まかしょ
文政三年(1820)九月
作詞 二代目 桜田治助
作曲 二代目 杵屋佐吉
〈三下り〉 
まかしょ まかしょ 撒いてくりょ 
まっか諸方の門々に 無用の札もなんのその 
構ひ馴染の御祈祷坊主 昔かたぎは天満宮 今の浮世は色で持つ 
野暮な地口絵げばこから 引き出してくる酒の酔 
妙見さんの七ツ梅 不動のお手に剣菱の ぴんと白菊花筏 
差すと聞いたら思ふ相手に あほッ切 煽る手元も足元も 雪を凌いで来りける 
君を思へば筑紫まで 翼なけれど飛梅の すゐが身を食ふこの姿 
ちょっとお門に佇みて とこまかしてよいとこなり ちょっとちょぼくる口車 
春の眺はナア 上野飛鳥の花も吉原 花の中から 花の道中柳腰 
秋は俄にナア 心もうかうか〔うきうき〕 
浮かれ烏の 九郎助稲荷の 角の長屋の年増が目につき 
ずっと上って門の戸ぴっしゃり しまりやすぜ 
あれあの声を今の身に 思ひ浅黄の手拭に 紅の付いたが腹が立つ 
そこを流しの神おろし 奇妙頂来敬って申す 
それ日本の神々は 伊勢に内外(ないげ)の二柱 夫婦妹背の盃も 済んで初会の床浦明神 
哀愍納受一呪礼拝 屏風の外に新造が 祭も知らず子の権現 
櫺子の隙間漏る風は 遣手に忍ぶ明部屋の 小隅に誰を松の尾明神 
地色は坂本山王の 廿一二が客取り〔増す花〕盛り 間夫は人目を関明神 
奇妙頂来懺悔懺悔 六根罪障 拗ねて口説を四国には 中も丸亀名も高き 象頭山 
今度来るなら裏茶屋で 哀愍納受と祈りける 
その御祈祷に乗せられて でれれんでれれん口法螺を 
吹く風寒き夕暮に 酒ある方を尋ね行く 酒ある方を尋ね行く

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)


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ここに「まかしょ」のほんの一部をYouTubeで紹介しています 見られない方はこちらへ


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士農工商に限らず、江戸の町には実にさまざまな人たちが暮らしていました。
身分、男女、貧富、地域。
どれをとっても、江戸という社会には、現代とは比べものにならないほど厳然たる区別と差異があり、
それゆえのさまざまな悲しみや苦しみが生まれました。
しかし同時に、
幅も奥行も深い社会は多くの文化を生み出す母体となり、喜びやおかしさもまた、たくさん生まれたのです。
本曲の主人公「まかしょ」は、僧の格好をして町を流して歩いた大道芸人です。
寒参りの代行をする、と言って人々から金銭を集めていましたが、もとよりニセのお坊さん、
翌日には違う扮装で町を歩いているのですから、本当に寒行なんてするはずありません。
遠慮のない態度、生酔いの赤ら顔、いいかげんなご祈祷、しかも大の女好き。
迷惑きわまりないはずなのに、本曲に描かれたまかしょの姿には、憎みきれないおかしさがあります。
冷たい風に吹かれながら酒を求めて去って行く後ろ姿には、どこか心ひかれる、一抹の哀愁。
それは、厳しい世間を煙に巻きながら、ひょうひょうと生き抜く男の背中なのでしょう。
まかしょもまた、江戸の町を身ひとつで生きた、たくましい一人の男なのです。



