青?裸々な日常
2011年1月1日~
第183号 志の輔らくごinPARCO 2011



12月31日(金)~1月1日(土・祝) 横浜にぎわい座「新年カウントダウン寄席」
志の輔さんの電話で起きた31日。
パルコの相談。
そのことを考え続けて夕方になった。
あわてて出発。

桜木町の横浜にぎわい座に着く。
伝の会として出演するだけでなく、出囃子も弾くことになっている。
するってーと結構忙しい。
伝の会では「甚五郎泣三味線」をやってみた。

トリの志の輔さんが終わると、出演者全員が舞台に出て
2月11日にお亡くなりになった玉置前館長のVTRをお客様と一緒に観る。
そしてカウントダウン。
乾杯。

いつものように年が暮れ、いつものように年が明けた。
ありがたいことである。
打ち上げの後、みんなで初詣。
これも楽しい。
一年が始まった。
2011年が始まった。
暮れまでにたまっていた疲れが一気に去っていった気がした。

あけましておめでとうございます。

1日(祝)
家に帰ってきてお風呂入って3時間くらい寝て起きた。
お年始に出かけるのだ。
元旦のうちに、つまり午前中に出かけるのが本当だが、ちょいともたもたしてしまった。
午後になりあわてて出発しようと玄関開けたら、白瀧呉服店の若旦那が、
ちょうど僕んちの前を通りかかった。
縁のあるお方である。

さて、午後1時になってしまったが家元宅に到着。
シーンとしているので「みんなもう来てしまったんですか?」と聞いたら、なんと、僕が最初の客だという。
おおおっ、我が一族、みんなのんびりしていたのか。

家元と一杯やっているうちに次々とやってくる我が一族。
楽しい新年会となったのでありました。


2日(日)
とにかく寝た。
今日から休みである。


3日(月)
年賀状を書いた。
よくぞ書きあげたとほめてやった、自分を。


4日(火)
仙台に行き家族と合流してお墓参りをして仙台駅で志の輔さんが好きそうな
ジャーキーを買って帰ってきた。


5日(水) 志の輔パルコ 初日
午後パルコ劇場に入る。
セッティングをしてサウンドチェックをした。
今回は師匠の姿が映るモニターを見ながらの演奏となる。
つまり直接舞台を見られないのだ。
モニターを見ながら演奏するのは、コクーン歌舞伎以来だなぁ、いやいや懐かしい懐かしい。


6日(木) 志の輔パルコ
初日が開いたので、たぶん音楽で付け加えることはないだろうという感覚になった。
ホッとした次第である。


7日(金) 志の輔パルコ
例年のように終演後に志の輔師匠の楽屋で一杯飲んでいる、毎晩。
1日を終えた師匠のホッとした顔を見ながら飲んでいる。
こちらもうれしくなって酔ってしょうがない。


8日(土) 志の輔パルコ
四日間が終わった。
志の輔らくごはまだまだ変化しつづけている。


9日(日) 志の輔パルコ 5日目
初の昼公演、終わったあとにたっぷり時間がある。
買い物と飲みすぎ注意だ。


10日(祝) 志の輔パルコ 6日目
成人の日か。


11日(火)
休演日はゴルフ。


12日(水)
家元宅で会合。


13日(木) 志の輔パルコ 7日目
休み明けの公演はちょいと長くなるって志の輔師匠が言っていた。


14日(金) 志の輔パルコ 8日目
今回、娘がちょくちょく顔を出している。
志「大人になったなぁ」
とニコニコ迎えてくださる。
ありがたいことだ。


15日(土) 志の輔パルコ 9日目
終演後は志の輔師匠の楽屋で一杯飲んでいる。
今夜も楽屋に入っていくと
志「な、毎晩毎晩な」
テ「ははは、なんですか、さっきまでそこに座って飲んでた感じなんですが」
志「ほんとだよ」
この楽屋飲みが楽しくてベロベロになってしまうのだ。
毎日、仕事じゃなくて飲みに来てるみたいなのだ。
いやいや、ありがたいし楽しいのだ。

