青?裸々な日常
2010年6月1日~
第176号 仙台へ。




6月2日(水)
チラシ発送の準備をコツコツとしている。
それと同時に片づけをコツコツしている。
私は何屋さんなのだろーか。
そんな思いの中も今月最初のお稽古日。


6月3日(木)志の輔らくご 仙台
夕方の新幹線で仙台へ。
志の輔らくごなのだ。
師匠は今朝、仙台入りしている。
ホテルで原稿書きをしているそうだ。
スタッフも朝から行っている。
なんだか僕だけ重役出勤みたいでくすぐったい。
仙台の志の輔独演会は昨年に続き二度目。
電力ホールも昨年同様。
それでも入口がなかなかわからずウロウロした。
一昨日、中指のギプスが取れた師匠。
リハビリを始めたとこだ。
靭帯を切った第一関節の曲げ伸ばしではなく、第二関節等の曲げ伸ばし。
中指の第一関節を固定していたので、他の指も自然とピンと伸ばした状態になっているし、
左手の指を曲げるという動作を二カ月していないので、他の指の関節が固まってしまっている。
まずは全部の指の第二関節を曲げるリハビリ。
結構痛いらしく「イーーっ」とした顔でやっている。
舞台はいつものようにかっこ良く、客席を沸かせる沸かせる。
今夜は師匠のお友達が何人かいらした。
総勢8人でジャンジャン騒いだ夜だった。


6月4日(金) 仙台
11時にフロントで待ち合わせ、師匠と僕はテクテク歩いて、とあるお寿司屋さんへ。
志「今、歩いて来てわかったけど、仙台ってこういう街なんだな」
テ「いつも歩きませんもんね」
志「だいたい来ても日帰りだしな。どこ行ったかなんてホール以外覚えてないもんな」
テ「いい街ですよね」
志「ほんと、活気があってな」
かんぱーーい!
うーー、起きぬけのビールはうまい。
テ「師匠、こういうのも良いですねぇ」
志「ゴルフやんないからだよ」
テ「はははは」
志「ゴルフができれば、絶対今の時間はゴルフ場だ」
帰りの新幹線ではぐっすり寝た。


6月5日(土)
娘の通う中学の運動会。
僕の母校でもある。
娘はイベントが大好きだ。
親もびっくりするくらいに。
今回の運動会も体育委員の娘はメチャメチャテンションが高い。
朝、ウン十年振りに我が母校へ行く。
幼馴染のMがPTA会長をやっいる。
テ「よっ、会長」
M「大きな声で呼ぶな」
テ「大変ですねぇ、早朝から」
M「シッ、次回推薦するからな」
ニコニコ顔で元気に動きまわる娘をチラッと見たところで帰宅。

