[謡ガカリ]
〈本調子〉[次第]
実(げ)に治まれる四方の国 実に治まれる四方の国 関の戸ささで通はん
これは老木の神松の 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで
松の葉色も時めきて 十返り深き緑のうち
眠れる夢のはや覚めて 色香にふけし花も過ぎ
月にうそぶき身はつながるる 糸竹の 縁にひかれて
うつらうつらと 長生の泉を汲める心地せり
まず社壇の方を見てあれば 北に峨々たる青山に 彩る雲のたなびきて
風にひらり ひらめきわたる此方には 翠帳紅閨の粧ひ 昔を忘れず
右に古寺の旧跡あり 晨鐘夕梵の響き 絶ゆることなき眺めさへ
赤間硯の筆ずさみ ここに司を しるしけり
〈二上り〉
松といふ 文字は変はれど待つ言の葉の その甲斐ありて積む年に
寿祝ふ常磐木の 調べぞ続く高砂の 名あるほとりに住吉の
松の老木も若きをかたる 恥づかしさ
ただ変はらじと深緑 嬉しき代々に相生の 幾世の思ひ限り知られず
喜びもことわりぞかし
いつまでも 清きいさめの神かぐら
舞楽をそなふるこの家に 声も満ちたつ ありがたや
[神楽舞合方]
〈三下り〉
松の太夫のうちかけは 蔦の模様に藤色の
いとし可愛いも みんなみんな男は偽りぢゃもの
拗ねて見せてもそのままよそへ
ある夜ひそかにつきあひの 雲のまがきの掛言葉
エエ憎らしい木隠れに 晴れて逢ふ日を松の色
ゆたかに遊ぶ鶴亀の 齢を授くるこの君の
行く末守れと我が神託の 告を知らする松の風
[松風合方]
富貴自在の繁栄も 久しき宿こそめでたけれ
(歌詞は文化譜にしたがい、表記を一部改めた)
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お正月の門松や、お祝いごとに欠かせない松竹梅。
松は、日本人にとってもっとも馴染みのある樹木のひとつです。
松竹梅の由来は、中国の文人画にあります。
冬の間も枯れない松と竹、それに寒さの中で一番に花開く梅は、
「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」と呼ばれ、好んで描かれた画題でした。
その影響を受け、日本ではおめでたいものの代表格になりました。
中でも、葉が落ちることのない常磐木(常緑樹)である松は、
生命力の象徴、神の依り代(よりしろ)と考えられ、尊ばれてきました。
また樹齢が長く、大きく立派に育つことから、長寿のしるしとしても愛されました。
堂々とした姿、青々と茂る葉の色、枝を揺らす風の音、そして「待つ」という言葉との重なり。
松は古来多くの詩歌に詠まれました。
風情を楽しむばかりではありません。
密集した松林は強風から村や集落を守り、枝や松かさは燃料として温もりをもたらし、
松明(たいまつ)は暗闇をあかあかと照らします。
松は、私たちの生活に深く根ざした木でもあったのです。
本曲「老松」は、松が登場するさまざまな情景の断片を集めたアンソロジー(選集)のような曲です。
同名の謡曲「老松」の詞章を基調にしていますが、その内容をそのまま唄にしているわけではありません。
したがって、一曲の歌詞全体を通して、ひとつの筋だった物語を読むことはできません。
しかしそれこそが、本曲の最大の魅力です。
謡曲の詞章を切れ切れに用いながら、その合間にまったく別の歌詞を入れることで、
おごそかだったり穏やかだったり享楽的だったり、実に変化に富んだ世界を描いています。
一説には、作曲者である四代目杵屋六三郎が、母ますの八十歳の記念に、ますと松の音を通わせて
つくった曲とも言われます。
歌詞をよく見てみると、謡曲では「舞楽をそなふる宮寺に」とあるところを「舞楽をそなふるこの家の」、
「久しき春こそ」を「久しき宿こそ」と細かく改められています。
このような改訂からも、本曲にはやはり、個人の家の祝いごとに対する祝意が込められていると考えられます。
