狂 獅 子
明和年間

作曲 鳥羽屋三右衛門(東武線太夫)

〈二上り〉 
日の影を 長閑に鶴の歩行(あゆみ)かな 今朝はうららに鴬の 春風薫る梅が枝に 
色も変らぬ常磐木の 枝をたれ葉を列べ 岩うつ波に橋かけて 
ひらりくるりひらりくるりとかけ廻(めぐ)り 
そも石橋と名づけつつ こうかんの時もよも過ぎじ 獅子の来たるを待ち居たり 
日影に眠る蝶の数々 あまた空より舞ひ下り 牡丹の花に戯れ遊ぶひらひら 
くるくるくひなの鳥の はたはたとたたいた 獅子は勇みてくるくるくると 

〈三メリ〉 
恋にせわやく君はなつかし いつ来るぞ 
逢ふて別れて別れて 稀に逢ふ夜は笑顔もよしや とんとついたる 暮の鐘 
散るは散るは散りくるは散りくるは 散りかかるようでおいとしうて寝られぬ 
獅子団乱旋の舞楽のみきん 牡丹の花ぶさ匂ひ満ちみち 
大巾利巾の獅子頭 打てや囃せや 
牡丹芳 牡丹芳 黄金の蘂〔ずゐ〕顕はれて 花に戯れ枝に臥し転び 
実にも上なき獅子王の勢ひ 靡かぬ草木もなき時なれや 
万歳千秋と舞ひ納め 万歳千秋と舞ひ納め 獅子の座にこそなほりけれ

(歌詞は文化譜に従い、表記を一部改めた)



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初代鳥羽屋三左衛門による作曲で、別名「鳥羽屋獅子」「曙獅子」とも呼ばれます。
1700年代中頃の成立と推定されていますから、素唄としてはかなり早くに生まれた曲といえます。
題名に「獅子」とある通り、歌詞には石橋物に欠かせない獅子が登場し、
結びにも石橋物に共通する歌詞が置かれてはいますが、内容は謡曲「石橋」とは関係がありません。
石橋物に不可欠な要素を揃えることで、その雰囲気を歌の背景に漂わせつつ、
男性の訪れを待つ女性の心情を思わせる内容になっています。
歌の前半は、春ののどかな眺めのようです。
短い詞章の中に鶴・鴬・水鶏という三種類の鳥が登場しています。
悠然と歩く鶴、ひらりくるりと飛び回るのは鴬でしょうか。
鳥たちの様子に舞い降りた蝶、獅子の狂いが加わり、その様子は浮き立つ恋心のように華やぎます。
なお、謡曲にも「狂獅子」という曲があります。
ストーリーや詞章の語句が直接引用されているわけではありませんが、
何らかの関係があるのではないかと考えています。
出典がわからず、歌詞の意味がはっきりしない部分も多くありますが、
本稿では曲全体の華やかな雰囲気を中心に、仮の現代語訳としました。



【こんなカンジで読んでみました】

日の影を、鶴がゆるゆると歩いているのどかな景色。
今朝はほがらかな鴬の鳴き声が、春風に花開いた梅の枝からこぼれていたの。
青々と葉を茂らせた松の枝が低く垂れているのを、川瀬の波に見立てたのかしら、
波間の橋をめぐるように鴬たちはひらひらくるくる飛びまわって、まるで獅子の狂いみたい。
だとしたら、ここは清涼山の石橋ってことじゃない。うん、あたしそう思うことにした!
私の獅子が来てくれるのはいつかしら、きっと、もう間もなくよね。
そんなこと思いながら、ずっとずっと、あなたを待っているのよ。
日影で眠っていたたくさんの蝶が、目を覚まして空から舞い降りてきて、
牡丹の花の周りをひらひら舞い遊ぶ、ひらひらくるくる、あの人は来るかしら。
水鶏がはたはたと鳴いた、いいえ、今のははたはたと戸を叩く音。
獅子は勇んでくるくる飛び跳ねる。すごく逢いたかったの。

恋に夢中のあなたが愛しい。
次はいつ来るの、逢って別れて別れたまんまじゃ、たまに逢えた夜は笑顔も、笑顔で、あーもういいや、
暮れ六つの鐘を待ちきれなくて、私がとんとついちゃった。
鐘の音に震えて、牡丹の花がはらはらと散りかかる。
ずっと散らずに咲いていられたらいいのに、胸が痛くて、愛しくて、あたし眠れないよ。

今こそ獅子団乱旋の舞楽の曲が華やかに鳴り響く時。
牡丹の花の香りは満ちて、獅子は勇ましく頭を打ち振るう。
音楽よもっと高らかに、芳しい牡丹の花からは黄金の花芯が顔をのぞかせ、
獅子は花にじゃれたり枝に寝転んだり、牡丹の花と戯れ、まさしく王たる獅子の勢いを見せる。
その姿にすべての草木がなびく今こそ、天下泰平の世が万才千秋と続きますように、
幸せな今がずっと続きますようにと舞い納め、獅子は自分のいる場所に戻っていった。



