青?裸々な日常
2009年2月~
第160号 芸に生きる


2月1日(日)伝の会 新宿編
今日も新宿ブラックサンのライヴです。
ただ、昼間は色々仕事してね、明日の沖縄のライヴの支度もしなきゃいけないし、とね、バタバタしっぱなし。
時間になり、あわてて新宿へ。
演目は今回同じでしたね、違うときもあるんです。
大抵二日間やるときは違います、1曲2曲はね。
今回は同じ。
どうしてってわけではないのですが同じでした。
でもね、シャベリが違うから。
っていうか、同じこと喋れないから。
言わば、喋りはいつも「ネタおろし」ですね、あはははは。


2月2日(月)那覇
気がつけば2月。
1月27日に志の輔パルコが終わった翌日からめまぐるしい毎日を送らせていただいております。
本日は那覇。
先月はメッチャメチャ寒くて、テンション下がり放題でした。
旧正月が過ぎ、暖かくなっているとの天気予報を信じ機内へ。
那覇空港着。
ヨッシャーー、暖かい。
ワーーッとコートを脱ぎましたね、えへへ。
こうでなくっちゃいけねぇよ。
やっぱさ、東京と10℃以上は差がないといけませんよーー。
今回もラジオ出演いたしました。
琉球放送ラジオの狩俣倫太郎さんの番組に。
毎回来るたんびに色々出演させていただいてますなぁ、うれしいですねぇ。
お稽古のあと、いつもの一人ライヴ。
もう6回目だそうで、早や半年かいって感じですわ。
今回、ネタ考えるの一生懸命やったのです。
時間無かったのに。
三七郎くんにも手伝ってもらっちゃった、イヒヒ。


2月3日(火)那覇
打ち合わせの後、お稽古です。
そしてまた打ち合わせ。
いつものレバニラ炒めを食べようと思っていたのに、今日はなかなかに忙しくて食べる時間がありませんでした。
あっと言う間に帰りの飛行機の時間になります。
機内で目が覚めると、まもなく着陸という時間でした。
キラキラと輝く夜の東京が下にありますな。
お腹減ったわな。


2月4日(水)芸に生きる
さぁて、ついに今年のお稽古が始まりました。
一ヶ月休んでしまったのでお弟子さんたちちゃんと来るかが心配ではありますが、とにかく今日からお稽古日なのです。
けど、二人お稽古したとこでダッシュします、銀座のホテルまで。
ハァハァ、もちろん息切れします、地下鉄降りて走るからね。
久しぶりにお会いする鈴木治彦さん。
伝の会をよく見にきてくださる。
最初にお会いしたのはもう十何年前だろうか?
「わぁテレビの人だーー」と感激したことを覚えてる。
歌舞伎チャンネルで「芸に生きる」という番組を鈴木さんが持ってらして、そこのゲストに呼んでくだすったのだ。
あわてて紋付袴に着替えて、さっそく本番。
あっと言う間の一時間。
なんか俺、笑ってばっかりだったわ。
伝の会の打ち合わせをちょいとして再び走って地下鉄へ。
自宅に戻ってお稽古再開。
終わって21時すぎ。
ホッとして、思う。
「芸に生きる」かぁ。
芸に生きてるかなぁ?
どうなんだろ?
そんなこと考えたことも無かったしなぁ。
立派な番組に出していただいて嬉しゅうございました。


2月5日(木)
稽古日。
2月から今年のお稽古が本格的に始まっている。
お弟子さんと会うのはうれしいこってすよ、やっぱりね。


2月6日(金)
ゴルフのレッスンに通い始めましたからね。
うまくなってやるのだ。
志の輔師匠に「スゴイじゃん、うまくなったじゃん」って言ってもらうのだ。
長唄の世界に入って28年。
拒み続けてきたゴルフをこの年齢から始めるとは思わなかった。
うーーむ、人生とは面白いものだ。
などと、思いながら、クラブ振ってコーチ受けてます。
談春さんもレッスン受けてるって言ってたしな、負けていらんないぞ。
夜にはスクハジがやってきて、17日にやる「師弟ライヴ」の稽古。


