高尾さんげ
寛保四年(1744)
不明
初代 杵屋新右衛門
〈三下り・前弾〉
鉦鼓の音も澄みわたり 名もなつかしき宮戸川 都鳥も声添へて 
南無阿弥陀仏みだ仏 浅茅が原のさうさうと 風冷やかに身にぞしむ 
不思議や紅葉の影添ひて 塚のうしろにすごすごと 高尾が姿あらはれて 

もみぢ葉の 青葉に茂る夏木立 春は昔になりけらし 
世渡る中の品々に 我は親同胞の為に沈みし恋の淵 浮びもやらぬ流れのうき身 
憂いぞつらいぞ勤めの習ひ 煙草呑んでも煙管より 咽喉が通らぬ薄煙 
泣いて明かさぬ夜半とてもなし 人の眺めとなる身はほんに 
辛苦万苦の苦の世界 四季の紋日は小車や 

先づ春は花のもと 手折りし枝を楽しみて 何処に眺むる春の風 
そよりそよりと花吹き散らす ちらりちらりと桜の薫り 野山を写す廓景色 
夏のあけぼの有明の つれなく見えし別れ鳥 ほぞんかけたと囀るは 
死出の田長や冥途の鳥と 鳴き明かす 籠の鳥かや怨めしや 
秋の夜長に牡丹花の 灯籠踊の一節に 
残る暑さを凌がんと 大門口の黄昏や いざ鈴虫を思ひ出す 
つらい勤めのその中に 可愛男を待ち兼ねて 暮松虫を思ひ出す 
虫の声々かはゆらし 我れが住家は草葉にすだく 
露を枕に触らば落ちよ 泣いて夜毎の妻ほしさうに 殿子恋しき機織虫よ 
露を枕に触らば落ちよ 泣いて夜毎の妻ほしさうに 殿子恋しき機織虫よ 
昼は物憂き草の蔭 

早時来ぬと云ふ声も 震ひわななき身に沁みわたり どろどろどろ 仇と怨と情の思ひ 
追ひめぐり 追ひめぐり 震動稲妻凄まじく 
無残や高尾は世の人の 思ひをかけし涙の雨 
はんらはんら はらはら はらはら 降りかかれば 身に沁みたへて 木蔭に寄れば 
刃の責に煩悩の 犬も集まり 牙を鳴らして飛びかかる 
こは情なや牛王の烏 嘴を鳴らして羽をたたき 眼を抜かんと舞ひ下る 実に恐ろしき物語



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高尾とは、江戸時代、吉原で代々名跡が受け継がれた太夫の名前です。
その名は京都の紅葉の名所・高雄にちなみ、歴代の高尾太夫はもみじをトレードマークにしていました。
江戸随一の名妓として知られ、江戸時代のうちからさまざまな伝説が語られてきた高尾ですが、
その事跡については不明な点が多く、名跡が何代まで続いたのかもはっきりしていません。
本曲でモデルとなっているのは、
伊達騒動で失脚したことで知られる仙台藩主・伊達綱宗に身請けされたにも関わらず、
他に想う人がいたために伊達侯になびかず、
その後斬殺されたと伝えられる、通称「仙台高尾」と考えられています。
もっとも本曲は、曽我狂言の中に高尾の亡霊を登場させた芝居、
つまり創作された物語の一部として作詞作曲されたものですから、
歌詞全体が実在(あるいは巷説)の高尾像に即しているわけではありません。
それでも、「俄獅子」「吉原雀」のように、遊廓の華やかな一面が強調されがちな長唄の中で、
江戸随一の太夫像を通して、「人の眺めとなる身」である遊女の苦しみを唄う本曲は、
救いのない歌詞であるにも関わらず、人の心をひきつけてやみません。