【謡曲「狂獅子」】

長唄「狂獅子」は詞章に“獅子・牡丹・蝶”を登場させたり、
謡曲「石橋」やそれを元とする歌の詞句を利用したりして、
石橋物の世界を趣向として借りているが、内容は男女の恋情を主とする抒情詩的で、謡曲「石橋」と関連はない。
一方、田中允『未刊謡曲集 十』には、本曲と同名の「狂獅子」という曲が収められている。
その〈あらすじ〉は以下の通り。

〈あらすじ〉
伊豆の国の住人・江川の某(なにがし)が走湯山に参詣していたところ、吉兆の夢告があり、下向する。
一方、三嶋の兵衛は、江川の息子である月若の依頼を受け、勘当を解いてもらうために江川に面会しようとする。
月若は伊豆山へ修行に上っていたが、学問を怠けたため父から勘当されていた。
三嶋は吉兆の夢告のお祝いと称して江川に面会し、和やかな酒宴となったが、
三嶋が「祝いの引出物」として同行していた月若を招き入れて江川と対面させようとすると、
江川は聞き入れない。
あくまで勘当を解かないと言う江川だったが、
それならばここで自害するという三嶋の言葉に負けて月若を赦し、対面する。
親子は和解、江川は三嶋が得意である獅子頭の舞を所望し、三嶋がめでたく舞う。

〈その他〉
田中允は、『未刊謡曲集 十』の解題で、
  享保九年版『兼珍小謡』以下の小謡集に狂獅子と題して「うぐひすの
  すごもり。やしなひたてゝちとせそふ。花松がえぞめでたき めでたき」
  と本曲の一節を祝言謡として納めている。早笛や獅子舞があり、その
  獅子舞も狂獅子舞という特殊なものであるから、能としても見られる
  曲と思われ、室町末か近世初期の作らしく、上演されたこともあったかと思われる。
と解説している。
先に述べた通り、長唄「狂獅子」の詞章は抒情私的なもので、この謡曲「狂獅子」の話筋とは関連性がない。
しかし田中氏が指摘するように謡曲の一節が小謡として独立し、「狂獅子」の名で広まっていたということは、
長唄「狂獅子」も、謡曲「狂獅子」が認識されたうえで成立したと考える方が自然だろう。
長唄「狂獅子」の一節「今朝はうららに鶯の 春風薫る梅が枝に 色も変らぬ常磐木の 枝を垂れ…」は、
上記小謡にもなっている謡曲「狂獅子」の一節
  「うぐひすのすごもり。やしなひたてゝちとせそふ。花松がえぞめでたき めでたき」
と“鶯”“松(の枝)”が共通しており、あるいは謡曲の詞章から連想を得たものかとも思われる。



【語句について】
日の影を 長閑に鶴の歩行かな 
 松尾芭蕉の弟子で蕉門十哲の一人であった俳諧師・宝井其角の句
 「日の春をさすがに鶴の歩哉(あゆみかな)」による表現。
 貞享三年(1682)の其角の歳旦帳にある発句で、貞享四年(1683)刊『続虚栗(みなしぐり)』所収、
 さらに享保二十年(1735)刊『鶴のあゆみ』にこの句を発句とする百韻が収録されている。
 「日の春」は其角による造語で、「春の日」の意(田中善信『全釈続みなしぐり』より)。

〈今朝はうららに鴬の 春風薫る梅が枝に 色も変らぬ常磐木の 枝を垂れ葉を列べ〉
 鴬・春風・梅・松によって新春(春)の情景を描く。
 謡曲「狂獅子」の一節「梅が枝に巣をくふ。鴬の巣籠り。養ひ立てて千年そふ。花松が枝かめでたやな」
 と関連があるか(【謡曲「狂獅子」参照】)。

うららに
 「麗(うら)らかなり」と同。春の季語。
 1.空が晴れて、太陽が明るくのどかに照っている様子。春の日をいう場合が多い。
 2.声が明るくほがらかなさま。
 3.(心中に隠すところがなく)さっぱりとしたさま。のどかにはればれしたさま。さわやか。
 先行作品に、
 「うぐひすのうららかなる音(ね)に、鳥の楽はなやかにききわたされて」(『源氏物語』胡蝶)
 「ゆるらかに吹く春風に、軒の梅なつかしく香りきて、うぐひすの声うららかなるも」
 (『増鏡』十六・久米のさら山) などの用例があり、これを鑑みるに、鴬の声の描写として2で解釈する
 のが適当か。

常磐木
 一年中葉が緑色を保つ常緑樹のこと。特に松のこと。
 「寿祝ふ常磐木の 調べぞ続く高砂の」(長唄「老松」)

岩うつ波に橋かけて 
 浅川玉兎氏は「庭の池の様子」(『続長唄名曲要説』)、
 西園寺由利氏は「枝を垂れた松の枯木を水面の橋にたとえたもの」(『長唄を読む』)と解釈している。

