俄 獅 子
天保五年(1834)十月

作曲 四代目 杵屋六三郎
[鼓唄]〈二上り〉 
花と見つ 五町驚かぬ人もなし 
なれも迷ふやさまざまに 四季折々の戯れは 紋日物日のかけ言葉 
蝶や胡蝶の禿俄の 浮れ獅子 見返れば 花の屋台に見えつ隠れつ色々の 姿やさしき仲の町 
心づくしのナ その玉章も いつか渡さん袖のうち 心一とつに思ひ草 よしや世の中 
狂ひ乱るる女獅子男獅子の あなたへひらり こなたへひらり ひらひらひら 
忍ぶの峰かかさね夜具 枕の岩間瀧つ瀬の 酒に乱れて足もたまらず 他処の見る目も白浪や 
ヤア秋の最中の 月は竹村 更けて逢ふのが間夫の客 ヨイヨイ 辻占みごと繰り返し 
なぜこのように忘られぬ 恥ずかしいほど愚痴になる というちゃァ無理酒に 
なんでもこっちの待ち人 恋のナ 恋の山屋が豆腐に鎹 しまりのないので 
ぬらくらふらつく嘘ばかり ヨイヨイヨンヤナ 宵から待たせてまた行かうとは 
エエあんまりなと膝立て直し 締ろやれ たんだ打てや打て 打つは太鼓が取り持ち顔か 
拗ねて裏向く水道尻に お神楽蕎麦なら少し延びたと囃されて 
ちんちん鴨の床の内 たんたん狸の空寝入 抓った跡のゆかりの色に 打って変った仲直り 
あれはさ よい声かけや ヨイヤナ しどもなや 

〈三下り〉 
人目忍ぶは裏茶屋に 為になるのを振捨てて 深く沈みし恋の渕 
心がらなる身の憂さは いっそ辛いぢゃないかいな 逢はぬ昔が懐かしや 
獅子に添ひてや戯れ遊ぶ 浮きたつ色の群がりて 夕日花咲く廓景色 
目前と貴賤うつつなり 暫く待たせ給へや 宵の約束今行くほどに 夜も更けじ [狂ヒ合方]
獅子団乱旋の舞楽もかくや 勇む末社の花に戯れ酒に伏し 
大金散らす君たちの 打てや大門全盛の 高金の奇特あらはれて 
靡かぬ草木もなき時なれや 千秋万歳万々歳と 豊かに祝す獅子頭

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)


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先に成立していた長唄「相生獅子」の歌詞を元に、吉原の秋の行事である俄の様子を盛り込んで、
吉原の悲喜こもごもを描いた曲です。
「相生獅子」の歌詞(http://www.tetsukuro.net/nagautaed.php?q=127)と、ぜひ比べてみて下さい。
「相生獅子」は、男女の恋模様をつがいの獅子に見立て、
謡曲「石橋」の荘厳な歌詞を引用して、優美な世界を描きます。
一方の「俄獅子」が唄うのは、遊女と客の乱痴気騒ぎや痴話げんかに、夜更けの間夫との忍び会い。
獅子もののキーワードや似た音の言葉を利用して「相生獅子」の歌詞をなぞりつつ、
「聖」「雅」の世界を、全く正反対の「俗」の世界に見事に転換してしまいました。
吉原の行事や名物だけでなく、男女の思惑が交錯する廓のさまを生々しいまでに活写した歌詞は、
洒落本や評判記などと比べても決してひけをとらない、
江戸時代の吉原を今に伝える、すぐれた文芸のひとつだと思います。



【こんなカンジで読んでみました】

花かと思ったね。俺は。
いっやー、吉原五町を目の当たりにすれば、誰だって驚くわ。
お前もハマッた?ハマッたでしょ? 花見に七夕に八朔の雪に、一年中飽きさせない遊びの数々、
でも言っとくけどね、紋日物日ってアレ、お客集めの意味も掛けて設定してるわけよ。
中でも九月の吉原俄は格別だね。
禿がチョウチョみたいにふわふわ着飾って、町を浮かれて練り歩く獅子の周りをちょこちょこしてる。
人混みの中から振り返ってみれば、造花で飾った屋台の上に、いずれ劣らぬ美女たちが見え隠れ。
ヨッ吉原仲之町、日本一!