遊女という存在の悲しみは、一体どこにあるのでしょうか。
頭で理解する善悪や理非が、心で感じる好き嫌いと必ずしも一致しないように、
好き嫌いという心の動きと、身体的な欲求や行動もまた、常に一致するとは限りません。
頭と心と身体には、それぞれぴったり重なることのできない、不思議な隙間があります。
その隙間に生きることを強制されたのが、遊女という存在です。
心とは別のものだから、性は金銭に代えられます。
問題は、心と切り離した性を売って対価を得る、という行為が、
彼女たち自身の意志で選択され、行われるのではないということです。
近世、貧しい親を救うために身を売った少女は「孝行者」だと誉めそやされました。
「孝」という社会通念が、彼女たちの真情を黙殺し、身売りを拒否することを封じ、
“私”という個人として生きる機会を奪ったのです。
さらに、性を売ったことで得たはずの対価が、遊女本人を豊かにすることはほとんどありません。
吉原では、「公許」という看板のもと、
性労働の対価は彼女たちを飛び越え、見世の経営者、経営者の管理者である公儀(幕府)を潤しました。

そしてもうひとつの悲しみは、
心と身体が、いつでも思うように切り離せるとは限らない、ということです。
頭と心と身体は、すべてが一致することがないのと同じく、
すべてが完全に独立していることも、またできないのだと思います。
金銭や社会通念で隔絶された世界の中で、“私”として生きることを禁じられ、それでもなお、
動かしてはいけない心までが連れていかれてしまったり、
渡さなくてはいけない心を、どうしても預けることができなかったり。
その小さなほころびが、有名無名を問わず、数えきれない女の運命を狂わせてきたのでしょう。
本曲名の「さんげ」とは、懺悔、自分の罪を告白して許しを乞うことです。
高尾太夫に、あるいはその他の遊女たちに、いったいどんな罪があり、
誰にその罪を許す資格があるというのか、私は矛盾を感じざるを得ません。

頭と心と身体のあいだにあるすれ違いは、決して他人ごとではありません。
時にやり場のない矛盾を感じつつも、
邦楽諸曲に描かれる色模様が長年にわたって人々を魅了してきたのは、
本当はいつの時代を生きる人も、同じすれ違いを隠しているからなのかもしれません。

本曲中の「紅葉ばの青葉に茂る夏木立……四季の紋日は小車や」は、
その後独立して、めりやす「もみぢ葉」としても親しまれるようになりました。



【こんなカンジで読んでみました】

どこかの寺から、勤行の鉦の音がもの寂しく響く。
耳になじんだ懐かしい宮戸川の名。都鳥の鳴き声は、彼女の魂を呼んでいるのだろうか。
南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ。勤行の声は低く続き、
荒れ果てた野をそうそうと吹き抜ける冷たい風が、ぞくりと背中をなでた。
ひらり。ひらり。
不思議なことに、風の向こうから紅葉のまぼろしが降ってきた。
やがて、塚のうしろにしょんぼりと在りし日の高尾の姿があらわれ、
悲しい物語をしたのだった。

紅葉するもみじの葉は、いつでも赤いものだとお思いですか。若葉が青々と茂る、今は夏。
私の華やかだった春は、もうとっくの昔に過ぎてしまったようです。
世間を生きる数々のなりわいの中で、私は親兄弟のために廓の深い淀みに沈み、
ふたたび浮かび上がることのできない遊女の身の上となりました。
廓で勤めする者の定め、私ひとりのことではないけれど、とてもつらくて苦しいです。
煙管が詰まるより先に、胸がつまって、煙草の薄煙だってのどを通らない。
涙のこぼれない夜はありません。
誰かに眺められて生きていくために、夢のように着飾って、いつもほほえんでいるけれど、
廓は苦界、苦しみばかりの世界です。
四季がめぐり、また紋日がやってくる。
手紙を書かなくちゃ、嘘をたくさん書いて、誰かお客を呼ばなくちゃ。

