舌出三番叟
文化九年(1812)
作詞 二代目 桜田治助
作曲 二代目 杵屋正次郎
〈二上り〉
おおさえおさえ 喜びありや 喜びありや 
我がこの所より外へは遣らじとぞ思ふ 
にせ紫もなかなかに 及ばぬ筆に写し絵も いけぬ汀の石亀や 
ほんに鵜の真似からす飛び とっぱひとへに有難き 
花のお江戸の御贔屓を 頭(かしら)に重き立烏帽子 
さっぱも己が故郷へは 錦と着なすお取立て 
をこがましくも五年(いつとせ)の 今日ぞ祝ひに さむらふよ 
天の岩戸のな 神楽月とて祝ふほんその年も 五つや七三ツ見しょうと 
縫の模様の糸様々に 竹に八千代の寿こめて 
松の齢の幾萬代も 変らぬためし鶴と亀 
ぴんとはねたる目出鯛に 海老も曲りし腰のしめ 宝尽くしやたから船 
やらやらめでたいな 四海波風治まりて 常磐の枝ものほんよえ 木の葉も茂る 
えいさらさら 鯉の滝登り 牡丹に唐獅子 から松を 
見事に見事に さっても見事に手を尽くし 
仕立栄あるよい子の小袖 着せて着つれて 参ろかの 
肩車にぶん乗せて 乗せて参ろの氏神詣 
きねが鼓のでんつくでん 笛のひしぎの 音も冴えたりな 
冴えた目元のしほらしき 
中の中の中娘を ひたつ長者が 嫁にほしいと望まれて 
藤内次郎が栃栗毛に乗って エイエイエイ えっちらおっちら 
わせられたので その意に任せ申した 
さて婚礼の吉日は 縁をさだんの日を選み 
送る荷物は何々やろな 瑠璃の手箱に珊瑚の櫛笥 
玉をのべたる長持に 数もちょうどのいさぎよや 
様はなア 百までなアヽエ わしゃ九十九までなアヽエ 
倶になア 白髪のなアヽエ 生ゆるまでナアヽエ 
〔この間に清元の浄瑠璃あり〕 
心浮き立つ踊り唄

〈三下り〉
花が咲き候 黄金の花が てんこちない 
今を盛りと咲き匂ふ てもさても見事な黄金花 
欲しかおましょぞ 一と枝折りて そりゃ誰に いとし女郎衆のかざしの花に 
ホオヤレ 恋の世の中 実恋の世の中 おもしろや 
すぐにもあがり御目見得を 又こそ願ふ種蒔や 
千秋万歳 万々歳の末までも 賑はふ御代とぞ舞ひ納む

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)



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邦楽に数多い三番叟物の元になっているのは、「翁」という能の演目です。
能「翁」は、数ある能の演目の中で最も古く、
大寺院の法会で、国家繁栄を願って宗教者が舞った儀式から発展したもの。
能という芸能にとっても特別なもので、これまでの長い研究を経ても分かっていないことがたくさんある、
威厳と不思議に満ちた演目です。
能のプログラムが確立してからは、必ず一日の演目の最初に演じられていたことから、
ものごとのはじめの儀式という性格も強まり、これがのちに歌舞伎の世界にも導入されました。
三番叟は、この「翁」の中の役で、「三番目に登場する老人」という意味です。
儀式としての「翁」は娯楽的に楽しいものではありませんでしたが、
やがて「翁」から躍動的でユーモラスな三番叟が独立し、面白い趣向を凝らしたさまざまな舞踊が生まれたのです。

本曲「舌出し三番叟」は、大坂の役者・三代目中村歌右衛門が、江戸での興行を終えて大阪へ帰る際の
御名残狂言として初演されました。
歌詞の最初「おおさへおさへ……」は能の詞章で、邦楽の三番叟物ではよく引用される言葉です。
江戸で人気を博した歌右衛門が江戸のひいき客にお礼の口上を述べ、七五三祝いや婚礼、恋の場面を舞います。
終曲にはいつか再び江戸にもどってきますよ、ともう一度挨拶をします。
七五三や婚礼が唐突な印象を受けますが、もともと能「翁」は国を司る為政者のための祝いの舞です。
そのスケールを庶民のための曲に縮小すると、
五穀豊穣・国家繁栄を祈る歌詞が、子供の成長や結婚を祝う歌詞に変換されるわけです。