2月7日(土)
今朝は9時からお稽古です。
ずーっとです。
見事に今まで続きました。
立派だ。
ずーっとお弟子さんが切れずにキレイに時間が埋まったことはうれしい。
スケジュール帳のお稽古日の欄に無駄なスペース無し。
実に気持ちが良い。
こうキッチリと埋まるとスカッとする。
ただ、お昼ごはんというか朝ごはんというか、食事の時間が無かった。
普段から食事の時間は作ってないが、どっかの時間でサラッと食べられるもの。
だけど、今日は見事に食べられなかった。
それほど、キッチリお弟子さんのお稽古で埋まった。
うん、立派立派。
キレイ!!
さて、なんか食べようっと。


2月8日(日)初心者入門編
うーん、気がつけば、もうヨーカ、早いなぁ。
などと、ボーッと考えながら新幹線に乗る。
着いた先は浜松。
まずは楽器博物館で「長唄三味線 初心者入門編」を。
何年か前から伝の会でやらせていただいてる講座。
最初は伝の会二人でやったが、翌年からは邦さんと僕とで交代しながらやっている。
今年は僕の番なのだ。
子どもたちだけに教えるのだと思っていたら、昨年から小学4年生以上なら誰でも良いということになったらしい。
したがって、AコースもBコースも小学4年生から随分な大人たちまでというおもしろい構成になっていた。
とにかく、お三味線に興味を持ってくれて「触ってやろう」と思ってくれる方々がいることはうれしいことで、楽しい講座をさせてもらった。
しかしさすがに90分を二本やるとくたびれる。
心地よい疲れと申しましょうか、ガクッとしたと申しましょうか。
ボーっとコーヒー飲んだら次へと出発。
次はY宅へ出稽古に行き、S宅でも稽古。
Mさんの旦那さんがお寿司をごちそうしてくれるというご褒美につられて
セッセセッセとお稽古しました。
おつかれさーーーん。
と、連れて行っていただいたお寿司屋さん。
いやいや、おいしかった。


2月9日(月)浜松
朝早くにお迎えが来て、一路病院へ。
知り合いの先生の所で胃カメラ検査をすることになっていたのだ。
アタシャ、今まで、胃カメラを何度か呑んでいるが、どーにもツライのです。最後のときは全身麻酔でやったのです。
とにかく苦手で。
まぁ、得意な人はいないだろーが。
そしたら、その先生のところは鼻からの胃カメラだそうで。
僕としては「いやいや鼻からだってダメっすよー」と拒み、
「大丈夫ですって、鼻からなんてほとんど痛みもなーんもないですから」と諭され、今日に至ったのです。
まぁしょうがない。
とにかく、検査しないわけにはいかない。
覚悟決めてやっていただきました。
結果、とにかくキレイな胃だということがわかってホッとした。
たしかに呑むよりは楽でした。
ガクッと疲れましたね。
そりゃそうでさぁね、鼻から胃カメラ入れてギャーギャー騒いでるんですからね。
2時間は飲食禁止ということで、お腹が減ってフラフラするのを紛らわそうとゴルフショップへ。
見事に紛れた。
もう楽しくてしょうがない。
午後からはお稽古の始まりです。
ドドドドーーッとお稽古。
終わったのが19時すぎ。
もう、とっくに胃カメラのことなんか忘れていましたわ。
みんなと食事して(なにせお稽古付宴会みたいな集まりなんで)、
お先に失礼して新幹線に飛び乗りました。