春は仲の町の桜の下、手に入れた花の枝を愛しんで、
春の風はその花をどこへ運んでいって、ひとり眺め楽しんだのでしょう。
そよそよと吹く風に、桜は匂いながら崩れるように散っていく。
本物の野山ではない、全部つくりごとだけど、仲の町の春は本当に美しかった。
夏の明け方。有明の月がそしらぬ顔してまだ輝いているのに、
別れの時間を告げる鳥は、私の気持ちなどまるでかまわずに騒ぎ出す。
ほぞんかけたか、と鳴くホトトギスは、死出の田長と呼ばれる冥途の使い。
死者を導くように、不吉な声で鳴き明かす。
私は籠の鳥。黄泉の国まで飛んでいける、お前は自由でいいね。
秋の夜、燈籠に彩られた吉原で、牡丹の花の燈籠踊の一節に、
あれはどんな唄だったかしら。
残暑に追われて、日が暮れてから大門口まで涼みに出る、私はまるで鈴虫だと思う。
つらい勤めをしながら、逢いたい人を待ちかねて日暮れを待つ、私はまるで松虫だと思う。
虫の声がいじらしい。お前たちは私と同じ。
日のあたらない草の陰に集まって、
夜露の中、触れたらこぼれてしまいそうに涙をためて、
逢いたい、寂しい、誰かにとなりにいてほしいって、人恋しがる織姫みたいなキリギリス。
昼間は物陰に隠れてけだるそうにしているところまで、似ているのね。

現世での時はもはや過ぎた。
声ならぬ声が、高尾にそう告げたようだった。
恐ろしさにがたがたと体を震わせ、地を這う音に身をすくませて、
逃れられない憎しみと恨みと愛しさに追われて、稲妻光る地獄の底に堕ちていく。
無惨やな。
ただ世の人が寄せる同情の涙だけが、雨のようにはらはらと、彼女の細い肩を濡らす。
その温かさが身に染みて、木蔭にそっともたれる彼女を、剣の刃が責めかける。
お前は金で買われた身でありながら、別の男、愛した男を忘れようとしなかっただろう。
逃れられない煩悩の犬が、その身を食い破ろうと高尾に飛びかかる。
お前は起請文を書いただろう、無数の男に嘘の約束をして、その約束を破っただろう。
牛王符のカラスが地獄の使者となり、目玉を抜こうと高尾に群がる。
地獄に生きて地獄に堕ちた一人の女の、聞くも無惨な物語。



【高尾太夫】

京島原の吉野太夫、大阪新町の夕霧太夫と並んで称された、江戸吉原を代表する名妓。
吉原京町一丁目・三浦屋抱えの太夫で、万治(1658~60)から寛保(1741~43)まで代々名前が継承された。
初代の高尾は、京の生れである三浦屋四郎左衛門と同道して江戸に出たと言われている。
京都の紅葉の名所である「高雄」から「高尾」の名がつけられ、
紅葉の紋が代々引き継がれて高尾を示すトレードマークとなった。
井原西鶴『好色一代男』巻七は、高尾の一行が揚屋から帰る姿を
「禿も対の着物二人引きつれ、やり手、六尺までも御紋の紅葉、色好みの山々さらに動くがごとし」
と描写しており、高尾本人のみならず禿ややり手までもが揃いの紅葉の衣装を着用する様が表現されている。
遊女評判記などでは、名が明記されずとも、紅葉の着物の挿絵でそれが高尾だと了解された。
歴代の高尾には、
自分の実子をやり手に抱かせて太夫道中したという子持高尾(初代)、
幕府お抱えの蒔絵師(一説にはろうそく問屋)の西条吉兵衛に落籍された西条高尾(三代目)、
全盛を誇った太夫が、年季明けの後に一介の紺屋職人に嫁いだという紺屋高尾(五代目)、
足の指が六本あり、素足だった太夫が足袋を履くきっかけになったという六指高尾(七代)、
後に述べる仙台高尾、榊原高尾などがあげられる。
高尾太夫に関しては、
宝暦年間に太夫の存在が消滅して以降、江戸時代から多くの研究・考証がなされてきたが、
高尾が何代続いたのか、
それぞれの伝説が何代目の高尾の事跡であるのか、いまだ判然としない。

