石  橋
文政三年(1820)四月

作曲 四代目 杵屋三郎助(後の十代目六左衛門)
[謡ガカリ] 
これは大江の定基出家し 寂照法師にて候 我入唐渡天の望候うて波涛を越え これは早石橋にて候 
向ひは文殊の浄土清涼山にて候程に このあたりに休らひ橋を渡らばやと思ひ候 

〈本調子〉 
松風の 花を薪に吹き添へて 雪をも運ぶ山路かな 
樵歌牧笛の声 人間万事様々に 世を渡り行く業ながら 余りに山を遠く来て 雲又跡を立ち隔て 
入りつる方も白浪の 谷の川音雨とのみ 聞こえて松の風もなし 実にあやまって半日の客たりしも 
今身の上に知られつつ 妻木背負うて斧かたげ 岩根烈しき 岨伝ひ 小笹を分けて歩み来る 
如何にそれなる山人 これは石橋にて候か さん候 これは石橋にて候よ 向ひは文殊の浄土にて 
清涼山とぞ申すなり よくよく御拝み候へ 我身の上を仏慮に任せ 橋を渡らばやと思ひ候 
暫く候 そのかみより 名を得給ひし高僧 貴僧と聞こえし人も 此処にて月日を送り給ひ 
難行苦行捨身の行にてこそ 橋をも渡り給ひしか 
獅子は小虫を喰まんとても 先づ勢ひをなすとこそ聞け 
我が法力のあればとて 容易く思ひ渡らん事 あら危ふしの御事や 
謂れを聞けば有難や なほなほこの橋の謂れ 詳しく御物語り候へや 語って聞かせ申すべし 

[大薩摩]
それ 天地開闢のこのかた 雨露を降して国土を渡る これ即ち天の浮橋とも云へり 
その外国土世界に於いて 橋の名所様々にして 水波の難をのがれては 万民富めり世を渡るも 
則ち橋の徳とかや 然るにこの石橋は 巌峨々たる岩石に 己れと架かる橋なれば 石橋とこそ名付けたれ 
実にこの橋の有様は その面僅にして 尺よりは狭う 渡せる長さ三丈余り 苔は滑りて足もたまらず 
谷のそくばく深きこと 数千丈とも覚えたり 遥かに峰を見上ぐれば 雲より落つる荒瀧に 
霧朦朧と闇うして 下は泥犁も白波の 音は嵐に響き合ひて 虚空を渡るが如くなり 
橋の景色を見渡せば 雲に聳ゆる粧ひは 譬はば夕陽の雨の後 虹を成せるその形又 
弓を引ける如くにて 神変仏力にあらずしては 進んで人や渡るべき 
向ひは文殊の浄土にて 常に笙歌の花降りて 簫笛琴箜篌 夕日の雲に聞ゆべき 目前の奇特あらたなり 
暫く待たせ給へや 影向の時節も今幾程によも過ぎじ [狂ヒ合方]

獅子団乱旋の舞楽のみぎん 獅子団乱旋の舞楽のみぎん 牡丹の英匂ひ満ちみち 
大巾利巾の獅子頭 打てや囃せや牡丹芳 牡丹芳 黄金の蕊現はれて 花に戯れ枝に臥し転び 
実にも上なき獅子王の勢ひ 靡かぬ草木もなき時なれや 
万歳千秋と舞納め 万歳千秋と舞納め 獅子の座にこそ直りけれ