【こんなカンジで読んでみました】

わ、まかしょのおじさんだ!まかしょまかしょー、ねえ、撒いてよう。
よーし撒こうかな、撒いちゃうよ、あら、あっちこっちの門に「物乞いお断り」って札貼ってある。
けどオッケー。全然オッケー。だって俺物乞いじゃないよ、知ってるでしょ、坊さんだよ?
ほんとほんと、ご祈祷できるから。
昔風な古い奴はさ、天神様の、白黒の、つまんなーい絵撒いてんでしょ?
俺は違うよ。色摺り。カラーですよ。だって今の浮世、へへ、色気がなけりゃやってらんないよ。
ったって、ま、お子様向けのださい絵ですけどね、この箱から出して、
うい、いやさっき、ちょっと飲んだの、ちょっとだけね、あー酔った。今頃酔ってきちゃった。
坊さんが酒飲んでいいのかって?
お前バカだね。妙見様だって七ツ梅飲んでるじゃん。あれは旨い。あれは名酒。
え、ちがうの? 七曜紋なの?
お不動様だって手に剣菱持って、あら、あれも違うの。あそう。
俺はまたピンとしてるから剣菱かと、え、白菊? 好きだわ。花筏? それも好きだわ飲みたいわー。
盃を差すって時はね、ちまちましてたらダメ。惚れた女にはアホにならなきゃダメなのと同じ、
青っ切のでかい茶碗でぐっと、手酌で一気にあおって。
雪に足元をあおられても、来ますよそりゃ、まかしょは冬しか稼げないもん。
いや違うんだ、お前に逢いたいから来たんだよ。
お前のことを想うあまり、翼がないのに筑紫まで飛んで行った飛梅のように情熱的に恋におぼれ、
その挙げ句がこの姿さ。梅じゃないが、人生は酸っぱい。甘くないね。今じゃ人様の門の前にたたずんで……、とか言っちゃってー、へへへ、ちょっとうまいこと言ってみましたっ。
もひとつおまけに、ちょぼくれでも聞いてく?
♪春の眺めと言えば、上野のお山に飛鳥山、よりもきれいな花の吉原仲之町、
桜の中の花魁道中、その細い腰がたまりません。
♪秋は俄に行きたいね、吉原中がお祭り騒ぎで心もうかうか、夜通し浮かれてねぐらへ帰れぬカラスのクロ助、
九郎助稲荷の隅の長屋の、ん? あら。いい女。ちょっと年いってるけど、いいよ、いい女だよ。
ね、ちょっと上がらせてもらいますね。えへへ、大丈夫だいじょーぶ、ね、こうやって雨戸を締めて、
ね、「しまりやっせー」って、あら、木戸門も閉まるみたいよ。
(あんた、今さっきの女の声に思いあたることがあるんでしょ、浅黄の手拭いに紅の跡なんかつけてさ、
どこの女よ言いなさいよっ)
いやいや、それはほら、そこは流してもらわないと、あ、俺流しで神おろしもやってるから、やろっか?
きみょーちょーらーい、敬って申ーす。それ日本の神々と言えば、まずは伊勢神宮の内宮外宮、
夫婦和合の神様、だったかな、ふ、夫婦の盃、床入り盃、済んで初会のお床入り、
じゃなくて小浦明神ありがたや。
えーと、布団を囲んだ屏風の外では新造が、中のお祭り騒ぎも知らず、居眠り中の子の権現。
窓枠を揺らす風は誰? 遣手に隠れて空き部屋の、隅で待つのは松尾明神、逢いたいばかりの秘密の相手。
坂本山王日吉大社は、二十二社のひとつです、二十一、二が稼ぎどきだよ、だから間夫は叱られる、
人目を避けて、それでも逢いたい関明神。
えーーーと、奇妙頂来、間夫も地色もお前の障り、身を滅ぼすよ、えーとむにゃむにゃ。
拗ねて喧嘩をした後は、二人の仲も丸くおさまる、四国丸亀象頭山っ。どやっ。
(そんならあたしもご祈祷するワ、今度来るなら裏茶屋で、ね、ゆっくりお会いしたいの……)
お、おおお、そんなこと言われたらでれでれしちゃうよお、でれれんでれれんホラ貝吹いちゃうよ、
あ俺ホラ貝持ってなかった。適当なホラ吹きながら、帰ろっかな、日も暮れてきたし。
え? あっちで飲んでんの? 行く行く行くよー、いーじゃんいーじゃん飲んじゃえ飲んじゃえー!
うう、風さむっ。



【願人坊主とまかしょ】

願人坊主は、僧や山伏など、多く宗教者の格好をし、さまざまな願いを叶えるという触れ込みで、
歌い、踊り、口上や祭文などを語る大道芸人の総称。
修行をしてきた(している)ということを示すために、ふんどしやはだしなど、
裸参りに近い姿で江戸市中を歩いた。僧の形をしているが、僧籍にある者ではない。
芸人と言っても、特別な技能などを見せるものは少なく、物乞いとみる向きもある。
時代や場所により、次のようなさまざまな形態があった。
〔わいわい天王〕猿田彦や天狗の面を被り、「わいわい天王騒ぐがお好き」と歌って牛頭天皇の御札などを撒く。
〔すたすた坊主〕腰に藁と御幣のみを巻いたほぼ全裸の格好で町を流す。「すっぱだか」「すはだ」がなまって
「すたすた坊主」になったという。「すたすた坊主の来る時は、世の中良いと申します」と口上を述べる。
〔半田稲荷〕幟と鈴を持って、疱瘡除けと称して門々をめぐる。
  銭をもらうと疱瘡除けの口上を言い、その後踊る。疱瘡に効果があると言われた赤装束を着用している。
『守貞漫稿』『嬉遊笑覧』などの近世期随筆によれば、
これらの願人坊主たちは、はじめ馬喰町、のちに橋本町(現東神田付近)に集団で居住しており、
集団を束ねる長がいて、「羽黒派」「鞍馬派」に分かれていたという。
また、願人坊主たちに毎日衣装や小道具を貸し出す貸衣装屋があり、時代ごとの流行はあるが、
同じ人物が毎日別の姿で町に出ることもあった。