また、太夫という遊女の最高位にありながら、在位中の事跡にもまして、
廓を離れる身請け(落籍)に関わるエピソードが多く伝わることにも注目したい。
「仙台高尾」「石井高尾」「榊原高尾」「紺屋高尾」などの別名も、
すべて身請け先に関わる呼び名である。
高尾太夫は、江戸の人々を魅了した吉原太夫の「張りと意気地」を具現化した存在であるとともに、
苦界(くがい)と呼ばれた廓から離れることを切望する、多くの遊女の思いを象徴した人物とも言えよう。

本曲「高尾さんげの段」のモデルについては諸説ある。
『長唄全集』『演劇百科大事典』は、
姫路藩主・榊原政岑に落籍された榊原高尾がモデルであるとする。
『日本舞踊全集』『歌舞伎登場人物事典』は、仙台高尾がモデルと明記し、
『新版 舞踊手帖』も、モデルとは明記しないものの、仙台高尾を取り上げて紹介している。

仙台高尾は、在籍時の元号から万治高尾、出身地から塩原高尾とも呼ばれる。
何代目にあたるかは諸説あるが、一般に二代目と推測されることが多い。
仙台藩主・伊達綱宗に、高尾と同じ目方(重さ)の金と引き換えに身請けされたと伝わる。
仙台高尾はまた、伊達騒動の発端、あるいは原因として語られることも多い。
伊達騒動は、仙台藩で起こった大規模な御家騒動。
藩主であった綱宗が隠居を命じられて失脚し、代わりにわずか二歳の亀千代が家督を継いだ。
この事件は斬罪・切腹を含む100名以上の死者を出す大きな事件に発展し、
「伽羅先代萩」「伊達競阿国戯場」などの浄瑠璃・歌舞伎にこぞって仕立てられた。
その過程で、藩主綱宗に落籍された高尾についても、
「綱宗に舟の上でつるし斬りにされた」
「お家騒動の原因となった」
などの大幅な脚色がほどこされて世に伝わった。
この脚色に大きな影響を与えたのが、モデルと目されるうちのもう一人、榊原高尾である。
十代目・榊原高尾は、姫路藩主・榊原政岑に身請けされ、国元に同道された。
政岑は高尾の身請けに2500両、国元での披露に3000両を投じたと言われ、
高尾にまつわる乱費・不行跡が原因で、幕府から隠居謹慎を命じられた(榊原騒動)。
その後、高尾と政岑はともに移封先の越後高田に移っており、
十代目高尾は、史実として国を傾けた女性、お家騒動の遠因となった女性といえる。
伊達騒動を扱った浄瑠璃や芝居には、この榊原騒動の内容が大きく影響を与え、
仙台高尾に榊原高尾の事跡が仮託されるかたちで、二者にまつわる言説が混同していったと考えられる。



【語句について】

鉦鼓の音
 1.軍中の合図に用いる敲鉦(たたきがね)と太鼓。 2.雅楽の打楽器のひとつ。
 3.仏教寺院などで、台につるし、または台座に載せて、勤行の際に叩く円形青銅製の鉦。
 ここでは3.で、初演劇中で高尾の亡霊が登場する舞台となった浅草・西方寺を示唆する。

宮戸川
 「宮戸川」は隅田川の上流、吾妻橋から御厩河岸の渡しまでの呼称。
 この宮戸川で漁師の網にかかった観音像を安置したのが浅草寺の縁起であるといい、
 宮戸川西岸には、浅草寺をはじめ多くの寺社仏閣が建ち並ぶ。(長唄メモ「吾妻八景」参照)
 のちの「都鳥」(=隅田川を象徴する景物)、舞台場面の地理を表す。
 