さて、「舌出し三番叟」という名称は、その名の通り、踊りの途中で口を開いて舌を見せる所作に由来します。
なんとも奇抜で愉快な所作ですが、これは歌右衛門が独自につくりあげたものではありません。
歌右衛門は大坂の役者ですが、幼い頃、江戸の中村仲蔵が舞う三番叟を見たことがありました。
江戸興行を終え、仲蔵ゆかりの中村座を去るにあたって、
歌右衛門は幼い頃に見習った仲蔵の三番叟を再現したのです。
それだけではありません。
仲蔵の三番叟自体が、実は歌舞伎創生期に初代中村勘三郎が演じた三番叟を復興したものでした。
勘三郎から仲蔵へ、仲蔵から歌右衛門へ、数百年の時を経てよみがえった舌出しの所作。
仲蔵の時も歌右衛門の時も、舌出しの所作は大好評を博し、劇場は朝から人で溢れたと言います。
どんなに奇抜な振付でも、ただ奇抜なだけでは何百年にもわたって人を魅了することはできません。
舌出しの所作が人々に愛されたのは、ちらりとのぞく赤い舌に込められた、
新しい芸へ挑戦し続けていく熱意と、芸を伝えてきた先人に対する敬意があったからではないでしょうか。
技量を磨くこと、挑戦すること、それから自分の前を行く人の背中を一生懸命見つめること。
その繰り返しが、芸を伝えるということ、伝統ということなのだと、本曲は教えてくれるように思います。



【こんなカンジで読んでみました】

ああ、なんて喜ばしいことだろう。私はこの喜びを、他のどこへもやりたくないと思うよ。

江戸紫をまねてはみれど、所詮にせもの、あの人の芸には到底及びもつかない。
本物そっくりの写し絵のはずが、絵師が下手だよ、ありゃいけないよ、どこの池にもいる石亀じゃ、
空など飛べるわけがない。
おっしゃる通り、鵜の真似をするカラスのように、ばたつくだけの私のからす飛びでございます。
ただひたすらにありがたいのは、こんな私をひいきにしてくださったお江戸の皆様のあたたかいご恩。
私には重たすぎる立派な立烏帽子、三番叟の衣裳を故郷へ飾る錦として着させてくださる皆様のお取立て。
五年間誠にありがとうございました。
なまいきではございますが、今日は別れの、そのお祝いでございますよ――。

天の岩戸を開けさせたという神楽のひびき、神楽月だから可愛い我が子の七五三のお祝いをしよう。
刺繍の模様もさまざまに、どんな柄の着物をつくってやろうか。
竹には長寿の祈りを込めて、松の木と同じくらい長生きできますように、
いつまでも変わらぬものと言えば鶴と亀だし、威勢のいい鯛もめでたいし、腰のまがった海老もいい、
腰に熨斗目のついた風にして、もういっそ、宝尽くしの宝船がいいかなあ。
いやあ、めでたいな、めでたいんだよ。
世の中はどこも平和で、高砂うたいたくなるくらいめでたいんだよ、
枯れることのない緑の葉が茂って、うちの子が無事に七五三を迎えた。めでたいよう。
それで、さあどの柄にしよう、鯉の滝登りか、牡丹に唐獅子か、唐松か、
誰もが見とれるまでにあれこれ手を尽くしてやったんだ。
そうして仕立てあがった小袖だよ、いい出来だ。子供に着せて自分も着飾って、連れだって出かけようかね、
父ちゃんの肩に乗せて、氏神様にお参りしよう。
巫女さんの鼓の音がでんつくでん、ヒーヒャラ冴えた笛の音が、十一月の青い空に吸い込まれていくよ。

冴えた目元が美しいと評判の真ん中の娘。
ひたつ長者が嫁に欲しいとお望みだそうだ。
お使いの藤内次郎が栃栗毛の馬にのって、えっちらおっちらお出でなさって、とんとん拍子に話ができた。
嫁入りの日はいつがいいかね、縁を定める大事な日だから、さだんの日から選ぼうじゃないか。
嫁入り道具は何だろうなあ、瑠璃の手箱に珊瑚のくしげ、宝石を敷いた長持ちだってさ、
絢爛豪華な家具の数もぴったりで、気持ちがいいじゃないか。
道具を運ぶ人たちが、祝いの唄を唄っているよ。
♪「あなたがおじいちゃんになるまで、私もずっと一緒にいるわ、
一緒に白髪が生えるまで、ずっとずっと一緒にいるわ」

どこからともなく聞こえてくる、心浮かれる踊り唄。
花が咲きました、黄金でできた花が咲きましたよ。なに言ってんだか。
今を盛りと咲き誇る、それはそれは見事な黄金花だ。
欲しけりゃあげましょうよ、一枝折って、ちなみにそれ、誰にあげるの?
決まってんだろ、惚れた女の髪に飾るのさ。
ほうほうほう、人生恋ですな。いや本当に、生きるって恋だよ、面白いよ。

――すぐにもまた江戸へ上がって今一度のおめみえを願います、今日はその種蒔きでございます。
末永くいつまでも御代が栄えてあるようにと、祈りを込めてお別れといたしましょう。



【能「翁」】

〈内容〉

翁・千歳・三番三(三番叟)が登場し、天下泰平・国家安穏・五穀豊穣を祈って舞う。
全体としてのまとまった典拠はないが、詞章には『梁塵秘抄』『拾遺和歌集』催馬楽などからの引用がある。

