都 風 流
昭和二十二年(1947)
作詞 久保田万太郎
作曲 四代目 吉住小三郎 二代目 稀音家浄観
〈三下り〉 
これよりして お馬返しや羽織不二 ふじとしいえばつくばねの 
川上さして行く船や 芦間がくれにおもしろき 
白帆の影の夏めきは せんなり市の昼の雨 草市照らす宵の月 柳のかげに虫売りの 市松障子露くらき 
つゆの声々ききわけて 鉦を叩くはかねたたき ふけては秋に通ふ風 

〈本調子〉
菊供養 菊の香もこそ仲見世の 人波わけてうちつるる 
わけて一人はとしかさの 目につくあだなさしぐしも 
はや時雨月しぐれふる べったら市の賑いも きのうにすぎておしてるや 
酉の日ちかき星の影 引けは九つなぜそれを 四つといふたか吉原は 拍子木までがうそをつく さのエ

〈二上り〉 
おはぐろどぶにうつる火も 明けてあとなき霜晴れの 
くまでにかかる落葉さへ 極月今日ぞ年の市 境内うめし 雪の傘 


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ここに「都風流」のほんの一部をYouTubeで紹介しています 見られない方はこちらへ

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 帝国劇場で開催された長唄研精会・第四百回記念演奏会で初演された曲です。
作曲は四世吉住小三郎と二世稀音家浄観(前名・三世杵屋六四郎)。
明治以来、近代の長唄を牽引してきた両巨星は、この唄をもって長唄研精会を引退しました。
 作家・久保田万太郎による詞には、浅草・吉原界隈の初夏から冬の情景が描かれます。
それは誰も知らない遙か昔の江戸の姿ではありません。
万太郎が、小三郎が、浄観が共に生きた「東京」の姿であり、
この時まさに消えていこうとする時代の面影でした。 
 生涯にわたって浅草を愛し続けた久保田万太郎の詞は、
かつての東京に満ちていた夜の闇や、菊の香りに満ちた秋風の冷たさまでをも描き出します。
小三郎と浄観が紡いだ囁き交わすような虫の声、もの寂しげな新内流しの音色も、
今はなき町の記憶を伝えます。
 時は昭和22年。
東京は戦争の焦土から立ち上がり、新たな時代を駆けていこうとしていました。
この唄にいくつかの忘れ物を残したまま。


【浅草の年中行事】
 久保田万太郎は随筆「季感」〔『浅草風土記』昭和三十二(1957)年刊 所収〕に、
『「菊市」のつぎは「べつたら市」、「べつたら市」のつぎは「酉の市」、
「酉の市」のつぎは「年の市」である。
「菊市」「べつたら市」といへば「時雨」を、
「酉の市」といへば「霜夜」を、「年の市」といへば「雪」を感じるのは
われへが最後だらう』と述べている。

「都風流」に描かれる年中行事や風物は以下の通り。

富士詣 陰暦6月1日から21日までの間に富士山に登り、山頂の富士権現社に参詣すること。
そこから派生して、5月末日から6月1日に江戸市中に分祀した富士権現社に
参詣し、富士山を模した富士塚に登ることが流行した。
『増補江戸年中行事』〔著者不明・享和三(1803)年刊〕に 
「六月朔日 富士参り 前日晦日より参詣群衆す。駒込・浅草砂利場・高田馬場近所」
とある。

四万六千日 観音菩薩の縁日である陰暦7月10日に参詣すること。千日参りとも。
この日参詣すれば四万六千日参詣したと同じ功徳があると言われる。
ほおずき市が開かれるが、これは元は赤いトウモロコシを売るもので
あったらしく、前出の『増補江戸年中行事』にはほうずきの記述はない。
『浅草繁昌記』〔明治四十三(1910)年刊、実力社〕には
「…七月十日は特に境内雑踏を極め、赤蜀黍(もろこし)及び青酸漿(ほおずき)
を売る。赤蜀黍は雷神除の呪となり青酸漿は小児の虫気を去り、
大人の癪気を去る効ありといふ」とあり、
この頃には青いほおずきが売られていたことがわかる。

草市  盂蘭盆会に供える草花や精霊棚の飾りものなどを売る市。
陰暦の7月12日・13日に開かれた。
「十三日 精霊会、かざりもの・草市所々に立」(前出『増補江戸年中行事』)

虫売り 夏から秋にかけて、蛍や鈴虫などの鑑賞用の虫を売る人。
『東都歳時記』〔斎藤月岑、天保九(1838)年刊〕に
「虫売、縁日ごとに出る、虫籠の細工に手をつくして、美麗なるものあり」
との記述がある。