謡曲「老松」は御代の泰平を祝うおごそかな曲です。
その壮大な詞章を利用しながら様々な情景を描く本曲の根底には、
家の幸せを喜ぶ素直であたたかな気持ちが込められているのかもしれません。
【こんなカンジで読んでみました】
どの国も実によく治まっていて、だから関所の戸を閉ざすこともなくどこまでも自由に行ける、
すばらしい御代だ。
私は老松の神。
千代も八千代も、小さな石が巌になって苔が生えるまで、この御代を見守るのだ。
葉の色も今こそ時を得て、百年の時を十度くり返した深い緑色をいよいよ輝かせている。
――それほど長い時間を過ごすうち、眠りの夢はすでに覚めてしまいました。
美しく咲き誇った花のような頃も、今はむかし。
月を眺めては風流を歌ったこの身は、ただひとりのようでありながら、芸道の糸につながれて、
その縁に引かれるままに生きてきました。
そして今またうつらうつらと、水をたたえる長生の泉を汲んでいるような気持ちがするのです。
老松の生える安楽寺の境内。
まず社壇のあたりを見てみれば、北方には険しい山がそびえている。
ほのかに色づく雲がたなびいて、ひらりひらりと誘うこちらには、
高貴な美しい部屋が、我が主が生きていた頃のままにある。
右には古い寺の旧跡があり、朝夕の鐘の響きは今も絶えずに続いている。
飽きることのないこの眺めを、赤間硯の筆にまかせて、ここに記してとどめておこう。
――松、とは文字は違うけれど、同じひびきの待つという言葉。
待ったかいあって、長い年月を重ねることができました。
長寿を祝う時が来て、常磐木の松に吹く風のしらべは絶えることなく、高砂の浦に響いています。
名高い高砂の浦に住む松、その妻である住吉の松の老木も、若かった頃の思い出話には、
思わず頬を染めるのかしら。
ずっと変わるまいと決めて色を深め、幸せだった時代をいくつも共に生き、幾代も越えてきた二人。
その思いはどれほどのものでしょう。
喜びを感じるのは、当たり前のことなのですよ。
いつまでも続く、清々しい神楽の音。
音楽に生きるこの家に、賑やかな声が満ちている。ありがたいことだ。
――松の位の太夫がはおるうちかけは、松にからまる蔦の柄、松を彩る藤の色。
あなたの得意ない、と、し、で、藤の花を描いてみせてよ。
いとし可愛い、は聞き飽きました、だってどうせ、男はみんな嘘つきだもの。
拗ねてみても、ほら、そのままどこかへ行ってしまう。
ある夜そっと巡りあったお月さま、雲の垣根に隠されてしまって、
今日はどこかの籬で声かけてるの、それともかけられてるの?
本当に憎らしい人、顔も見せない、ちっともかわいくない男。
それでも雲が晴れる日を、松の色みたいに変わらずに、ずっとずっと待ってしまうの。
のびのびと戯れる鶴亀と同じ、長久の命をあなたに授けよう。
そしてあなたの未来を守りなさいという我が神託を、松の枝を揺らす風の音が知らせるのだ。
豊かに満ち足りた繁栄がこの家にずっと続くように、そのめでたい栄えを祝おう。
【謡曲「老松」と老松物】
〈謡曲「老松」〉
世阿弥作の初番目物(脇能)。応永三十年(1423)以前の成立と推定される。
天満天神の眷属神である老松と紅梅殿(飛松)による大君守護を主題にした曲。
室町幕府四代将軍・足利義持が大病から奇跡的に回復した時の祝儀として制作された説もある。
現代にいたるまでの間に、構成や演出に変化があったと見られ、
かつては後ツレとして紅梅殿が登場していたと思われる(現在も小書として残る)。
また、小書に登場する紅梅殿が女体であることなどから、紅梅殿の化身である前場の男(ツレ)は、
古くは若い女に設定されていたと考えられる。(参考『能を読む』ほか)
(あらすじ)
日頃から北野天満宮を信じる梅津の某という男が、天神の霊夢を受けて、
従者とともに筑紫国太宰府の安楽寺に参詣すると、寺で老翁と男に出会う。
老翁と男は梅津の尋ねに答え、目の前にある飛梅と老松のいわれ、梅と松にまつわる中国の故事などを語り、