2月10日(火)神戸
朝の羽田空港。
空いてる空港。
久しぶりに神戸空港に向かうためにやってきた。
昨夜浜松にいたんだから、浜松にもう一泊して新幹線で神戸に向かえばいいのにと思うところだが、なんでか?この流れになった。
まぁいいね、飛行機乗りたくてしょうがないんだから。
神戸は近い。
寝る間もないうちに着いた。
モノレール(って言わないんだよな、なんつったっけな?)で三ノ宮へ。
和三千紘師匠と待ち合わせて神戸新聞へ。
いろいろ企画が持ち上がっていて、その打ち合わせにやってきたのだ。
そして、お昼ごはん。
和「ビールは中でいいでしょ」
テ「へっ?飲みまっか?」
和「飲んだらいいじゃない」
テ「は、はい」
すっかりまわった。
和「5時半まで時間あるからね」
テ「あ、じゃあホテルで昼寝しますわ」
和「はいはい」
目が覚めたとき「ここはどこだ?」と思った。
それほど熟睡したのだろう。
和三千紘師匠と合流して出かける。
和「〇〇へ行くよ、△△と■■もいるからね、それから◎◎んとこに行くわよ」
テ「はい」
この有無を言わせないところがスゴイ師匠。


2月11日(水)伝の会 了法寺
起きたのは6時前。
5時間くらい寝たかな。
まだ暗い。
神戸空港から飛行機に乗って羽田に帰ってきた。
ゆっくりご飯を食べて西八王子に向かう。
今日は了法寺というお寺で伝の会。
お寺でやるの久しぶりだなぁ。
最初にご住職が法要をしてくださり、清まったところでライヴ開始。
いいねいいねーー。
ご住職たちと何か一緒にできないかと考え
休憩明けに参加してもらって一曲やる。
これが実に楽しかった。
思ってもみなかった、ステキにコラボレーションが出来た。
次回ここでやることがあれば、また何かが生まれそうだ。


2月12日(木)伝の会 本公演
昨日の西八王子のライヴが終わったと思ったら、今日から本公演。
昼、お江戸日本橋亭に邦さん・勝彦くん・六ショーゴさん・僕が集合。
まずは下ざらい。
「傾城」「石橋」「賎苧環」「綱館」を浚う、いわゆる下ざらいですね。
ふーー、4曲やったら疲れたよ、当たり前か。
バタッと客席に倒れて寝る。
楽屋からは邦さんのイビキが聞こえる、デカイ音だなぁ。
今回の本公演は、今夜、明日の昼夜、明後日の昼夜、の5回公演。
19時開演。
今夜は「傾城」と「石橋」。
「傾城」も「石橋」も「よくわかる長唄」もはじけた。
良い出だしだ。


2月13日(金)伝の会 本公演
今日は電車で向かう。
気がついたら、上野広小路亭に向かっていた。
おお、びっくりだ。
あぶないあぶない。
志の輔らくごで昨日秋田に行っていた鉄六が、志の輔さんからの差し入れを持って帰ってきた。
楽屋には先日「芸に生きる」(2008年2月4日参照)でお世話になった鈴木治彦さんからの差し入れも届いている。
なんだか豪華。
鈴木さんは昼の部にわざわざ足を運んでくださった、感謝感謝。
今日からは満員のお客様が続く。
うれしい限りであるが、お客様が窮屈なのではとちょいと心配する。
14時開演。
「傾城」「石橋」、よく仕上がった。
昼の部が終わると、僕は「賎苧環」を浚い始めた。
好きな曲であるが弾くのが十数年ぶり。
そんなに弾いてなかったと思うと、これにもびっくりである。
そういえば「石橋」もタテを弾いたのは十数年ぶりである。
今回、僕の担当のこの2曲は勝彦くんに相談して決めた。
まだ伝の会でやっていない曲ということで勝彦くんが数曲選んでくれ、その中から僕が選んだのだ。
さすが三人目の伝の会と言われる勝彦くんである。
やった曲、やっていない曲をよく知っている。
・・・って言うか、本人が覚えてないのは困ったものだ。
19時開演。
邦さんの「よくわかる長唄」はいつも「よくわかる」。
「賎苧環」がこんなに淋しい曲だったとは・・・。
っていうか、今まで知らなかったんかいっ、ワシ!
知らないことはないんですがね、邦さんに話してもらうと、ほんとに「よくわかる」のだ。


