[謡ガガリ]
旅の衣は篠懸の 旅の衣は篠懸の 露けき袖やしをるらん
〈本調子〉
時しも頃は如月の きさらぎの十日の夜 月の都を立ち出でて これやこの 往くもかえるも別れては
知るも知らぬも逢坂の 山かくす 霞ぞ春はゆかしける 波路はるかに行く舟の 海津の浦に着きにけり
いざ通らんと旅衣 関のこなたに立ちかかる
夫れ山伏といっぱ 役の優婆塞の行義を受け 即身即仏の本体を 此処にて打ちとめ給わんこと
明王の照覧はかりがとう 熊野権現の 御罰当たらんこと たちどころに於いて疑いあるべからず
おん阿昆羅吽欠と 数珠さらさらとおし揉んだり
元より勧進帳のあらばこそ 笈の内より往来の 巻物一巻取出だし 勧進帳と名付けつつ
高らかにこそ読み上げけれ (天も響けと読み上げたり 感心してぞ見えにける)
士卒が運ぶ広台に 白綾袴一とかさね 加賀絹あまた取り揃え 御前へこそは直しけれ
こは嬉しやと山伏も しずしず立って歩まれけり
すわや我が君怪しむるは 一期の浮沈ここなりと おのおの後へ立ちかえる
金剛杖をおっ取って さんざんに打擲す 通れとこそは罵りぬ
かたがたは何故に かほど賤しき強力に 太刀かたなを抜きたもうは 目垂れ顔のふるまい
臆病のいたりかと 皆山伏は 打刀抜きかけて 勇みかかれる有様は
いかなる天魔鬼神も恐れつびょうぞ見えにける
士卒を引き連れ関守は 門の内へぞ入りにける
ついに泣かぬ弁慶も 一期の涙ぞ殊勝なる 判官御手を取りたまい
鎧にそいし袖枕 かた敷く隙も波の上 ある時は舟に浮かび 風波に身を任せ
またある時は山脊の 馬蹄も見えぬ雪の中に 海少しあり夕浪の 立ち来る音や須磨明石
とかく三とせの程もなくなく痛わしやと 萎れかかりし鬼あざみ 霜に露おく斗りなり
互いに袖を引き連れて いざさせたまえの折柄に
〈二上り〉
実に実に是も心得たり 人の情けの盃を 受けて心をとどむとかや 今は昔の語り草
あら恥ずかしの我が心 一度見えし女さえ 迷いの道の関超えて 今またここに超えかねる
人目の関のやるせなや アア悟られぬこそ浮き世なれ
〈本調子〉
面白や山水に おもしろや山水に 盃を浮かべては 流に引かるる曲水の
手先ずさえぎる袖ふれて いざや舞を舞おうよ
元より弁慶は三塔の遊僧 舞延年の時の和歌 是なる山水の 落ちて巌に響くこそ 鳴るは滝の水
鳴るは滝の水 鳴るは滝の水 日は照るとも 絶えずとうたり 疾く疾く立てや手束弓の
心ゆるすな関守の人々 いとま申してさらばよとて 笈をおっとり肩に打ちかけ
虎の尾を履み毒蛇の口を 遁れたるここちして 陸奥の国へぞ下りける
【成立】天保十一年(1840)三月 河原崎座初演。
・七代目市川団十郎が成田屋相伝の荒事十八種として選定した歌舞伎十八番のひとつ、「勧進帳」の伴奏音楽として成立。
・歌舞伎「勧進帳」は、七代目団十郎(上演当時は海老蔵)が初代団十郎の没後百九十年の追善興行として、初代団十郎の自作自演狂言「星合十二段」にちなみ能「安宅」を元にして創作した。
■「勧進帳」の解説・現代語訳・語句注釈のつづきは、
『長唄の世界へようこそ 読んで味わう、長唄入門』(細谷朋子著、春風社刊)
に収録されています。
詳しくは【長唄メモ】トップページをご覧ください。
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