賤 機 帯
文政十一年(1828)六月

作曲 四代目 杵屋三郎助(後の十代目六左衛門)
[前弾]〈本調子・一下り〉 
名にし吾妻の隅田川 その武蔵野と下総の 眺め隔てぬ春の色 
桜に浮かぶ富士の雪 柳に沈む筑波山 紫匂ふ八重霞 
錦をここに都鳥 古跡の渡なるらん

[カケリ 謡ガカリ]
春も来る 空も霞の瀧の糸 乱れて名をや流すらん 
笹の小笹の風厭ひ 花と愛でたる垂髫子が 人商人にさそはれて 
行方いづくと白木綿の 神に祈りの道たづね 
浮きてただよふ岸根の舟の こがれこがれていざ言問はん 
我が思ひ子の 有りや無しやと狂乱の 正体なきこそあやなけれ 
船人これを見るよりも 好い慰みと戯れの 
気違ひよ 気ちがひよと 手を打ちたたき囃すにぞ 
狂女は聞いて振返り あア気違ひとは曲もなや 物に狂ふは我ばかりかは 
鐘に桜の物狂ひ 嵐に波の物狂ひ 菜種に蝶の物狂ひ 三つの模様を縫ひにして 
いとし我子に着せばやな 
子を綾瀬川名にも似ず 心関屋の里ばなれ 縁の橋場の土手伝ひ 
往きつ戻りつ此処彼処 尋ぬる我子はいづくぞや 
教へてたべと夕汐に 船長なほも拍子にかかり 
それその持ったるすくひ網に 面白う花を掬ひなば 
恋しと思ふその人の 在処を教へ参らせん 
なに 面白う花をすくへとか いでいで花を掬はん 
あら心なの川風やな 人の思ひも白浪に 散り浮く花を 掬ひ集めん 
心してふけ 川風 
沖のかもめの ちりやちりちり むらむらぱっと ぱっと乱るる 黒髪も 
取りあげて結ふ人もなし 
船長今は気の毒さ 何がなしほにと立ち上がり

〈二上り〉 
そもさても 和御寮は 誰人の子なれば 何程の子なれば 
尋ねさまよふその姿 見る目も憂しと 諫むれば 
音頭音頭と戯れの 鼓の調べ引締めて 鞨鼓を打って見しょうよ 
面白の春の景色や 筆にもいかで尽さん 
霞の間には樺桜 雲と見えしは三吉野の 吉野の川の滝津瀬や 
風に乱るる糸桜 いとし可愛の児桜 慕ひ重ねし八重桜 一重桜の花の宴 いとしらし 
[謡ガカリ]
千里も薫る梅若や 恵みを仰ぐ神風は 
今日ぞ日吉の祭御神楽 君が代を 久しかれとぞ祝ふ氏人

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)



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ここに「賤機帯」のほんの一部をYouTubeで紹介しています 見られない方はこちらへ


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本曲は、桜満開の隅田川を舞台にした、あるひとりの母親の悲しみに満ちたドラマです。
話の筋は謡曲「隅田川」に準拠しています。
人買いにさらわれた我が子・梅若を探して、京から遠く武蔵国・隅田川まで下ってきた母は、
渡し場の船頭の口から、梅若がすでに死んでいることを聞かされます。
岸辺の塚で行われている大念仏の法要は、梅若の一周忌の法要なのでした。
長唄「賤機帯」は、この「隅田川」を元にした一中節の歌詞を利用してつくられました。
さらに、同じく子を探す物狂能である「桜川」を元にした河東節から、
狂女が桜を掬う趣向を採り入れ、狂おしくも美しい場面を描き出します。
物狂能は、愛する人と別れた悲しみから何かにとりつかれた状態になった人物をシテとします。
物狂の人は、愛する人と再会した時に正気を取り戻しますが、
「隅田川」のシテは、愛しい梅若と再びめぐり会うことはありません。
梅若の死を知り、悲しみにくれる母の眼前に現れた幻さえも、手を伸ばせばたちまち消えてしまいます。
長唄「賤機帯」は、この悲劇の結末を唄いません。
「隅田川」に基づく歌詞は、女が舞い狂う場面で終わり、
曲の結びで唄われるのは、江戸の山王祭を祝う歌詞です。
これは、本曲が山王祭の附祭で初演されたことによるものですから、
「隅田川」の世界とは関連のない歌詞が付け足されたことになります。
しかし、祭を祝うめでたい歌詞は祭に浮き立つ人々の楽しげな喧騒を思わせ、
対照的に、やがて我が子の死を知ることになる母の哀れをより鮮明に描き出します。
長唄の歌詞には、しばしばこういった「歌詞の乖離」がありますが、
それを「一貫しない」「筋が通らない」と否定するのではなく、
その乖離も含めて全体をひとつの作品として鑑賞すると、
また新しい作品世界の楽しみ方が見つかるのではないでしょうか。