姿を消す。
(合の段:梅津と従者は里の者から、菅原道真の故事を聞き、老翁と男は老松神と紅梅殿であろうと教えられる)
やがて、先ほどの老翁が老松神の姿を現し、舞を舞い、大君に長寿を授け守護せよとの神託を告げる。
〈老松物〉
謡曲「老松」に基づく三味線音曲を、老松物と総称する。
常磐津節「老松」は、
謡曲「老松」から松にまつわる中国の故事(始皇帝が松に太夫の位を贈った話)を抄出したもので、
常磐津節最古の曲として重要視されている。
富本節・清元節・地唄の「老松」は、上記の常磐津節「老松」の詞章を流用したもの。
長唄「老松」も謡曲詞章を部分的に利用してはいるが、謡曲の内容を追うものではなく、
松に関わる他の詞章も入れて独自の曲になっている。
【菅原道真と飛び梅・追い松伝説】
〔菅原道真〕
平安時代中期の学者、政治家。代々学者の家に生まれ、道真も十一歳で漢詩を作り父を驚かせるなど、
早くから学才を発揮したという。
宇多天皇と藤原基経の間に起こった政争・阿衡事件の際、解決に尽力して若い宇多天皇の親任を得、
基経の死後、蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢される。
以後、基経の子である藤原時平と並んで参議・中納言と出世の道を進み、時平が左大臣になるのと同時に、
道真も右大臣に任じられた。
だが、当時としては異例の大出世が、藤原一門はもとより学閥からも大きな反感を招き、
901年、時平らの讒言により大宰権帥(太宰府現地での長官)に左遷させられ、翌々年現地で亡くなった。
死後、都では異変が相次いだ。909年、時平が39歳で死没。923年の皇太子急逝についで、
930年には宮中清涼殿に落雷し、高官数名に死傷者が出た上、醍醐天皇がこのショックで病臥し、
三ヶ月後に崩御した。
都の人々は、これらの異変を、不遇の中で死んだ道真の祟りとして恐れた。
942年、道真の託宣(神からのお告げ)が下ったとして北野天満宮が創建される。
道真の霊は「天満大自在天神」の神号を付与され、怨霊から儒家学問の神、王城鎮護の神へと変わっていった。
〔道真と梅・松〕
菅原道真の生涯と神格化にまつわる伝承は、北野天満宮の縁起を伝える『北野天神縁起絵巻』(伝本多数)を
もとに、多くの書物に伝えられ、後代の文芸に影響を与えた。
『北野天神縁起絵巻』は大きく分けて、1.道真の伝記、2.怨霊譚、3.北野天満宮の創建と利生譚
から構成される。
このうち、1を中心に独自の物語を加えるのが御伽草子『天神の本地』で、類似する本地物が数多く伝わる。
さらに近世に入ると、『菅家瑞応録』を代表とするさまざまな道真の伝記が編まれた。
このように伝記が成長していく過程で、道真と梅・松・桜に関わる挿話も整理されていった。
道真は梅を愛好し、その邸宅は紅梅殿と呼ばれた。
『北野天神縁起絵巻』では、道真が配所の筑紫へ発つ際、庭の梅との別れを惜しんで
「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」の和歌を詠んだと伝わり、
この歌ゆえに、のちに梅が筑紫まで飛んで行ったという〈飛び梅伝説〉が生まれた。
これが『天神の本地』になると、道真が筑紫で上記の歌を詠み、その思いが通じて都から梅が飛んでくるという
話になり、飛び梅の奇跡がより明確に描かれている※1。
この飛び梅説話を基調とし、これに付加するかたちで〈枯れ桜〉〈追い松〉説話が生まれたと考えられる。※2
このうち松には、道真死去の際、北野に一夜にして松が生えたという伝説(『大鏡』時平伝)が残る。
山本五月氏は著書の中で、この『大鏡』の内容について、「松は道真自身であり、天神の居所を象徴するもの
としての意味を持つことになった」と述べている(参考文献参照)。
松は古来神の依り代として神聖視された常磐木であり、また長寿の象徴として尊ばれた〈老松〉と道真の
