二人猩々




酒売り「これは唐土かねきん山の麓 揚子の里に高風と申す民にて候
さても吾親に孝あるにより ある夜不思議の夢を見る
揚子の市に出でて酒を売るならば 富貴の身となるべしと
教へのままになす業の」

年たち時来りけるにや 次第次第に富貴の身となりて候

酒売り「またここに不思議なる事の候 市ごとに来り酒を呑む者の候が
盃の数は重なれども面色は更に変らず候程に余りに不思議に存じ
名を尋ねて候へば 海中に住む猩々とかや申し候程に
今日は潯陽の江に出でて かの猩々を待たばやと存じ候」

潯陽の江のほとりにて また傾くる盃の 影をたたへて待ち居たり
老いせぬや 老いせぬや 薬の名をも菊の水 盃も浮び出で
友に逢ふこそ嬉しさよ 友とし馴じむ黄金の 泉を汲まん盃に 
我が影うつす楽しさと 早や市倉につきにけり

酒売り「客人には御出でありしか 酒は瓶にたたえて候」

そもそも酒のその徳を いざや語って聞かせんと
柄杓に扇とりそへて 第一酒は百薬の 長寿を保つ薬水(くすりみず)
まづ正月は屠蘇白散(びゃくさん) 弥生は桃酒桜色
皐月は花の菖蒲酒 文月は星合の雲の間に間に巡りくる
七百余歳のためしには 彭祖(ほうそ)が菊酒くまもなし
理や白菊の 着せ綿を温めて 酒をいざや汲まうよ

ところは潯陽の江の内の酒盛り 猩々舞を舞はうよ
葦の葉の笛を吹き 波の鼓どうと打つ 
声澄み渡る浦風の 秋の調べや残るらん [舞合方]

我はただ 酒にのみこそ 身をまかせつつ 
酒は葡萄酒 養命酒 保命酒 薩摩の国の泡盛
養老酒 不老酒 千村は甘露の名薬 次第にもつれた盃
汲めや汲め汲め 泉の壺に 又立ち寄りて呑うだり 面白や

よも尽きじ よも尽きじ 万代までの 竹の葉の酒
汲めども尽きず 呑めども変わらぬ 
秋の夜の盃 影も傾く
入江に浮き立つ 足元はよろよろと 
酔に臥したる枕の夢の 覚むると思へば泉はそのまま 
尽きせぬ家こそめでたけれ

(歌詞は『日本舞踊全集』所収のものに従い、表記を一部改めた。
また一部助詞等の異同については、謡曲詞章に従って改めた。
〔 〕はCD「長唄 二人猩々・俄獅子」歌詞表記による異同)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

世の中には納得のいかないことが多々あります。
なかでも腹に据えかねるのが、お酒を飲む人の振る舞い。
「飲めません」と断っているのに無理やり勧めてくる人や、
普段はきちんとしているのに、飲んだとたん馬鹿みたいに大騒ぎする人。
次の日には「頭が痛い」「気持ちが悪い」と愚痴をこぼし、
挙句の果てに「ごめん、昨日のことは覚えてない」。
なんなんですか。まったくもって、私には理解ができません。
……と、実は、これは私の言葉ではありません。
『徒然草』一七五段に記される、兼好法師の言葉です。
お酒をたしなまれる方には、耳の痛いところもあるのではないでしょうか。
七〇〇年も前からお酒は私たちの身近なところにあり、
お酒を飲む人と飲まない人の攻防は変わらず続けられているのかと思うと、少しおかしくもあります。

さて、本曲「二人猩々」では、このお酒が重要なキーワードになっています。
元になっているのは、能の「猩々」です。
昔、唐土にいた高風という孝行者が、夢のお告げで酒売りとなり、酒好きの「猩々」という不思議な霊獣に
尽きることのない酒壺を授けられて富み栄えた、というお話です。
この能のストーリーを元につくられたのが、長唄「二人猩々」です。
歌詞を読むだけでは分かりませんが、所作事では題名の通り、普通二人の猩々が登場します。
現在演じられる能に登場する猩々は一人だけですが、
古い謡曲の詞章には、猩々が高風に夫婦二人での再来を約束するものがあります。
また、類曲の能「大瓶猩々」では、猩々が五人もしくはそれ以上登場しますから、
長唄「二人猩々」はそれらの影響を受けたものとも考えられています。
曲中に二か所ある酒尽くしの詞章は、謡曲にはなく、長唄で独自に加えられたものです。
最初の詞章では五節句にちなんだ酒を、二つ目では薬酒を中心とする酒の名を挙げ、
酒を飲むことの幸せを歌います。
猩々は、人の言葉を理解し、酒を好んだと伝えられる中国の伝説上の霊獣。
中国では不可思議な獣として伝えられるだけでしたが、
日本では、先に紹介した能でのイメージが広く伝えられ、
孝行者に富を授ける福の神として親しまれるようになりました。
本曲に描かれる猩々も本当にお酒が大好きな様子。
高風の元に現れても、孝行をほめるでもなく、ただただ酒をほめ、
「我はただ、酒にのみこそ身を任せつつ――」と、酔いに任せて、月光の下で舞を舞うばかり。