まかしょも、この願人坊主と呼ばれる大道芸人の一種である。
宝暦頃から寛政(1751~1801)にかけて流行し、寒参りの代行をすると称して江戸の町をめぐり歩いた。
その姿は、頭を白布で包み、白木綿の行衣一枚を身につけ、帯はせず腹に荒縄を巻いていた。
首に小さな餉箱(げばこ)をかけ、鈴を振って勧進し、銭をもらうと「御行し奉る云々」と唱えた。
子供の集まっているところでは、餉箱から天神様や地口絵を印刷した紙片を配ったため、
子供達が「紙を撒いてくれ」の意で「まかしょ、まかしょ」とはやしたことから、
まかしょの呼び名になったというのが通説である。
随筆『嬉遊笑覧』では、まかしょは「乞丐」(ものを乞いもらう人)の一種として次のように説明されている。
  ……寒中行衣を着、頭をかつら巻にして、鐸を振て細かなる絵紙を蒔ちらし歩けば、
  童部(わらべ)多くあとに付てこれを拾へり
  (蒔けといふを子供等「まかしょまかしょ」といふ故、これをまかしょといひはやしぬ)
また、随筆『世のすがた』(天保四年〔1833〕)には、まかしょについて次のような記述がある。
  寛政の末まで「おんぎょう」とて、その形願人坊主にて、頭を白木綿で行者包に結び、
  白き木綿の単物の短きを着し、下は白木綿にて女の下帯の如きものを結びて、
  首へ大山不動明王と書し箱をかけ、手に鈴を持、足早に往来す。
  子供むらがりて、マカショマカショといへば、墨摺の小さき化物絵など七八枚まきちらして走り行く。
  又銭をあたふれば、その多少にしたがひて彩色摺の絵を出す。
  子供歓びて多く銭をあたふ。その絵多くは天満天神の絵なり。
  また銭をあたへし門にて鈴を鳴らし、何か唱へて過ぐ。
  十月の初より来り極寒に至りてやむ。(中略)
  その事年を追て盛んなりしが、何ゆへかはしらず、町々にて「おんぎょう無用」といふ札を張出す。
  (引用部分は、読みやすさを考え、表記を一部改訂した)



【語句について】

まかしょ 【まかしょ】の項目参照。

撒いてくりょ 
 「撒いてくれ」の意の転訛(『名作歌舞伎全集24』収録、郡司正勝「まかしょ」解説による)。
 まかしょに集まった子供たちが、紙片を撒いてくれ、とせがんでいる様子。

まっか諸方の門々に 
 「まっか」は「撒くは」あるいは「撒くか」の転訛か(三上勝論文による)。
 「諸方の門々」は、あちらこちら・ほうぼうの門。

無用の札 
 門付芸人や物乞いを断る札のこと。
 【まかしょ】に引用した随筆『世のすがた』に「町々にて「おんぎょう無用」といふ札を張出す。」とある。

構ひ馴染
 「構ひなし」(周囲への遠慮・気遣いがないこと)と「馴染」(なれ親しむこと)を掛けた表現。

御祈祷坊主
 神仏に祈りをささげる僧侶の意で、ここではまかしょのことを揶揄して言う表現。
 まかしょは宗教者の体をしており、人々の代わりに寒行を行うことを名目に金銭を得るが、
 実際には紙を撒いたり口上を述べたりすることが活動の主である広義の大道芸の一種で、
 修行を積んだ宗教者であることはほとんどない。 

昔かたぎは天満宮 今の浮世は色で持つ 
 昔と今で対の文脈。「昔かたぎ(気質)」は、気質が頑固・律儀で昔風であること。
 「天満宮」は天神=菅原道真を祭神とする神社だが、
 ここではまかしょが古くは天神様を印刷した墨摺の絵を撒いていたことを言う。
 「色」は色事の意と、彩色摺の意を掛けると思われる。
 「今の浮世は色で持つ」は、まかしょが今現在色事にふけりながら享楽的に生きているさまを言うが、
 同時に、まかしょが配り歩く紙片が、古風な墨摺の天神像から色摺の地口絵に変化したことを示す。