同じ景色を眺めているのに、自分は他の人とまるで違うことを思っている、
だから自分ひとりが、景色の中になじめずに浮かび上がっている気がする。そんな孤独があります。
川の両岸を彩る春景色、大念仏の音頭、江戸の繁栄を祝う祭、やがて来る夏の訪れ。
満ち足りた風景は、季節や時代を超えて続いていくのに、
報われることのない母の愛だけは、どの景色にも溶け込むことができずに、
ただひとり、永遠に舞い続けるのです。




【こんなカンジで読んでみました】

有名な吾妻の隅田川を真ん中に、こちらが武蔵国、あちらが下総国。
川が国を隔てても、春はどちらにも同じく訪れるのですね。
こちらの桜の上にはまだ雪をいただいた富士山が、あちらの柳の影には遠く筑波山が、
野に満ちる霞ごしに顔をのぞかせて。
まるで春の錦を見ているような景色、あら、あの白い鳥、あれが都鳥かしら。
そうだとすると、ここがかの在原業平が訪れたという、隅田川の渡しなのでしょう。

うららかな春の訪れ。空がぼんやりかすむのは、
細く流れる滝のしぶきが、はるばる遠く、あの子の噂を運んできたからでしょうか。
笹の葉を揺らすほどのかすかな風さえ当てないように、蝶よ花よと大事に育てた幼い子が、
人買いにさらわれて、行方も知れない身となりました。あの子の在処をお教えくださいと、
神に祈りを捧げつつ、波にただよう小舟のように、思い焦がれて隅田川まで来たのです。
私が探す幼子は、生きていますか、無事ですか。
心乱して、誰かれかまわず尋ねてまわる女のさまは、道理も分からぬほどに正気を失っていた。
岸辺にいた渡しの船頭。女を見るなり、よい暇つぶしと戯れかかり、
やあ、物狂いがやって来た、物狂いよ、と、手を叩いてはやした。
はて。物狂いとは、つまらぬことをおっしゃいます。物に焦がれて狂うのは、私ひとりではなかろうに。
鐘の音に桜は狂おしく散り、嵐の海に波は狂おしく砕け、菜種の花に蝶は狂おしく舞うもの。
桜に波に、それから胡蝶。そうだ。三つの模様を縫い取りにして、あの子に着せるのはどうかしら。
そうしたいわ、そうしましょう、あの子には、派手なくらいの模様がきっと似合うから。
子をあやすという名前なのに、ただただ心がせくばかり、親子の縁のはしをたどって、
綾瀬川、関屋の里、橋場の土手を、行ったり来たりしたけれど、
あの子はいないの、私の愛しい子は、いったいどこにいるというの。
船頭さん、お教えください、とすがる女を、船頭は夕汐が寄せるようになおも調子に乗ってからかった。
お子の行方が知りたいか。では、それ、そこのすくい網を使って、
川面に散る桜の花びらを風流にすくい集めたならば、
あんたが恋しいと思うお子の行方を教えて進ぜましょうぞ。
なんと、風流に花びらをすくえとおっしゃるのですか。
それは簡単なこと、さあさあ、一枚残らず、花をすくい集めましょう。
ああ、川風のむごいこと。私の気持ちも知らずに、白波をたてて花びらを散らしてしまう。
私はすくい集めます、川風よ、お願いですから、川面を揺らさぬように、どうか静かに。
沖の鳥たちが、鳴きながら一斉に飛び立った。
黒髪を風に乱されるまま、止める人とて誰もなく、女は水の中にひとり、一心不乱に花びらを追う。
さすがの船頭も気の毒になり、女を沈める機会をうかがって立ち上がった。
ええ、もし、あんた。あんたは、誰の子を、どんなわけで探しているんだい。
正気をなくして惑う姿は見ているこっちまで心が痛い。少し落ち着くがいい、と意見する、
その言葉を聞いてか聞かずか、女はふと岸辺を見上げた。
船頭さん。岸辺は桜が満開ですよ。塚の前にたくさんの人が集まって、大念仏の音頭が聞こえます。
いったい誰のご供養かしら。
私も音頭の戯れに、調子の糸を引き締めて、鞨鼓を打ってご覧にいれましょう。