2月14日(土)伝の会 本公演
今回の本公演は、意図したわけではないのだがバレンタインの日に絡んでいる。
そのためか、お客様からたくさんのプレゼントをいただく。
なかには「どうせ甘いもの食べないんでしょ、はい、お茶漬けの素」
など、おもしろいお客様もいる。
食べまっせーー、チョコレート。
何をいただいてもうれしい。
最近特にそう思うようになってきた。
「賎苧環」は和佐次朗師に教わった。
師がNHK-FMで「賎苧環」を録音した時もお供した。
最近の気がするが、ひょっとすると20年くらい前かも知れない。
「いい音だなぁ」としみじみ聞き惚れていた自分を覚えている。
今回、その時の放送のテープを何度も聴いてみた。
当時はわからなかった細部の部分の変化に気がつく自分がいる。
こういう腹で弾いてるんだなぁ、曲をとらえているんだなぁ、ということがわかる。
うれしい反面、どうしてあの時にわからなかったんだろうと悔しくもある。
和佐次朗さんが生きてる間にわからなかったんだろうと。
確かめたかったなぁ。
勝彦くんが、「そのノリだからこう歌えるんだなぁ。そうか師匠(勝彦くんの師匠の勝雄師のこと)は、こう歌えって言ってたのがわかりましたよ」と言った。
「賎苧環」のある部分のことである。
テ「うん、和佐次朗さんのテープ聞いて来たんだ」
勝「ああ、なるほどー」
つまり、勝彦くんは勝雄師匠に「こう歌え」と教わっていた部分が、普通一般に演奏しているノリでは歌い切れない節だったのだ。
そこに、僕が和佐次朗さんそっくりのノリで弾いたら、すんなり歌えたと言うのだ。
わかりづらいかも知れないが、結構スゴイことだ。
お互いの師匠のノリがピッタリだってことだわね。
名人たちのノリ。
ゾクっとした。
13時開演。
そんなことを思いながら弾いた「賎苧環」。
良い曲だ。
和佐次朗師匠は生きている。
昼公演が無事に終了。
夜公演は「今回の公演を振り返るライヴ」となっている。
当初、邦さんと二人でやろうとしていた夜のライヴも、勝彦くんとショーゴさんもいてくれることになったので、さてさてさてーーと考える。
17時開演。
本番直前に、やることと構成と段取りとが決定。
ほんとに直前だった。
お客様は今回も満員。
何に期待してるんだ?
と聞きたくなるくらい明るい顔で迎えてくれた、ありがたい。
いろいろ考えたが、今回の本公演でやった4曲をやってみることにした。
それぞれの一部分を。
勝彦くん・ショーゴさんがはりきってやってくれたことが何よりうれしかった。
勝彦くんに至っては、疲れて、終演後楽屋でへたりこんでいたほどだ。
大サービスしてくれた。
伝の会が20年続けてきている長唄演奏会。
そのほとんどを付き合ってくれている勝彦くんにショーゴさん。
アラサーだった僕ら四人は、見事にアラフィフになっている。
20年前の大先輩の年齢に自分たちがなっている。
ショーゴさんが
「あの頃、『石橋』なんて難しい曲、歌えるようになるのかなぁ?って思ってたけど、今、普通に歌ってるもんなぁ」
としみじみ言っていた。
みんな長唄が身体に染み付いた。
どっぷりと。
うまい味に料理できるまでになっているのだろう。
お客様のアンケートでも一番多いのが
「本公演をいつまでも続けてください」というものだ。
よっしゃー、
次は何を弾こうか。