〈歴史〉

元は神事の儀式であり、古くからの祝祷の歌舞を原型とするもので、話の筋はなく、作者も特定できない。
演劇としてつくられた能のその他の演目とは、出自の上でまったく異なる。
古くは「式三番」という、三人の老人(父尉・翁・三番猿楽)の舞を連ねたもの。
当初、大寺院で年頭に国土安穏を祈願して行われる「修正会」「修二会」という法会で、
法呪師(ほずし)という僧によって演じられ、
後に「呪師」と呼ばれる通常の猿楽師とは一線を画す宗教的芸能者が演じた。
その後変遷を経て、露払(稚児)→翁→三番猿楽→父尉→延命冠者という構成になり、
やがて父尉と延命冠者が脱落して露払→翁→三番猿楽の形式になる。
露払が現在の千歳、三番猿楽が現在の三番叟にあたる。
現在の「翁」は、応安七年(1374)、京の今熊野神社で観阿弥がつとめた形が原型と伝えられている。
この時から、翁役は太夫のみが演じるものになった。
能楽の形態が確立してからは、公的な催しの際には必ず一番最初に「翁」を演じるものとされ、
内容だけでなく、曲の存在自体が祝祷の儀礼的性格を持っている。

〈その他〉

・翁役はシテ方担当、三番叟は狂言方担当。千歳は観世・宝生ではシテ方、金春・金剛・喜多では狂言方担当。
面箱を運ぶ面箱持は狂言方担当、ただし金春・金剛・喜多では千歳役が兼ねる。
・曲の主役は翁だが、上演時間の上では三番叟が舞う時間が最も長い。
・登場時、面箱持を先頭に、囃子方も含めた全員が幕から出る。囃子方以下も侍烏帽子・素袍上下着用。
・「翁」を上演する際は現在でも、演者は所定の日数別火(家人と炊事の火を別にして接触を断つこと)をする。
当日は面や神酒・洗米・粗塩などを飾った「翁飾り」と呼ばれる祭壇を設け、身を清めてから幕を出る。
・翁、三番叟を主題とする芸能は、能・歌舞伎・浄瑠璃だけでなく、地方祭礼や民間神事としても存在する。



【長唄の三番叟物】

〈概要〉

江戸時代、歌舞伎の劇場公演のかたちが確立すると、
各座は劇場の繁栄を祈って祝祷の儀礼として「翁」を演じるようになった。
江戸では顔見世の初日から三日間、元日、正月興行の初日から三日間の計七日間、
舞踊の名手が「式三番」を踊った。
また、能「翁」が番立(一日のプログラム)の最初に演じられたことを受け、
普段の興行のはじめには、〈番立〉※として、「式三番」を簡略化したもの(三番叟の揉ノ段)が舞われた。
現行曲は、長唄「翁千歳三番叟」(「翁三番叟」「式三番叟」)。
これらは、能「翁」の儀礼的性格を強くひくものと言える。
一方、三番叟は動きが派手であること、面箱持との滑稽なやり取りが含まれることなどが、
一般の観客にも親しみやすかったことから、「翁」の中の三番叟の部分を主題とし、
儀礼としてではなくさまざまな趣向を取り入れた娯楽鑑賞のための舞踊曲もつくられた。

※番立……歌舞伎の劇場で、午前三時から四時ごろ、序幕が開く前に、下級役者が三番叟の揉ノ段を舞って舞台を清め、大入りを祈る儀式。


〈「舌出し三番叟」の系譜〉

寛永頃、初代中村勘三郎(猿若勘三郎)が風流・大小・三番叟の三つからなる演目「乱曲三番叟」を創始。
これを初代志賀山万作が譲り受け、「志賀山家新十六番古今集」を制定する際に裏八番に加えた。
また、「乱曲三番叟」の三番叟の部分だけを、新たに工夫を施した「志賀山三番叟」に変えた。
天明六年(1786)十月、初代中村仲蔵※1が十代目中村勘三郎の襲名を祝う演目として「志賀山三番叟」を披露。
この時江戸の子供の間では、烏帽子をかぶった三番叟の頭から舌が出る「さんべらべっかっこう」という
おもちゃが大流行した※2。
仲蔵は同様の三番叟を、翌年大阪で「寿世嗣三番叟」として舞った。
三代目中村歌右衛門はこの時の三番叟を見習ったと思われ、
江戸興行の御名残狂言として文化九年(1812)に中村座で再現した。
これらの三番叟舞踊はどれも「舌出し三番叟」と通称され、
その名の通り口を開けて舌を見せる振りがついていたとされるが、この所作の出自は必ずしも明確でない。
『日本演劇史』は、「モミ出しの鼓の音に心浮き立ちて、自ら舌を出しながら立ち舞ふという趣向なれば……」
と、初代中村勘三郎の「乱曲三番叟」の時から既に舌を見せる趣向があったとしている。
本曲(歌右衛門の「舌出し三番叟」)の踊りの型としては、
長唄・清元掛合演奏の場合の歌詞「めでとう栄屋仲蔵を」のところで開いた口を指さし、
舌を見せるものが一般的。
ただし、現行では演者・流派や伴奏形態、上演形態によっても異なり、必ず舌を見せるわけではない。