見渡せば、なんて美しい景色でしょう。
あの子に見せてあげたいけれど、どんな言葉にしても、どんな絵に描いても、きっと伝えきれないわ。
霞の間には樺桜。雲のように見えたのは、吉野の山の桜かしら、吉野の川の滝けむりかしら。
風にあおられて大きく揺れる糸桜の向こうには、ああ、いとしいあの子のような児桜。
会いたい思いは八重桜のように重なって、桜さくらのうずの中に、お母さんは呑まれてしまいそうよ。
どこにいるの、梅若、私の愛しい子。

千里先まで届く梅の香りのように、梅若の涙が京の都に届き、女をここまで導いたのだろうか。
神の恵みを運ぶ風は、水面の花びらを無残に散らして、舞い狂う女を優しくさとす。
今日は日枝神社の山王祭。祭囃子が賑やかにひびき、泰平の世を祝う人々の、幸せに満ちた顔と顔。



【長唄「賤機帯」の題材――梅若伝説、物狂能「隅田川」「桜川」など】

謡曲「隅田川」
 観世十郎元雅作の四番目物。物狂能の一つ。
 梅若(丸)伝説を描く作品。ただし『日本伝奇伝説大事典』の「梅若丸」の項は梅若実在の確証はないとし、
 能「隅田川」の典拠が未詳であることから、「隅田川」成立以前に梅若にまつわる言説が存在したのか、
 あるいは「隅田川」が元雅の創作であるのか、定かではないとしている。
 狂女物のうち、物狂の女が探し尋ねる相手に出会えないのは本作のみ。
 人を訪ねる物狂能では、物狂は相手に巡り合えた時点で狂乱状態から正気へ戻るが、
 本作では探し尋ねる子はすでに亡くなっており、限りない哀切のうちに終わる。
 この点で、他の物狂能と異なる性格を持つ作品である。
 (あらすじ)
 京で人商人にさらわれた我が子・梅若丸を探し求める母は、物狂いとなって東国・隅田川まで
 下ってきた。隅田川の渡し舟の船頭は、面白く狂ってみせれば舟に乗せよう、と母をからかう。
 舟に乗った母は、船頭から、向こう岸の塚で行われている大念仏のいわれを聞かされる。
 その大念仏こそ、一年前に亡くなった梅若丸供養のための法要だった。
 母が嘆きながら念仏を唱えると眼前に梅若丸の幻が現れるが、手を取り交わそうとすると幻は消え、
 塚には茫々と草が生えているばかりであった。

謡曲「桜川」
 世阿弥作の四番目物。物狂能の一つ。
 古井戸秀夫氏は、長唄「賤機帯」は、謡曲「隅田川」のドラマを基調に、
 謡曲「桜川」の花を掬う趣向を組み込んだものとしている(後掲『新版 舞踊手帖』)。
 (あらすじ)
 東国の人商人が筑紫国の母を訪ね、息子・桜子を買い取った代金と桜子からの手紙を渡す。
 桜子は貧しい母の生活を救うため、自ら人商人に身を売ったのだった。
 三年後、常陸国の桜川で、僧とその弟子となった桜子が花見をしていると、
 物狂となった母が桜子を探し求めて現れ、すくい網で川面の花びらをすくい興じる。
 事情を察した僧が桜子と母を引き合わせ、母子はともに仏門に入る。