2月15日(日)志の輔独演会 高崎
一年ぶりの三日間5公演はさすがに疲れた。
まぁ、年々歳も取ってるわけだしなぁ。
今朝はやっとこさっとこ起きた。
10時に高崎行きの湘南ラインに乗らねばならない。
あわてて支度して出発。
忘れ物ないといいなぁ。
志の輔師匠の独演会である。
一人である。
長唄の世界の者は、一人でなにかをするってことが無い。
最低でもお三味線二人とか・・・ま、伝の会のことっすけど。
普通の長唄演奏なら最低でも三人とか四人はいる。
それにドップリなので、一人でってなると急に心細くなる。
心配も増える。
「お三味線破けたらどうしよう」に始まって、バチ忘れたら?糸忘れたら?切れたら?糸巻きカラッといっちゃったら?・・・。
もう、そんなこと考え始めたら仕事になんか行けないくらいオドオドしちゃう。
だからあんまり考えないようにしてサッと家を出る。
あんまり考えてないから忘れ物したりする。
・・・ダメじゃん。
なんでこんなにオドオド気味なのかと言うと、久しぶりなのだ。
志の輔さんの独演会に一人で行って仕事するのが。
ここんとこ、鉄六に行ってもらってたこともあるしぃ、1月はパルコだから独演会ないしぃ。
高崎市文化会館。
たぶん、昔、来たことがある会場だと思う。
S「ホラ、鉄九郎さん、出るかも知れないから、舞台のサウンドチェックもしときましょ」
と、事務所のSさん。
そうなのである。
ここんとこ、ワタシや鉄六を連れて行ったときには、
志「ちょっとやってきて」
と、突然、舞台に一人で出させていただくことがある。
うれしっすよ、そりゃあ。
でも、ドキドキもんですわな、出るのか出ないのか。
ということで高座に座りサウンドチェック。
弾いて見ると実に気持ちのいい空間。
いやぁ、良いなぁ、ここ。
開演15分前、師匠登場。
ギリギリじゃん、ま、いつもそんな感じやけど。
楽屋で師匠と雑談してると
S「どういう進行にしましょうか?」
志「うーーん、じゃ、志の彦と春(志の春)で俺で中入り、そいで鉄九郎で俺にしよう」
S「はい」
いつもは中入りの時に突然決まるのに。
おお、開演前に出ることが決まったぞ。
珍しいぞ、というか初めてかも。
なんか、間近もビックリするが、先に決まってるのも緊張するなぁ。
そして開演。
中入り後、「行ってきます」と師匠に挨拶に。
志「がんばってねーー」
と、あまーく背中を押される。
ベルが鳴ったから5分前かと思って、高座に座ったら非常ベルだったらしい、もちろん間違いだったのだが。
お客様もそれにつられて座ったとみえて、そんなに間を置かず幕を開けることになった。
S「お願いしまーーす」
テ「はーい、弾き始めたらあけてくだすをーい」
S「はーーい」
テ「・・・・・」
S「どーぞーー」
テ「はーーーい」
ってな感じで始まりますな。
気持ち良いっすよ。
そりゃあ。
やめられないって感じに。
一生出させてって願う感じに。
ただ、舞台やってる間、ひとつだけ頭のすみにカチッとあるものが。
僕が高座を下りたら、すぐに師匠の出囃子を弾くってこと。
そのときに糸が切れないでいてくれるかってこと。
出囃子で糸切っちゃったらねぇ・・・・わーー、考えただけでも恐ろしい。
だからね、バリバリ弾いて、ワーーッと弾いてんだけど、「もう一仕事あるぞ、糸大丈夫か?」って頭にあるのね。
どっかで加減してますね、いや、それは悪いことじゃないんですけどね、宿命でさぁね。
うまいこと行って、ササッと舞台下りて出囃子弾く、そして師匠登場。
その時になって初めてホッとする。
ふーーっ。
クールダウントークの時に、お客様から「お誕生日おめでとーございまーす」と声がかかる。
そうなのだ、今日は師匠の55回目のお誕生日。
終演後の楽屋。
隙を見て、師匠のそばに三味線を抱えた僕がササッと座る、
志「なっ」
ハッピーバースデーを弾き始める、
志「おいっ」
みんなで歌いはじめる、
♪ハッピーバースデー トゥーユー
志「おいおいっ」
ロウソクがたくさんささったケーキが静々と楽屋に運び込まれる、
志「わー、やめてくれってよーー、こーいうのーー」
テーブルに突っ伏す師匠、
♪ハッピバースディ ディア ししょーーー チチチチチチーーン
志「オマエっ」
♪ハッピーバースデートゥーユーーーーー
ケーキが師匠の前に置かれる、
一同「パチパチパチパチ」
電気が消される、
志「はいはい、わーー、フーフーフーフー」
一同「パチパチパチパチ」
一同「お誕生日おめでとーございまーーす」
一同「パチパチパチパチ」
志「はーいはいはい、ありがとありがとーー。ホラッ早く持っていけ、また火災報知器鳴るぞーーー」
一同ドタドタドターー
みたいな。
照れてかわいい師匠でした。
そして打ち上げへ。
食事の最後に、楽屋でお祝いしたケーキが出てきた。
テ「うまいっすわ」
志「そうか」
テ「あ、ちょっと師匠食べないでください」
志「なんだよー」
テ「これ写真撮らしてくださいよ、師匠の姿を載せられないから、せめてこれだけでも」
N「ミクシィかぁ(笑)」
テ「書いてないっすからね師匠のこと、写真ももう載せてないですから」
一同(笑)
テ「カシャッ!」
テ「おお、いい感じだ」
N「それを載せるんだぁ」
テ「そうそう、姿はね、載せられませんから」
志「いや、いいよ」
テ「えっ?」
N「今、いいっておっしゃいましたね」
テ「おっしゃったおっしゃった、あは、じゃ、すんません」
N「そんなこと言うと撮りますーー鉄九郎さんは」
テ「あ、師匠、ちょっとそこで止まってください」
志「・・・・・」
テ「はいっ、と、いただきました、ありがとうございました(笑)」
N「注文つけるねぇ(笑)」
テ「あは、せっかくですからね、ケーキをいただくとこをね」
志「ったく、うるさいんだよコイツ」
テ「はははは」
志「舞台出てるときも、三味線弾きながら『こんなかでミクシィやってるかた何人いますーー?』って感じなんだもの(笑)」
テ「んな器用なことできまっかいなー」
志「なんで、関西弁なんだよっ!」
ということで、久々に師匠をミクシィに載せることが出来ました。
いやいや、生誕記念ということでしょうね。
ま、そんなこんなで今年も始まったなという感じでございます。
ご静聴ありがとうございました。