支度をして午後の羽田空港。
秋田で志の輔独演会があるのです。
テ「昨日はありがとうございました」
志「いやいや」
全日空で秋田へ。
機内では2月にバンコクで録音された志の輔師匠の「猿後家」が。
テ「秋田はよくいらっしゃる」
志「いや、去年からだな。あれっ、去年はお前じゃなかったのか?」
テ「え?来たのかな?」
志の彦「いえ、鉄六さんです」
志&テ「ああ、六か」
志「じゃ『鉄六が来られなかったんで師匠の僕が来ました』って言え(笑)」
テ「ははははは」
秋田到着。
スタッフは先に乗り込んでいて、今の飛行機で着いたのは志の輔さんと志の彦さんと僕のみ。
迎えの車で会場に向けて出発。
会館に着くのは多分15時少し前だろう。
開演は16時。
帰りの飛行機は19時。
秋田に滞在は4時間くらい。
志「ゴルフ5があるぞ」
テ「いいですねー(笑)」
志「『秋田行ってきたんだってねー』『ええ、ゴルフ5がありましたよ』(笑)」
テ「あと会館のこととね」
志「ああ『良い会館でしたよー』(笑)」
テ「食べ物は」
志「『楽屋のお弁当食べました』」
テ「はははは」
志「なんじゃこりゃ」
秋田も近くなったものである。
いつものように楽しい舞台。
終演が18時30分を回った。
志「さ、急ぐぞーー」
即効で片づけて車中へ。
会場から出てきたお客様たちが師匠を見つけて、車の周りは人だかり。
テ「師匠、後ろ向いてあげてくださいよ、みんながのぞいてますよ」
志「ん」
快く手を振る師匠。
志「大丈夫かなぁ?」
テ「僕らが乗るのが最終の飛行機なんですかね?そのあとにあれば変更しましょうよ」
志「ああ」
テ「ないかなぁ?」
志「なにつぶやいてんだよ」
テ「違いますよ、携帯で調べてんですよ(笑)」
志「うかうかできないからな」
テ「僕らのが最終だ。あれ?僕らの飛行機って19時45分発ですか?」
志「そうだよ。うーん、そうだよな、その時間の後には最終無いわな。
富山だって19時ちょいだもの」
テ「あ、そうですか」
志「間に合うかなー」
テ「師匠、45分発ですよ。余裕で間に合うじゃないですか、ぼくは15分発だと思ってたんであせったけど」
志「いや、飛行機は間に合うさー、ビールだよ」
テ「へっ?」
志「空港でビール飲む時間」
余裕で空港に着いた。
師匠は先にお店に入ってビールを頼んどくと言い、二階に行った。
僕も手続きを済ませすぐに追いかける。
志「終わっちゃったんだって」
テ「えっ?」
見ると、食べ物屋さんはみな閉店している。
テ「あら、早いなぁ」
志「だろ?19時に閉めちゃうのかよーー」
テ「こりゃ悔しいなぁ」
志「中に入ればビールは売ってるらしい」
というので、保安検査場を通過し、やっとビール。
ふーー、やっとホッとした。
テ「んーー、うまい」
志「なんか席を呼んでるぞ」
テ「おっ、なにかプレゼントなんですね」
志「俺の席番は?」
テ「3Cです、僕が持ってます」
T「あああっ、4Cって言った。ぼ、僕の席だーー」
志「おおーー、行ってこーーい、もらってこーい」
テ「スゲー、当選した」
志「俺のは?」
テ「3Cですよ。呼ばれてませんよ」
T「二合の地酒です」
志「おお、良かったなぁ」
テ「はははは」
志「俺のは?」
テ「いや、呼ばれてませんよ、3Cは」
志「うーん」
テ「子どもじゃないんだからー」
志「だって当たりたいじゃーん(笑)」
一同(笑)
たった4時間の秋田だったが、1000人のお客様は大満足。
そしてスタッフの僕らにも、おちゃめな師匠を披露。
いやいや、楽しい旅でした。