☆物狂能(ものぐるいのう)
 能の曲目分類の一つで、物狂をシテとする能。現行二十一曲で、すべて四番目物の現在能。
 「物狂」とは、肉親や恋人との別離を契機とし、心中に悲嘆を抱きながら、
 周囲の風物や言葉に刺激されて一時的な精神昂揚状態に入ること、またその状態の人のこと。
 物狂能のうち、特に女が主人公のものを「狂女物」とも言う。
 物狂能では、ワキと古歌や故事をひいた機知に富む会話をしたり、
 遊び戯れ、また物思いに沈んだりするなどシテの心の動きが描かれるほか、
 歌舞や物まねなどの芸尽くしが特徴として挙げられる。

☆梅若(丸)伝説
 京で人さらいにさらわれた梅若丸とその母にまつわる説話。
 前述の通り実在の確証はなく、
 またその説話の発生についても、謡曲「隅田川」の成立に付随するものと見る向きもある。
 東京都墨田区にある木母寺(もくぼじ)には、梅若伝説ゆかりの梅若塚があり、
 近隣には梅若の母と伝えられる妙亀の塚もある。
 また、埼玉県春日部市にも梅若塚・妙亀塚が存在する。
 梅若伝説は古くから人々に親しまれ、木母寺は梅若の寺として、江戸時代から多くの参詣人を集めた。
 『江戸名所図会』巻七に、
 「梅若丸の塚 木母寺の境内にあり。塚上に小祠あり。梅若丸の例を祠(まつ)りて山王権現とす
 〔縁起に、「梅若丸は山王権現の化現なり」といふ〕。後に柳を植ゑて、これを印の柳と号(なづ)く。
 〔昔の柳は枯れて、いま若木を植ゑそへたり〕。例年三月十五日忌日たるゆゑに、大念仏興行あり。
 この日都下の貴賤群参せり。」
 とある。
 三月十五日が梅若丸の命日と伝えられ、この日に降る雨を「梅若の涙雨」と称したという。

一中節「峰雲賤機帯(おのえのくもしずはたおび・「尾上の雲賤機帯」とも)」
 宝暦元年(1751)四月、江戸森田座「祐経扇系図」三番目に初演。
 壕越二三治作詞、宮崎忠五郎作曲。
 謡曲「隅田川」を原拠とする作品で、
 本曲中では、女は遊女あがりの八雲、女をからかう舟人は子供の三太郎。
 本曲には花を掬う趣向はないが、詞章中に「振りも筑波の山路経て」とあることから、
 謡曲「桜川」からも影響を受けていると考えられる。

河東節「常陸帯花柵(ひたちおびはなのしがらみ)」
 初演は天明年間(1781~89)とも、寛政三年(1791)とも。
 六代目十寸見河東作詞、二代目山彦源四郎作曲、浅草駒形町駿河屋で初演と伝わる。
 謡曲「桜川」を原拠とする作品。

上記の一中節・河東節の詞章が、長唄「賤機帯」の直接の典拠と考えられている。



【山王祭】

現東京都千代田区にある日枝神社の祭礼。
毎年六月十五日の例祭日を中心に一週間続き、氏子の各町内から出される山車や練り物が江戸の繁栄を祝う。
神田祭、三社祭とともに江戸三大祭の一つ。
元和元年(1615)、山王祭の行列が江戸城に入って二代将軍秀忠の上覧を受けて以降、
歴代将軍の上覧が慣例となり、神田祭とともに「天下祭」と呼ばれた。
天和元年(1681)からは神田祭と隔年で行われる。
神田祭や山王祭では、山車の他に余興として踊台(踊り屋台)などが出され、
その上で娘や子供が手踊りなどを披露した。これを附祭(つけまつり・付祭)と言う。
附祭はすべての町内が出すわけではなく、担当制。
長唄「賤機帯」は、この山王祭の附祭のためにつくられたもの。
附祭では、長唄や浄瑠璃の本職が「請負人」という名でプロデューサー的役割を果たし、
請負人に選ばれた各町の踊りの師匠が、演出・配役などを担って出し物の制作にあたったという。
(参考:西形節子「幕末期の町師匠と踊り子たち―山王祭附祭を中心に―」ほか)



