青?裸々な日常
2010年5月1日~
第175号 浅草の見番。



5月1日(土)
ちょいと仙台に仕事があって出かけることになった。
妻や子も仙台の実家に行くというので
「ほんじゃ一緒に行くべ」ということになり新幹線に乗車。
最近、家族三人は各々に忙しい、なかなかゆっくり過ごすことがない。
そんな中、仙台行きの2時間はなかなか楽しいものだった。
僕は日帰りの仕事、彼女らは実家へ三泊する予定だ。
夜、自宅に戻ると片づけ開始。
パソコンの部屋をなんとか片づけたいのだ。


5月2日(日)
今月最初の稽古日。
お弟子のHくんが同僚を連れてやってきた。
同僚くんはお茶も飲まないうちからパソコンの設定やらなんやらを始めた。
僕のパソコンが新しくなるのと同時になんとかの設定を変えるらしく
家中のパソコンを次々と作業する。
Hくんはお稽古開始。
お稽古が終るとHくんは出かけた。
同僚くんはパソコンの作業を続ける。
次々にやってくるお弟子さんたちに愛想を振りまきながら作業を続ける。
夜になり、お稽古もパソコン作業も終わった。
Hくんも戻ってきた。
とにかく食事に。
お腹がへってたまらん。
今日の一食目、とんかつ。


5月3日(月)
昨日、パソコンが新しくなったが、もうひとつ新しくなったものがある。
携帯電話だ。
携帯は毎年機種変更をしているが、慣れるのに年々時間がかかるようになってきた。
これを「老い」と言う。
気が狂いそうになる。
パソコンも慣れるのに時間がかかる。
もう頭ん中おかしくなりそうだ。
とにかくわかったことは、
パソコンと携帯は同時に変更するとエライ目に遭うということだ。
そんなんで明け方まで作業していたので今日は予定を取りやめてぐっすり寝ることに。
起きて顔を洗ったときに「髪がやたら長いじゃん」と気づき、美容院へ電話。
夕方の予約を取り、部屋の片づけ開始。
へとへとになり表参道の美容院へ。
髪切ってもらってる間に4つも夢を見た。
「寝っぱなしじゃないですか」
と美容師もあきれる。
こりゃいかん。
家に帰りお風呂入って20時30分に寝た。


5月4日(火)
稽古日。
どどーんとお稽古。


5月5日(水)
昨夜、妻と子が帰ってきた。
今日は我が家の「お墓参りツアー」。
僕側と妻側のお墓三ヶ所を巡るのだ。
しょっちゅう行きたいのだがなかなか行かれない。
ご先祖は怒っていることだろ。
お寺の並びが素晴らしい。
駒込・鶯谷・浅草とほぼ一直線なのだ。
このきれいな配置には毎度感心しているのだ。
まずは、おじいちゃん・おばあちゃん・父・母んとこへ。
テ「すんませんねぇ、娘がちょいと大きくなっちゃいましたねぇ、えへへ、
なかなか来られなくて。ほら、あいさつしろ」
娘「おっきくなっちゃったーー(笑)」
テ「えへへ、こんなことで」
テ「おじさんのお墓にも行くぞ」
娘「おばさんもでしょ」
テ「あ、そっか。おじちゃんだけ入ってるかと思ったら、こないだおばちゃんも入っちゃったんだな」
娘「忘れるなよ」
テ「そうだ、忘れちゃいかんぞ。どんどんお墓ん中に入る人が増えるからな。
最終的にお前一人でお参りに来るんだからな、場所をちゃんと覚えとけ よ」
娘「めっちゃ淋しーじゃん」
しかし今日は良いお天気だ。
浅草のお寺までお参りが終わるとすがすがしい気持ちになった。
いやいや、お墓参りをすると気持ちが良い。
テ「ここまで来たんだから浅草寺も行こうぜ」
娘「そこもお墓参り」
テ「違うよ」
娘「じゃ『参り』だね」
あんず飴を食べながらうれしそうに歩く娘。
大丈夫か?
こいつ。


5月7日(金)伝の会 大宰府
羽田空港に着くと、邦さんやスタッフはもう来ていた。
今日から四日間、子ども劇場の定例会で福岡と佐賀でライヴをする。
久しぶりに福岡空港に来た。
といっても2ヶ月ぶりか。
おっきなレンタカーを借りて、荷物積んで出発。
いざ大宰府へ。
ライヴは楽しかった。
やっぱり伝の会は面白いわ。
終演後、博多へ。
二人で飲むのは久しぶりだ。
今日は邦さんの誕生日。
おいしい焼き鳥で乾杯。
なんと仲の良いことか。


5月8日(土)伝の会 福岡
ちょっと二日酔いだ。
今日は昼夜だという。
会場は近いので、一通りセッティングして昼寝。


5月9日(日)伝の会 北九州
北九州という呼び名にどうも慣れない。
着いたところは小倉。
なんだ小倉じゃん。
いつから小倉のことを北九州と言うようになったのか。
しかし、こっちにきてからというもの暑い。
長袖はしんどいのでフラッと買い物へ。
小倉はおしゃれな街なので好きだ。
楽屋口に出たところで思い出した。
このホール、志の輔さんと来たことがある。
この楽屋口から出て福岡空港に向かったのだ。


