は日が暮れて間もない時刻。
 寛延二年(1749)中村座の『男文字曽我物語』で、助六劇の舞台は桜満開の吉原・仲の町に設定された。
 同年よりはじまった、仲の町に桜を植える吉原の年中行事を受けたもの。
 『助六由縁江戸桜』(以下『江戸桜』)では、傾城同士の会話に
 「仲の町の桜の盛り、見事じゃござんせんかいなア」
 「さいなア、また今年から植えそめし、この吉原の花見月、また来る春が待たるるわいなア」
 と写される。
 なお吉原仲の町の桜は花の時期のみ毎年植えられ、花が終わると撤去される。

野暮は揉まれて粋となる
 「野暮」は世情や人の心情をわきまえず、都会的でないさま。
 特に、遊里の事情やうとく、遊び方が洗練されていないこと。
 「粋(すい)」は人情、特に遊里の事情に通じ、姿・態度・遊び方が洗練されていることで、
 近世前期に上方で発達した美的理念。近世中期・江戸町人の間で発達した「粋(いき)」と区別される。
 人波に揉まれるほどの賑わいを見せる吉原になじむうち、野暮な男もいつしか通人になるということ。

ここを浮世の仲の町
 「浮世」はここでは「楽しく享楽的なこの世」また「遊里」の意でとるのが妥当か。
 掛詞等、修辞未詳。
 仲の町は吉原の中央通りにあたる道。また、「仲の町」で吉原自体を指すこともある。
 長唄メモ「俄獅子」等参照。

傘さして
 助六が蛇の目傘を差して登場することを言ったもの。

濡れに廓の夜の雨
 「濡れに来る」と「廓の」の掛詞。
 『江戸桜』では河東節に「初夜は上野か浅草か、遠寺の鐘の声つれて、瀟湘の夜の雨……」
 「人目の関の許しなく、傘の雫にしょぼ濡れて、雨の箕輪の冴えかかる……」という歌詞があり、
 また茶屋息子の台詞にも「雨もやんだ。その傘をあっちへやらっしゃい」とあることから、
 雨上がりの設定であったと考えられる。
 ただし『歌舞伎登場人物事典』では「傘は、花吹雪をしのぐために差す」としており、
 十二代目団十郎も助六の扮装について、
 「江戸幕府が町人から刀を召し上げようとした動きが何回かあって、その対抗手段として身を守る武器を
 いろいろ工夫していった。その結果が、助六の、鉢巻をして尺八を背中の帯に差して下駄はいて、
 雨も降ってないのに傘さして出るという……(後略)」
 と語っており、現行では助六登場時、雨は降っていないものとみなされている。

鐘は上野か浅草に
 『続虚(ぞくみなし)栗(ぐり)』に収められる松尾芭蕉の発句「花の雲鐘は上野か浅草か」の引用。
 「上野」は寛永寺、「浅草」は浅草寺のこと。
 本曲や長唄「初しぐれ」の「衣紋坂越えて鐘の音 それは上野か浅草か」のように、
 吉原=浅草の近辺という地理を暗示するフレーズとして引用されることがある。

その名も伊達な花川戸
 『江戸桜』において、助六の名が「花川戸の助六」となっていることを言う。
 助六のモデルとされる人物に花川戸の戸沢助六が挙げられる(『遊歴雑記』)が、
 『歌舞伎登場人物事典』はこれを「後の付会」とする。
 花川戸は浅草・浅草寺裏の地名。
 男伊達・幡随院長兵衛が住んでいたことで知られ、男伊達の連想から設定されたものと思われる。

〔この鉢巻の紫は……これ御存じの出立栄〕
 助六の出で立ちを述べた部分。【江戸の助六と男伊達】参照。

ゆかりぞかかる藤波の 洗うて千代の色まさる
 『古今和歌集』の和歌「紫の一本ゆゑに武蔵野の草は皆がらあはれとぞ見る」により、
 愛しい人と縁のある人のことを「紫のゆかり」、紫のことを「ゆかりの色」と別称する。
 「藤波」は藤の花のこと。花房がなびいて動くさまが波のように見えることから言う。
 宝暦六年(1756)の「長生殿常桜」の河東節詞章に
 「この鉢巻は過ぎしころ、ゆかりの筋の紫の、初元結の巻き始め、うひかうむりの若松の……」、
 宝暦十一年(1761)の河東節「助六由縁江戸桜」(曲名)詞章に
 「この鉢巻は過ぎしころ、ゆかりの筋の紫も、君がゆるしの色みえて……」とある。
 ここでは鉢巻の紫の縁で藤の花を導き、「波」から「洗う」、「千代」から次の「松」を導いているが、
 文意やや不明瞭。