先ほどお酒を飲む人をずいぶん辛辣に批判していた兼好法師も、
酒の全てがきらいだと言っているわけではありません。
雪月花の美しい頃、心のどかに語り合うときの盃は興を添えるものである。
何となくものさびしい日、友がやってきて交わす一献には、心が慰められる。
心おきのない者同士で差し向かいで飲むのは楽しい、
身分の高い人が自分にだけ特別に「もう一つどうだい?」と声をかけてくれるのは、なんだか嬉しい――。
兼好法師が言う通り、お酒があることで輝きを増す場面は、たしかにあります。
たとえば大声で叫びたいほど嬉しかった日の乾杯、たとえば消えてしまいそうに寂しい夜のグラス。
そんな風に、自分にとって忘れられないお酒のシーンがある人生は、
とても豊かなものであると思います。
とすると、月下の猩々のように、
酔いがもたらすめまぐるしい時間に身をゆだねることも、時には正解なのかもしれません。

最後に、お酒を飲まれる方へ兼好法師からのメッセージをひとつ。
「さは言へど、上戸はをかしく、罪ゆるさるる者なり」
色々文句を言ってみても、酒を飲む人は楽しくて、結局許せてしまうもの、だそうですよ。



【こんなカンジで読んでみました】

高風
「わたくしは唐土かねきん山の麓にある揚子の里に住む、高風という民でございます。
さて、私は日頃親に孝行を尽くしておりましたためか、ある夜不思議な夢を見ました。
揚子の市に出て酒を売れ。そうすれば富み栄え、貴い身分となるだろう、というのです。
怪しみながらも夢が教えるままに酒売りを家業としましたところ……」

年が過ぎ、幸運の時がめぐってきたということでしょうか。
夢は正夢となり、次第に富貴の身となったのでございます。

高風
「もうひとつ、不思議なことがございます。
市ごとに私の元へ来て酒を飲む者がいるのですが、
この者、盃を何杯も重ねて浴びるほどに酒を飲んでも、顔色ひとつ変えません。
余りに不思議に思い、名を尋ねてみましたところ、
「海中に住む猩々」などとか申しておりましたので、
今宵は潯陽の入江まで赴き、その猩々とやらを待ってみようと思っております」

潯陽の入江のほとりにたたずみ、月影の映る盃を傾けながら、高風はひとり待った。

老いることない、老いることがないとな。
不老の薬とも呼ばれる菊の水、それが酒だよ。
盃に月が浮かび出たなら、我も自ら浮かび出ようぞ、やあ、我が友高風、そして我が友酒よ。
友のように馴染んだ酒、酒を満たした盃に、我が影を映す楽しさといったらない、
たまらず早々と市倉に参ったぞ。

酒売り
「これは猩々、私のお客人がおいでになりましたか。さあ、酒は瓶になみなみとたたえてございます」

これは嬉しや。
それでは酒のその徳を、酒を汲む柄杓に舞を舞う扇も取り添えて、いざや語って聞かせよう。
第一に、酒は百薬の長という、長寿を保つ薬水という。
まず正月に飲む酒は、屠蘇白散の薬酒。
弥生の節句に飲む白酒は、頬を桜色に染めるだろう。
五月の端午の節句には菖蒲酒にて邪気を払い、七月は星合を待ちながら盃を交わす。
星を待って雲間を眺めているうち、いつしか時はめぐるという。
七百余年が過ぎたという、彭祖が良い例ではないか。
その命を保った菊の酒、見てごらん、くもりなく輝く秋の月を。
長寿を保つのももっともなことだ。
さあ、白菊にかぶせた綿を温めて重陽の節句の酒を、さあさあ、酒を汲もうではないかよ。