※1 この興行時、仲蔵は初代中山小十郎に名を改めているが、その後仲蔵に復名。
また仲蔵は六代目志賀山流家元でもある。
※2 『江戸語大事典』は仲蔵の三番叟によって舌を出すおもちゃが流行したとするが、
古井戸秀夫氏は、仲蔵の「舌出し」は当時流行のおもちゃをまねたものとしている。



【語句について】

おおさえおさえ 喜びありや 喜びありや 我がこの所より外へは遣らじとぞ思ふ 
 能「翁」の後半で、三番叟の舞が始まる時の最初の謡。
 邦楽の三番叟物は様々な趣向に基づいてアレンジがなされ、歌詞の内容も多様だが、
 この「おおさえおさえ……」の部分は三番叟の象徴的文句として、どの曲でもほぼそのまま引用される。
 能「翁」では、橋掛かりに控えていた三番叟が走り出て、「おおさえおさえ……」と謡いながらまわり、
 常座で「やらじとぞ、思う」と謡い止めてから揉ノ段(三番叟の前半の舞)に入る。
 翁の舞を受けての祝い言葉で、大意は
 「ああ、なんとも喜ばしいことではないか。この喜びを、私はここより他へはやるまいと思う」。

にせ紫
 「似せ紫」は江戸時代に流行した染め物のひとつ。武蔵野にゆかりのある紫草で染めた「江戸紫」は
 江戸を代表する染め物であったが、「似せ紫」は紫草を使わず、蘇芳にミョウバンを混ぜて染めるもの。
 染め物にかけて、本曲のもととなった「寿世嗣三番叟」を初演した江戸役者・中村仲蔵を江戸紫に見立て、
 本曲を舞う大坂役者である自身(中村歌右衛門)を「似せ紫」と謙遜して表現したもの。
 以下、同様の章句が続く。

なかなかに 
 副詞「なかなか」。
 1.なまじっか。 2.かえって、むしろ。 3.とうてい、とても(+打消し表現)。 4.かなり。
 ここでは3.の意。

及ばぬ筆に写し絵も 
 写し絵を描く筆力が至らないこと、未熟なこととかけて、
 仲蔵の芸を真似るが、未熟でうまくいかないことを言う。
 「写し絵」は1.本物を写生した絵。特に役者の姿を描いたもの。
 2.ガラス板に絵を描き彩色したものに光をあてて映し出すもの。映し絵、幻燈。
 ここでは仲蔵の姿を写す(真似る)意で、1。

いけぬ汀の石亀や 
 「いけぬ」は可能動詞「いける」未然形に打消助動詞「ず」連体形がついたもので、
 1.よくない、悪い。 2.いただけない、感心できない、つたない。 3.だめ、めちゃめちゃ。
 4.懐具合が悪い、金に窮する。 5.飲めない、食えない。 等の意。
 ここでは2で、仲蔵の芸を真似ようとしてもうまくいかない、の意。
 また「池」とかけて、次の「汀」(陸の水に接するところ、水際)を導く。
 「石亀」は最も普通な種類の亀で、凡庸なものの例えに用いる。
 力量が足らず、もがいても及ばないことを表すことわざに
 「石亀の地団駄(雁が飛べば石亀も地団駄)」がある。

ほんに  本当に、まことに、実に。

鵜の真似からす飛び 
 ことわざ「鵜の真似をするカラス水におぼれる」(身の程知らずに人の真似をする者は必ず失敗する意)
 にかけて、「からす飛び」を導く。
 「からす飛び」は、能「翁」後半の三番叟の舞にある型。
 「エイ、エイ」と声を掛けながら両足をそろえて高く飛び上る。
 石亀とカラスは、能「翁」に鶴と亀が登場することも意識していると考えられる。

とっぱひとへに有難き 
 「とっぱ」はせかせかするさま、慌ただしいさま。動作などに落ち着きがないさま。
 「ひとへに」は1.ひたすらに、むやみに。 2.まったく、まるで。 
 江戸の贔屓客に感謝する意だが、やや文意不明確。
 『長唄名曲要説』『長唄全集』では、「とっぱひとへに」を「ただ一筋に」と訳している。

花のお江戸の御贔屓を 
 五年にわたる江戸興行で贔屓にしてくれた江戸の見物客のこと。

頭(かしら)に重き立烏帽子 
 贔屓にしてくれた客の恩が重いという意と、かぶった烏帽子が重い意をかけた表現。
 能「翁」では、三番叟は入場時には侍烏帽子をかぶっているが、
 舞が始まる前に先のとがった黒い剣先烏帽子(上が剣先のかたちになった立烏帽子)に変える。