16日(日) 志の輔パルコ 10日目
昼公演。
とにかく眠い。
というのも用事があって朝早くに家を出たからである。

用が済み楽屋入り。
三七郎くんも勝利くんも用があり早くに楽屋入りしている。
開演二時間半前にそろっちゃった。

妙なこともあるものだ。


17日(月) 志の輔パルコ 11日目
中日。
ついに中日。
折り返し折り返し。

師匠、絶好調。


18日(火) 
今朝も早くから千葉方面へ。


19日(水) 那覇稽古
11時すぎ、那覇空港に着いた。
志の輔師匠から電話。
話し終え電話切る。
まさか、今、僕が沖縄にいるなんて思いもしなかったろーなー。

もちろん今年初めての沖縄。
あったかーーーい、20℃。
いいぞいいぞーーー、身体が動くもの。
若返った気がするもの。

お稽古してカルチャーやって夜の飛行機で羽田に戻ってきた。
しかし、沖縄日帰りはもったいない。



20日(木) 志の輔パルコ
三七郎くんらと楽屋で紀文大尽の稽古のため、早くにPARCOに着いた。

一階の入り口にたどり着いたら、見慣れた方が正面から歩いてきた。
志「おはようさん」
テ「ど、どうしたんですか?」
志「うん、ちょっと撮影なんだ」
びっくりした。
こんなに早くに志の輔師匠がPARCOまわりにいるなんて。

では行ってらっしゃい
と別れ、僕は楽屋へ。

稽古が終わり、ラーメンでも食べに行くかと、楽屋口のエレベーターで待ってたら、
開いたドアからまたあの方が、
志「どこ行くんだよ」
テ「ちょっとラーメンかなんか。行かれます?」
志「じゃ行くか。うまいとこ連れてってやる」

うまいとこは、まだやってなかったので
いつもの中華屋さんで
志「スーラータンメンかな」
テ「どうしよっかな?」
志「他になんだよ」
テ「ご飯にしようかなと」
志「それもあるな」
テ「野菜炒め定食かな」
志「お前、よく野菜炒め定食食べてるよな」
テ「野菜が大事かなと思って」
志「なに、一人だけ身体のこと心配するな!」

美味しい食事タイムでございました。

一緒に行った三七郎くん。
「あんな近くで志の輔師匠と、あー、緊張したよー」

21日(金) 志の輔パルコ
毎晩酔って帰ることに慣れてきた。
大した量は飲んでいないので、酔いの覚めるのも早い。
結構なことだ。
今日は二度寝をして昼に起きた。打ちっぱなしに行く間もなく支度をして出てきた。
ちょっと表参道に寄って渋谷に行く。


22日(土) 志の輔パルコ
ここんとこ、お米を食べてない。
おそば、ラーメン、うどん
ばっかし。
こりゃイカンと仲間誘って定食を食べに。


23日(日) 志の輔パルコ
二度寝してお昼に起きた。
なんだか、芸人っぽい。
起きるタイミングを知ってるかのように志の輔師匠から電話がかかってくる。
ほんとに、スゴイタイミング。
毎回毎回。
間の良い方というのはスゴイんだなぁ、
と感心するばかりさ。


24日(月)
大勝軒が大好きなんだけれども、数々ある大勝軒の中でも、一番気に入っているのが
西台大勝軒。
このこじんまりした大勝軒は、フラッと入った友人に教えてもらい通うようになった。
12~3年たつかしらん。
今年初めてさっき行ったら「昨日待ってたのにー」と言われた。
すごいね、ラーメン屋から「昨日待ってた」なんて言葉はなかなかいただけません。
飲み屋さんみたいだ。
聞くところによると昨日一昨日の土日に
30周年記念をやっていたそうな。
「全然、常連の人来てくんないんだからーー」
ははぁ、そういうことか。
昭和56年、1981年にこの土地で始めて30年。
ジーンとしながら食べさせていただきました。