跡を追った〈追い松〉という音の重なりもあって、道真が愛した梅と並んで取り上げられたものと考えられる。
謡曲「老松」でも、「諸木の中に松梅は、殊に天神の御自愛にて、紅梅殿も老松も皆末社と現じ給へり」とある。
〔参考:天神本地物〕読みやすさを考え、表記を適宜改訂した
「天神の本地」押方本(『神道大系 文学編二 中世神道物語』所収)※1 梅
程なくその年の二月にもなりければ、都にて軒端に植ゑし紅梅も、今こそ時にあひ侍るらめと、うち詠めて、
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
と詠じ給ひければ、空の気色もうららになりて、かねて見ざりし紅梅の根中から御前にありけるをご覧ずれば、
旧古に植ゑおき給ひし梅に違はず。今に至るまで、安楽寺の飛梅とて、名木たり。
「天神御本地」赤城文庫本(『室町時代物語大成 補遺二』所収)※2 梅と桜
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
桜花ぬしを忘れぬものならば吹きこむ風にことづてをせよ
あはれなるかな、梅は万里の波濤を凌ぎて安楽寺に飛びけり。桜は三春の風にも開かずして、則ち枯れにけり。
春にあへども花咲かず、夏にあへども葉も茂らず、これ主を恋ふ色、人倫にはまさりたりけり。
飛梅、枯桜とは、この木のこととかや。
「天神の本地」慶応義塾図書館蔵・元奈良絵本(『室町時代物語大成 補遺二』所収)※2 梅と松
紅梅殿の名残惜しくおぼしめして、かくなむ。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
あはれなるかな、梅は、ちさとの波を凌ぎて、筑紫の安楽寺へ飛び、松は枯れ、主を慕ふ心ざし、人間は、
かほどはよもあらじと、聞く人みな感じける。
「天神本地」(『室町時代物語集 一』所収)※2 梅と桜と松
程もなく二月一日になりしかば、軒端に植ゑし紅梅の花も、今は匂ふらむとおぼしめして、都の方へ向かはせ
たまひて、かくなむ。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな
と、うち詠めさせたまひておはしましければ、吹き来る風なにとなく、梅の匂ふかと思ゆるとありしに、
いとど都をおぼしめしけるところに、紅梅の美しく咲き初めたるが、根中から御前にありしをご覧ずれば、
都に植えさせたまひし梅なりけり。安楽寺へ飛びけるによって、飛梅とは申すなり。
あまりの御おもひにや、一夜に白髪となりたまひしも、この時のこととかや。
桜花ぬしを忘れぬものならば吹きこむ風にことづてをせよ
あはれなるかな、梅万里の波を飛んで、安楽寺へ来たりけり。桜は春の風にも開かずして枯れにけり。
(中略)
梅は飛び桜は枯るゝ世の中になにとて松のつれなかるらむ
かやうにうち詠めたまへば、梅のあとを追ひ来たるによって、追い松の神と申すは、このゆへなり。
【語句について】
謡曲「老松」と共通する詞章部分の語句解説は、『新編日本古典文学全集58 謡曲集一』頭注を参照した。
〔実(げ)に治まれる四方の国……関の戸ささで通はん〕
謡曲「老松」の引用。
「四方」は、東西南北・前後左右といった四方、周囲全部。転じて、あちらこちら、処方。
「関の戸」は、関所の門や扉。
「ささで」は、「鍵をかける、門や戸を閉ざす」意の「鎖す」に打消しの接続助詞「で」がついたもので、
「閉めないで」の意。
どの国も実に平和に治められているので、関所の戸を締めないで自由に往来できることだ、
という、世をことほぐ慣用的表現。
これは老木の神松の
続く「……苔のむすまで」は、謡曲「老松」では結びの部分の詞章。
シテである老松の神の詞で、一緒に登場する紅梅殿が梅の若木の神であるのに対して、
自分のことを「こちら(私)は老木の神松で……」と言う。