潯陽の入江、他に誰もなく、二人きりの酒盛りはすすむ。
さあ、猩々舞を舞おうではないか。
囃子を揃えるには及ばぬ、猩々舞には葦の葉の声が笛、波の打ち寄せる音が鼓。
澄み渡って吹く浦風の声こそ秋の調べ、空高くに響き残って。

何を考えることもない。ただ酒に身を任せるまでだ。
酒は何が良い、葡萄酒、養命酒、保命酒、薩摩の国の泡盛も良い。
養老酒、不老酒、千村は甘露の妙薬だ。
酔ったか酔わぬか、次第に盃がもつれ合おうとも、
まだまだ汲めや汲め、酒の壺にまた立ち寄ってまた飲んで、ああ愉快だ。

それ高風。そなたにこの酒壺を授けよう。
よもや尽きることはあるまいよ。
万代まで続く竹の長寿も、竹葉の別名を持つ酒の泉も。
汲んでも汲んでも尽きることはない、飲んでも飲んでも変わることもない。
長い秋の夜、盃に映った月も傾きはじめる頃、
入江に浮かび上がる足元はよろよろと、やがて酔いに眠り込む。
目覚めた高風、さては夢かと眺めれば、猩々が授けた酒壺はそのままに、
酒が尽きることはなく、その家は末長く富み栄えたという、めでたいことだ。



【猩々】

中国の伝説上の怪獣。
猿に似て体は朱紅色の長毛でおおわれ、顔はヒトに、声は子どもの泣き声に似る。
人語を理解し、酒を好むとされる。
猩々にまつわる言説は中国から日本に伝播したが、
中国では「珍獣」あるいは「怪獣」と考えられていたのに対し、
日本では神性を付帯された「聖獣」とする言説が多く、両国の間に大きな違いがある。
中国では、最古の地理書といわれる『山海経』に「猩々」の名があり、「人の名を知る」と記される。
また『礼記』の「猩々能く言へども禽獣を離れず」という記述からは、
猩々が人の言葉を話すものと思われていたことが分かる。
中国の記事では、毛が赤色という記述は見つからない。
以下、中国の記事にある猩々を列記すると、
酒が好きで、酒樽を用意しておくとその中に入るので、そこを捕らえる。
猩々の血が染料として珍重された(『後漢書』)
その血をもって毛織物を染めると色が良い(『華陽国志』)
その唇が食用として珍重された(『呂氏春秋』)
などがある。
この「血が染料として用いられた」という説が、猩々が「猩々緋」と呼ばれる赤い姿で描かれるようになった
要因と考えられる。
中野美代子氏は猩々の原型(モデル)について、
「スマトラとボルネオにのみ棲息するオランウータンのことがインドシナ半島に伝わり、
それがさらに中国人にも伝わったのかもしれない」と推察している(『孫悟空の誕生』参考文献参照)。
日本に伝承した時期は未詳だが、承平年間(931~938)成立の『和名類聚抄』に記載がある。
また、酒を好むものとして『曽我物語』『義経記』などにも名が挙がり、
『義経記』の「酒を好みし猩々は、樽の辺に繋がるる」という記述からは、
「酒によって捕獲される」ことも伝わっていたことが分かる。
「猩々=酒を好む怪獣」というイメージを一変させたのは、謡曲『猩々』である。
謡曲に登場する猩々は、酒を介して孝行者の高風に富を授ける、いわば福神として描かれる。
この謡曲「猩々」によって、孝行者に富貴を授ける「福の神」としてのイメージが広まり、
近世以降は酒好きで陽気な福の神として全国の祭礼で祀られた。
寿老人に代わって七福神のひとりに数えられることもある。
なお中国には、猩々を福神とする説話はない。
さらに日本における猩々は、「酒好きの福の神」にとどまらず、さまざまに発展した。
例えば、「疱瘡神は赤を嫌う」という俗信から、全身が赤い猩々は疱瘡除けの神としても信仰を集めた。
また、各地に残る説話では、海から現れて船人に害をなす、船幽霊の系譜に位置する猩々像もある。
(本稿中、中国の記事については一部原本未見)