2月17日(火)スクハジ20回
僕は大抵、支度するのは当日、出かける日。
なので、朝早い出発だと結構大変なのだ。
じゃあ、前の日に支度しておけよってことになる。
まぁ、そりゃそうなんだけどね・・・・。
今日もバタバタした。
忘れ物が無いかと心配しながら、朝、向かった先は国立の稽古場。
「くにたちの稽古場」と読むか「こくりつの稽古場」と読むかで、乗る電車が違う。
地下鉄に乗ったので「こくりつの稽古場」に向かう。
24日に長唄協会の演奏会がある。
その下ざらい。
今回僕は最初の「新曲浦島」だけの出演。
これは男性の合同演奏。
60人くらいかしら。
同窓会みたいにいろんな人たちと会う。
長唄人ということを確認してるみたいに。
やっぱうれしいね。
仲間って感じで。
それが終わると、やたらとお腹が減った。
あわてて来たのでご飯を食べていない。
ウーー、ガツンと食べたいぞ。
楽屋食堂では物足りないぞ。
うーーん、いっそ六本木まで行ってしまおう。
向かった先は中国飯店。
内弟子の時、毎日のようにランチ食べていたお店。
とにかく好きだった、ここの味が。
実に25年ぶりくらいの入店です。
800円だか900円だったランチは1100円になっていた。
たった200円しか上がってないぜ、
30年前より。
してみると、食べ物って随分と安くなったよなぁ。
お腹一杯食べ、今夜のスクハジライヴの稽古を。
ひどく眠たくなったのでちょこっと昼寝。
そして開演。
鉄駒と鉄六の二人で「スクイーズ☆ハジキーズ」。
ほぼ毎月公演して今夜で20回。
なにはともあれ、大したものだ。
根性と体力と精神力で乗り越えなければ続けてこられない回数だ。
立派なことだ。
DOZと言う空間を自由に使わせてくれているN先生の力が大きいだろう。
そしてなにより、あの娘たちを見守ってくださっているお客様の応援あってこそ20回にこぎつけられたのだと思う。
感謝である。
あの娘たちと出会って10余年。
はやいものだ。
よっぽどのことが無い限り一生師弟関係だろう。
ということは、あいつらとの関わり合いは、これからの時間の方が、たぶん、長いのだろう。
そう考えると恐ろしいぞ。
20回くらいで、「よくやった」などと言ってる場合ではないのかも知れないぞ。
そんな通過点のライヴは、なかなか楽しいものだった。
そりゃ楽しいわな、おっちゃん一人でベラベラと好きなこと喋ってんだもの。
いやいや、おもしろかった。