25日(火) 長唄二題の会
四年くらい前に「毎月長唄の会をやってみないか?」
と三七郎くんに持ちかけたら「はいな、やってみよっかなー」という感じで
始まった「長唄二題の会」が、ほんとに毎月続けてやっていて、今夜で34回目なんだそうだ。
びっくりよ。
とにかく。
スゲーと思うよ。
正月だからと、僕も出させていただきました。
この会では、僕があんまりやっていない曲を弾くことになっているかのように、
昨年は「竹生島」で今年は「紀文大尽」。
昨年も覚えるのが大変だったが今年も大変だった。
曲調は大丈夫、ただただ手を覚えるのが大変なのだ。
そんなこといったら、三味線弾きはみんなそうなんだけど。
みんな手を覚えるのに必死になるんだけど。
落語家が噺を覚えるのと同じなんだけど。
ほんっとに覚えるのが苦手なんです。
逃避したいのです。
そんな弱い性格ではダメだぞと、三七郎くんが鍛えてくれているのでしょう。

ま、とにかく終わったのだ。
あー、ホッとした。


26日(水)
昨日の「長唄二題の会」の打ち合わせで
三七郎くんが「兄さん、なんかしゃべってくださいね『お年玉』ってタイトルつけときましたから」
と、こんなことを言いよった。
おいおい、あたしゃ、三味線弾きであって、おしゃべりする人ではないのですが。
と、言っても決まったことは決まったことなので「ええい、なんかしゃべって降りてくればいいや」
と思っていた。
そしていざ本番でしゃべっていて気がついた。
僕はお三味線弾いて30年がたっている。
さすがに、もう、ほとんどのことは、長唄を演奏するっていうね、
ほとんどのことは、わかってると思っている。
できると思っているし、できる、できます、だいたいできる・・・・。
つまり、以前はわからなかった、教えてもらって初めてわかることや、教えてもらってもなかなか
理解することができなかったことがあった。
今は、そういうことがなくなった。
と、言いきっていいよな。
誰に聞いてるんだ?
いいんじゃないか。
はっきり言っても。
そうさ、もう大丈夫ですよ。
ていうね、こういうことが大事なんだなっていう。
つまり、アプローチでいったら、クラブがダフったりボールの赤道たたいちゃったりという心配は
全くないのだという状態。
わかりづらくなっちゃったか。
ティーグランドに立って構えたときに、ほとんど狙った所に玉を打てると思っているし、打てる。
なんのプレッシャーもない。
そんな状態なんだと。
そうなって初めて知った感覚。
とても心地よく演奏ができる。
へんにドキドキすることがなく演奏ができる。
プロなんだからそうなんだろうよと思うだろうが、意外とプロのみなさん、ドキドキしているのです。
それがなくなったってことはとても気持ちの良いことだ。
僕よりもはるかに若い長唄二題の会のメンバーと時々やらせてもらうと、そんなことに気がついたりする。
そのことがおもしろい。
そして彼らがちゃんと長唄をやって食べて行ける世の中にできるようにがんばっていきたいと思う。


27日(木) 志の輔パルコ
たった二日間の休みだったが
なにやら、たくさんの出来事があった感じがする。
僕レベルでこうなんだから
志の輔師匠にいたってはすごい速度と質の高さなんだろうなと。
今夜の袖はたくさんの噺家さんがいらした。
志の輔一門は偶然にも全員がそろい、生志さん、喜久蔵さんたちがドーンと。
そんなわけで楽屋飲みも大いに盛り上がったわけで。
まるでどっかの居酒屋の個室のようなにぎわいだった。
周りの人間やらスタッフやらにインフルエンザが蔓延している。
志の輔師匠にうつったら大変だ。
あと5公演、師匠元気に。


28日(金) 志の輔パルコ
志の輔パルコの特徴としてWOWOWの収録がある。
今回もちゃんと録画しています。
もう毎年のことなので、僕らのサウンドチェックもなく、すっと収録しています。
今回は先週の金曜日(21日)と今夜。
二度収録しています。
この公演には、うーんと、いわゆる、ウサギがちょこっと出演しているのです。
そして、アンコールの時に、僕らと一緒に舞台に出る、時もある。
時もある、ということは、ほとんどの日は舞台に出ない、のであります。
木・土・日しか、ウサギはアンコールで出てこない。
だから、WOWOWの収録日である金曜日には、ウサギは、アンコールに、いない。
でも、今夜は、やっぱり、WOWOWにも映ってもらいたい、という、願いが、通じ、
ウサギは、アンコールで、出た、ので、あります。