【謡曲「猩々」「枕慈童」】

「猩々」
(概要)
五番目物(切能)。祝言能として年末に上演されることが多い。
成立は応永三十四年(1427)、作者は世阿弥周辺の観世座の役者かと推定されている
(『能を読む』「猩々」小誌による)。
和漢に伝えられている猩々の説話をもとに、孝行の功徳としての富貴繁栄を描くもの。
シテの猩々は、赤い童顔の猩々の面をつけ、赤頭・緋大口・赤地の唐織を身につけた赤一色の扮装。
「乱(みだれ)」という小書(=特殊演出)がついており、中ノ舞を乱にかえて上演することがある。
この場合、番組名(曲名)も「猩々」ではなく「乱」もしくは「猩々乱」と記される。
なお、本来は前半の市の場面が前場として演じられていたが、
祝言能(半能)として一日の最後に演じられることが多かったことから簡略化され、
室町時代以降は高風の台詞の中で述べられるかたちに省略されている。

(あらすじ)
唐土の金山(かねきんざん)に住む高風という男が出てきて、次のように語る。
「私が親孝行であるしるしであろうか、ある夜、不思議な夢を見た。
“揚子の市で酒を売れば富貴の身になるだろう”というその夢のお告げに従ったところ、
お告げどおりに豊かな身の上となった。
ところでもうひとつ、不思議なことがある。
私のところへ市ごとにやってきて酒を飲む者があるが、いくら飲んでも顔色が変わらない。
名を尋ねると“海中に住む猩々だ”と名乗り、酒壺を抱いて水中に入ってしまった。
私は潯陽の河のほとりで、酒をなみなみとたたえて猩々を待つことにしよう」
高風が待っていると、猩々が現れ、高風に出会ったことを喜んで、酒に酔いつつ舞を舞う。
そして高風に、酒が泉のように尽きることなく湧き出る壺を与えて酔い臥し、
高風もまた眠り込んでしまう。
目覚めた高風が夢かと思うと、壺はそのまま残されていて、高風の家は末長く栄えた。


「枕慈童」
(概要)
四番目物。作者・成立年代不明。観世流では曲名「菊慈童」。類曲に「彭祖」。

(あらすじ)
魏の文帝の使いが薬水を求めてレッケン山に赴くと、
山奥の菊の咲き乱れた仙境で、慈童という童顔の仙人に出会う。
慈童は古い時代の王に仕えていた者だが、ある時、王の枕をまたいだ罪でこの山に流された。
その折、法華経の妙文を菊の葉に写して流れに浮かべたところ、
葉からしたたる雫が不老不死の薬となり、慈童は何百年も年をとらなかった。
慈童は使いの前で舞を舞い、帝に長寿を捧げて祝いを述べる。
ほぼ同内容の謡曲「彭祖」では、慈童の名前を彭祖とする。



【語句について】
※謡曲「猩々」と共通する詞章部分の語句解説は、『新編日本古典文学全集59 謡曲集二』頭注を参照した。

〔酒売りの台詞〕
 ほぼ謡曲どおりの詞章。
 酒売り・高風が、自分を富貴に導いた霊夢の内容と、猩々との出会いについて語る部分。
 所作事の演奏では、一部省略もしくは全省略されることが多い。

唐土かねきん山
 中国揚子江沿岸の山。
 「きんざん」という名の山には、他に「径山」と書くものもあるため、
 「金山」を「かねきんざん」、「径山」を「こみちきんざん」と呼んで区別したという。

揚子の里
 『謡曲集二』によれば、架空の地名、もしくは揚子江に臨む里の意かという。

富貴の身
 富んで貴いこと。財産が豊かで位が高いこと。

年たち時来りけるにや
 年が経ち、幸運の時がめぐってきたのだろうか、の意。

海中に住む
 謡曲詞章のまま。
 「海」はいわゆる海洋だけでなく、大きな湖や沼を指してもいうことから、
 大河である揚子江を「海」と表現したか。
 また日本では、猩々を海洋に棲むとする説話も多く、揚子江を海とする誤解があったとも考えられる。
 本稿では広義に「水中」と解釈した。

潯陽の江
 中国・江西省北部の九江付近を流れる揚子江の異称。

また傾くる盃
 「盃を傾ける」は酒を飲むこと。何度となく盃についだ酒を飲む様子。

影をたたへて待ち居たり
 「影」は、1.光。 2.(光によって生まれる)影。
 3.(光が映し出す)すがたかたち。また、水面や鏡に映ったかたち。
 ここでは3で、盃の中の酒に月の姿を映して、の意。