浅茅が原
 「浅茅」はたけの低い茅萱(ちがや)という植物の名だが、単に雑草を指しても言う。
 「よもぎ」「むぐら」などと同じく、荒れ果てた寂しい場所の描写によく用いられる。
 「浅茅が原」は茅萱、あるいは雑草の生い茂った荒野。

さうさうと
 1.草木が青々と繁るさま。
 2.月の色の青白いさま。髪が白髪まじりであるさま。転じて、月日の経過することを言う。

紅葉の影添ひて
 初代以降の高尾が紅葉を紋にしていたことによる表現n。
 【高尾太夫】参照。


 浅草・西方寺にある高尾太夫の塚。
 本曲初演の劇中では、この塚の前に八百屋お七が佇んでいると、
 天から紙が降って来て、高尾の亡霊が現れるという趣向であった。

すごすごと
 失望し、またがっかりして元気のないさま。しおしおと。

夏木立
 夏、葉が青々と繁っている木立。

なりけらし 
 動詞「なる」連用形+過去助動詞「けり」連体形(ける)+推定助動詞「らし」終止形、
 「なりけるらし」の省略形。
 ①過去に関する推定を表す。「……たらしい」。
 ②過去の出来事を婉曲的に表す。「……たことよ」。近世に多い用法。
 ここでは②の意。

世渡る中の品々
 「世渡る」は、世間を渡ってゆく、生きてゆく。
 「品々」は、1.さまざまな階級、それぞれの身分や家柄。 2.いろいろなもの。
 ここでは1.の意味。

親同胞の為に
 「同胞」は同じ母親から生まれた兄弟姉妹。転じて、一般に兄弟姉妹。
 吉原の太夫職に就くものの多くが、
 幼少期、貧困のために売られた者であることを言う。

恋の淵
 本来は、恋の悩みの深いことを、ふちに例えて言う語。
 ここでは、自分の恋愛感情のままに振舞うことが許されない廓勤めを指して言う。

浮びもやらぬ流れのうき身 
 「淵」「浮び」「流れ」が縁語的につながる。
 「浮び(浮かぶ)」は1.水面に浮いている。 
 2.(水面に浮いているように)揺れ動いて定まらない、不安定である。
 3.(気持ちなどが)浮ついている、落ち着かない。
 4.物事が表面に現れる、出て来る。  5.思い起こされる、自然と思い出す。
 6.苦しい境遇から抜け出る、救われる。  ここでは6.の意。
 「……(も)やる」は、動詞の連用形について、
 1.その動作が遠くまで及ぶことを表す。遠く……する。(見やる、思いやる)
 2.多く下に打消の語を伴って、その動作を完全に行う意を表す。すっかり……する。 ここでは2.。
 ここでは「浮びもやらぬ」で「苦しい境遇から抜け出すこともできない」の意。
 「流れ」はさすらって生きることで、特に遊女の境遇を表す語。

勤めの習ひ
 「勤め」は広く仕事をすること、勤務や役目をさすが、
 特に遊女の稼業を指す。また、妓楼での勘定(揚代)を支払うことも言う。
 「習ひ」は1.慣れること。習慣、しきたり。 2.世の常。きまり、さだめ。
 3.古くからのいわれ。由緒。  ここでは2.の意。

煙草呑んでも煙管より 咽喉が通らぬ薄煙 
 類歌があると思われるが典拠未詳。
 煙管の火皿と吸口とをつなぐ竹の管のことを羅宇と言い、
 ヤニで詰まって煙が通らなくなることがあった。
 それを受け、羅宇よりも憂さにのど(胸)が詰まることを言う。
  
人の眺めとなる身は
 「眺め」は1.物思いに沈むさま。 2.見渡すこと。
 3.見た目の良さ、観覧の価値。
 ここでは3.に準じた意味で、人に鑑賞されて生きる遊女の立場を言う。
 