さっぱも己が故郷へは 錦と着なすお取立て 
 「さっぱ」は「雑把(ざっぱ)」と同義か。粗略、粗末なさま。
 前の「とっぱ」と音を重ねた表現。
 立烏帽子を着た今の衣裳を故郷へ飾る錦とさせてくれた皆様のお取立て、の意。
 なお本曲での三番叟の衣裳は、黒字に赤い日の丸の剣先烏帽子に、鶴の模様を大きく首抜きにした素襖。
 鶴の模様は俳号を秀鶴とした中村仲蔵を示す。

をこがましくも
 「をこがまし」は「烏滸(をこ)」=愚か者、馬鹿を語源とする形容詞。
 1.ばかげていてみっともない。物笑いになりそうだ。
 2.出過ぎている。さしでがましい。なまいきだ。
 ここでは2の意。

五年(いつとせ)の 今日ぞ祝ひに さむらふよ 
 三代目中村歌右衛門は文化五年(1808)三月から本曲初演の文化九年九月まで、五年間江戸にいた。
 「今日は五年間いた江戸を離れる、そのお祝いでございますよ」の意。

天の岩戸のな 神楽月とて祝ふ
 「天の岩戸」は、日本の古代神話のひとつ。
 弟スサノオノミコトの粗暴な振舞いに怒った天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩戸に籠もったため、
 天地は闇となってしまった。
 そこで、岩戸の前で祝詞・神楽を奏してアマノウズメノミコトが舞を舞ったところ、心惹かれた天照大神が
 出てきて、世界は再び明るくなった、というもの。
 ここでは、次の「神楽」を導くために置かれた語。
 「神楽月」は陰暦十一月の異称。

ほんその年も 五つや七三ツ見しょうと 
 「ほんそ」は「奔走(ほんそう)」の転。
 1.走ること、かけまわること。 2.物事がうまく運ぶようにあちこち駆けまわって努力すること。
 3.馳走すること。 4.大切にすること、かわいがること。
 また「奔走子(ほんそうご)」で、父母がいつくしみ育てている子供のことをさす。
 ここでは4の意。
 十一月に行う、愛児の五歳、三歳、七歳頃の祝いであるので、全体の文意として七五三の祝い。
 三歳は男女ともに頭髪を伸ばし始める祝い(髪置・かみおき)、五歳は男児がはじめて袴を履く祝い(袴着)、
 七歳は女児が着物の付紐を取り、帯を使い始める祝い(帯解)。
 いずれも古くは、地方や身分によって祝い方に違いがあった。
 現在の様に式日が十一月十五日に固定化され、また「七五三」と通称されるようになったのは
 明治時代に入ってからという。

縫の模様の糸様々に 
 「縫」は縫い取り、刺繍。ここでは七五三の晴れ着に刺繍したさまざまの模様のことで、
 以下着物の模様にかけてめでたいものづくしの詞章が続く。

竹に八千代の寿こめて……宝尽くしやたから船 
 「竹」「松」「鶴」「亀」「たから船」については長唄メモ「老松」「鶴亀」「七福神」など参照。
 「目出鯛」は祝うべきである、喜ばしいの意の「めでたし」に鯛をかけた言い方。
 「海老」は体が曲がっていることが老人を連想させることから長寿の象徴とされた。

やらやらめでたいな 
 「やらやら」は囃し言葉か。

四海波風治まりて 
 謡曲「高砂」の一節による小謡「四海波風静かにて、国も治まる時つ風」による表現。
 婚礼や祝賀の席で謡われたもの。

常磐の枝ものほんよえ 木の葉も茂る えいさらさら
 「のほんよえ」「えいさらさら」は囃し言葉。
 「常磐の枝」は松や杉のように一年中葉の色を変えない常緑樹のこと。めでたいものとされた。

鯉の滝登り
 次の「牡丹に唐獅子」とともに晴れ着のデザインとして表出する。
 中国『後漢書』にある故事で、龍門という滝を昇った鯉が龍になったという言い伝えから、
 人の立身出世の例え。絵や着物の衣装としても好まれた。

牡丹に唐獅子 から松を 
 「唐獅子」は、我が国のしし(猪、鹿)に対して外国の獣(しし)の意。
 狭義にはライオンだが、絵や彫刻の意匠としては、写実的でなく独自の姿に発展した。
 「牡丹に唐獅子」はよく描かれる図柄配置で、取り合わせの良いものの例えとしても言う。
 「から松(落葉松・唐松)」は松の一種、また松を描いた模様の名称。

仕立栄あるよい子の小袖 
 手の込んだ反物が、愛児の小袖に仕立てた時により立派に、美しく栄えるということ。

着せて着つれて参ろかの
 新調した晴れ着を子供に着せ、また付き添う大人自身も着飾って連れだってお参りに行くこと。
 七五三祝いの折、親たちは子供の晴れ着の豪華さを競い合ったほか、
 男親は紋付袴姿、女親もめいめいに着飾って参詣した。

肩車にぶん乗せて
 「肩車」は人を両肩にまたがらせて担ぐこと。
 女児七歳の帯解参りでは、着飾った娘を、父親や出入りの鳶などが肩に担ぐ習わしがあった
 (『絵で読む 江戸のくらし風俗大事典』)。
 この場合、両肩をまたぐのではなく、片側の肩の上に座るかたちをとる。