【曲名について】

「しず(づ)はたおび」は、本来は「倭文機帯」と書き、「倭文(しず)」で仕立てた帯のこと。
倭文は日本固有の模様織のことで、大陸から渡来した模様織を文(あや)と言うのに対して、
大和を意味する「倭」の字をあてている。
栲・麻などの繊維で乱れ模様を織りだしたもので、
「倭文機に(しずはたに)」は「乱る」を導く枕詞にもなる。

長唄「賤機帯」の題名は、一中節「峰雲賤機帯」によるもの。
倭文織が乱れ模様であることから、物狂の狂乱をテーマとした曲の題名にあてられたと考えられている。
また一中節では、季節が夏(五月雨の頃)に設定されていることから、
「雲の帯」の連想で「峰雲」と「賤機帯」が縁語的に連ねられている(佐々政一『俗曲評釈』)。
古井戸秀夫氏は、「倭文」を「賤」と表記した理由について、
謡曲「桜川」の、貧しさ故に子がみずから身を売ったストーリーに準拠したものとしている。
(『新版 舞踊手帖』)



【語句について】

名にし吾妻の角田川
 『伊勢物語』巻九の和歌「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」を踏まえた表現。
 「名にし」の後には「負ふ」が省略されている。
 原拠となった謡曲「隅田川」でも、「国々過ぎて行くほどに、ここぞ名に負ふ隅田川」とあり、
 また途中ではシテが同歌を引くなど、東下りの趣向および上記の和歌を取り入れている。

その武蔵野と下総の
 隅田川は中世までは武蔵国と下総国の国境で、謡曲「隅田川」にも
 「武蔵の国と 下総の中にある 隅田川にも着きにけり」という詞章がある。
 のちに東岸の本所・深川方面の市街化が進み、都市機能としては江戸に準ずる場所となっていったが、
 「向島」(=隅田川の向こう側)という地名が示すように、
 隅田川によって江戸の中心から隔てられた地域、という意識も強かった。

眺め隔てぬ春の色
 「隔つ」を他動詞(下二段活用)ととり、「ぬ」は打ち消し助動詞「ず」連体形と考えるのが妥当か。
 隅田川が武蔵国と下総国を分ける、という前の内容を踏まえ、
 そのどちらも隔てなく春の景色にいろどられている、ということ。

桜に浮かぶ富士の雪 柳に沈む筑波山
 「桜」と「柳」、「浮かぶ」と「沈む」、「富士」と「筑波」がそれぞれ対になる表現。
 隅田川を中心に富士山と筑波山を望む構図は、江戸を象徴する情景として、
 邦楽諸曲のほか、近世多くの詩歌・絵画に描かれた。
 (長唄メモ「梅の栄」ほか参照)

紫匂ふ八重霞 
 「紫」は草の名。武蔵野に多く自生し、その根はいわゆる「江戸紫」をの染料となった。
 「匂ふ」は1.(草木などの色に)染まる。 2.つややかに美しく輝く。美しく映える。
 3.栄える、恩恵や影響が及ぶ。 4.香る。香気がただよう。  ここでは2.の意。

錦をここに都鳥
 「都鳥」は「(錦をここに)見る」と「都鳥」の掛詞。
 「錦」は、前の「柳」「桜」の語とあわせて、『古今和歌集』巻一所収の素性法師の和歌
 「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」を踏まえるもの。

古跡の渡なるらん
 「古跡」は歴史上有名な出来事や事物のあった跡。
 「渡(わたり)」は渡船場、渡し船に乗るところ。
 ここでは『伊勢物語』九段で伝えられる、在原業平が乗った渡し船を指している。
 『伊勢物語』に登場する渡し船は、隅田川の渡船で記録上最も古い橋場の渡し(白髭の渡し)」
 と推定され、梅若伝説にまつわる木母寺などの史跡もこの近く。

〔春も来る……神に祈りの道たづね〕
 一中節「峰雲賤機帯」による歌詞。
 ただし一中節では「夏も来る……」で、詞章全体も初夏の頃を描いている。
 また一中節では、前に「振りも