菊供養 浅草寺で10月18日(古くは旧暦9月9日の重陽の節供)に行う法会。
参詣者は境内で買った菊を階前に供え、
帰りにそこに供えてあった菊を引きかえに持ち帰る。
浅草寺で菊供養会が始まったのは明治三十一(1898)年、
菊花展(観菊展)は戦後の昭和二十七(1952)年。

べったら市 浅草ではなく日本橋宝田恵比寿神社の市。
中央区大伝馬町一帯の通りで毎年10月19・20日に開かれる
べったら漬け(浅漬け大根)の市。
古くは翌日の恵比寿講の諸道具を売る市だったが、
のちにべったら漬けが名物となった。

酉の市 11月の酉の日に行われる関東各地の大鳥(鷲)神社の祭礼。
一の酉・二の酉…といい、三の酉まである年は火事が多いという。
祭神はもと武運を司る神であったが、後に開運の神として信仰された。
縁起物の熊手やヤツガシラなどが売られる。
「酉の市 毎年十一月の酉の日に、浅草田圃龍泉町の大鷲神社祭典ありて、
それと相接する新吉原は、この日を一年中の書入となし、
大門のほかなる三方の非常門を開きて、出入を自由ならしむ、
娼妓は昼見世を張り、諸商人は諸所に出店し、その混雑繁昌は名状すべからず…」
(前出『浅草繁昌記』)

年の市 年末に、新年の飾りもの・食品・台所用品などを売る市。
各寺社で開かれたが、『増補江戸年中行事』に「江戸大市なり」とあるように、
浅草寺は江戸第一の賑わいをみせた。
「十七日 今明日、浅草寺年の市。当寺境内は云に及ばず、(中略)
裏手の方は山の宿砂利場に満て夥し、此日吉原の賑ひいふも更なり」
(前出『東都歳時記』)


【語句の意味】
これよりしてお馬返しや羽織不二
  江戸の俳諧師・画家であった酒井抱一の句。
  抱一は姫路藩主であった酒井忠以の弟で、江戸生まれ。
  洗練された大名文化の中に育ち、
  長じてからは大田南畝・加藤千蔭ら文化人と交流を持った。
  二十代から吉原に通い続け、洒落本にも名が載るほどの通人でもあった。
  句は浅草の富士詣に集まる人々に寄せて詠じたもので、句集『屠龍之技』に収まる。
  「お馬返し」は富士山などの山道で、道が険しくそこから先は徒歩以外では進めないため、
  乗ってきた馬を返す地点のこと。「羽織不二」は後ろから見た富士山のこと。

つくばねの 筑波山のこと。
  富士山と筑波山はともに江戸から眺められる山で、
  特に隅田川を舞台とするときには歌詞「不二としいえばつくばねの」の通り、
  対で名をあげられることが多い(「岸の柳」「梅の栄」ほか多数)。

川上 富士山と筑波山が登場しているので、この川は隅田川と分かる。

芦間がくれ 川べりに密生している芦と芦の間に見えつ隠れつ船がいく、ということ。

おもしろき ここでは「面白おかしい」という意味ではなく
     「風情があって良い、見ていて気持ちが良い」といった意味。

夏めき 「夏めく」は夏らしくなる、という意味だが、
    ここでは「ときめき」「ぞめき」と同じく名詞として用いられている。夏らしさ。

せんなり市 「せんなり」はものが多く実ること。
       柿・茄子・ひょうたんなどに使う表現だが、
       ここでは「せんなり市」で浅草寺のほおずき市のこと。【浅草の年中行事】参照。

草市 【浅草の年中行事】参照。

虫売り 【浅草の年中行事】参照

市松障子 格子を利用して二色を交互に並べて市松模様になるように配した障子。
     前出『浅草風土記』に、吉原仲之町の「市松の油障子」に関するくだりがある。
     人家の障子のことだが、同時に市松格子の虫かごを表すか。

露くらき 不明。

つゆの声々 1.「つゆの」がはかないもの、わずかなことの比喩で、かすかな声。
      2.露虫(キリギリス科の昆虫)の声。

かねたたき 1.鉦をたたいて経文などを唱え、代価として金品を乞い歩く人。
      2.コオロギ科の昆虫。雄はチンチンと鉦を叩くように鳴く。

菊供養 【浅草の年中行事】参照。

仲見世 浅草寺門前の商店街。

としかさ 他より年齢の多いこと。またその人やそのさま。

あだ  「婀娜」で、1.たおやかで美しいさま。 
          2.女性の、色っぽくなまめかしいさま。
          3.物事が色っぽく洗練されているさま。
    ここでは2.の意で、近世末期以降は粋な感じも含んでいった。