さすがに志の輔師匠の公演です。
毎晩毎晩、たくさんの芸能の方や著名な方たちがいらっしゃいます。
今夜もたくさんのスゴイ人たちがいらっしゃいましたが、
指揮者の佐渡裕さんと初めてお会いいたしました。
Oプロデューサーが「佐渡さんが来てるよーー」
テ「いや、僕なんか・・・」
O「大丈夫、紹介するから」
ということで、ご一緒させていただきました。
わーーー、題名のない人やん。
わーー、めっちゃ、有名な指揮者の方やーーん。
ゴルフも大好きな方で、「公演の前にラウンドします」
わーー、師匠とおんなじやーーーー!!!
めっちゃ気さくなお方やーー。
考え方が大きいし、ものすごう魅力のあるお方や。
一発でファンになった。


29日(土) 昇太のらくご&志の輔パルコ
「昇太のらくご」が16時30分からコレド室町の日本橋三井ホールで行われた。
11月に志の輔らくごをやったのと同じフジテレビ主催である。
で、伝の会もついでにゲストに呼んでもらったわけで。
昇太さんとはしょっちゅうお会いするが、落語会のゲストで出演させていただくのは初めてのこと。
楽しみな一日だったわけで。
生志さんもいらっしゃるし、ますます楽しいわけで。
伝の会も無事に舞台をつとめることができ、出囃子のお役もさせていただき、ダッシュでパルコ劇場へ。
そう、掛け持ちだったわけで。
なかなか大変だったわけです。
そして、終演後、いつものように志の輔師匠の楽屋で飲み、そろそろおしまいかなぁっていうときに、
昇太さんがタイミングよくやってきた。
鳥仙の焼き鳥をたくさん持って。
ここの焼き鳥が実にうまいことよ。
楽屋が見事においしい焼き鳥屋さんに早変わり。
いやいや、今夜も楽しい夕べとなりました。

30日(日) 志の輔パルコ
昼公演昼公演。
お腹がペコペコで楽屋入りしても、必ずお鍋が用意されている。
ほんっとに、今月、食費助かった、みたいな。
いつものようにお鍋食べましたが、楽屋のみなさんは少しにしていたようで。
というのも、終演後、「志の輔パルコ公演恒例 出演者&スタッフ一同で食す 大しゃぶしゃぶ打ち上げー」があるのです。
イエーーーイ
だから、あんまりお腹いっぱいにしちゃうなよーーーっ的な。


31日(月) 志の輔パルコ
いつものように素晴らしい舞台だった。
毎日終演後に志の輔師匠の楽屋にたくさんの方がご挨拶にいらっしゃるが、
とりわけ、今夜はスゴイ人数の方たちだった。
そして、楽屋飲み。
ついに今夜が最後の楽屋飲み。
はじめのうちは、柿の種をつまみに缶ビールを飲んでいたが、
ある時から日本酒を飲むようになり、 いっそ冷酒の支度をと、前日から冷やし始め、寒いときにはお燗ができるようにし、
おつまみも温かいものがよかろうと、煮魚や焼き鳥とともにさまざまな珍味も揃い、
楽屋飲みに参加した佐渡裕さんは、「ああ、良い居酒屋だった。僕の公演もこれからはこういう形にしたいです」
とめちゃめちゃ喜んでお帰りになった。
今夜もどこかの料亭のような料理をおつまみに、談春さんも交え、楽しい、
そして最後の楽屋飲みを堪能したのでした。
僕にとっては毎晩毎晩、志の輔師匠の隣でバカ言いながら師匠のクールダウンにお付き合いできたのが
なによりうれしいことでした。
おかげさまで、体重が3キロ以上は確実に増えました。



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