5月10日(月)伝の会 佐賀
小倉から2時間くらいで佐賀。
ずっと車移動です。
ちょいと早く着いたのでみんなでお買い物。
今日は雨が降っていて涼しい。
っていうか、半袖じゃ寒い。
昨日買ったTシャツを意地で着ているがゾクッとするぞ。
ライヴ続きで身体がなまっている。
小雨の中、運動のため歩きまわる。
佐賀は10数年前によく来た。
芝居の巡業で。
歩いてるうちにいろいろ思い出した。
当時に比べると洒落た店が増えた。
ここの公演で今回のツアーは終了。
四日間で5ステージ。
なかなかハードだったが楽しかった。


5月11日(火)
朝、宿を出て、先に邦さんを博多で降ろし、僕は福岡空港で降りた。
飛行機の中で熟睡。
お昼に羽田に到着。
今日は自宅の稽古日なのだ。
夜さすがに疲れた。
そりゃそうだ。
帰ってきて、そのままお稽古日に突入。
終わったのが22時。
うん、そりゃ疲れるわ。


5月13日(木)
稽古日。


5月14日(金)
浜松に来た。
今日と明日とお稽古日。


5月15日(土)
浜松二日目。
次回の「ちょんまげタイムス」の打ち合わせなどもあり、なかなか忙しい。


5月16日(日)
今日は東京のお稽古日。
5月28日の家元のおさらい会で、最初から3番目に「越後獅子」を
僕んとこと忠史朗くんとこのお弟子さんたち合同で演奏をする。
僕んとこからは8人出演。
その練習を2時間くらいした。
お弟子さんたちだけで演奏させるのは久しぶりだ。
ドンドンやらせてあげなきゃいけないとつくづく思う。
今年中にそういうちっちゃい会をやろっかなーーー。
稽古が20時に終わり、ダッシュでゴルフのレッスンへ。


5月21日(金)
一昨日から那覇に来てます。
きょうは志の輔らくご沖縄公演がある日なんです。
楽屋口に行くと、どこかで見たような男の子が。
真っ黒に日焼けしてニコニコしている。
なにっっ!!
テ「メンソーレーーー!」
メ「お久しぶりです」
テ「バカヤローーー、なんにも言わずにやめやがってよーー、山城(メンソーレの本名)になりやがってーー」
メ「すんません」
志の輔さんのお弟子だったメンソーレくんは数ヶ月前に辞めていたのだ。
僕にとっては突然の出来事だったので少なからずショックだったし心配もしていた。
そんな彼が志の輔さんの到着を楽屋口に立って待っていたのだ。
山「すんません」
テ「家手伝ってるのか?」
山「はい」
テ「腰は大丈夫か?」
山「はい、注意しながらやってます」
テ「・・・・・・」
山「・・・・・・」
不覚にもウルっとしてしまった。
志の輔師匠が到着し、山城くんは師匠と差し向かいでいろいろ報告してる。
さて今回で沖縄での志の輔独演会は97回を迎えたという。
すごいことだ。
コツコツコツコツとこの地で育んできたのですなぁ。
そして打ち上げ。
テ「一番最初に(沖縄で)やったネタはなんなんですか?」
志「それが落語じゃないんだよ」
テ「へっ?」
志「一人芝居なんだ」
テ「ええっ?」
志「あの頃は落語で食べていける時代が来るとは思わなかったんだ。
いや、落語はずーっとやっていこうと思ってたけど、
食べる方法としてはいろんなことしなくちゃって思ってたんだ」
テ「ははぁ、そういうことなんですか」
真打ち披露のパンフレットを持っていらした方がいた。
当時ずーっと志の輔師匠を見続けていたという沖縄の人。
それにサインをしてくださいと持っていらした。
皆々感動である。
志「うれしーねー」
良い晩だった。


5月22日(土)
朝の飛行機で帰ってきた。
玄関の前に着いたとき、志の輔師匠から電話が。
志「アツシくん、着いたかね」
オイオイ、どっかで見てんじゃねーのか!!
おそるべし勘である。
今日はお稽古日なのでその余韻のまま突入。


5月23日(日)
今日もお稽古日。


5月24日(月)岡山
岡山空港に着いたら良い天気だった。
さきほどから晴れてきたという。
うれしいですな。
岡山の稽古日。
岡山のお稽古場ができて9ヶ月くらいかな。
お弟子さんたちが成長してきた。
そんなお弟子さんたちと接すると
終わったあとのビールがおいしいのだ。


5月25日(火)
5時30分に目覚ましが鳴った。
チェックアウトして駅に向かいリムジンバスで岡山空港へ。
バスがやけに寒かった。
冷房がちょいと多めにきいていた。
7時ちょいとの飛行機に乗り8時ちょいとに羽田空港に着く。
家に帰ってきて10時ちょいと前。
岡山は近いなぁ。
コーヒー飲んで支度して出かける。
出かける先は三越劇場。
「長唄協会企画演奏会」に出演のため。
伝の会で一曲弾くことはもちろん、MCもやることになっている。
直吉さんが伝の会にMCをやらせたらおもしろいだろうと、ブッキングしていたのだ。
楽しい会だった。
長唄協会の演奏会にまた伝の会が出演することがあるかも知れない。