老いせぬや
 「老いることのない」の意の「老いせぬ」に、詠嘆の意の間投助詞「や」がついたかたち。

薬の名をも菊の水
 文意は「薬の名でもあるとも聞く菊の水」。
 「菊」は「聞く」と「菊」の掛詞。
 中国・河南省にある白河の支流で、この川の崖上にある菊の露を飲んだ者が長命したと伝えられることから、
「菊の水」は不老長寿の水。また、転じて酒の異称。

盃も浮び出で
 「盃(さかづき)」に「月(つき)」の意を掛け、盃に満たした酒に月の姿が浮かび出ること。
 また言外に、猩々が水中から浮かび出ることも含む。

友に逢ふこそ嬉しさよ
 主体は猩々で、「友」は高風と酒の両方をさしている。

早や市倉につきにけり
 「市倉」は「肆(いちぐら)」とも。
 「市座(いちくら)」の意で、古代、市場で売買や交換のために商品を並べて置いたところ。
 ここでは高風の台詞にあった「揚子の市」のことで、猩々が酒を求めてやってきた、という文意と思われるが、
 高風は揚子江のほとりで猩々を待っているので、やや矛盾する。

酒のその徳
 「徳」は、ここではめぐみ、恩恵の意。
 狂言「餅酒」では、
  そもそも酒は百薬の長として寿命を延ぶ、その上酒に、十徳あり、
  旅行に慈悲あり、寒気に衣あり、推参に便あり
 と酒の徳が挙げられている。
 なお、この狂言「餅酒」には、十の徳すべては挙げられていない。
 天保四年(1843)刊の随筆『雲萍雑志』記載の「酒の十徳」は次の通り。
  礼を正し。労をいとひ。憂をわすれ。鬱をひらき。気をめぐらし。
  病をさけ。毒を解し。人と親しみ。縁をむすび。人寿を延ぶ。

柄杓に扇とりそへて
 酒を汲む柄杓を手にしているところに、扇も持ち添えて舞を舞う、の意か。

〔第一酒は百薬の……酒をいざや汲まうよ〕
 長唄独自の詞章。
 人日(もしくは元旦)、上巳、端午、七夕、重陽の五節句を連ねて、それにまつわる酒を列挙する。

百薬の 長寿を保つ薬水(くすりみず)
 「百薬の長」と「長寿を保つ」を掛けた表現。
 「酒は百薬の長」は、適度に飲む酒はどんな薬にも勝る効能がある、ということ。
 『漢書・食貨志下』の「それ塩は食肴の将、酒は百薬の長、嘉会の好、鉄は田農の本」による。
 なお「酒は百薬の長、されど万病の元」ともいい、これは『徒然草』一七五段の
 「百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそおこれ」を元にしたことわざ。
 「薬水」は、古くは仏僧界で用いられた酒の隠語。

正月は屠蘇白散(びゃくさん)
 単に「屠蘇」とも。
 年始用の祝い酒として、家族全員で飲む慣習のある薬酒(薬草などを混ぜた薬効のある酒)。
 中国から伝わった風習で、
 山椒・防風・桔梗・蜜柑皮・肉桂皮などを調合し、紅絹の三角袋に入れ、
 これをみりん酒などに入れて飲む。

弥生は桃酒桜色
 「桃酒」は白酒の別称。三月三日の節句に供される。「ひなの酒」とも。
 「桜色」は桃と花の名を重ねつつ、白酒を飲んで顔が赤らむ様子をいう。

皐月は花の菖蒲酒
 「菖蒲酒」は、菖蒲の根をつけた酒。
 邪気を払い万病に効くと伝えられ、三月三日の節句に飲んで健康を祈った。

文月は星合の雲の間に間に巡りくる
 「星合」は、七月七日に牽牛と織女が出会うこと。
 いわゆる「七夕」は、古くは朝廷の年中行事で、宴で酒を飲んだ(長唄メモ「五色の糸」参照)。
 また近世には、夫婦和合のしるしとして酒を飲んだ。
 また、星がめぐるはるかな時間の連想から、次の「七百余歳」を導く。

七百余歳のためしには 彭祖(ほうそ)が菊酒くまもなし
 「菊酒」は菊の花を酒にひたしたもの。寿命を延ばす効果があるとされる。
 九月九日の節句に催される重陽の宴では、長寿を願い、盃に菊の花びらを浮かべた菊酒を飲む。
 「彭祖」は謡曲「彭祖」で、レッケン山に住む仙人の名。
 不老の菊水を飲んで七百歳の齢を保つ者と名乗り、帝の使いに菊水を授ける。