氏神詣 
 「氏神」は、  
 1.氏人がまつる氏族とゆかりの深い神や祖先神。氏の神。源氏の八幡宮、平氏の厳島明神など。
 2.村落などの共同体が共通の守護神としてまつる神。鎮守、産土神(うぶすながみ)。
 ここでは2.で、「氏神詣」は済む土地の鎮守の神に詣でること、具体的には七五三参り。

きねが鼓のでんつくでん
 「きね」を「杵」とし、「杵が鼓のかたちをしてなぞらえたもの」(『日本舞踊全集』)、
 「杵屋の紋をきかせたもの」(『長唄名曲要説』)とする解説書もあるが、
 文意を考えると「巫覡(きね)」とする方が適当。
 巫覡は神に仕える人で、神楽を奏し、祝詞をあげて神意を聞き、それを人々に伝える仲立ちの役割をした。
 神官・巫女のいずれを指しても言う。

笛のひしぎの 音も冴えたりな 
 「ひしぎ(拉ぎ)」は
 1.力を加えて強く押しつぶすこと。 2.(能楽用語)笛を最上音で「ヒーヤーヒー」と吹くこと。
 3.2から派生し、歌舞伎の黒御簾で、化け物や幽霊の登場の最後に笛の高調子で「ヒー」と吹くこと。
 能「翁」で2が用いられることによる表現と思われるが、文意の上では、広義に神楽の笛の高い音を表す。
 「…たりな」は完了・存続の助動詞「たり」終止形と感動・詠嘆の終助詞「な」で、
 「……ているなあ、ていることだなあ」。 

冴えた目元のしほらしき 
 前の「冴えたりな」に重ねた表現。「冴ゆ」は
 1.冷える。 2.光・乙・色などが澄む。容色などがすっきりと美しい。 3.頭や目の働きが鋭くなる。
 「しをらし」は
 1.優美だ、奥ゆかしい、上品だ。 2.可憐である、かわいらしい。 3.けなげだ、殊勝だ。
 ここでは1または2の意で、「しをらしき」と連体形であるので次の「中娘」の描写。

中の中の中娘を 
 「たくさんいる子供の中の娘」の意。
 本曲初演時の台本を見ると、「天の岩戸のナ」の前に三番叟と千歳の問答があって、三番叟が
 「それがしは徳人のなかにても子徳人にて候ふ」と、十人の子持ちであると語っており、
 その中の娘、ということ。これは天明七年(1787)初演の常磐津「子宝三番叟」の趣向を取り入れたものか。
 ただし上記の三番叟の台詞では、十人の子のうち上五人が女だと言っているので、
 1.十人の真ん中(=五女)か2.女子五人の真ん中(=三女)かは不明。

ひたつ長者が 
 固有名詞と思われるが出典・詳細不明。
 「日経つ」とすると、1.傷病・産後など、日が経つにつれて良くなる。
 2.日が経つにつれて成長する。

嫁にほしいと望まれて 
 前の「ひたつ長者」が主語になるので、「望まれて」の「れ」は尊敬助動詞「る」連用形。
 「嫁に欲しいとお望みになって」。

藤内次郎
 文意から「ひたつ長者」の下人で、婚礼の申し込みに来た者。
 出典・詳細不明。
 (著者メモ:近松門左衛門『雪女五枚羽子板』藤内次郎盛治、岡本綺堂『玉藻の前」藤内兵衛遠光)

栃栗毛
 馬の毛色のひとつ。主毛が暗い褐赤色でやや灰白色、たてがみと尾が黒みがかった褐赤色または灰白色。 

えっちらおっちら
 たどたどしく歩いていくさま、大変そうにゆっくり歩くさま。
 ここでは馬が歩く様子の描写で、大仰に、ととるべきか。

わせられたので
 尊敬の意味を含む動詞「御座す(おはす)」が転じた「わす」未然形に、尊敬助動詞「らる」連用形。
 ここではおいでなさったので、の意。

その意に任せ申した 
 その意=嫁にほしいと望む意志。

縁をさだんの日を選み 
 「縁を定む」と「定(さだん)の日」の掛詞。
 「定(さだん)」は、干支や七曜のように暦に注記される事項のうち、中段に記される「十二直」のひとつ。
 造作・転宅・婚礼には吉日、訴訟・旅立ちには忌日とされる。

送る荷物は何々やろな……玉をのべたる長持に
 嫁になる女性が嫁ぎ先に持参する「嫁入り道具」の描写。
 古くは、荷の数で嫁の評価が決まったり、財産分けの意味合いがあったりして、
 実家は力を入れることが多かった。
 「手箱」は手回りの小道具を入れる小箱、「櫛笥」は櫛などの化粧道具を入れる箱、
 「長持」は衣服などを入れる大きな箱で、
 ここではそれぞれが宝飾品でつくられた非常に富裕でめでたい様子を表している。