言い尽くせない気持ちの全部、手紙に書いてみたんだけど、
いつかは渡そうと思いながら、ずっと袖の中にしまったままなんだけど、
かなり本気であの人を想ってるんだけど、――あーあ。こんな世の中、もうどうでもいいわ。

色に狂った男がひらり、恋に乱れた女がひらり、あっちとこっちに行きかうばかり、 
ひらりひらりとつかまらない。

高く積んだ重ね布団が、ふたりを隠す清涼山。
とすると、枕が岩だね、で、岩の間を酒がだーっと、瀧みたく流れてるわけ、
あー飲み過ぎたかも、ちょっとあんたふらふらじゃなーい、へへ足がふらついて、抱きついちゃおっかなー、
って、ハタからは相当白い目で見られてますけど、特に気にしないタチなんで。

吉原名物竹村謹製「最中の月」、みたいなまんまるお月さんがぽっかり浮かぶ秋の夜、
間夫の客には夜更けにこっそり逢うものです。
「思いが叶うと出た占い、ずーっと見てるの、あんたのことが一時も頭から離れない、
あんたのこと考えてると、恥ずかしいくらいバカになっちゃうの……」
とか言われちゃったもんで、飲みたくない酒ヒマつぶしにだらだら飲んで、待ちぼうけ食ってる男がひとり。
恋の山に迷い込んだら何を言っても豆腐にかすがい、男もまるでだらしないね。
それにつけ込んで女ときたら、のらりくらりの嘘ばかり。あ、吉原に来たなら山屋豆腐は食べていきなよ。
「あのさ、俺ァ宵から待ってんだぜ、それがやっと来たと思ったらまた別の客んとこ行くっつーのかよ、
そりゃあんまりだろっ」
と男が膝立て詰め寄れば、
まま、落ち着きましょ、ほら太夫もお謝んなさい、ちゃんとなさいましね、と太鼓持ちが仲を取り持つ。
そんな風に言わなくたっていいじゃないっ。
ほら女がすねて後ろ向いちゃった。
後ろの奥の水道尻に来てるお神楽そばなら、持ってくる間に少しのびちゃうね。あれ?あれれ?
拗ねた様子見て、ちょっと鼻の下のばしてなーい? のばしてるよー、と囃されて
結局仲良くお床入り。狸寝入りは照れ隠し?
「いじわるっ。」とか言ってつねった跡がイテテ、紫になっちゃったぜ、これは二人のゆかりの色、だな。
はいはい、さっきとうって変わった仲直りですね。
はいはいはいはい良かったね。……あー、なんのこっちゃ、しょうもないわ。

こっそり隠れて裏茶屋で、大事なお客をすっぽかして、この恋は、ヤバいかも。
自分のせいだって分かってるからつらいんじゃん。あんたになんか、逢わなきゃ良かった。

女のそばで戯れ遊ぶ、浮かれたお客が群がって、夕日に花咲く廓の夜見世、女盛りを目の前に、
あいつもこいつも夢うつつ。
「もうちょっと待っててちょうだい、宵の約束忘れてないわ、今すぐ行くから、遅くはならないはずだから」
獅子団乱旋の舞楽もこんな感じ? 張り切る太鼓が遊女を持ち上げ酒を勧め、お客は散財また散財。
誰か、総揚げしちゃいなよ! 
人間万事金の吉原、大金の効き目があらわれて、言うこと聞かないヤツはなし。
めでたしめでたしバンザーイ!