ひらりくるりひらりくるりとかけ廻り 
 何がかけ廻っているのかは明言されていない。
 ここまでに登場しているのは鶴と鴬だが、「ひらりくるり」を飛翔の描写と考えれば鴬が妥当か。
 また、「ひらり」は詞章後半に登場する蝶のさま「ひらひら」と呼応し、
 「くるり」は「くるくる」からくいなの導入、また獅子の狂いのさま「くるくるくる」と呼応する。

そも
 接続詞。改めて事柄を説き起こし、問題を示す。
 「そもそも。一体。さて。それにしても。それはそうと」などの意。

石橋と名づけつつ 
 「石橋」は唐土・清涼山にある石でできた橋。人の手によらず自然に出現したもので、
 橋の向こう側には文殊菩薩の浄土があると伝えられる。謡曲「石橋」による。
 目の前の情景を石橋と見立てることで、
 獅子の訪れと異性の訪れを重ね、次の男女の恋情の詞章を導くか。

こうかんの時もよも過ぎじ 
 謡曲「石橋」詞章の「影向(ようごう)の時もよも過ぎじ」による表現。
 元の詞章は「菩薩が姿を現す時ももうすぐだろう」の意味。
 「こうかん」は未詳。

くるくるくひなの鳥の はたはたとたたいた 
 水鶏。クイナ科の鳥の総称、特にヒクイナを指していう場合が多い。
 その鳴き声が戸を叩く音に似ていることから鳴くことを「たたく」といい、
 またその連想から「来(る)」にかけて古くから詩歌に用いられる。
 「夜半の水鶏を砧と聞いて たてし金戸を開けぬが無理か」(長唄「官女」)
 「あれ閨の戸をほとほとと 叩く水鶏にだまされて」(長唄「傾城」)など。

恋にせわやく君はなつかし 
 文意は不明、また原曲などの出典も未詳。
 「せわやく(世話やく)」は、進んで人の面倒をみる、人のために尽力する、の意。
 転じて、熱心になる、などの意か。また「世話」には「色事、情事」の意もある。
 「なつかし」は1.心がひかれ、離れたくないさま。愛着をおぼえるさま。
 2.衣服が着なれて程よく糊気がとれて、体になじんでいるさま。
 3.(中世以降に生じた意味)過去の思い出に心がひかれて慕わしいさま。
 離れている人や人物に対して覚える慕情についていう。
 ここでは1で解釈した。

稀に逢ふ夜は笑顔もよしや 
 文意不明。
 よしや(副詞)は1.不満足ではあるが、やむを得ないと考えて、放任・許容するさまを表す語。
 2.もし。かりに。たとい。万一。よしんば。

とんとついたる 暮の鐘 
 「暮の鐘」は暮れ六つ(午後六時ごろ)に鐘などでつく鐘。
 「くれのかねなら 千里もひびけ 聞かせたうもない 明けのかね」(『音曲神戸節』)、
 「明けにゃあきらめ 帰りもするが ままにならぬは くれの鐘」(『潮来風』)など、
 男女の逢瀬のはじまりを示唆することが多い。

散るは散るは散りくるは散りくるは 散りかかるようでおいとしうて寝られぬ 
 宝暦四年(1754)成立の長唄「執着獅子」と同様の詞章で、
 その元になった上方歌「石橋(別名:番獅子)」にもある。
 牡丹の花の散りかかる様子をいうもの。
 「いとし」は1.かわいそうだ。いとしい。 2.かわいい。慕わしい。 の意。

〈獅子団乱旋の舞楽のみきん……獅子の座にこそなほりけれ〉
 「相生獅子」以降、長唄の石橋物に共通する詞章。
 本曲の内容はいわゆる獅子物のそれとは一線を画するが、
 結びにこの詞章を置くことで獅子物としての体裁を整える。
 語釈などは長唄メモ「勝三郎連獅子」ほか参照。



【成立について】

成立年未詳ながら、作曲鳥羽屋三右衛門が明和四年(1767)に没していることから、
宝暦末から明和初年頃にできたものと推測されている(『続長唄名曲要説』ほか)。
三右衛門による「三鳥三畜」のひとつとされる。
別名「曙獅子」「鳥羽屋獅子」とも。
『日本音楽大事典』「曙獅子」によれば、
『御屋鋪番組控』弘化一年(1844)一二月一二日の項に〔栄蔵改メ杵屋三郎助演奏〕として
初めて曲名を見るため、襲名記念として三郎助(十一代杵屋六左衛門)が復曲したと見える
とのこと(稀音家義丸師による)。
なお、「三鳥三畜」の中では、本曲「狂獅子」と「臥猫」だけが補訂されて今に伝わっている。



【参考文献】

小野恭靖編『近世流行歌謡 本文と各句索引』笠間書院、2003.2
西園寺由利『長唄を読む』小学館スクウェア、2014.9
田中允編『未刊謡曲集 十』(古典文庫第245冊)古典文庫、1967.12
田中善信『全釈続みなしぐり』(新典社注釈叢書22)、新典社、2012.3