千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまで
和歌「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(『古今和歌集』巻第七・賀歌、
『和漢朗詠集』巻下所収)にもとづく表現。
「千代に八千代に」は、「長い年月にわたって、何千年も」の意で、永遠の繁栄を祈る表現。
「さざれ石」は小石、細かい石。
「何千年も限りなく栄えますように、小さな石が大きな岩となって苔が生えるようになるまで」。
松の葉色も時めきて
「時めく」は、時勢にあって栄える、寵愛を受ける。ここでは時を得て、色深く輝く。
十返り深き緑のうち
「十返り」は、十回繰り返すこと。百年に一度、千年に十度花を咲かせると伝えられることから、
松のことをいう。「十返りの松」は、花を十回咲かせた松、すなわち千年を経た松(日国、広辞苑による)。
ただし「松は千年に一度花開くとされることから、それを十度繰り返した万年の樹齢の松」とする
説もある(『謡曲集一』頭注、『能を読む』現代語訳による)。
〔眠れる夢のはや覚めて……長生の泉を汲める心地せり〕
長唄独自の詞章。
「十返り深き……」(=千年生きる=長寿)からの流れで、
風流(「花」「月」)や芸道(「糸竹」)に月を過ごすうち、いつの間にか
長い人生が過ぎ、なお長寿を生きられる(「長生の泉を汲める」)ような心地がする、の意か。
色香にふけし花も過ぎ
「色香」は1.花などの色と香り。 2.女の美しい容色、あでやかさ。
「更く」は1.時がたつ、(夜が)更ける、(季節が)深まる。 2.年をとる、老いる。
「花」は1.植物の花。 2.栄えること、栄誉。 3.縹色。 4.祝儀、こころづけ。
4.(特に能楽で)芸の美しさ、魅力、はなやかさ。
全体の文意として、女性の、若かった頃が過ぎ去るさまをいうか。
月にうそぶき
「うそぶく(嘯く)」は、
1.口をすぼめて息を強く吐き、音をたてる。ふうふうと息を吐き出す。
2.詩歌などを低い声で口ずさむ。吟詠する。 3.口笛を吹く、また感嘆のあまりため息をつく。
4.虎などが吼える、鳥などが鳴き声をあげる。 5.強がりを言う、大きなことを言う。
6.照れ隠しにそらとぼける。また、開き直ったり得意になったりして相手を無視するような態度をとる。
などの意。
虎が月に向かって吼えることを「嘯月」とも。
「嘯風弄月」は、風に吹かれて詩歌を口ずさみ、月を眺めることで、
自然の風景に親しみ、詩歌・風流を愛することをいう。同様の意味で「嘯月吟歌」とも。
したがって本稿では、「月にうそぶき」を「月を愛でて風流を楽しみ」の意で解釈した。
なお謡曲「老松」には「風も嘯く寅の時」の章句があるが、これは「風も音を立てて吹く寅の刻」の意。
身はつながるる 糸竹の 縁にひかれて
「つなぐ」「糸」「ひく」と、関連の深い語を縁語的に重ねている。
「糸竹」は「糸竹」とは弦楽器と管楽器、転じて音楽のこと。
作曲の動機に母の長寿祝いがあるという説にしたがえば、作曲者である杵屋六三郎の家系を示唆するものか。
うつらうつらと
A「うつら=空」を重ねた表現。
ぼんやりしているさま、ぼうぜん、うっかり。また、ゆっくりと揺れ動くものから受ける感じ。
B「うつら=現」を重ねた表現。
まのあたりにはっきりと、まざまざと、つくづくと。
ここでは後の文意(「長生の泉を汲める心地せり」)とあわせて、Aで解釈した。
長生の泉を汲める心地せり
「長生」は長く生きることだが、「長生の泉」という表現は出典・類似表現未詳。
「心地せり」は「(……ような)気分がした、感じがした」。
〔まず社壇の方を見てあれば……ここに司を しるしけり〕
謡曲「老松」にもとづく詞章で、一部に表現の改変、また章句の挿入がある。
太宰府にある菅原道真をまつった安楽寺を訪れたワキ・梅津某の質問に答えて、