さしぐし 蒔絵・象牙・鼈甲などでつくった、飾りとして女性の髪にさす櫛。

時雨月 陰暦10月の異称。

時雨 主として晩秋から初冬にかけての、降ったりやんだりする雨。

べったら市 【浅草の年中行事】参照。

おしてる 「押し照る」で、光がくまなく光るさま。
     本来は日やつきの輝きに対して使う語だが、ここでは次の「星の影」のことを言う。

酉の日 【浅草の年中行事】参照。

引けは九つ~嘘をつく 久保田万太郎作詞・山田正太郎作曲の小唄。

引け  「引け」はその日の勤務・課業が終わることで、
    特に吉原で遊女が張見世を終了すること。
    遊郭の引けの時間は本来四つ(午後10時)だが、
    吉原では九つ(午後12時)まで、2時間の営業延長が黙認されていた。
    そのため実際には九つにあたる時間に、四つとみなして拍子木を打った。
    これを実際の四つ(「鐘四つ」)に対して、「木の四つ」「引け四つ」と言った。

おはぐろどぶ 遊女の逃走を防ぐために、吉原の三方に巡らした溝。
       遊女がおはぐろの汁を捨てたからという説や、
       おはぐろの汁のようにいつも黒く濁っていたからという説がある。

霜晴れ 1.冷え込んで霜が降りそうな夜。  2.また霜が降りた日の快晴。
    ここでは「明けてあとなき」から、翌朝の快晴の空をさす。

くまで 前の「酉の日」と酉の市の縁でつながる。

極月 陰暦12月の異称。

年の市 【浅草の年中行事】参照。


【こんなカンジで読んでみました】
ああ、すごい人だね。
この人出を見て、抱一は「これよりして」の句を詠んだというよ、
お富士さまが来りゃ夏も本番だ、これから暑くなるね。
ほら、川面をごらんよ。
白帆の船がゆらゆら上ってくのが芦の隙間から見えるじゃないか、
結構な眺めだよ、筑波の峰も日差しに霞んで夏らしいや。
…だけどお前、夏らしいったって、何もお天道さまがまぶしいばかりが夏らしさじゃない。
いいかい、たとえば四万六千日さまのほおずき市だ、
昼さがりの暑い盛りだよ、人がこうずっと詰めかけているところにざーっと通り雨がきて、
人がみんなあわてて右往左往する。
ね。それから盂蘭盆の草市。
日が暮れて、ようやく涼しい風が吹いてきたなあと思う頃、
中空にぽっかりとお月さんが浮かんでくる。
柳の根元の暗がりを見てごらん、虫売りが店を出しているよ。
ほう、この市松格子の虫かごはうまく作ったもんだ。
中ではかねたたきがチンチンと、はは、露虫の声に拍子をあわせるようじゃないか。
顔を上げてみれば、あすこはどこの家だったろう。
市松模様の粋な障子からかすかに漏れる声を頼みに、かねたたきが念仏を唱えだした。
夜更けの風がずいぶん冷たくなったね、秋が更けてきたってことだ。
重陽の節句だよ、仲見世中が菊のいい香りだ。
あの二人づれ、ほら、人波の中だよ。
いい姐さんたちじゃないか。いや、私は若い方より年増の方だな、
あのさしぐしがなんともあだっぽい。
おっと、しぐれてきたね。
もう10月かい、つい昨日日本橋のべったら市が終わったと思ったが、もう酉の日だ。
酉の市はね、参拝を済まして熊手を買ったら、星を眺めながらぶらりぶらり歩くに限るんだ。
今日は裏から仲之町に抜けられるだろう。
引けは九つ…って、ははは、お前みたいな若い人にも、この文句がわかるかい?
仲之町の騒ぎに比べて、このおはぐろどぶの静けさはどうだ。
真っ黒な水に、不夜城の明かりがちらちら映るばかりだ。
新内流しの音が小さく聞こえてくる、なんともうら寂しいもんだが、
もっとも朝になればすべて夢の跡さ。
霜晴れの真っ青な空は気持ちがいいが、
朝一番の掃除は熊手を持つ手が冷たいだろう。落ち葉がひっきりなしだ。
もう年の瀬も間近だよ。
今日は年の市だもの、境内はすごい人出さ。
ほら、誰も彼もどこか浮かれた顔じゃないか。
そういうお前は正月の準備は済んだのかい。
ああ、雪が降ってきた。積もりそうな雪だ。
明日の朝には少し早起きしてみるといい、きっと庭がずいぶんきれいだろうよ。
そうこうする内にまた新しい年が来る。月日が経つのは早いもんだ。
そのうち東京にこんな光景があったことを、誰もが忘れちまう日がくるのかもしれないね。
だから、よおく覚えておくといい。
東京はこんなに風流な都だったってことをね。


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鉄七ブログ「笑う門には福来る」「都風流」