って、へへ。獅子頭が笑ってら。



【吉原遊郭と吉原俄(仁和賀)】

吉原は現在の台東区にあった、公に認められた遊郭地。
元々葭町(中央区)にあった遊里(=元吉原)を、1657年の明暦の大火の後に移転し、
新吉原と称した。
周囲をおはぐろどぶという堀で囲い、大門を唯一の出入り口とする廓内に、最盛期は2,000人を越える
遊女が暮らしていた。江戸の遊興地・社交場にして、流行発信の地でもあった。

俄は元々即興の寸劇を指す言葉。
吉原俄は、毎年九月(八月)、廓内にある九郎助稲荷の祭礼にあわせて、1ヶ月間に渡って奉納される芸能。
廓内の各町で組をつくり、芸者の踊りや太鼓持ちの寸劇、獅子の練り物などが町中を練り歩く
賑やかな行事となった。
吉原で秋の俄がはじまった頃に書かれた洒落本『百安楚飛』(時雨庵主人、安永八年(1779))には、
その様子が次のように紹介されている。
 
「また、吉原に灯籠過て、にわかといふ事あり。後の月見過までのにぎわゐ。
其はじめは伏見町に稲荷の宮、一年其祭礼とて花だしなど出す。
是より引つゞきにわかの催、年ごとにあるなり。
仲の町の茶屋は家並にはなやかなる幕をはり、高提灯、燭台まんどうのごとし。
一丁一丁より思ひ思ひめづらしき趣向を案じ、器量すぐれたる新造禿をえらみて衣裳に錦をかざり、
女芸者は髪を切て若衆の姿となり、天鵞絨(ビロード)、錦、硝子(ビードロ)などの華だしを待つ。
あるひは獅子につゐて木遣りを云ふ。
また、やたいに作花をかざり、引こみ禿に芸をしこみ、上瑠璃太夫、はやしかたの名人を揃ふ。
この趣向、わけて江戸町いつもすぐれたり。
あるひはたいこもちなど、其日其時の思ひつきにて色々笑をもよふす事なり」(一部表記を改めた)。

吉原の中央通りである仲之町の茶屋は華やかな幕を張り、明々と提灯を照らす。
遊女や禿は美しく着飾り、芸者は男装して、ビロードやガラスを飾った山車で踊りを披露するなど、
吉原俄の豪華絢爛な様子が伝わる。



【語句について】

五町
 吉原遊郭を形成する、江戸町一丁目・二丁目、京町一丁目・二丁目、角町のこと。転じて、吉原のこと。

汝(なれ)
 自分と同等以下の相手を指す代名詞。お前、なんじ。

紋日物日の掛言葉
 紋日・物日ともに同じ意味。遊郭で、五節句などの行事・祝日にあたる日。
 『色道大鏡』によれば、「家々の紋のやうに定まりたる事なるに依て、紋日といふ」。
 この日には、遊女はお客を呼ぶことを義務づけられており、
 お客を呼べない遊女は自分で自分の揚代を見世に支払わなくてはならなかった(身揚り)。
 吉原で行われる季節ごとの行事は、風流を楽しむのと同時に、客集めの意味も掛かっているということ。

蝶や胡蝶
 胡蝶は蝶の異称。獅子・牡丹ともに、謡曲『石橋』を元にした獅子ものには必ず登場する。
 ただし謡曲『石橋』には、蝶は登場しない。
 俄の出し物である獅子舞の周りにいる禿を蝶に見立てたものか。
 禿については長唄メモ「松の緑」参照。

花の屋台
 俄で踊り舞台として引き出される、豪華に飾り付けられた屋台(山車)のこと。

姿やさしき仲之町
 「やさし」は優美なさま。
 「仲之町」は、入り口である大門から突き当たりの水道尻に至る吉原遊郭の中央通り。
 道の左右に茶屋・見世が並び、吉原の中心街として賑わった。

玉章
 手紙。
 なお吉原では禿が文使いをつとめる慣習であったことから、
 「いつか渡さん袖の内」を「禿の様子」と解釈する解説本が多いが、
 ここでは前後の文脈を考えて遊女本人の思いとして解釈した。