数もちょうどのいさぎよや 
 「ちょうど」は前の櫛笥や長持といった家具の意の「調度」と、数に過不足がないさまの「丁度」の掛詞。
 丁度は次の「百」につながる。

〔様はなア 百までなアヽエ……生ゆるまでナアヽエ〕 
 前出の嫁入り道具を運ぶ人足が唄う、長持唄。類歌に、
 「そなた百迄、おりや九十九迄、共に白髪の、生ゆる迄」(『延享元年小哥しゃうが集』)
 「そなた百迄、わしや九十九迄、共に白髪の、生ゆるまで」(『春遊興』)など。

※長持唄
 民謡のひとつ。神事・婚礼などで長持を運ぶ人々がうたう祝い唄。
 全国各地で行われるが、宮城県のものが有名。

心浮き立つ踊り唄
 長唄・清元掛合演奏の場合の詞章では、「あら喜ばしの尉が身と」の後に続く詞章。
 「踊り唄」は踊りの時にうたう唄で、続く「花が咲き候……」の部分をさすか。

花が咲き候……てもさても見事な黄金花 
 流行歌等の典拠があると思われるが未詳、調査中。

てんこちない
 とんでもない、とほうもない、思いもかけない。
 生まれ持っての才能=「天骨(てんこつ)」が無い、を語源とし、非難すべき様を言う語に転じたもの。

欲しかおましょぞ
 「おましょぞ」は「御参らす(おまゐらす)」から転じた近世語で、与える・やるの謙譲語「おます」。
 欲しければさしあげましょうよ、の意。

いとし女郎衆
 「女郎」は1.上臈、官女。 2.遊女。 3.接尾語として女性の名前の後につける親愛称。
 『長唄名曲要説』では、「「上臈」という語源から出た一般女性の通称と解する方がこの場合適当」として、
 「女郎衆」は嫁入りした女房のこととするが、花嫁と解するには「衆(複数あるいは集団)」が不適当か。
 続く「恋の世の中」という章句から考えても、「花が咲き候」以降を別段と考えて、単に遊女、
 あるいは広義に女性と解する方が適切に思われる。

かざしの花
 髪やかんむりにさす花や草葉。

実 恋の世の中
 「実」はここでは副詞で、「実際に、本当に」の意。
 
すぐにもあがり御目見得を 又こそ願ふ種蒔や 
 初演時は「すぐにも帰り」。
 大阪に帰るが、またすぐにでも江戸へ戻って来て皆様にお会いすることを願う、本曲はその種蒔きだ、の意。
 本名題の「再春菘種蒔」も同様の意味をきかせている。
 なお歌右衛門はこの言葉の通り、翌々年の文化十一年(1814)五月、再び江戸中村座に出演している。

千秋万歳 万々歳の末までも 賑はふ御代とぞ舞ひ納む
 初演時は「賑はふ芝居と」。「千秋万歳」は千年も万年も、転じて永遠。また永遠や長寿を祈る言葉。
 能「翁」では、翁の詞として「千秋万歳、喜びの舞なれば、一舞舞はふ万歳楽」、三番叟の詞に
 「この色の黒い尉が、今日のご祈祷を千秋万歳、所繁昌と舞ひ納めうずる事は、何よりもって易う候」とある。



【成立について】

文化九年(1812)九月、中村座初演。長唄・清元(当時は豊後路)掛合の舞踊曲。
本名題「再春菘種蒔(またくるはるすずなのたねまき)」。
二代目杵屋正次郎・伊藤東三郎作曲、二代目桜田治助作詞。
清元だけで演奏する場合は「種蒔三番叟」、
長唄だけで演奏する場合は、「種蒔三番叟」という別曲があるため「舌出し三番叟」「志賀山三番叟」とも。

初代清元延寿命太夫がまだ豊後路晴海太夫を名乗っていたころの作品。
大坂から江戸に来て人気を博した三代目中村歌右衛門が、五年ぶりに大阪へ帰る際の御名残狂言として初演。
天明六年(1786)、初代中村仲蔵(俳号・秀鶴、六代目志賀山万作)が「寿世嗣三番叟」を初演、
翌年大阪でも披露した。
これを幼少期の歌右衛門が見習った縁があったことから、
仲蔵ゆかりの中村座を去る際の御名残狂言として、舌を出す振りが特徴的な仲蔵の三番叟を再現した。
(『歌舞伎年表』『手前味噌』ほか)


