春 の 調
元治二年(慶應元年・1865)三月成立
作詞 未詳
作曲 二代目 杵屋勝三郎

〈本調子〉
千歳見ん 野辺の小松にひきそへし 霞の衣手に触れて
ゆかり嬉しきつぼすみれ 住むかひありて常磐なる めでたき御代にあい竹や
影も緑の草の戸に いつしかうつる鴬の 初音をここにしめゆいて
豊かな時も如月の 袖や袂を吹く風に とけてのどかな雪の山
実にいつまでも限りなき 実にいつまでも限りなき
松と竹とに契る齢は


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


初春から早春にいたるまでの野山の情景と、泰平の御代や長寿を願う詞でつづられた穏やかな一曲です。
「野辺の小松」は「初春(正月)」「長寿」を連想させる言葉です。
平安時代、正月最初の子の日には、野原に出かけ小松を引き抜いて長寿を祈る「小松引き(子の日の遊び)」
という行事が行われていたことに由来します。
また、「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つ今日の風やとくらむ」や、
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」などの和歌が残るように、
「風」は春の訪れを告げるものとされていました。
本曲の「袖や袂を吹く風」も雪解けを誘う優しい春風だったことでしょう。
さて、本曲がつくられた時代背景に目を向けてみると、意外なことに気づきます。
本曲の成立は元治二年(1865)三月ですが、この言い方は正確ではありません。
その翌月、「元治」という元号はわずか一年あまりで「慶応」に改められてしまったからです。
前年には、禁門の変で朝敵となった長州藩を罰するために幕府が出兵。
一方の長州藩は、薩摩藩との連携をもくろんで、水面下で動き始めていました。
つまり、政情の不安定と社会不安と理由に元号が改められるほど、国は動乱の中にあったのです。
本曲ののどかな雰囲気とはうらはらに、「めでたき御代」はすでに終わりを告げていたのでした。
それでも、どんな年も風が必ず春を連れて来るように、いつかふたたび豊かで平穏な時代が訪れるように。
本曲には、そんな願いが込められているように思います。



【こんなカンジで読んでみました】

これから千年先まで長寿を保つ、野辺に生えたばかりの小松に春の霞がかかる。
添えた手に誰かの衣がふれて、そのご縁に、つぼすみれまで紫に色づく。
今この時を生きるかいがあって、竹のようにまっすぐな、揺るぎのない、めでたい御代に出合いたいな。
春の気配が、若葉のめぶく庵の戸にもいつのまにか訪れた。
今日はじめて聞いた鴬の声を、ここに結び付けてとどめておけば、豊かな時代もきっと来るはず。
袖や袂を揺らして吹く二月の風に、雪ももうじきとけはじめて、山はのどかな春の眺め。
松と竹とにあやかって、誰の命もかぎりなく長く続くよう、
春のこの時のような穏やかな時がつづくように祈ります。



【語句について】

〔千歳見ん……ひきそへし〕
 小松引きを表す。
 「子の日する野辺に小松のなかりせば千世のためしに何をひかまし」(『拾遺和歌集』巻一・二三壬生忠岑)
 「子の日してしめつる野辺の姫子松ひかでや千代のかげを待たまし」(『新古今和歌集』巻七・七〇九)
 等のように、「子の日」「(野辺の)小松」「ひく」「千代(千歳)」の語句を用いて、
 新春の行事である子の日の遊びを詠み、新年をことほぐ和歌が散見する。

千歳見ん 
 「千歳」は1.千年、せんざい。 2.多くの年。数えつくせないほどの年。
 「見ん」は「見る」に意志・勧誘の助動詞「む」撥音便が接続したもので、見ようの意。

野辺の小松
 野原に生えている小さな松。
 平安時代、新年の最初の子の日に、野原に出て、小松を引き抜いて長寿を祈る行事が行われた。
 これを「子の日の遊び」あるいは「小松引き」と言う。
 「千代のためしの数々に 何をひかまし姫小松」(長唄「鶴亀」)
 「鴬の初ねの今日に袖連れて 引くや小松の千代の影 心長閑けき春遊び」(長唄「初子の日」)

ひきそへし
 「ひく」は前の「小松」と後の「霞」の両方について言う。
 「引き添ふ」は、1.あるものに他のものを添え加える。 2.引き合いにだす。
 ここでは1で、野辺の小松に霞がかかるさまを言うか。