2月22日(日)春日井と長唄協会
春日井に来ました。
名古屋駅から16キロ。
古典空間よりも先に着いた。
一番乗りジャン。
ものすごいやる気が感じられますね。
舞台監督さんたちといろいろやって、照明からサウンドチェックまでやってしまいました。
万事整ったところで邦さん登場。
邦「なーんだ、アツシがそんなに早く来るんなら、もっとゆっくり来ても良かったな」
テ「なんでやねんっ!」


2月23日(月)
昨夜帰京。
今日はなんだーーー?
あ、長唄協会か。
何時入りだーー?
10時リハか。
・・・・いそげーーー。
9時40分到着。
うーー、遅刻だーー。
楽屋口入る。
あれっ?
靴箱に靴ちょっと。
楽屋廊下へ。
ガラーーン。
なんだと!
TくんCくんがしゃべってる。
テ「おいっ、なんだ?10時音出しじゃないっけ?」
T「そうなんですよ、10時って言ってましたよねー」
テ「俺たちっきゃいないのか?」
T「はい」
テ「ここ(国立大)じゃないのかな?」
C「んな、馬鹿なっ」
仕方なく、楽屋でのんびり楽器作ってると、ぞくぞくと長唄人が到着。
どうやら、10時30分からだったらしい。
おっかしーなー、10時音出しって聞いたんだがなーーー。
まあ、よくあることだ。
気にしない気にしない。
ただ、2分で食べたおそばが惜しい。
僕の出番は最初の男子合同演奏の「新曲浦島」。
のみである。
ウチの「連獅子」には名前は書いてあるが出演はしない。
ま、いろいろ事情があって。
毎年ある合同演奏に、最近では二年に一度くらいの割で出演している。
今年は85名で演奏する。
一度にこんなたくさんの仲間たちに会えるのがうれしい。
「よぉ」「元気か?」「老けたな」「最近疲れが」・・・
などの挨拶が、そこかしこで聞かれる。
これがなんともうれしい。
温かい気持ちになる。
年に一度、こんな気分を味わえるってのは幸せだ。