松の刷毛先
 「刷毛先」は男性が結ったまげの先端部分。松の葉のように先端を散らした髷のこと。
 『江戸桜』助六の台詞に、
 「刷毛先のあいだから覗いてみろ、安房上総が浮き絵のように見えるわ」。

透き額
 ここでは額の月代(さかやき)を広く剃っていること。

堤八丁衣紋坂
 「堤八丁」は土手八丁、日本堤とも。吉原の入口・大門への道程である山谷堀の土手。
 土手の長さが約八丁あったことからの称。
 「衣紋坂」は見返り柳から吉原大門へ続く坂の名。
 吉原へ向かう客がこの坂で衣服を整えたため、この名があるという。五十間道とも。
 長唄メモ「吉原雀」「吾妻八景」参照。

塗鼻緒
 漆塗りの鼻緒。

ひとつ印籠
 腰に印籠をひとつだけ提げること。近世初期頃、粋な身なりとされた。

ひとつ前
 重ね着した衣裳の前を、それぞれ合わせるのではなく、ひとつにまとめて着ること。

二重廻りの雲の帯
 腰に二重に回した帯を雲に見立てて言う。

急くな急きゃるな さよえ 浮世はな車 さのえ 廻る月日が縁となる
 流行歌謡を用いた詞章。
 「せくなせきゃるな 春まで待ちやれ 苦労気兼ねを しての後」(『江戸いたこぼん』文政六写)
 「恋ぢゃ急きゃるな 浮世は車 命長けりゃ 廻り逢ふ」(『山家鳥虫歌』明和九1772刊)
 池田弘一氏は「せくな」について「塞く・堰く」の意の可能性を指摘しているが、
 上記俗謡に従って「急く」ととるのが妥当。

恋の夜桜浮気で通ふ
 未詳、典拠あるか。
 「浮気」は

間夫の名取
 「間夫」は、遊女が商売として相手をする客ではなく、心を寄せてつきあう男。情夫。
 「名取」はその名が世間に広く知れ渡っていること、評判が高く有名であること。
 また、芸事で、師匠・家元から芸名を許されること、その人。

通り者
 1.世間に顔が知れ渡っている者。
 2.特に遊里で、世情・人情に通じた人。野暮でない人、粋な人。
 3.長年その道で苦労した人、老巧な人・
 4.義侠・任侠を建前としている人。侠客。  5.博打打ち。
 遊里文学における「通り者」は主に2.の意で用いられ、本曲でも2.の意味合いが強いが、
 1~5の人物像はしばしば重複するものである。

喧嘩仕かけや色仕掛 力づくなら何手管なら
 「喧嘩仕かけ」はわざと喧嘩をしかけること、「力づく」は道理を無視した強引なやりかたで、
 ともに助六を指す。
 「色仕掛」は目的のために色情や容色を利用して相手に働きかけること、
 「手管」は遊女が客を操る手段、駆け引きの手際。どちらも揚巻のことを指している。

流儀流儀で
 「流儀」は1.やり方、しかた、しきたり。
 2.技術・芸能などで、その人やその流派などに古くから伝えられてきた手法・方式。
 の意だが、本曲では文意未詳。以下、「……江戸の花」まで、助六の喧嘩の描写と読むか。

向ふづら
 1.向かい合っている人の顔、また正面。
 2.真っ正面から対立する者。相手方、敵方。 3.向かって正面の方角。
 ここでは2.の意か。

ただは通さぬ大門を
 「大門」は吉原唯一の出入り口。遊女の足抜け(脱走)を防ぐために二十四時間見張りが設けられており、
 女性の出入りは厳しく詮議・制限された。
 詞章には出典があると思われるが未詳。