笹の小笹の風厭ひ
 「笹の小笹の」は、重ねて調子を整える言い方。
 笹の葉を揺らすようなかすかな風に当てるのさえも避けて、大切に育てた意。
 また、能楽で、狂い乱れている人物がその状態を象徴するように手に持つ「狂い笹」のイメージも重ねるか。

花と愛でたる垂髫子が
 「垂髫(うなゐ)」は子どもの髪型で、髪をえり首あたりに垂らして切りそろえたもの。
 「垂髫子」は、その髪型をした頃の幼い子供のことで、本曲では梅若丸を指す。
 全体で、「花のように可愛がっていた幼い子」。

人商人にさそはれて
 「人商人」は、女性・子どもをかどわかして売買する者、人買い。
 「さそふ」は1.連れて行く、いざなう。 2.促す、そそのかす。 ここでは1.の意。

行方いづくと白木綿の 神に祈りの道たづね 
 「白木綿」は「知らぬ」と「白木綿」を書けた表現。
 「白木綿」は楮の皮をさらしたりして白い紐状にしたもの。幣帛として榊や注連縄などにつける。
 神に捧げるものであることから、次の「神に」を導く。

いざ言問はん 我が思ひ子の 有りや無しやと
 『伊勢物語』九段所収の和歌(前述)を踏まえた表現。
 謡曲「隅田川」にも、「われもまた、いざ言問はん都鳥、いざ言問はん都鳥、
 わが思ひ子は東路に、ありやなしやと、……」とある。

狂乱の 
 正気を失い、乱れて常態を失うこと。

正体なきこそあやなけれ 
 「正体」は、精神や身体が正常な状態にあるときの姿、正気。
 「あやなけれ(あやなし・文無)」は、模様やすじ目がはっきりしない意から、
 1.道理がたたない。筋が通らない。わけがわからない。 
 2.むなしい。意味がない。とるにたりない。

船人
 渡しの船頭で、後に登場する「船長」と同一人物。

曲もなや
 「曲」は1.まがっていること。 2.正しくないこと、よこしまなこと。 
 3.面白み、愛想、興味。 4.(変化のある面白み、の意から)音楽・歌謡の調子や節。
 5.芸能などで、面白味をもった技の変化や工夫。
 「曲も(が)ない」は、面白みがない、つまらない、愛想がない、つれない、情けない、等の意。

物に狂ふは我ばかりかは
 「狂ふ」は、精神・動作・状態などが正常・通常と違うようになること。
 1.神霊や物の怪がとりつく。神がかりする。  2.精神状態が正常でなくなる。
 3.常軌を逸して激しく動く。 4.我を忘れて、ある物事に熱中する。
 5.じゃれつく、戯れる。 など。
 「かは」は係助詞「か」「は」で、疑問・反語を表す。本曲中では反語の意で、
 「物に狂うのは私だけだろうか、いや、そうではない」の意。

鐘に桜の物狂ひ 嵐に波の物狂ひ 菜種に蝶の物狂ひ 
 「鐘に桜」からは謡曲「道成寺」の「入相の鐘に花ぞ散りける」が想起されるが、
 それぞれの正確な典拠は未詳。

縫ひにして
 縫い物。縫い取り、刺繍。

着せばやな
 「ばや」は終助詞(元は接続助詞「ば」+係助詞「や」)、
 ①自己の行動・状態についての願望、②(中世語として)自己の意志 を表す。
 「な」は終助詞、①自己の意志・希望、 ②勧誘、 ③他に対する願望・期待 を表す。
 全体として、着せたいものだ、の意。

子を綾瀬川名にも似ず 心関屋の里ばなれ 縁の橋場の土手伝ひ 
 それぞれ隅田川沿岸の地名に、「子をあやす」「心急く」「縁の端」を掛けた表現。

往きつ戻りつ此処彼処
 「つ」は並立を表す助動詞。
 あちらこちらを行ったり戻ったりしながら。

教えてたべと夕汐に
 「たべ(たぶ・給ぶ)」は四段活用の補助動詞で、尊敬の気持ちを表す。
 「夕汐」は「言ふ」と「夕(汐)を掛けた表現。
 謡曲「隅田川」に「都鳥とは答え申さで、沖の鴎と夕波の」の詞章がある。