よしや
 施す方法がなく自暴自棄になった時などに発する語。
 ままよ、どうなろうとも。なんとでもなれ。

忍ぶの峰か重ね夜具
 「忍ぶ」は1.こらえる、我慢する  2.目立たないように人目を避ける。 ここでは2.が妥当。
 「重ね夜具」は、遊女がなじみ客から贈られた縮緬などの高価な布団を見世先に高く積み重ね、
 源氏名を掲げて全盛を競ったこと。
 夜具を峰(山)に見立て、その縁で枕を岩に、酒を瀧に見立てて、「石橋」の清涼山に重ねている。

よその見る目も白浪や
 「瀧つ瀬」の縁で「白浪」を導き、他人の目線も「知らぬ」の意を掛ける。
 「白い目で見られる」の意も含むか。

秋の最中の月は竹村
 「秋の最中(ちょうど真ん中)」と「最中の月(菓子の名)は竹村」を掛ける。
 「最中の月」は、今のモナカの先駆けとされる菓子で、吉原名物のひとつ。
 『吉原大全』には、
 「巻せんべいは、此里第一名高き名物なり。江戸丁二丁め角、万や太郎兵衛工夫しはじむ。
 今の竹村伊勢方なり。近此、最中の月といふ菓子をも製し出す」とある。

更けて逢ふのが間夫(まぶ)の客
 「間夫」は遊女が勤め以外の恋愛感情を持って付き合う情人のこと。
 一晩のうちに複数の客を廻し、それらがすべて済んでから間夫の元に行くということ。

辻占みごと繰り返し
 「辻占」と「うらみごと」の掛詞(稀音家義丸師匠よりご教示いただきました)。
 「辻占」は、元々は辻に立って、通り過ぎる人々の言葉から吉凶を判断する占い。
 ここでは江戸時代に辻占売りが売り歩いた、占いを書いた紙のこと。吉原遊郭内にも売りに来た。
 この紙をせんべいの中に入れた辻占せんべいなどの辻占菓子も流行した。
 なお、前出の竹村では、幕末から明治頃、最中の月のおまけに辻占をつけて売り出していた。
 「繰り返す」は同じ事を何度も言うこと、あるいは何度もすること。
 辻占を何度も引き直すことと、恨み言をくり返すことを掛けた表現か。

愚痴になる
 愚かになること。ものの分別がつかなくなること。

恋の山屋が豆腐に鎹(かすがひ)
 「恋の山」「山屋が豆腐」「豆腐に鎹」を掛ける。
 「恋の山」は積もる恋を深い山に例えて言う語。
 「山屋が豆腐」は吉原名物のひとつ。
 「山や市右衛門が製する豆腐、いたつて極品なり。世に是を山やどうふとて賞翫す」(『吉原大全』)。
 「豆腐に鎹」は「ぬかに釘」と同義のことわざ。まるで手応えがないことのたとえ。

太鼓
 太鼓持ち・幇間のこと。客の機嫌を取り、酒興を助けるのを仕事とする男。
 能楽の太鼓打になぞらえ、太夫を心よくのせて大尽の気に入るように拍子をうつからこの名があるという
 (『嬉遊笑覧』)。

水道尻
 仲之町の突き当たりの地名。

お神楽そば
 屋台に風鈴をつけ行商する「風鈴そば」の、吉原での呼び方。

ちんちん鴨の床の内
 「ちんちんかも(かも)」は、男女の仲が極めてむつまじい様子をからかって言う言葉。
 「鴨」は、次の「たんたん狸」と対になるようにした当て字。

たんたん狸の空寝入り
 眠ったふりをすること。狸寝入り。
 本来、遊女を待つのに(見栄を張って)眠ったふりをしている客の様子を指した言葉。

つねったあとのゆかりの色
 ゆかりの色は紫色のこと。つねった跡が紫色になるのを、男女の深い関係と掛けて言う。
 「つねる」「うつ」はともに攻撃を表す類似の動作と見せて、「仲直り」と状況を反転させている。