実は老松の神であるシテの老人が、安楽寺の境内について説明している部分。
社壇
神をまつったところ、やしろ。社殿。
北に峨々たる青山に
「峨々たる(峨々たり)」は、山や巌などのけわしくそびえ立つさま。
「青山」は1.樹木の青々と繁った山。 2.骨を埋めるところ、墓。
3.『平家物語』で知られる琵琶の名器。 ここでは1。
彩る雲のたなびきて
単に叙景の一文と解釈しても良いように思われるが、『日本舞踊全集』「老松」解説では、
次の「風にひらり」とあわせて、「彩る雲=花の雲(桜の花を雲に例える)」と解釈している。
翠帳紅閨の粧ひ 昔を忘れず
「翠帳」はみどり色のとばり。「翠帳紅閨」は、みどりのとばりを垂れ紅色に飾った部屋のことで、
多く高貴な女性の寝室のことだが、ここでは広義に「貴人の美しい部屋」の意で、
生きていた頃の道真の居宅をさしていると思われる。
古寺の旧跡
『謡曲集一』によれば、安楽寺西方にあった観世音寺の跡のこと。道真の漢詩に、
「都府楼ニハ纔(わずか)ニ瓦ノ色ヲ看(み)ル、観音寺ニハ只鐘ノ声ヲ聴ク」
(『菅家後集』、『和漢朗詠集』巻下所収)がある。
晨鐘夕梵の響き
寺で、夜明けと日暮れの勤行のとき鳴らす鐘。夜明けの鐘と日暮れの鐘。前の観世音寺の鐘の音。
赤間硯
前の「眺めさへ」を受け、「飽か(ず)」と「赤間」を掛けた表現。
赤間石で作った硯。赤間石は山口県厚狭郡産出の石で、きめ細かく小豆色で青色の混じるものを上等とする。
謡曲「老松」が筑紫国太宰府を舞台としているので、江戸から見てその手前の地名である赤間を用いたか。
筆ずさみ
「筆すさび」とも。筆にまかせて書くこと。なぐさみに書くこと、またそのもの。
司(つかさ)
不詳。
語義としては「長・首」で1.主だったもの、主要なもの。また主要な人物、首長。 2.役所、官庁。
3.宮廷に仕えている人、官吏、役人。 4.朝廷から任じられる官職。また単に役目、つとめ。
また「司・阜」で、土地が小高くなった部分。小高い丘。
ここでは「記念のしるし」のような意味か。
〔松といふ……ことわりぞかし〕
長唄独自の詞章。謡曲「老松」の詞章から離れ、松の老木の連想から謡曲「高砂」に描かれる高砂の松・
住吉(住の江)の松を登場させる。
寿祝ふ常磐木の(調べぞ続く)
「常磐木」は「(寿祝ふ)時は来」と「常磐木」を掛けた表現(稀音家義丸氏による)。
一年中葉が緑色を保つ常緑樹のことだが、ここでは特に松のこと。
「常磐木の調べ」で、松風の音を音楽に例えていう。
高砂の 名あるほとり
以下、謡曲「高砂」に拠る表現。
謡曲「高砂」は世阿弥作の初番目物(脇能)。高砂の松と、国を隔てた住吉(住の江)の松は相生の夫婦
であるとし、天下泰平を祝う内容。高砂の松が尉(老翁)、住吉の松が姥にあたる。
高砂は現兵庫県南部、加古川河口部海岸付近の地名。
「名ある」はその名のついた、有名な。「ほとり」は、ここでは岸。
住吉の 松の老木も若きをかたる 恥づかしさ
「住吉」は「(ほとりに)住み(良し?)」と「住吉の松」を掛けた表現。
住吉の松は、摂津国墨江郡(現大阪府)一体にあった松および松林で、歌枕。
「若き」は若木の意も含み、前の「老木」と対をなす。
老婆が若い頃のことを述懐して恥じらう姿を想起させる章句。
ただ変はらじと深緑
「ただ」は副詞、ここではただもう、むやみに、の意。
「変はらじ」の「じ」は打消意志の助動詞。変わるまい。
「深緑」は、変わらぬ想いのまま長寿を経たことを、松の老樹の深い葉色に例えていうか。
相生
二本の幹が相接して、一つの木のようにして生え出ること。二つのものがともどもに生まれ育つこと。
「相老い」にも通じ、夫婦和合の象徴とされる。
謡曲「高砂」に「高砂住の江の松に相生の名あり」。
同曲中、高砂の松と住吉の松は国を隔てて生えているが、心は通いあい、ともに生きているとしている。
なお高砂神社には、黒松と赤松が接合した相生の松が生えている。
喜びもことわりぞかし