野暮な地口絵
 まかしょが子供に配る、絵を描いた紙片のこと。
 「野暮」は、ここでは単純に、洗練されていないこと。
 「地口絵」は、地口(ことわざや俗語に、音の似た別の言葉をあてる洒落。「着たきり雀」など)の
 絵を描いた戯画。

げばこから 引き出してくる酒の酔
 「げばこ」は托鉢の僧が首に掛ける箱。お布施でもらった銭や米を入れる。
 また、物売りが首から胸の前に掛けておく、売り物を入れる箱を指すこともある。
 ここではまかしょが首から下げている、配りものの紙片が入った箱。
 箱から紙片を撒きながら、だんだんと酔いがまわってくるさま。

妙見さんの七ツ梅 
 「妙見さん」は妙見様・妙見大菩薩。
 本地については諸説あるが、一般には北極星・北斗七星を神格化したものと言われ、
 国を守護し、災厄を除くという菩薩。
 妙見大菩薩を祀った一部の神社の紋が、
 中心の円の周りに小さな円が並んで配置された七曜紋(九曜紋・十曜紋)であることから、
 この紋を梅の花に見立て、酒の名「七ツ梅」と掛ける。

〔七ツ梅・剣菱・白菊・花筏〕
 どれも酒の名前で、酒尽くしの歌詞になっている。
 なお、「飛梅」も酒銘と解説する本もあるが、『江戸語大辞典』『日本の酒文化総合辞典』では
 確認しえなかった。
 同様に酒尽くしの長唄詞章には、「軒端の松」の
 「つい言ふこともつとどなき 言葉に角の剣菱や 愛想もこそも七つ梅 
 粋な心についたらされて 嘘と知りても真実に受けて 末は白菊花筏」がある。

七ツ梅
 摂津国伊丹・木綿屋の酒銘。
 正しくは「星の井」という名だったが、商標に七曜星を用い、これが梅の花に見えることから、
 俗に「七ツ梅」と呼ばれた。

不動のお手に剣菱の 
 不動明王像が、右手に倶利伽羅剣と呼ばれる剣を持っていることと、酒銘の剣菱を掛けた表現。

剣菱
 近世・近代を通して天下一品とうたわれた摂津国伊丹産の酒銘で、
 坂上家の醸造。幕末から一時頓挫したが、昭和期に灘へうつって再興し、戦後まで名酒と評価された。
 酒樽に剣菱の商標がある。

ぴんと白菊花筏
 不動明王の持つ剣が鋭いさまが「ぴんとしている」と言う流れで、酒銘「白菊」「花筏」を出す。
 また「ぴん」は、酒味の全体に引き締まった感じを表現する「ピン」を踏まえて言うか。
 「白菊」は江戸品川・りう谷屋で販売された酒。
 産地・醸造元は不明で、一説には甘酒の名とも(新全集『浮世風呂』頭注による)。
 「花筏」は摂津国伊丹産の酒銘。

差すと聞いたら思ふ相手に
 前の「花筏」の筏の縁で、「棹を差す」から「差す」を導き、
 次の「あほッ切」(青ッ切=ぐい飲み、盃)を「差す」と掛ける。

あほッ切 
 青っ切(呷っ切)、青いっ切(呷いっ切)のこと。
 六勺入りの筒茶碗の外側上部に青色の線を引きまわしたもの。
 また、そこまでなみなみと酒を満たすこと、その酒を一気にあおって飲み干すこと。
 これまで散見した仮名表記では「あをつきり・あふつきり」で、「あほつきり」は本曲詞章のみ。
 「あほっ切」と表記したのは、
 「思ふ相手」に対して愚かしく夢中になっているさまを「あほ」として表現したのか、
 あるいは表記上の揺れか、検討中。

煽る手元も足元も 雪を凌いで来りける 
 前の「あほッ切」を受け、茶碗酒をあおる「手元」から「足元」を導く。

君を思へば筑紫まで 翼なけれど飛梅の
 菅原道真が筑紫国・太宰府へ左遷される時、都で日頃愛玩していた梅の木に
 「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主(あるじ)なしとて春を忘るな」(『拾遺和歌集』雑春)
 という歌を詠んだところ、その梅が太宰府の道真のところまで飛んで行ったという
 「飛梅」の故事を踏まえた表現。
 翼がないのに筑紫まで飛んでいった飛梅と同じく、
 自分も「君」への思いのあまり飛んで行ってしまいそうな、情熱的な恋をした……という文脈で、
 これが次の「粋」の具体的な内容にあたる。