6月6日(日)
片づけが流行っている。
我が家で。
物が多いけど捨てられない。
多いから収納がままならない。
ままならないのであるべき所にあるべき物が収まらない。
収まらないから余所にしまう。
余所にしまうので行方がわからなくなる。
いざ使うときになって捜せない。
捜すよりましとばかりに買ってしまう。
物が増える。
あいかわらず片付かない。。。
この悪循環から脱却するために「片づけの先生」がいらした。
何回か家に来てくれてるそうだが、僕は初対面。
事前に先生から注意を受けていた箇所を僕なりに整理しておいた。
ゴミ袋にして10袋くらいは処分したと思う。
かなりさっぱりしたところに先生が登場。
クローゼットがいっぱいで洋服があふれている。
かなり処分したが、なんだかまとまんない。
「こうしたいんだけどなぁ」
という僕の要望を聞いて、さっそく先生がアドバイスを始める。
結果的に大量の処分する洋服が出た。
整理したはずなのに・・・。
先生は「処分しなさい」とは言わない。
ただ僕のそばに立って「この洋服はいつ着るものですか?」と聞く。
季節ごとに整理するのだなと思いながらも
「この服もう着ないなぁ」
と処分する袋に自発的に入れる。
普段着るTシャツや下着なんかをまとめる。
まとめると結構あるもんだ。
テ「こんなになくてもいいですね」
先「そうですね」
結果、引き出し一つに収まってしまう。
僕が「こうしたい」と思う以上な結果が出た。
な、なんなんだ!
不思議な感じだが、こういうことなのかとわかった。
自分ひとりで片づけていると自分に甘くなるんだ。
「これは着るかも知れない」とか思うものね。
かなりシビアに整理したつもりでも、そういうのが出るわ出るわ。
ガラガラになったクローゼットはとても気持良いものになった。
テ「洋服ってそんなに要らないんですね」
先「そうなんですよ」
服を持ちすぎていることに気がついた。
そして、この服が必要だというものもわかった。
そしてそして、買い足すのはこんな服というのもわかった。
服を買うのがまた楽しくなった。
次は稽古場の押し入れ。
ここには伝の会の物や僕の身の回りの物があふれている。
先「すべての物を一度押し入れから出しましょう。それが物を片づける基本です」
出すの大変だぜ。
ごちゃごちゃと足の踏み場も無くなった稽古場。
ひとつひとつ、とっておくものと処分するものに分ける。
そして伝の会の物、身の回りの物等に分ける。
先生が押し入れの中の場所決めをしてくれる。
出来た。
押し入れガラガラ。
面白いのは、僕の身の回りの品はちっちゃなバスケットくらいの入れ物ひとつ。
たったそれだけあれば良かったのだ。
いやいや、びっくりした。
先生が妻の所に行ってからは、僕ひとりでパソコンの部屋に取り掛かった。
ヒントは先生にもらっている。
先「ここが全部いらなくなるコーナーですね」
テ「そんなバカなーーー」
そんなバカなーー、になりつつある。


6月7日(月)
稽古日。


6月8日(火)浜松
こだまで行ってみた。


6月9日(水)浜松
岡山でやる曲を作っている。


6月10日(木)浜松
今夜は喬太郎さんの独演会。
エンボスで仕切っている。
もちろん行くことになっていたので行く。
久しぶりに会う喬太郎さん。
楽屋で話は尽きない。
終演後、喬さまは帰る。
僕は片づけの終わるのを待ってエンボスチームと食事に。
社長からバイト君まで一緒に食事をする機会がなかなか無いし。
「もう一軒行こーー」と社長が言う。
バイトくんたちは、ハナからカラオケに行く予定にしていたらしい。
そこに社長と僕と、いわばおばさんのようなオッサンが二人加わった。
カラオケを出るころ、僕の声は枯れていた。


6月11日(金)岡山
岡山駅に着くとホテルオークラから迎えが来てくれている。
四月にオークラで「ひとりライヴ」をやったばかりなのだが、たった二か月で2度目のライヴ。
前回のライヴのテーマが「さくら」だったんで、さくらの曲を作ったが
今回は特に無いという。
で、「晴れの岡山、うまいものづくし」という曲を作ってみた。


6月12日(土)
昨夜東京に帰ってきた。
芝生がえらいことになっている。
伸びて伸びて。
ちゃんとした芝刈り機を買わなければと、ここ数日悩んでいる。
だって高いんだもーーん。
高くたってなんだって買わなきゃいけない。
今持っている芝刈りではとうてい無理な状況になってきた。
うーーん。