また潜るとは命がけ
 再び潜るの意の「又潜る」と、『江戸桜』助六の台詞「股ァくぐれ」を掛けた表現。
 ただし喧嘩の相手について言うか、吉原内で意休を斬った助六について言うか、
 遊女について一般論的に言うか、主格が不明。

土手節
 江戸時代の流行唄。
 日本堤(八丁土手)を通る吉原の客が唄ったことから土手節の名がある。

編笠を 取って投げるは曲がない
 編笠は吉原通いの男が顔を隠すために、衣紋坂の編笠茶屋で借りるもの。
 「曲がない」はおもしろくない、興がない。

蹴込んで見せう屋形船 こりゃ又何のこった 江戸の花
 『江戸桜』助六の台詞、
 「……野郎め、なぜ突きあたった、鼻の穴へ屋形船を蹴込むぞ、大どぶへさらひ込むぞ、
 こりゃまた何のこった」による表現。
 「江戸の花」は成句「火事と喧嘩は江戸の花」を踏まえ、助六の喧嘩を表したものか。

富士と筑波の山間の
 富士山と筑波山の間の地である江戸を婉曲的に言う表現。
 「富士・筑波」について長唄メモ「梅の栄」等参照。

袖なり
 袖の形や様子。
 前の「山間の」と「藍の袖なり」を掛けるという説もある(「長唄聞書」等による)が、
 「藍の袖」が何を意味するのか未詳。

ゆかし
 対象に心が惹かれ、なんとなく自分がそうしたい、と思う気持ち。
 文脈によって見たい・知りたい・聞きたい・自分のものにしたい、などと訳す。
 また、なつかしい、恋しい、慕わしい。
 情趣や気品、優美さなどがあって心惹かれるさまも言う。

しんぞ命を揚巻の
 「しんぞ」は「神ぞ・真ぞ」で、神かけて。本当に。
 「命を上ぐ」と「揚巻」の掛詞。
 『日本舞踊全集』解説では「心から遊女の揚巻に命をかけた」とし、
 清元の「助六」でも、同詞章の前に助六の「君なら君なら」という台詞があるので、
 助六から揚巻に対する心情と解するべきか。
 ただし『江戸桜』等の筋書きには、「助六が揚巻に命をかける」に相当する内容は見当たらない。
 揚巻が助六を自分の裾に隠して吉原から逃すといった筋を考えれば、
 揚巻から助六への情と解釈することも可能か。

助六が前渡り 風情(なりける次第なり)
 「前渡り」は前を通っていくこと。
 特に男が、女性の前を体裁をつくって通ること、転じて、廓に遊びに行くこと。
 「風情」は1.風流や風雅の趣。情趣。 2.ようす、ありさま。姿。  3.能楽で、身ぶりや所作。 



【成立について】

天保十年(1839)三月、江戸中村座初演の八変化舞踊「花翫暦色所八景(はなごよみいろのしょわけ)」
のひとつ。
作曲十代目杵屋六左衛門、作詞三代目桜田治助。
歌舞伎十八番のひとつ「助六由縁江戸桜」を舞踊化した作品。
もとは河東節であったものを長唄にしており、河東節の雰囲気を色濃く残す。
前弾と「咲匂ふ~助六が」の置唄は、安政四年(1857)再演時に加えられたものとも、
成立当初からつくられていたが、作曲者の十代目六左衛門が後にこれを忘れ、「傘さして~」を伝えたとも
言われる。



【参考文献】

塩見誠一「助六狂言成立考」(『文化史研究』第6号、1957)
長唄楽曲研究会「長唄「助六」」(『芸能』第17号、2011)
阿部さとみ「長唄所作事『あげ巻助六』をめぐって」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第53号第3分冊)
関容子「江戸一番の男伊達、「助六」を語る」(十二代目市川団十郎インタビュー)
 (『東京人』2008年4月号)
名作歌舞伎全集18『家の芸集』(東京創元新社、1969)
『日本説話伝説大事典』(勉誠出版、2000)
『日本伝奇伝説大事典』(角川書店、1986)
『歌舞伎登場人物事典』(白水社、2006)