すゐが身を食ふこの姿
 「すゐ」は、前の「飛梅」から導いた「酸い(酸しのイ音便)」と「粋」の掛詞。
 「粋」は、
 1.世事、特に遊里の事情や色恋の機微に通じていること。また、その人。
 2.姿や態度が洗練されていること。
 ここでは1.を踏まえ、遊里遊びや色事、といった意味。
 元は身分ある男が、色恋沙汰にのめり込み過ぎて身を持ち崩して「この姿」=まかしょになった、
 という事情を示唆する。

とこまかしてよいとこなり
 「とこまかして」「よいとこなり」ともに、俗謡などの間に入れる合の手。
 願人坊主が口上の中でしばしば用いた。
 『只今御笑草』にあるすたすた坊主の口上に、
 「……すたすた坊主の来る時は、世の中よひと申します、とこまかせて、よひとこなり。
  お見世も繁昌で、よひとこなり、旦那もおまめで、よいとこなり」。

ちょっとちょぼくる口車 
 「ちょぼくる」は
 1.言葉たくみに言いくるめる。  2.からかう、ひやかす。 
 ここでは1.だが、次の「春の眺めはナア……」以下に挿入されるチョボクレのことも表す
 (『新版 舞踊手帖』ほかによる)。
 チョボクレは願人坊主が門口で唱える祭文の一種で、後の浪曲(浪花節)につながるもの。

〔春の眺はナア……、秋は俄にナア……〕
 吉原遊廓の季節ごとの景物を述べた部分で、ここがチョボクレにあたるか。
 ただし出典・類曲などは未詳、調査中。
 「花の道中」は太夫道中(長唄メモ「松の緑」ほか参照)、「柳腰」は女性のたおやかな細い腰。 
 「俄」は江戸吉原の廓内で行われる秋の年中行事(長唄メモ「俄獅子」参照)。

浮かれ烏
 1.月夜に浮かれて、ねぐらに落ち着かずに泣き騒ぐカラス。
 2.転じて、夜分浮かれ歩く人。特に遊客などに言う。 ここでは2.の意。

九郎助稲荷
 お歯黒溝で四角く囲まれた吉原廓内には、その四隅に稲荷社が祀られていた。
 九郎助稲荷は、そのうち京町二丁目の外れ、羅生門河岸にある稲荷社で、廓内でもっとも有名な神社。
 和銅四年(711)千葉九郎介が天から降りた狐を祀ったとも、
 万治元年(1658)今戸村の百姓九郎助が畑道のわきにあった稲荷を移したともいい、
 吉原遊廓内の女性に深く信仰された。

角の長屋
 「長屋」は、吉原廓内で格式の低い長屋形式の局見世・切見世のこと。
 「九郎助稲荷の角の長屋」なので、京町二丁目の局見世か、羅生門河岸の河岸見世のこと。
 洒落本『跖婦人伝』に、吉原の格子女郎である妹が、廓外の夜鷹である姉について、
  「夜鷹に姉有と沙汰ありては、公界する身の恥なれば、兎角此里(注:吉原)へ引取り、
   せめては河岸か伏見町の勤めでも、今の苦しみ外聞には遥に勝るべし」
 と言っているように、河岸見世や新道に面した見世は、揚代が安価な下級見世であった。

年増 
 局見世や切見世にいる遊女は、鞍替え(所属する見世を変わること)や年季明けに伴って、
 大見世・中見世から流れてきたものがほとんどであり、
 健康で若い女性は少なかった。

ずっと上って門の戸ぴっしゃり しまりやすぜ 
 まかしょが局見世に上がりこんで、表の戸を締めてしまう、ということ。
 後の口説がましい歌詞からすると、正規の客というよりは、情夫気取りの様子か。
 「しまりやすぜ」は、まかしょが長屋の戸を締めるさまと、
 大引けの際、局見世が並ぶ路地の木戸を路地番が締める合図の声を掛けたものと言う
 (『日本舞踊全集』脚注ほか)。

〔あれあの声を今の身に 思ひ浅黄の手拭に 紅の付いたが腹が立つ〕
 投げ節(そそり節)の挿入歌と思われるが、類歌未詳、調査中。
 『日本舞踊全集』「まかしょ」の脚注は「思ひ浅黄」を「思いあたる」と「浅黄」を掛けた表現とし、
 「あの声」は前の路地番の声ではなく、女の声、としている。
 本稿ではこの注釈を参考に、仮に現代語訳した。
 