【参考文献】

渥美清太郎校訂『日本戯曲全集二七 舞踊劇集』春陽社、1928-33
天野文雄「能の『翁』はどのようにして生まれたのか」梅原猛・観世清和監修『能を読む一』角川学芸出版、2013所収
池田彌三郎「さんばの語源を遡る」『季刊邦楽』7号、邦楽社、1876.4
伊原敏郎『歌舞伎年表 五』岩波書店、1960.6
伊原敏郎『日本演劇史』早稲田大学出版部、1904.3
→『近世文芸研究叢書 第二期芸能篇二、歌舞伎二』所収
梅原猛・観世清和監修『能を読む一 翁と観阿弥―能の誕生』角川学芸出版、2013
梅原猛「「翁」―能の誕生」梅原猛・観世清和監修『能を読む一』角川学芸出版、2013所収
稀音家義丸『長唄囈語』邦楽社、2015.3
九重左近『江戸近世舞踊史』萬里閣書房、1929.12
小林責・西哲生・羽田昶『能楽大事典』筑摩書房、2012.1
小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集58 謡曲集一』小学館、1997.5
西園寺由利『長唄を読む二』小学館スクウェア、2014.9
三代目中村仲蔵著・郡司正勝校註『手前味噌』青蛙房、新装版2009.3
利倉幸一『七世坂東三津五郎 舞踊藝話』演劇出版社、1977.9
古井戸秀夫『新版 舞踊手帖』新書館、2000
古井戸秀夫編『歌舞伎登場人物事典』白水社、2006.5
町田佳聲「長唄の三番叟をたどる」邦楽社『季刊邦楽』7号、1876.4
松岡心平「翁芸の発生」梅原猛・観世清和監修『能を読む一』角川学芸出版、2013所収
松本亀松「能の翁」邦楽社『季刊邦楽』7号、1876.4
DVD『坂東三津五郎 舞踊の世界 復刻版二』アドメディア
ほか



【参考:長唄・清元掛合「舌出し三番叟」】

〈清〉その昔 秀鶴(ひいずるつる)の名にし負う 志賀山ぶりの三番叟
〈唄〉にせ紫もなかなかに 及ばぬ筆に写し絵も いけぬ汀の石亀や ほんに鵜の真似からす飛び 
〈清〉とっぱひとへに有難き 花のお江戸の御贔屓を 頭(かしら)に重き立烏帽子 
〈唄〉さっぱも己が故郷へは 錦と着なすお取立て をこがましくも五年(いつとせ)の 
〈清〉今日ぞ名残りに(祝ひ)に 〈唄〉さむらふよ 
〈唄〉天の岩戸のな 神楽月とて祝ふほんその年も 五つや七三ツ見しょうと 縫の模様の糸様々に 竹に八千代の寿こめて 
〈清〉松の齢の幾万代も 変らぬためし鶴と亀 ぴんとはねたる目出鯛に 海老も曲りし腰のしめ 宝尽くしや宝船 
〈清〉ようようめでたいな 〈唄〉四海波風治まりて 
〈清〉常磐の枝ものほんよえ 木の葉も茂る えいさら鯉の滝登り 牡丹に唐獅子 唐松を 見事に見事に 
〈唄〉さっても見事に手を尽くし 仕立栄あるよい子の小袖 着せて着つれて 参ろかの 肩車にぶん乗せて
〈清〉乗せて参ろの氏神詣 杵が鼓のでんつくでん 
〈唄〉笛のひしぎの 音も冴えたりな 冴えた目元のしほらしき 中の中の中娘を ひだつ長者が 嫁にほしいと望まれて 
〈清〉藤内次郎が栃栗毛に乗って エイエイエイ えっちらおっちら わせられたので その意に任せ申した
〈唄〉さて婚礼の吉日は 縁をさだんの日を選み 送る荷物は何々やろな 瑠璃の手箱に珊瑚の櫛笥 玉をのべたる長持に 数もちょうどのいさぎよく
〈清〉様はなア 百までなアヽエ わしゃ九十九までなアヽエ 
〈唄〉ともになア 白髪のなアヽエ 生ゆるまでナアヽエ 

〈清〉嫁とは言えど世間見ず 駕籠の内外(うちと)の思わくが はつかしみじみ案じられ 袖に添い寝の新枕 交わす言葉もなんと言て どうした宵の口と口
〈唄〉女夫(めお)の銚子の盃も 呑まぬうちから殿御にのまれ 耳より先に染めて濃き 顔も紅葉の色直し それから床に差し向かい 怖さ半分 嬉しさも 先へはいでず後退り
〈清〉互ひに手さへ鶏鐘の 声がとりもち ようようと 空けゆく空を月にして
〈唄〉妹背結んで女夫仲(みょうとなか) 睦まし月と岩田帯
〈清〉やがて孫 曾孫玄孫をもうけ 末の楽しみ この上や 〈唄〉あら喜ばしの尉が身と 

〈清〉心浮き立つ踊り唄
〈唄〉花が咲き候 黄金の花が てんこちない 今を盛りと咲き匂ふ てもさても見事な黄金花 
〈清〉欲しかおましょぞ 一と枝折りて そりゃ誰に いとし女郎衆のかざしの花に ホオヤレ 恋の世の中
〈唄〉実恋の世の中 〈清〉おもしろや 
〈清〉直ぐにもあがり御目見得を 〈唄〉又こそ願ふ種蒔や 千秋万歳 
〈清〉万々歳の末までも 賑はふ芝居と舞ひ納む