四季の紋日は小車や 
 紋日は「物日」と同じく、遊郭で、四季の五節句などの行事・祝日にあたる日。
 この日に遊ぶには通常よりの多くの費用が必要であったため、
 遊女は支払い能力のある客を呼ぶために苦心した。
 また、紋日はお客を呼ぶことを義務づけられており、
 お客を呼べない遊女は自分で自分の揚代を見世に支払わなくてはならなかった(身揚り)。
 「小車」は小さい車で、ここではせわしなく廻ることの例え。

何処に眺むる春の風 
 解釈検討中。
 「春の風」が客?

野山を写す廓景色 
 仲の町に桜を植える吉原の年中行事を受けたもの。
 寛延二年(1749)以降毎年行われ、桜は花の時期のみ植えられて、花が終わると撤去された。
 長唄メモ「助六」参照。

夏のあけぼの有明の 
 「あけぼの」は夜明けの空が明るんできた時。夜がほのぼのとあけ始める頃で、
 「あかつき」より後刻を指す。
 「有明」は有明の月の略、夜明け頃、まだ空に残っている月のこと。 

つれなく見えし別れ鳥 
 前の「有明の」とつなげて、『古今和歌集』巻十三所収・壬生忠岑の和歌
 「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」を踏まえる。
 「別れ鳥」は、本来は鷹のひなが成長して親鳥の元を去ることで、
 この場合、季語としては秋。
 ここでは単に、男女の後朝の別れを促す鳥の声を指すものと考えられる。
 また、次のホトトギスを導く効果もある。

ほぞんかけた
 ホトトギスの鳴き声を表す擬声語。ほぞんかけたか、ほっちょんかけたか。
 
死出の田長や冥途の鳥
 「死出の田長」は、死出の山から来て鳴く、と言う説に由来するホトトギスの衣装。
 元は「賤の田長」で、田舎で田植えの時期を告げる鳥の意であったが、
 「しづ」が「しで」に転化したと言われる。
 「冥途の鳥」も同じくホトトギスを指す。

籠の鳥かや 怨めしや
 「籠の鳥」は身体の自由を束縛されている者の例えで、特に遊女の境遇を指して言う。
 「様を思へば、飛び立つばかり、籠の鳥かや、恨めしや」
 「逢いた見たさは、飛び立つばかり、籠の鳥かや、恨めしや」
 等、近世歌謡に類歌が散見する(ともに『延享五年小哥しやうが集』所収)
 
牡丹花の 灯籠踊の一節に 
 「灯籠踊」は一般に、盆や祭礼に火を入れた灯籠を頭上にのせて踊る踊りだが、
 ここでは新吉原の行事である玉菊灯籠を指すか。
 玉菊灯籠は吉原の秋の行事で、
 享保十一年(1726)に要説した玉菊という名妓の追善のためにはじまった。
 六月三十日の夜から七月いっぱい、
 仲の町の茶屋が灯籠を美しく軒につるした。
 また、亡霊が出現する詞章内容を鑑みると、
 「牡丹花」には、いわゆる「牡丹灯籠」の連想があるか。
 「牡丹灯籠」は中国の小説『剪灯新話(せんとうしんわ)』中にある「牡丹灯記」が原拠だが、
 これを浅井了意が翻案して『伽婢子(おとぎぼうこ)』(寛文六年(1666)に収録、
 広く知られるようになった。
 なお「一節に」とあることから、以下の詞章には灯籠踊で歌われた古歌が引用されている可能性があるが、
 類歌等は未詳。

大門口の黄昏や
 「大門口」は、吉原唯一の出入り口である大門の入口。
 遊女が自由に出入りできるのは、大門の中に限られた。
 ここでは昼見世と夜見世の間、遊女が大門口まで出て夕涼みをしている様子か。