理や
 「もっともだ、道理だ」の意。
 謡曲では、
 「三寸(みき)と聞く、名も理や秋風の、吹けども吹けども、さらに身には寒からじ、理や白菊の」
 (酒のことを「三寸」というのはもっともだ、飲めば秋風が吹いても寒くない、
 風が三寸先を吹いているようだ)。

白菊の 着せ綿を温めて 酒をいざや汲まうよ
 前の「理や」を受けて、「白菊」は「知らる」の意を含む。
 「菊の着せ綿」は、菊の花に綿をかぶせて花の香りと露を移したもの。
 また重陽の節句の前夜、この綿で体を拭って長寿を願った祝儀のこと。

猩々舞
 猩々による舞。
 『謡曲集二』頭注は、「猩々舞」と熟した表現になっていることから、
 当時既に物真似芸として成立していた可能性を指摘している。

葦の葉の笛を吹き 波の鼓どうと打つ 
 「葦の葉の笛」は、葦の葉を巻いて笛のように吹くこと、もしくは葉のすれ合う音を笛の音に例えたもの。
 (『謡曲集』頭注による)
 「波の鼓」は、波の音を鼓の音に例えた表現。

声澄み渡る浦風の 秋の調べや残るらん
 「澄んだ音で吹き渡る浦風が奏でる秋の調べが、響き残ることだ」の意。

我はただ 酒にのみこそ 身をまかせつつ 
 「我」は猩々で、酒の酔いに身を任せながら舞を舞う様子。

〔酒は……もつれた盃〕
 長唄独自の詞章で、種々の酒の名称を列挙する酒尽くし。

葡萄酒
 ぶどうの酒を発酵させてつくる酒。ワイン。
 ワインは西洋渡来の酒だが、江戸初期の本草書『本朝食鑑』などに記載があり、
 当時から日本独自のぶどう酒があったことが分かる。
 また、発酵酒(いわゆるワイン)とは別に、加熱した果汁と焼酎、泡盛をあわせる混成酒としての
 ぶどう酒もある。

養命酒
 滋養強壮の薬酒の酒銘。
 その歴史は古く、養命酒製造株式会社のホームページに拠れば、
 慶長七年(1602)信州伊那の谷・大草(現在の長野県上伊那郡中川村大草)の塩沢家当主・塩沢宗閑翁が
 創製したという。
 また塩沢家に残る古文書には、文化十年(1813)、当時の尾張藩主が
 養命酒の製法や内容についてたずねたという記載があるとのことで、
 当時からその名が広く知られていたと推察される。

保命酒
 養命酒や不老酒のような固有の酒銘ではなく、
 複数の薬酒を混成し、毎日少量ずつ、保健用に飲む薬酒の総称。

薩摩の国の泡盛
 「泡盛」は沖縄県(琉球)特産の米焼酎で、日本の国産焼酎の元祖といわれる。
 琉球使節の献上品のひとつであったが、
 琉球産のものとは別に、薩摩国でも製造されていた。

養老酒
 美濃国高田産の地酒で、養老滝伝説にちなんで名づけられた。
 梅亭金鵞の滑稽本『妙竹林話 七偏人』(初編1857年)に
 「足元も養老酒となるまで召し上がり、これは江戸一と御保命酒にあづからば……」とあり、
 当時から江戸でも知られていたことが分かる。

不老酒
 飲めば歳をとらない不老不死の妙薬にちなんだ酒銘。
 播磨国明石のものが有名だが、各地の同名の酒がある。

千村は甘露の名薬
 「千村」は未詳だが、酒銘と思われる。
 「名薬」は、「よくきくという評判の薬、名高い薬」の意の「名薬(めいやく)」を訓読したものか。

次第にもつれた盃
 酒がすすみ、酔いがまわってきた様子。

よも尽きじ
 「よもや、尽きることはあるまい」の意。

万代までの 竹の葉の酒
 竹が長寿の象徴であることを踏まえ、「万代までの竹」と「竹の葉の酒」を掛けた表現。
 「竹の葉」は酒の異称である「竹葉(ちくよう)」の訓読。