船長なほも拍子にかかり
 「船長」は渡しの船頭。
 「なほ」は1.やはり、依然として。 2.さらに、もっと、いっそう。
 3.(否定されているものを改めて肯定する気持ち)それでもはやり、なんといっても。
 「拍子にかかり(る)」は、拍子、すなわち音楽のリズムに乗って物事をすること、
 転じて調子に乗ること。

面白ふ花を掬いなば
 「面白く(面白し)」は「滑稽に」ではなく、(見ている方が晴れ晴れとするように)上手に、風流に、
 といった意味合い。
 「(掬い)なば」は完了助動詞「ぬ」未然形と接続助詞「ば」で、順接仮定条件を表す。
 もし面白く花を掬ったならば。

いでいで
 感動詞「いで」を重ねて強めた語。
 さあさあ。いやもう。どれどれ。

心なの
 形容詞「心なし」の語幹に助詞「の」を伴ったかたち。
 1.道理を解さない。思慮、分別がない。非常識である。
 2.人情を解さない。思いやりがない。つれない。
 3・情趣を解さない。風流心がない。   ここでは2.の意。

心して吹け
 「心して」は注意して、気をつけて。
 ここでは川面の花びらを吹き流さないように注意して吹いてくれ、という意味。

沖のかもめの ちりやちりちり むらむらぱっと 
 「ちりやちりちり」は、千鳥の鳴く声の表現。
 「むらむらぱっと」は、群れ居るものが一斉に飛び立つ様子を表し、特に多く鴎が飛び立つ様に言う。
 ここでは下の謡曲「隅田川」のように、千鳥・鴎・都鳥を同類とみての表現。

  謡曲「隅田川」より
  シテ「なう舟人。あれに白き鳥の見えたるは、都にては見馴れぬ鳥なり。あれをば何と申し候ぞ。
  ワキ「あれこそ沖の鷗候ふぞ。
  シテ「うたてやな浦にては千鳥ともいへ鷗ともいへ、などこの隅田川にて白き鳥をば、
     都鳥とは答え給はぬ。
  ワキ「げにげに誤り申したり。名所には住めども心なくて、都鳥とは答へ申さで、
  シテ「沖の鷗と夕波の、
  ワキ「昔に帰る業平も、
  シテ「ありやなしやと言問ひしも、……


ぱっと乱るる 黒髪も 取りあげて結ふ人もなし 
 鳥(鴎)がぱっと飛び立つさまと、花を掬うことに夢中になる女の黒髪が風にあおられて乱れるさまを
 重ねて言う。

何がなしほにと
 「何がな」は、なにか、何物をか。また、なんであろうか。
 「しほ」は1.海水、海水の満ち引き。 2.よい機会、よいころあい。しおどき。
 3.愛嬌、愛らしさ。  ここでは2.の意。

和御寮
 対称の人代名詞。男女ともに、相手を親しんで呼ぶ語。

音頭音頭と戯れの 鼓の調べ引締めて 鞨鼓を打って見せうよ 
 「音頭」は
 「調べ」は調べの緒のこと。鼓や太鼓の革の縁にある穴に通す紐で、締め方で音調を整える。
 「鞨鼓」は、本来は雅楽で用いる打楽器の一つで、円筒に革を張ったものを台に据え、両面を打つものだが、
 能楽・歌舞伎舞踊などでは、上記を模した小型のものを胸に着けて打ちながら舞う。

面白の春の景色や……八重桜 一重桜
 ほぼ河東節「常陸帯」の詞章による。

筆にもいかで尽さん 
 「いかで」は、ここでは反語を表す。
 「どうして筆で描き尽くすことができるだろうか、いや、できない」の意で、
 筆で描くことができないほどに美しい眺めであるということ。