〔鈴虫・松虫・機織虫〕
 それぞれ秋の虫。
 鈴虫は「リーンリーン」の鳴き声で知られるが、
 古歌で詠まれる鈴虫の多くは現在の松虫を指すのが一般的。
 「鈴を振る」の連想から「経」「降る」とかけて詠まれる。
 松虫は「チンチロリン」の鳴き声で知られ、和歌では多く「待つ」とかけて詠まれる。
 機織虫はキリギリスの異称。また混同されてコオロギを指すこともある。
 古名を「機織女(はたおりめ)」と言うことから、機織りをする女性、
 特に七夕の織女が連想され、男性との逢瀬を待つ女性が想起される。

暮松虫 
 「暮(を)待つ」と「松虫」を掛けた表現。

かはゆらし
 「かはゆらし(可愛らし)」は美しさや小ささ、子供らしさが愛らしく感じられる様を言うが、
 ここではやや不適当。
 「かはゆし」には、恥ずかしい、かわいそうだ、等の意味があるので、この意を含む語として解釈した。
 長唄「鷺娘」の「しょんぼりと可愛らし」、「官女」の「しょんぼりと かはゆらし」と同様の使われ方。

すだく 
 1.集まる、群がる。 
 2.後世誤用されて、虫・鳥などが鳴く。

〔露を枕に触らば落ちよ 泣いて夜毎の妻ほしさうに 殿子恋しき機織虫よ〕
 「露を枕に」は、夜露のおりる草陰に生息する秋の虫のさま。
 夜ごとに声をあげて鳴く様子を、遊女が愛しい人を待って嘆くさまに重ねる。
 類歌があると思われるが未詳。
 〔鈴虫・松虫・機織虫〕の項参照。
 
昼は物憂き草の蔭 
 昼は草の陰にじっと身をひそめている秋の虫のさまを、
 遊女の身の上に重ねている表現。
 「物憂し」は1.なんとなく気が晴れ晴れしない、なんとなく心が重い。
 2.おっくうだ、めんどうくさい。 3.つらい、いやだ。

早時来ぬと云ふ声も
 以下、高尾が地獄の責苦にあう場面。
 「亡魂が冥途へ帰らねばならぬ時がきた」(『長唄全集』頭注)。

仇と怨と情の思ひ 
 仇(あだ)は恨み、遺恨。
 怨(うらみ)は恨むこと、にくいと思うこと。
 情(なさけ)は、ここでは男女の情愛、恋情ととるのが妥当か。
 遊廓における男女間の機微のすべて。

追ひめぐり
 追いかけまわし。

震動稲妻凄まじく 
 地が震え、稲妻が光る地獄の様子の描写(要検討)。

世の人の 思ひをかけし涙の雨 
 高尾の末路に対し、世間の人が同情を寄せたことを示す。
 日本橋にある高尾稲荷神社は、仙台高尾を祀る神社で、
 伊達綱宗によってつるし斬りにされ、
 川中に棄てられた高尾の遺体が流れ着いたことから、社が建立されたという。

煩悩の犬
 「煩悩の犬は追えども去らず」の成句による表現。
 「煩悩」とは、仏教の教義の一つで、人の心身を悩ませ苦しめる精神の働きのこと。
 犬は追い払えば逃げるが、煩悩は追い払おうとしても拭い去れないものであるということ。
 また、中世の絵巻物などに描かれる地獄図や死人図で、
 犬が遺体を食い荒らすさまを想起させる表現。

牛王の烏
 表にカラスが描かれた熊野三山の護符を、熊野牛王符と言う。
 カラスが描かれた熊野牛王符を、遊女が起請文として使用した(熊野誓紙)ことにも由来する表現。
 牛王符の裏面に誓いを書き、その誓約を破ると、カラスが一羽(あるいは三羽)死に、
 約束を破った本人も血を吐いて地獄に落ちるという俗信があった。