5月26日(水)
浅草の見番。
久しぶりに行くのだ。
浅草駅から観音さまを通り越してジャンジャン歩いていかねばならない。
着物で行こうと思う。
汗びっしょりになりそうだなぁ。
ふと、子どものときに聞いたおふくろの言葉を思い出した。
「浅草だから鴬谷からタクシーで行こうか」
久しぶりに思い出すおふくろの声である。
ふーん、浅草には鴬谷駅から車に乗ればいいのかぁ。
山手線上野方面に乗る。
そういえば鴬谷駅って降りた覚えがないなぁ。
上野の手前か後かも定かではないなぁ。
と思ってるうちに上野に着いた。
ありゃ、上野の先だったかな?
次に御徒町に停まった。
さすがにこの先に鴬谷はないだろうと思った僕は降りてタクシーに乗る。
テ「おっかしいなあ、鴬谷で降りるつもりだったのになぁ」
運「そうですよお客さん、鴬谷からの方が浅草は近いですよ」
テ「そうでしょ。だけど鴬谷に停まった感じがなかったんだけどなぁ」
運「どっから乗ったんですか?」
テ「池袋から山手線」
運「ははは、じゃあ上野のひとつ手前が鴬谷ですよ。ぼんやりして気がつかなかったんでしょー」
テ「そうなのかなぁ?」
運「だって停まらないわけないもの」
テ「たしかにね。でもそういえば、山手線って子どもん時から乗ってるんですよ」
運「はい」
テ「池袋から乗って大塚・巣鴨・駒込までは駅の確認した覚えがあるんだけど、次が日暮里で上野になっちゃうんだなぁ」
運「どういうことですか?」
テ「いや、駅を確認したって感覚がないんですよ」
運「西日暮里は?」
テ「ああ、西日暮里はあるある、でもその時は日暮里がないなぁ」
運「田端も鴬谷も覚えがないんですね」
テ「うん。へんだねぇ、子どもん時からずーっとそうだ」
運「不思議なもんですねぇ。ゴロゴロ会館でいいんですね?」
テ「はい、ほんとはそのちょっと先の見番なんです」
運「ああそうですか、それでお着物なんですね」
テ「運転手さんはわかるんですねぇ。最近じゃ『見番』って言ってもわからない人が多いからゴロゴロ会館って言ったんですよ」
運「ああそうでしたか。たしかにそうかもなぁ。ケンバンって聞いたらピアノかって思ったりね(笑)」
テ「うまいね(笑)」
ということで無事に見番に着いて、下ざらい開始。
28日にやる家元のおさらい会のリハーサルです。
終わったら22時くらい。
三七郎くんが「兄さん、ちょっと寄ってこーよ」
というので、おでん屋さんに行く。


5月27日(木)大阪 伝の会
今日も着物。
今日は紋付姿である。
着物で飛行機に乗るのは初めてだなぁ。
乗務員の方たちが丁寧なこと丁寧なこと。
毎回着物にしようかしら。
梅田に着くとデンキチが迎えにきてくれた。
フェニックスホールにつれて行ってもらう。
ありゃ、このホール来たことあるぞ。
今日はこのホール主催の伝の会。
ありがたいことです。
ものすごく楽しかったです。
良いお客様でした。
アンコール終わったのが20時37分。
楽屋に戻り三味線渡して羽織持ちエレベーターへ。
ありゃ帰りのお客様と一緒になっちゃった。
「楽しかったわよ」「楽しかったです」
満員のエレベーターの中。
「ありがとうございました。」
一階に着くとスタッフがタクシーを停めていてくれた。
スタッフ「ほなっ!」
テ「ありがとーーーー、じゃねーーー」
僕を乗せたタクシーは新大阪に向かう。
工事で時間がかかると言われて心配していたが、幸いにもスッと来られた。
最終を予約していたが21時の新幹線に乗れた。
フーーー。
ビールを一杯飲む。


5月28日(金)
今朝もパジャマから紋付に着替えた。
これで三日間パジャマと着物しか着ていない。
こんなことは初めてだ。
洋服の着方覚えてるかしらん。
9時30分、国立劇場集合。
家元のおさらい会なのだ。
ウチのお弟子さんたちは三つめの越後獅子に出演する。
名取は一番最初の「花見踊」に出演する。
だからみんなこの早い時間にやってきた。
ただ心配なのは鉄六である。
昨日、志の輔らくごで香川に行っている。
今朝の便で帰京してそのまま来る。
飛行機が無事に飛んでくれたらと思ったら、走りこんできた。
よく間に合った。
ホッとする。
昨日から紋付着て香川で仕事して羽田から直行。
弟子ながら、良い根性をしている。
おさらい会の時は裏方も大忙しだ。
進行や受付、お弁当配ったり巻物配ったり等々。
ウチの名取たちはほんとによく働いた。
こいつら、もう、大丈夫である。



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