そこを流しの
 そこ=腹が立つことを「流し(てくれ)」と、「流し」(客を求めて町中を動き回ること)の掛詞。

神おろし
 1.祭のはじめなどに、神霊を祭場に招き入れること。
 2.巫女が神の託宣を受けるために、祈って、死者の霊や神霊を自分に乗り移らせること。またその人。
 3.起請文で、神々の名を連ねて、神霊に対して誓約すること。また、神々の名を書き連ねた箇所。
 ここでは、以下の詞章でまかしょが神おろしの祈祷をしてみせる(2.)さまであるが、
 全国の有名な社寺(神)の名に掛けて遊廓のさまざまな様子を表現していることから、
 遊女の起請文に書き連ねた神々の名(3.)も連想させる。

〔奇妙頂来……〕
 以下、社寺の名を列挙した神おろしの文句に、遊廓のさまざまな様子を掛けて表現した部分。

奇妙頂来
 正しくは「帰命頂来(礼)」であるところを、まかしょの滑稽味を含んで「奇妙」としている。
 1.帰命(仏教に帰依)して、自分の頭を仏の足につけて礼拝する最敬礼。
 2.仏を礼拝するときにとなえる語。 ここでは2.の意。

伊勢に内外の二柱 
 三重県伊勢市の伊勢神宮のこと。皇大神宮(内宮〔ないくう〕)と豊受大神宮(外宮〔げくう〕)の
 二柱(「柱」は神や霊を数えるのに用いる語)。
 皇大神宮には、皇祖神である天照大神を祀る。

夫婦妹背の盃
 「妹背」は愛し合う男と女で、ここでは夫婦と同義。
 夫婦盃・妹背の盃は、夫婦の縁を固める盃事で、各地にさまざまな習俗や呼び名がある。
 ただしここでは、吉原で床入りの前に交わす夫婦盃を模した盃事のこと。

済んで初会の床浦明神 
 盃事が済んで、客と遊女が初めての床入りをする、ということ。
 吉原遊廓では、客が初めて登楼することを「初会」、二度目を「裏(を返す)」と言い、
 三度目に「馴染」となる。
 吉原の格式ある遊女は初会には床入りしないと言うが、『図説 吉原事典』はこれを俗説とし、
 洒落本『古今吉原大全』の
   「初会に床で首尾せぬは客の恥、裏にあはぬは女郎の恥と言ひ伝ふ」
   (初めての登楼で床入りしてもらえないのは客の恥、二回目に来てもらえないのは女郎の恥)
 を引いて、初会の床入りが一般的であったとしている。検討中。
 本曲詞章でも、文脈に従えば初会で同衾していることになる。
 「床浦明神」については、『日本舞踊全集』『新版 舞踊手帖』ともに「子浦明神」とする。

哀愍納受一呪礼拝
 「哀愍納受」は、神仏が、人々をあわれとおぼしめしてその祈りを聞き届けること。
 祈祷の際の文句。
 「一呪礼拝」は「納受されるために呪文をとなえて拝むこと」(『日本舞踊全集』脚注)。
 『日本国語大辞典』等に収録されないが、同じく祈祷の文句と思われる。

屏風の外に新造が 祭も知らず子の権現 
 「屏風」は客と遊女が同衾する寝床の周りにかけ回すもの。
 「新造」は、禿期間を終え、十三~十四歳くらいで遊女の見習いとなった者。
 新造になるお披露目を「新造出し」と言い、その後すぐには客をとらず、姉女郎についた。
 「祭」は遊女と客の情交を例えた語。
 「子の権現」は「寝」との掛詞。
 子の権現は、子の神、子の神社、根の神社などと呼ばれる神・神社の総称。
 ほとんどが大国主命を祭神とする。
 大国主命は中世以降大黒天と習合し、この大黒天が五穀豊穣の神であったことから、
 穀物→ねずみと結びついたと考えられる。方災除け、鬼門守護の神としても祀られた。
 文脈としては、
 「屏風の外にいる新造は、中で姉女郎と客の盛んな情交が行われているのも知らず居眠りしている」
 といった意味。