6月13日(日)
夕方、出先から帰ってくる。
芝生を見ながら腕を組んで「うーーん」
悩んでいても仕方がない、早く芝刈り機買わなくちゃ。


6月14日(月)
ゴルフはちょくちょくやっている。
やっとまっすぐ飛ぶようになった。
これもレッスンのおかげだ。
50年間、スポーツらしいことをやったことのない僕は、身体の使い方からわかっていない。
レッスンの先生は僕に身体の使い方から教えてくれている。
それがだんだんわかってきたのだ。
どう打つとボールが飛ぶのかが、だんだん身体でわかってきている。
あとは身体が当たり前のことのように動いてくれることだ。
それには経験しかない。
三味線もうまくなろうと思ったら稽古して稽古して身体が弾いてくれるようになるしかないのと同じだ。
これが意外に大変なこと。
人は頭が良いのだ。
特に大人になってから始めることってのは、この頭の良さが足をひっぱる。
頭で理解しないと始められないし、厄介なのは理解してしまうから身体に覚えさせようとしなくなる。
だって頭でわかってしまうのだから。
これが厄介だ。
頭でわかることと身体でわかることは違うってことがわかっていてもなかなかできない。
「こうやればよいのだ」と思ったが最後、やらない。
「こうやればよいのだ」と考えつくまで大変な道のりだから、わかったところでやらなくなっちゃうのだ。
そういう動物なんだということを知った。
そことうまくやろうとすると老けていく。
そこと戦っていって打破しないといけないんじゃないかと強く思っている。
志の輔さんがゴルフを始めたきっかけは、友達のフォームがとてもきれいだったからだと言う。
「俺もあんなフォームになれるかな?」と言ったら「お前なら大丈夫だ」と言われたと。
それでゴルフを始めたと。
だからフォームにうるさい。
僕もきっちりしたい。
それには身体を動かすってことの基礎からやっていかなければと。
レッスンの先生が言った。
「きちんとしたフォームでなくたってボールに当てて飛ばすことはできますよ。でもね、それって本当は偶然なんですよ」
そうなのだ。
これには合点がいった。


6月15日(火)
昨日は稽古日で今日は那覇で稽古日。
那覇のお稽古場は国立劇場の稽古場を使っている。
那覇に国立劇場ができたときにはびっくりしたもんだが、まさか自分がここをしょっちゅう借りることになるとは思わなかった。
楽屋口のおじさんたちは初めの頃こそ「こいつは誰やん?」みたいに警戒心を漂わせていたが、
最近ではただただ笑顔で迎えてくれる。
そういえば、最近では那覇のどの店に行っても警戒されなくなったな。
よく話かけられるようになったし、沖縄の人はこんなに愛想よかったかなと思うくらいである。
国際通りは那覇にありながら、本土向けっていうのかなぁ、
地元の人はあまり行かないというか観光客相手の通り。
ここを歩くとメチャメチャ声をかけられる。
お土産物屋さんからね。
それが最近まったく声をかけられなくなった。
そういう習慣がなくなったのかと思えば、そうではなく、観光客には声をかけている。
お店の人たちは観光客かそうでないかは見分け嗅ぎ分ける何かを持っているのだ。
というより、観光客は観光客の顔してるわな。
僕だって本土の顔立ちなのに、いっさい声をかけられなくなった。
で、無視されてるのかと思い店に入るとメチャメチャフランクに話しかけてくる。
うーーん、少しはなじんできたのかなぁ。


6月16日(水)
カルチャーセンターのクラスが三か月を終えた。
一区切りなのだが、引き続きやることになった。
カルチャーもなかなか面白いのだ。


6月17日(木)
那覇からの帰りの飛行場。
親しく話しかけてくるのは那覇の街なかだけではない。
ラウンジのお姉さんまでもが、僕の顔を見ただけで
「マバシさん」と言うようになった。
ま、二週間に一度ずつ、ラウンジに顔をだしてササッとビールを一杯飲んで行くので覚えたのだろう。
うれしい一言であった。


6月18日(金)
稽古日。
芝刈り機である。
ついに注文することにした。
なんでこんなに迷ったかと言うと芝刈り機の値段である。
ほしいのは15万する。
15万の芝刈り機はよほど良いだろうとわかってはいても、なにせ芝刈り機の基準を知らない。
手で押す芝刈り機しか使ったことがないし
以前買った、手で押す芝刈り機で芝を刈れたことがない。
つまり、なーーんも役に立たない芝刈り機しか知らないのだ。
芝刈り機ってどんなもんだろ?
それを知るのに15万は高すぎる。
そんなこんなで二週間も悩んでいた。
その間に芝はドンドン伸びる。
庭に出ると芝が「早く買うたれや、兄ちゃん」と言っているようだ。
そこでいろいろ調べた結果、5万のを見つけた。
これなら良いかと思ったが、その会社で2万くらいのもあった。
これにしよっと。