2月26日(木)志の輔独演会 仙台
昨日25日はお稽古日。
そして26日。
志の輔独演会が仙台で開かれる。
指定よりも一時間早い新幹線に乗らないか?
との連絡により、乗変して「はやて21号」に乗るべく東京駅へ。
ホームに向かうエスカレーターで、おばちゃんの二人連れに話しかけられた。
「こまつぃ◎△〇#■◇%?」
気を抜いていたせいもあるが、見事な東北地方の言葉に「こまち」という単語以外なにも聞き取れなかった。
まぁ、でも、ホームの下で聞くんだから「自分たちの乗る新幹線はここでいいんですか?」的なことだろうと察してね、まぁ誰でも察することはできるだろうけどさ、しゃべりはわかんないからさ、チケット見せてもらったらさ、僕と同じ新幹線だったので、
「はいはい、これでいいっすよ。僕もこれだから。一緒に行きましょ。12号車はあっちです。しばらく歩いて行ってくださいな。上んとこに『12』って出てくるから。あ、僕はこっちなの『はやて』だから。いやいや、いいんですよ、『はやて』と『こまち』は同じなの、仙台あたりで離れるんですよ。これでいいんです、はい。お気をつけてーー」
不安がりながら歩いていくおばちゃんたち。
よっぽど俺が頼りないんだろうなぁ。
志の輔師匠、メンソーレさん、志のぽんさん、事務所Sさんと僕の5人連れは無事に仙台に着きました。
志の輔師匠と僕は、師匠のお友達の車で、とある場所にご飯を食べに行きました。
食べすぎて会館到着。
母たちが楽屋で待っていた(妻の実家が仙台)。
久しぶりに会う母である。
母のお友達とも久しぶり。
皆、発売と同時にチケットを押さえたらしい。
もちろん、今回僕が同行することなど決まってないときだ。
僕がお世話になっている志の輔師匠を観に来ようと思ったのだ。
なかなかですねぇ。
開演。
休憩時に「鉄九郎アリ」との判断が下り、袴はいて急いで舞台へ。
なにやろっかなぁ?
1000人の温かい拍手の中、高座を下りて「中の舞」を弾く。
師匠登場。
マクラ無しで本編へ。
実にかっこいい。
ゾクゾクする。
ヤンヤヤンヤで終演。
今はちょっとやめてしまったけど、ゴルフが大好きな母は師匠に「ゴルフ場いっぱいありますよ、上手な相手たくさんいますから暇なときは言ってください」とゴルフボールを渡していた。
帰りの新幹線。
みんなで酒盛り。
テ「あと5年早くゴルフ始めてたら、母や父とまわれたかなぁ」
志「そうだなぁ」
テ「僕が一人で舞台に出たんで、母たちはすごくびっくりしたようでした」
志「ははは、そうか」
テ「師匠」
志「ん?」
テ「良い親孝行ができました、ありがとうございました」


2月27日(金)
気がつけばちょぃとゆっくりできる日。
午後に用事があるので、午前中はのんびりした。
ふーーー。
のんびりするとなーんもしたくなくなる。
夕方からお稽古。
気がつけば結構な時間になっている。


2月28日(土)
よっこらしょっと、荷物をガラガラしながら新幹線に乗る。
浜松まで1時間半。
近いと言えば近い。
言わなくても近いか。
お稽古。
明日、浜松のお弟子さんたちでちっちゃなお浚い会をする。
その下ざらいと称したお稽古ですね。
したがって今夜はいつもの宴会は無し。
みんな早く帰って明日に備えようってなこと。
そして僕も早々とベッドに入れるかと思いきや、世の中そんなに甘くない。
E社長んとこに行くことになっている。
いやじゃないんですよ。
楽しいんですよ。
ただ、いつも盛り上がっちゃって、午前様になるのね。
しかも明日はお昼まで寝てられるって感覚でいる僕はさ、
そりゃ帰らないでしょ。
3時になったって「あと9時間も寝られるじゃん」とか思って。
そんな僕との戦いなんですわ。


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