裏茶屋
 仲之町にある引手茶屋に対して、揚屋町の裏手にある茶屋。遊女と情人の密会に利用された。

ためになるの
 遊女にとって、自分のためになる客。紋日の支度を請け負ってくれるような、経済的後見になる客。

心がらなる身のうさ
 自分の心がけが原因で生じたつらさ。自業自得でつらい状況になること。
 遊女は間夫が払うべき揚代を肩代わりして自分で払ったり、間夫に逢うために客を断ったりして、
 結果として年季が伸びることもあった。

いっそ
 実に、全く。本当に。

浮き立つ色の群がりて
 「色」は情人・恋人。また遊女自体のことを色と称することもあるが、
 ここでは広く客のことを指すか。

夕日花咲く廓景色
 廓が夕方に夜見世の開店時刻を迎え、一斉に華やぎはじめること。

目前と貴賎うつつなり
 「貴賎」は身分の高い人と低い人だが、廓では直裁に、財力のある人とない人。
 「うつつ」は本来は現実を指すが、「夢うつつ」という語から混用されて、夢ごこちの状態も言う。

夜もふけじ
 「じ」は打消推量・打消意志の助動詞。夜遅くなることはないだろう。

末社
 神社で主として扱われる大神(=大尽)を取り巻いていることから、太鼓持ちの異称。

大金散らす君たちの
 「君」は貴人を指して言う言葉だが、ここでは遊郭で大金を使う客のことを指す。

打てや大門(おおもん)
 大門は吉原遊郭入口の門。通常はこの一カ所のみが出入り口となる。
 「大門を打つ」とは、1.廓内で事件が起きた際、大門を閉めて人の出入りを禁じること。
 2.遊郭内の遊女をすべて揚げ、貸し切り状態にして、大門を閉めさせて遊ぶこと。 ここでは2.。

高金の奇特あらはれて
 客が大金を使った効果で、遊女や太鼓持ちなどが、獅子王に草木がなびくように従順になること。
 「高金」は多くの金、「奇特」は不思議なしるし、すぐれたききめ。



【成立について】

天保五年(1834)成立。
『邦楽曲名事典』によれば「秋、吉原俄のおり開曲」。
一方『長唄名曲要説』は、
「……開曲が天保五年の十月というのですから俄そのものに演じられた曲ではなさそうで……」とする。
早稲田大学演劇博物館所蔵正本には「天保五年 午ノ十月吉日」とあり、この正本が初演時の出版とすれば、
八月朔日からはじまる吉原俄よりやや遅れての成立となる。
四代目杵屋六三郎作曲。
六三郎が吉原に耽溺して作曲した、花魁の部屋に居続けて作曲した、といった話が解説本に多くあるが、
その典拠は不明。
作詞者は不詳だが、『邦楽曲名事典』では「作曲者本人かとも言う」としている。


  
【参考文献】

『吉原大鑑』(石塚豊芥子、天保五年(1834))
『百安飛楚』(時雨庵主人、安永八年(1779))
『吉原大全』(酔郷散人、明和五年(1768)) 
  以上三書は『江戸吉原叢刊』(2010年、江戸吉原叢刊刊行会)所収
『俗曲評釈』(佐々政一(醒雪)、明治四十一年(1908)、忠文舎)
『嬉遊笑覧』(喜多村節信、文政十三年(1830)/ 1929年、日本随筆大成刊行会)
『色道大鏡』(藤本箕山、延宝六年(1678)/ 2006年、新版色道大鏡刊行会)
インターネット「恋乃辻占堂日記」記事
 http://d.hatena.ne.jp/tsujiurado/searchdiary?word=%BA%C7%C3%E6&type=detail


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【鉄九郎の思い】
稽古風景を鉄七が録画してるので興味のある方は見てやってください。
鉄七ブログ「笑う門には福来る」「俄獅子」