6月19日(土)
7月1日から志の輔さんの「ビギン・ザ・ビギン」が始まる。
その打ち合わせを今夜することになっていたが、志の輔さんの具合が悪くなった。
ラジオの録音しながらもドンドンしんどくなったそうだ。
テ「やめましょ師匠、ゆっくり休んでください」
志「そうする」
ま、休めば治るでしょ。


6月20日(日)
ヤマダ電機がやってきた。
太陽光発電&オール電化にしませんか?
へぇ、いろんなことがあるもんだ。


6月21日(月)岡山
昨日も稽古日。
今日は岡山にやってきた。
岡山のお稽古日。
まぁ、しかし、月の半分はお稽古日なんだなぁ。
どんだけお稽古が好きなんだってことでさぁね。
お稽古日が、月に七日とか八日とかある東京と違って、
岡山・那覇・浜松は月に一度か二度。
で、これどっちが良いかってことなんですよ。
スッと考えると「お稽古日が多い方が良い」ってなりますわね。
けどもね、そうとも言えないんじゃないかってことなんです。
そりゃお稽古日が少ないより多いほうが良いのですが、月に一度の所とで、お弟子さんの上達には思ったほどの差は出ないのです。
こうやって経験してきて思うのには、両方とも利点があって欠点がある。
当たり前だけどやっぱりそういうこと。
「物事は二つ良いことは無い」と志の輔師匠の言葉どおりです。
で、僕の役目は両方の利点はそのままに、欠点であるものをどのくらい取り除くかという役目なんじゃないかと。
そのことをわかるために、いろいろなところに行かせていただいてるんだなぁとつくづくね、思います。
どこの土地の人たちも伸びて行く伸びて行く。


6月22日(火)
羽田空港に戻ってきたら志の輔さんから電話がかかってきた。
19日に中止になった打ち合わせを今夜しようということになる。
志「今どこにいるんだ?」
テ「羽田に着いたとこです。三味線持ちに家に帰ればすぐに出られますよ、師匠は今どこに?」
志「フジテレビなんだ。じゃ終わったら電話するから」
ということで、その晩オフィスほたるいかへ。
打ち合わせ等々終了し食事へ。
志「(フジテレビで)ヒロさんも一緒だったんだ」※
テ「おーー、楽しみっすねーー」
夜、延期になっていた志の輔師匠との打ち合わせ。
今回の公演「ビギン・ザ・ビギン」でやる噺の中で
志の輔らくご独自の音を三味線で作ることになっている。
ああでもないこうでもないと作っていく。
※「世界一視聴率のいいテレビ<金キラ☆ナイト>」


6月27日(日)伝の会新宿編
新宿ブラックサンで定期的にやっている伝の会。
軽ーい気持ちで始めたんだが、なかなかおもしろい展開になって続いている。
最近じゃ昼夜公演が当たり前になってきた。
邦さんと僕がここで会う。
思い浮かんだ話をする。
好きな曲を演奏する。
面白い空間だ。


6月28日(月)
2万円の芝刈り機が到着した。
ほんとに刈れるのかよーー
と半信半疑だったが、これが実にすばらしい活躍をする。
芝を刈るのは気持ちが良い。
いろんなお宅に出張したいくらいだ。


6月29日(火)
朝、志の輔事務所へ。
前回の打ち合わせのとき、こんな感じでと作った曲を形にしたので、合わせてもらう。
ホッとした。
それもつかの間、師匠がまたアイデアを出した。
一席目と二席目のつなぎの演奏である。


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