【成立について】

本名題「高尾懺悔(たかおさんげ)の段」。
延享元年(1744)、江戸市村座「七種〓曽我(ななくさわかやぎそが)」三番目に曽我狂言として初演。
「七草〓曽我」は、八百屋お七と高尾とを、曽我兄弟の世界にからませた狂言。
遊女高尾の亡霊が現れ、生前の述懐と地獄の責苦を物語るという趣向。
浅間物の傍系に位置づけられる。

★浅間物
 元禄十一年(1698)京都で上演された「傾城浅間嶽」を原拠とする歌舞伎・舞踊の曲群。
 小笹巴之丞が傾城奥州ととりかわした起請文を焼くと、その煙の中から奥州の生霊が現れる、
 という場面が好評を博したことから、
 起請誓紙文や絵姿などの紙を介して生霊・亡霊が現れる、という趣向を持つ。
 「七草〓曽我」では、八百屋お七が浅草・西方寺の高尾の塚の前に来ると、
 どこからか鉦の音が聞こえ、天空から白い紙が落ちてきて、
 その下から高尾の亡霊が現れる。



【その他(筆者覚え書)】

「昔から追善の出し物としてございますし……」
「これから『もみぢばの、青葉に茂る夏木立』といふ文句になるのですが、
これは昔芝居で高尾が秤に掛る間に、下座でこゝだけを独吟に遣ったのですが、
只今ではもみぢばと名づけてメリヤス物にして、子供衆の手ほどきに教へて居ります。」
(以上、小谷青楓『増補 長唄の心得』)



【歌詞異同】

本曲は「もみぢ葉」の部分のみが文化譜に収録されており、「高尾さんげ」全体の歌詞は収録されていない。
そのため歌詞は『長唄全集』によったが、黒木勘蔵校訂『歌謡音曲集』所収の歌詞と比較すると、
本文に異同が多くある。
以下に異同を掲げる。前が『長唄全集』、後が『歌謡音曲集』。

「浅茅が原のさうさうと」→「さらさらと」
「高尾が姿あらはれて」→「高尾が姿これ迄あらはれ出でたるぞや」
「浮び」→「浮かみ」
「何処に眺むる」→「床に眺むる」
「鳴き明かす 籠の鳥かや怨めしや」
 →「鳴き明かす 流れて血潮の花の色 皐月五月雨降られて降られて 
   降る降る降る降る 降る夜は物を思はする 籠の鳥かや怨めしや」
「秋の夜長に」→「秋の夜中に」
「昼は物憂き草の蔭 早時来ぬと云ふ声も」
 →「昼は物憂き草の蔭 ああ悲しやな 苦しやな 雪の肌に情なく 氷の刃に貫かれ 
   さながら冬か八寒の 苦しみ深し 物語 早時来ぬと云ふ声も」



【参考文献】

東出葉月「高尾像―遊女評判記を中心に―」『立教大学日本学研究所年報』4号、2005.3
黒木勘蔵校訂『日本名著全集 歌謡音曲集』日本名著全集刊行会、1930
古井戸秀夫『新版 舞踊手帖』新書館、2000
暉峻康隆「廓と近世文化」『演劇学』25号、1984
渡辺憲司「仙台、栃木、山形、東京……二代目高尾の残影を追って。」『東京人』通巻279号、2010.3
珠山哲弥「高尾太夫のこと」『国文学攷』28号、1963.5
河竹登志夫監修『歌舞伎登場人物事典』白水社、2006
山東京伝『近世奇跡考』
柳亭種彦『高尾年代記』
加藤雀庵『高尾追々考』→三田村鳶魚編『鼠璞十種』中央公論社、1978所収
渡辺憲司監修『吉原遊女のすべて』学研パブリッシング、2013
暉峻康隆・東明雅校注・訳『新編日本古典文学全集66 井原西鶴集一』小学館、1996