霞の間には樺桜 雲と見えしは三吉野の 吉野の川の滝津瀬や 
風に乱るる糸桜 いとし可愛の児桜 慕ひ重ねし八重桜 一重桜の花の宴
 謡曲「桜川」詞章の「なほ青柳の糸桜 霞の間には樺桜 雲と見しは三吉野の
 三吉野の 三吉野の 河淀瀧つ波の 花を掬はば……」を原拠としたもの。
 さらに謡曲詞章はそれぞれ、
 「霞の間には樺桜」は、
 『源氏物語』野分の巻「霞の間より面白き樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」、
 「雲と見しは……」は、
 『古今和歌集』序「春のあした吉野山の桜は人麻呂の目には雲かとのみなむ覚えける」、
 「三吉野の 河淀瀧つ波の……」は
 『新古今和歌集』収録歌「吉のなる菜摘の川の川淀に鴨ぞなくなる山陰にして」、を原拠とする
 (『謡曲大観 二』「桜川」頭注による)。

いとしらし 
 形容詞「愛しらしい」の文語型。かわいらしい、愛おしい。
 長唄「手習子」、「振りの袂のこぼれ梅 花の笑顔のいとしらし」等の用例あり。

千里(ちさと)も薫る梅若や
 「千里(ちさと)」は千里(せんり)と同義。
 長い道のり、はるか遠くのかなた、の意。
 謡曲「隅田川」に「千里(ちさと)を行くも親心、子を忘れぬと聞くものを」の詞章がある。 
 「梅若」に「梅が香」の意を含ませ、
 梅の香りがはるか遠くまで届くことにかけて、遠く隔てられた梅若と母の心情を言うか。
 
恵みを仰ぐ神風は 
 日枝神社をことほぐ歌詞。
 本来はこれ以前の歌詞とは関連のない詞章だが、
 現代語訳では、水面の花びらを散らす風と重ねて解釈した。

今日ぞ日吉の祭御神楽 君が代を 久しかれとぞ祝ふ氏人
 本曲が日枝神社の山王祭で初演されたことによる詞章。
 西形節子氏によれば、
 附祭で演じられた演目の詞章には共通して、
 チラシの部分に、神の利益、御代の栄、氏子の繁栄を祝う文句がある(『日本舞踊の心』)。



【成立について】

本名題「八重霞賤機帯(やえがすみしずはたおび)」。
四代目杵屋三郎助(のちの十代目杵屋六左衛門)作曲(『新版 舞踊手帖』によれば作詞も)。
文政十一年(1828)六月、江戸の山王祭・附祭(つけまつり・付祭)で初演。
芝居の所作としての初演は、明治二十五年(1892)、「賤機帯班女物狂」として。
(以上『邦楽曲名事典』より)

池田弘一氏は『長唄びいき』(後掲参考論文参照)において、
本曲成立に八丁堀同心の高橋某が関与していたという説と、
この高橋某が南町奉行所同心の高橋藤七郎であるとする稀音家義丸師の推論を紹介している。
高橋某に関する論述は長唄解説諸本に見られるが、典拠は不明。



【参考文献】

杵屋勝四郎・唐貝弦三『長唄新註』玄文社、1919
佐々政一『俗曲評釈』忠文社、1908
長唄総合研究会「「賎機帯」―唄と三味線の部―」『芸能』通巻45号、1962
長唄総合研究会「「賎機帯」(二)―歌詞の部―」『芸能』通巻47号、1963
長唄総合研究会「「賎機帯」(三)―囃子の部―」『芸能』通巻48号、1963
池田弘一「梅若伝説と「賤機帯」の周辺」『季刊邦楽』通巻47号、1986
西形節子「幕末期の町師匠と踊り子たち―山王祭附祭を中心に―」『演劇学』25号、1984
落合清彦「“清玄桜姫物”と“隅田川物”との関係試論―江戸かぶきにおける変容の軌跡―」
 『演劇学』25号、1984
「江戸「天下祭」とは?」『東京人』通巻191、2003
池田弘一「賤機帯」『長唄びいき』所収、青蛙房、2002
古井戸秀夫『新版 舞踊手帖』新書館、2000
西形節子『日本舞踊の心(全五巻)』演劇出版社、2002
小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集59 謡曲集2』小学館、1998
佐成謙太郎『謡曲大観 2』明治書院、1964
黒木勘蔵校訂『日本名著全集 歌謡音曲集』日本名著全集刊行会、1930
乾克己ほか編『日本伝奇伝説大事典』角川書店、1986