「ことわり」は1.すじみち、道理。 2.理由、わけ。 3.当然のこと、もっともなこと。
「ぞかし」は係助詞「ぞ」に終助詞「かし」が付いたもので強い念押しを表す。……だよ、……なのだよ。
〔清きいさめの神かぐら……ありがたや〕
謡曲「老松」にもとづく詞章で、一部に表現の改変がある。
清きいさめ
「いさめ」は、
A「勇」勇気づけること、元気づけること。 B「慰」なぐさめること。
C「諫」1.禁止すること。 2.忠告すること。 ここでは神に対して捧げる神楽なので、Bが適切。
神かぐら
1.かぐら(神楽)と同義。
2.神自身が奏する神楽の意。人のいない家の中などで神楽を奏する音が聞こえるという怪異譚のひとつ。
謡曲「老松」では、シテの老松の神が神楽を舞うので2(怪異譚ではない)だが、
本曲は謡曲の筋を追うものではないので、単に神楽と解釈してよい。
舞楽をそなふるこの家に
『日本舞踊全集』「老松」の字句解釈では、「舞楽を備ふる」で「舞楽を演奏する用意がしてある」と
解釈しているが、謡曲「老松」の表記および文意にしたがえば、「舞楽を供ふる」で「舞楽を奉納する」
の方が適切か。
なお、早稲田大学演劇博物館所蔵の唄本では「そなふる」とひらがな表記。
声も満ちたつ
謡曲「老松」では「声も満ちたる」。同義として解釈した。
〔松の太夫の……晴れて逢ふ日を松の色〕
長唄独自の詞章。
松の連想から、松の位と呼ばれた太夫職の遊女を導き、客との口説のさまを描く。
松の太夫
秦の始皇帝が雨宿りした松に大夫の位を授けた、という故事から、大夫(=五位の官)を松の位という。
転じて、江戸時代の遊廓で最高位の太夫職の遊女のこと。
〔参考:松の太夫の故事〕
……乃(すなは)ち泰山に上り〔中略〕、下りて、風雨暴(には)かに至る。樹下に休(いこ)ふ。
因(よ)りて其の樹を封(ほう)じて五大夫と為す。(『史記』秦始皇本紀第六、17)
もろこしには、秦始皇、泰山に行幸し給ふに、俄雨降り、五松の下に立ち寄りて、
雨を過ごし給へり。このゆゑに、かの松に位を授けて、五大夫といへり。(『十訓抄』上、一ノ九)
さて松を、大夫といふ事は、秦の始皇の御狩の時、天俄かにかき曇り、大雨しきりに降りしかば、
帝雨を凌がんと、小松の蔭に寄り給ふ、この松俄かに大木となり、枝を垂れ葉を並べ、
木の間隙間をふさぎて、その雨を漏らさざりしかば、帝大夫といふ、爵を贈り給ひしより、
松を大夫と申すなり。(謡曲「老松」)
うちかけ
打掛小袖。帯をしめた衣服の上にうちかけて着るものの意。
武家や富裕な町人の女性など、上層階級の女性の服装だが、遊女もこれを着用した。
邦楽詞章で「うちかけ」という時は、長唄「喜三の庭」「菊の着せ綿うちかけに 桔梗苅萱女郎花」のように
もっぱら遊女の存在を示唆する語。
「傾城のうちかけをする事、時により事によりて着すべし。貴人のまへへ出るか、或は初対面の会に出るか、
或は大よせの座席に至る時などはさもあらんか」(『色道大鏡』)
蔦の模様に藤色の
打掛の模様と色をいうが、どちらも松にからんで生えるもの。
いとし可愛いも みんなみんな男は偽りぢゃもの
「い」を十個(「と」)と「し」の文字を用いた藤の花の意匠(デザイン)から「いとし」を導く。
「いとし」「可愛い」は男が女を口説く際の常套句で、
「いとし可愛い」と続くときは、それが本意ではないことを含む文脈で用いられることが多い。
「いとし可愛と、云やるは嘘よ、死出の山路は、ひとり越す」(『延享五年小哥しやうが集』)
拗ねて見せてもそのままよそへ
「拗ねて見せ」るのは遊女、「よそへ」行ってしまうのは客。
ある夜ひそかにつきあひの
江戸中期の俳人・大島蓼太の句「五月雨やある夜ひそかに松の月」を踏まえた表現。
句意は「幾日も五月雨の降る晩が続く中、ある夜ふと気付くと雨が上がっていて、
松の葉越しに明るい月が見えていた、うれしいものだ」。