秋の夜の盃
 「盃」には「月(つき)」を掛け、次の「影も傾く」を導く。

影も傾く 入江に浮き立つ 足元はよろよろと 
 謡曲では「入江に枯れ立つ」で、次の「足元」に水辺の「葦」の意を掛ける。
 夜が更け、秋の月が傾くなか、葦の繁る入江で酒を飲み続ける猩々と高風の酔いがすすむ様子。

酔に臥したる枕の夢の 覚むると思へば泉はそのまま 
 酔いがまわり眠り込んでしまった高風が、目覚めて夢かと思ったが、
 猩々からもらった酒壺はそのまま残されていた、の意。

尽きせぬ家こそめでたけれ
 高風が猩々から授かった酒壺=泉が「尽きせぬ」の意と、
 その後高風の家が栄えていくさまをことほぐ「尽きせぬ家」の意の両方が掛かる。



【成立について】

河原崎座の寿狂言になっていたが、作者は不明で、その後途絶。
渥美清太郎『邦楽舞踊辞典』によれば「多分、文化頃九世杵屋六左衛門あたりの作曲と云はれている」。
明治七年(1874)七月、河原崎座で新たに上演された。
この時の別題「寿二人猩々」、大薩摩・長唄の掛合で、作曲・三代目杵屋正次郎、作詞・初代竹柴金作。
現在のかたちは、大正九年(1920)十一月、市村座で上演されたときに、
四代目杵屋巳太郎が編曲したものという。



【参考文献】

渥美清太郎『邦楽舞踊辞典』冨山房、1936.8
岩井宏實監修『ビジュアル版 日本の妖怪百科』河出書房新社、2015.5
梅原猛・観世清和監修『能を読む 三』角川学芸出版、2013.5
王冬蘭「「猩々」イメージの変遷―中国の怪獣から日本の霊獣へ」
『帝塚山学術論集』6号、帝塚山学術論集編集委員会編、1999.12
大島 建彦「福神としての猩々」『西郊民俗』223号、2013.06
岡田 章雄「猩々と酒造業者(歴史手帖)」『日本歴史』300号、 日本歴史学会、1973.5
荻生待也『日本の酒文化総合辞典』柏書房、2005.11
小松和彦ほか編『日本怪異妖怪大事典』東京堂書店、2013.7
小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集59 謡曲集二』小学館、1998.2
実吉達郎『中国妖怪人物事典』講談社、1996.7
中野美代子『孫悟空の誕生―サルの民話学と「西遊記」』岩波現代文庫、岩波書店、2002.3
 →初出玉川大学出版部、1980.10
橋本朝生・土井洋一校注『新日本古典文学全集58 狂言記』岩波書店、1996.11
山田 厳子「福神としての猩々―沼島の「酒手畑」伝承考」『西郊民俗』181号、2002.12
ほか



【その他】稿者覚え書き
『日本音曲全集 長唄全集』所収の歌詞は以下の通り。

有難やさながら仙家の薬水 尽きせぬ泉ぞめでたき
潯陽の江のほとりにて 菊をたたへて夜もすがら 月の前にも友待つや 
又傾くる盃の 影をたたへて待ち居たり
老いせぬや老いせぬや 薬の名をも菊の水 盃も浮み出でて 
友に逢ふぞ嬉しき この友に逢ふぞ嬉しき
御酒と聞く 御酒と聞く 名も理や秋風の 吹けども身にも寒からじ 理や白菊の
着せ綿を温めて 酒をいざや汲まうよ
賓人も御覧ずらん 月星は隈もなし
所は潯陽の 江の内の酒盛り 猩々舞を舞はうよ
葦の葉の笛を吹き 波の鼓どうとうち 声澄み渡る浦風の
秋の調べや残るらん [舞合方]
そもそも酒は百薬の 長寿を保つ薬水(やくすい)
まづ正月は屠蘇白散(びゃくさん) 弥生は桃酒桜色
五月は花の菖蒲酒 文月は星合の 雲の間に間に巡りくる
七百余歳の例しには 彭祖(ほうそ)が菊酒くまもなし
汲めや汲め汲め泉の壺に 又立ち寄りて飲うだり 面白や
よも尽きじ よも尽きじ 万代までも竹の葉の酒
汲めども尽きず 飲めども変わらぬ秋の夜の盃 影も傾く
入江に枯れ立つ 足元はよろよろ 酔に臥したる枕の夢の
覚むると思へば泉はそのまま 尽きせぬ家こそめでたけれ