霞の衣
 霞を衣装に見立てて言う語。
 ここでは、霞が広がるさまとともに、小松引きをする手に誰か異性の衣が触れるさまを重ねて言うか。

ゆかり
 1.つながり、関係、よすが。 2.夫婦や血縁関係にあるもの。縁者。
 3.「ゆかりの色」の略で、紫色のこと。
 『古今和歌集』の和歌「紫の一本ゆゑに武蔵野の草は皆がらあはれとぞ見る」により、
 愛しい人と縁のある人のことを「紫のゆかり」、紫のことを「ゆかりの色」と別称する。(長唄メモ「助六」)
 ここでは1だが、次の「つぼすみれ」の色(3)も示唆する。

つぼすみれ
 歌語としてすみれの別名とも、すみれの一種とも解される。
 古くから春の代表的な野の花として詩歌に詠まれているが、
 この場合は個別の一種をさしているわけではなくすみれの総称と考えられ、
 花の色もむらさき、うすむらさき、白などさまざまであったと思われる。
 現代の「つぼすみれ」が指すのは、すみれの一種で、白い花弁に紫色の筋が入ったもの。
 なおここでは前の「衣」を受け、襲(平安時代の衣を重ね着した時の色合い)の
 「つぼすみれ」(表が紫、裏が薄青)の意味も含ませるか。

住むかひありて
 「かひ(効・甲斐)は
 1.行動の結果としてのききめ、効果。 2.してみるだけの価値、値打ち。
 1.で解すれば「住んできただけのかいがあって(生きてきただけのかいがあって)」、
 2.で解すれば「住むだけのこと(価値)があって」。

常磐なる(「常磐なり」)
 元は「常磐(とこいは)=永遠に変わらない大岩」の意。
 1.常に変わらないこと。永久不変。
 2.樹木の葉が一年中緑であること。常緑。

めでたき御代
 「めでたし」は、1.魅力的だ、心ひかれる。 2.りっぱだ、みごとだ、すばらしい。
 3.祝う価値がある、慶賀すべきだ。
 本稿では「常磐なるめでたき御代」で「揺るぎのない素晴らしい時代」の意で解釈した。

あい竹や
 「合いたし」と「竹」を掛けた表現か。

影も緑の草の戸
 「影も見ゆ」と掛けて「緑」を導き、さらに「緑」から「草(の戸)」を導くか。
 「影」は光り輝くものの意で、転じて光に浮かび上がる姿・形、光を受けて生じる明と暗の現象を表す。
 ここでは姿、あるいは気配の意か。
 草の戸は、草ぶきの粗末な家の戸。また、そまつな住まいのこと。草庵。

(鴬の)初音をここにしめゆいて
 『日本舞踊全集』解説では「染木綿(しめゆう)のようにしみこんで」、
 『長唄名曲要説』解説では「かたく結ぶ意」と解釈している。本稿では後者を採用した。

豊かな時も如月の
 「豊かな時も来」と「如月」(陰暦二月)を掛けた表現。

袖や袂を吹く風に とけてのどかな雪の山
 雪をとかす風としては、立春の頃に吹く風が想起される。
 二十四節季をさらに細分化した七十二候の一つに「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」があり、
 これは立春(二十四節季の第一)の初候にあたる。
 現在の暦では二月四日~八日ごろにあたり、「東風が氷をとかしはじめる頃」といった意味。
 なお、近代以前の旧暦(太陰太陽暦)は新月の日を朔日とする月の満ち欠けに基づいたものであり、
 一方二十四節季は太陽の(黄道上の)見かけの高さを基準にした季節区分であるため、
 旧暦の場合は現在の二月四日のように日付が固定されるものではない。
 本曲の詞章では前に「如月」とあるが、
 旧暦の場合、立春は前年の十二月後半から一月前半がほとんどであることから、
 ここでは単に「袖や袂を揺らす春風」といった意味か。

実にいつまでも限りなき 松と竹とに契る齢は
 松・竹ともに冬の間も枯れず緑を保つことから、寒中に咲く梅と合わせて「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」
 として中国・宋代の文人画の画題となった。
 これが日本に伝わり、「松竹梅」としてめでたいものの代表的存在となった。
 松・竹ともに長寿であること、繁殖力・生命力が高いことが縁起物とされた理由だが、
 加えて竹は成長が早いこと、まっすぐに伸びることが好まれた。
 ここでは、詞章冒頭で小松、続いて竹を登場させたことを踏まえて、
 松と竹に劣らぬほどの長寿を願っている。



【成立について】

元治二年(慶應元年・1865)三月成立。
作曲 二代目杵屋勝三郎。作詞者不明
西園寺由利氏は、同年成立の四代目杵屋弥三郎作曲「寿」と共通する語が多いことから、
作詞者不明ながら同一人物による作詞で、勝三郎と弥三郎が競作したのではないかとの推論を示している。

【参考文献】
西園寺由利『長唄を読む 三』小学館スクウェア、2014.9