この句を了解している者に対しては、この章句にも暗に「松」が隠されていることになる。
「つきあひ」の解釈が未詳。
『長唄名曲要説』は「つきあひ」に「月間」と「附合」(連歌・俳諧用語)を掛けるとする。
「つき(月)」と次の「雲」が附合の関係であることをいうか。
「月間」は、その月の終わりと次の月のはじめとの間。
雲のまがきの掛言葉
「雲のまがき」は立ち昇った雲が物を隠すのを、まがき(垣根)に見立てていう語。
また、廓の見世軒先の籬(まがき)に掛けていう。
「掛言葉」は、同じ音で異なる意味を持つ語を利用して、一語に二つ以上の意味を持たせる修辞法。
また、籬ごしに遊女が(あるいは客が)声を掛けることも掛けている。
憎らしい木隠れに 晴れて逢ふ日を松の色
「木隠れ」しているのは客で、前の「雲」に隠れるのと同様、逢瀬が途絶えたことをいい、
また月を連想させる。
「晴れて」は雲が晴れる意と、状況が好転する意を掛けていう。
「松」は、「松」と「待つ」の掛詞。
〔ゆたかに遊ぶ……めでたけれ〕
謡曲「老松」にもとづく詞章で、一部に表現の改変、また章句の挿入がある。
ゆたかに遊ぶ
「ゆたかに(豊かなり)」は、
1.満ち足りたさま、富裕なさま。 2.ゆったりとしたさま、おおようでのびのびしているさま。
ここでは2。
「遊ぶ」は多義語だが、ここでは鳥や獣などが自由に飛んだり走ったりするさま。
鶴亀の
「鶴亀」は古来長寿の象徴とされる(長唄メモ「鶴亀」参照)。
齢を授くるこの君の
謡曲「老松」は、シテである老松の神が世をことほぐ曲であるので、「君」は天皇あるいは君主の意。
老松の神が、松竹・鶴亀と同様の長寿を「君」=天皇に対して授けることをいう。
ただし本曲では意味を縮小して、「君」を本曲をおくる相手(あなた)と解することもできる。
行く末守れと我が神託の
「君」の将来を守れという神託。
告を知らする松の風
「告」はここでは前の「神託」と同義。「松の風」は松の枝に吹く風。
富貴自在の繁栄も
「富貴」は富んで貴いこと、財産が豊かで位の高いこと。「自在」は思いのままであること。
富貴も思いのままの豊かな栄え。
久しき宿こそめでたけれ
謡曲「老松」では「久しき春」。
「久しき(久し)」は1.長い時間が経過したさま、長い間。 2.ある状態が長く続くさま。
3.久しぶりだ。 ここでは2。
「宿」は、ここでは広義に、代々続く家の意か。
【成立について】
文政三年(1820)初演。
四代目杵屋六三郎作曲、作詞も六三郎本人か。
芝居・所作事から離れた純演奏曲(素唄・お座敷長唄)のはじめ。
母ますの八十歳の記念につくられた曲で、「まつ」「ます」の音を通わせたと伝わるが、
この説を素唄発表のための口実と推察する向きもある(『長唄閑話』参照)。
松風の合方は、初演の時六三郎のワキを引いた杵屋三郎助(後の十代目六左衛門)作という
(『増補長唄の心得』ほか)。
【参考文献】
乾克己ほか編『日本伝奇伝説大事典』角川書店、1986.10
梅原猛・観世清和監修『能を読む② 世阿弥 神と修羅と恋』角川学芸出版、2013.3
大隅和雄ほか編『新版日本架空伝承人名事典』平凡社、2012.3
稀音家義丸『長唄閑話』新潮社、2002.4
小山弘志・佐藤健一郎校注・訳『新編日本古典文学全集58 謡曲集一』小学館、1997.5
白瀬浩司「『天神記』小考―「松・竹・梅」の登場―」『文学研究』72号、1990.12
神道大系編纂会『神道大系 文学編二 中世神道物語』1988.9
竹居明男編『歴史と古典 北野天神縁起を読む』吉川弘文館、2008.11
長唄総合研究会「老松」『芸能』12巻11号(通号141)、1970.11
松本隆信編『室町時代物語大成 補遺二』角川書店、1988.2
山本五月『天神の物語・和歌・絵画―中世の道真像―』勉誠出版、2012.3
横山重編『室町時代物語集 第一』井上書房、1962.5
横山正編『日本古典文学全集45 浄瑠璃集』小学館、1971.11