櫺子
 連子・連子窓とも。
 建物の窓や扉の一部に、角材の稜(かど)を正面に向けて並べ取り付けたもの。

遣手に忍ぶ明部屋の
 遊女が情人(間夫・色)と逢うため、遣手の目を盗んで空き部屋に隠れている、ということ。
 「遣手」は妓楼で遊女の指南・しつけ・監視役をつとめる女性。
 年季明けした元遊女がなることがほとんど。
 妓楼から給金は出ず、客からの祝儀や茶屋からの割り戻しが主な収入になるため、
 金の続かない客や遊女の怠惰の原因となる間夫を遠ざけることもした。

松の尾明神 
 前を受けて、「待つ」と「松の尾明神」を掛けた表現。
 「松の尾明神」は京都市西京区の松尾大社のことか。
 中世以降酒の神として信仰を集め、社殿背後の霊泉「亀の井」の水は、
 酒醸造時に加えると酒が腐敗しないと、酒造家に尊ばれている。

地色
 ここでは、遊女が、客ではなく地回りの者
 (その土地、特に遊里の関係者や盛り場に住んでうろつきまわる者)を「色」(情夫)とすること。
 また、その男。
 地色に対して、客でもあり情人でもある男は「客色」と言う。
 「色」と「間夫」の違いについて、
 「素見千人、客百人、間夫は十人、色一人」の俗言があり、
 また遊女が商売と切り離して真情を抱く色に対して、間夫は遊女が紋日の負担を依頼できる間柄、
 と説明することがあるが、
 文芸作品や長唄詞章においては色と間夫はほぼ同義で使われることが多い。
 色・間夫どちらも、遊女にとっては勤めの憂さを紛らわす愛しい男であるが、
 そのために他の客を遠ざけたり、自らが揚げ代を負担して色・間夫と密会する時間を作ったりして、
 遊女の年季が延びる原因ともなった。
 洒落本『跖婦人伝』序
   「……客の機嫌をとり梶面梶、おせどもおせども或は地色の風にさらされ、または密夫(注:間夫)
    の波にしづんで、彼岸に漕付る事は桃源のおもひに等しかるべし」
   (遊女は客の機嫌を一生懸命とって、苦界勤めを乗り切ろうと舟を漕ぐけれども、
    地色に心を奪われて金銭を渡したり、または間夫との逢瀬にかまけたりして、
    つつがなく年季明けを迎えることは桃源郷にたどり着くのと同じくらい難しいことだ)
 洒落本『傾城買四十八手』序
   「秋やうき 身に間夫の闇 客の月」
 洒落本『古今吉原大全』「女郎の心を見わくる弁」
   「よき女郎には、地色などといふ事。大ていはなき事なり。」
   「又地色をかせぐ男は。ちと身代のよき女郎をば。小づかひと見てかかるゆへ。
    男の方から色をしかけたり。」

坂本山王
 滋賀県大津市坂本にある日吉大社。
 全国の日吉・日枝・山王神社の総本社で、通称山王権現とも呼ばれる。
 ただし、なぜ「地色」に「坂本山王」と続くのか、文意不明。

廿一二が客取り盛り〔増す花盛り〕
 類似の俗言等があると思われるが未見。
 遊女は概ね十五、六歳前後で客を取り始め、十年年季が基本となるので、
 二十一、二歳が稼ぎどきということか。
 「客取り」は客を取る(客の相手をつとめる)こと、また客を取るのが上手な者。
 『春色辰巳園』巻八「手のあることは客取と評談の仇吉さんだものを」。
 前の「坂本山王」=日吉神社が二十二社のひとつであることによる表現か。

間夫  芸者や遊女の情夫。上記「地色」の項参照。

人目を関明神 
 「人目を堰く(塞く)」と「関明神」を掛けた表現。
 「せく」は「さく(避く)」の方が適切か。
 「関明神」には諸説あり。
 1.奥州白河にある有名な神社。(『日本舞踊全集』脚注による)
 2.滋賀県大津市・逢坂関にある明神。
  盲目で、和歌・琵琶の名手として知られる蝉丸とその姉・逆髪を祀り、音曲芸道の神とされた。
  (『日本の神仏の辞典』による)

懺悔
 仏教語としては、古くは「さんげ」と発音する。
 過去に犯した罪を神仏や人々の前で告白して許しを請うこと。

六根罪障 
 六根(六識を生ずる六つの感官、眼・耳・鼻・舌・身・意)に生ずる、成仏の妨げとなる罪。

口説を四国には 中も丸亀名も高き 象頭山 
 「口説(痴話げんか)をし」と「四国」を掛け、四国にある「丸亀」「象頭山」を導く。
 「丸亀」は現香川県丸亀市。
 「四国の中でも丸亀にある有名な象頭山」という文脈に、
 「口説をしたあと、仲が丸く(おさまる)」という文脈を掛ける。
 象頭山は香川県西部にある山で、正確には現善通寺市・三豊市に位置するが、丸亀城からの眺めが有名。
 山岳信仰の対象で、修験道と習合した金比羅大権現(現在の金刀比羅宮)があり、
 全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮でもある。

〔今度来るなら……祈りける〕
 祈祷の文句とひとつづきの部分であるが、次の詞章の「乗せられて」を優先し、
 現代語訳では遊女の言葉として解釈した。

今度来るなら裏茶屋で
 「今度」は上記の「金比羅大権現」と掛けた表現か(『長唄名曲要説』による)。
 「裏茶屋」は吉原遊廓内にある出合茶屋(男女が密会するための茶屋)。
 揚屋町の裏通りにあったため裏茶屋と呼ばれる。
 遊女は吉原の大門より外には出られないため、客として登楼することの出来ない男
 (廓の関係者である「地色」や私的な情人)との密会には、吉原内の裏茶屋を利用した。

哀愍納受
 前の「裏茶屋」を受けて、「逢ふ」と掛けた言い方。
 なお文化譜では「愛民納受」と表記するが、ここでは前と統一表記とした。

でれれんでれれん
 「でろれんでろれん」の転訛。
 まかしょと同類の、宗教者の形をした門付芸のひとつに「でろれん祭文」がある。
 本来は祭神の本地や縁起を語るものだったが、次第に芸能化し、
 心中などニュース性の高い事件を扱った語り物を、法螺貝を吹きながら唄い語った。
 この時、合の手に入れる錫杖の音が「でろれん」と聞こえ、
 後には口頭で「でろれんでろれん」と唱えたためにでろれん祭文と呼ばれる。
 ここでは、前の色事にでれつく様を含みつつ、
 直後の「口法螺」(法螺貝)を導く語としておかれている。

口法螺 
 『日本国語大辞典』『古語大辞典』に収録なし。
 前の「でれれん(でろれん)」のように、口で法螺貝の音真似をすることと、
 大げさなうそを言う・大言をはく意味の「法螺を吹く」を掛けて言うか。

吹く風寒き夕暮に
 「口法螺を吹く」と「吹く風」を掛けた表現。



【成立について】

文政三年(1820)中村座初演の七変化舞踊「月雪花名残文題(つきゆきはななごりのぶんだい)」の一曲。
本名題「寒行雪姿見(かんぎょうゆきのすがたみ)」、冒頭の歌詞から「まかしょ」と通称される。
作曲二代目杵屋佐吉、作詞二代目桜田治助。

江戸の役者・三代目坂東三津五郎が大坂へ上る際、お名残狂言として上演したもの。
前の「猩々雪酔覚」の赤一色に統一された衣装から、引き抜きで白一色のまかしょへ変わる趣向。
また、子供達に囲まれ、「まかしょ」の声にあわせて札を撒きながら登場するが、
初演時はこの札が三津五郎自筆の短冊であったという。



【参考文献】

大島建彦ほか編『日本の神仏の辞典』大修館書店、2001.7
荻生待也編著『日本の酒文化総合辞典』柏書房、2005.11
河竹登志夫ほか監修『名作歌舞伎全集24 舞踊劇集2』東京創元社、1972.6
河竹登志夫監修・古井戸秀夫編『歌舞伎登場人物事典』白水社、2006
喜多村筠庭『嬉遊笑覧』
→長谷川強ほか校訂『嬉遊笑覧 五』岩波文庫・岩波書店、2009.3
吉川英史『邦楽鑑賞入門』創元社、1959.10
小林責ほか著『能楽大事典』筑摩書房、2012.1
神保五彌校訂『新日本古典文学大系86 浮世風呂・劇場粋言幕の外・大千世界楽屋探』岩波書店、1989
永井義男『図説 吉原事典』学研М文庫、学研パブリッシング、2013.2
中野三敏ほか校注『新編日本古典文学全集80 洒落本・滑稽本・人情本』小学館、2000.4
古井戸秀夫『新版 舞踊手帖』新書館、2000
前田勇編『江戸語大辞典』講談社、1974.11、新装版2003.4
三上勝「願人坊主と「まかしょ」―長唄「まかしょ」と半田稲荷」『文藝春秋』第11年1号、1933.1
三田村鳶魚校訂『未刊随筆百種 十』臨川書店、1927.10、複製版1969.5
宮尾與男編著『図説 江戸大道芸事典』柏書房、2008.3
無声「まかしょとわいわい天王」『此花』1913.6