青?裸々な日常
2009年5月1日~
第163号 邦さん52歳。


5月1日(金)めまいの五月
リハーサルがあったのだけれど、都合により中止となる。
ということは、本日オフ。
いひひひ、たっぷり休もうと思ってグウタラしていたが、めまいがする。
めまいにも二種類あって、「世間が回ってる」か「自分が回ってる」かなのだそうだ。
僕のは「自分が回ってる」
間違いなく。
だんだん気持ち悪くなってくる。
まぁ、それでもなんでもゴルフのレッスンだから出かけるが、ちょいとしんどかった。
早寝する。


5月2日(土)
10時間寝た。
まだ、めまいする。
うーーん、疲れなのか?寝すぎなのか?
部屋掃除してお稽古開始。
3人くらいお稽古したら、めまいが治った。
頭に血がのぼってなかったのかな?
まぁ、ともあれ、お弟子さんはありがたいっちゅーこっちゃな。


5月3日(日)
今日から我が家総出の片付けが始まった。
クローゼットのタンスを処分することにした。
洋服やら小物の整理。
物が減ったぞ。
すっきり。


5月4日(月)
総出の片付けは続いている。
今日もタンスをひとつ処分することにした。
引越ししたときのダンボールが、開けないまま5年間しまってある。
そこに手をつけた。
必要ないが取っておきたいものオンパレード。
「必要ない」と「取っておきたい」の板ばさみ。
迷うことなく「必要ない」を選ぶ。
ほとんど処分。
10個近くあったダンボールが1個になったぞ。
中学の時の成績表が出てきた。
「むらなく勉強しましょう」の先生の言葉に娘大ウケ。


5月5日(火)シー
大学からの親友のK一家と、毎年1回なのか2回なのか、ディズニーランドなのかシーなのか、に行くのが恒例となっているのかそうなのか・・。
とにかく、「その日」が今日だったわけで、イベント好きの両家は8時前にはディズニーシーの開門を今か今かと待っていました。
K「チケット買ってないってどーゆーことや(笑)」
テ「なんか、買い忘れたらしいよ」
K「がっかりだよー」
テ「なんで?(笑)」
K「やる気ややる気」
テ「あるある」
K「チケットは買っておかなきゃー」
テ「うっかりしたらしいよ」
K「うっかりはしないわー、なんかアッチャンたちやる気がないんじゃないかと思って(笑)」
テ「あるって(笑)」
K「こっちは興奮して寝られなかったっちゅーに」
テ「はははは」
K「まぁ、スティッチぶら下げてることは評価するわ」
テ「娘が持ってろって言うんだ」
K「大事なことだ」
テ「とにかくどっから行く?」
K「センター・オブ・ジ・アースのファーストパス取ってインディージョーンズ乗りに行こ」
テ「はいよ。ほな家族はまっすぐインディ・ジョーンズに行ってもらおう」
K「そうやな」
K「帽子飛んじゃうかな」
テ「取ればいいじゃん」
K「髪の毛がぺしゃんとなっちゃってんだよ」
テ「写真か(インディ・ジョーンズ・アドベンチャーでは最後に写真を撮られる)」
K「そうだよ」
テ「手あげちゃったりすんだろ」
K「そうなんだよ」
テ「だめだよ、手をあげたら。後ろの人の顔が写らなくなっちゃうじゃん」
K「そうなんだよ、いっつもさ、後ろの人にかぶっちゃうんだよ」
テ「そりゃ失礼だ」
K「良い写真撮れるまで乗るぜ」
そんな調子で、いつものように午前中であらかたのアトラクションを制覇したところで雨が降ってきた。
確かに、午後1時から雨が降ると言っていた。
最近のピンポイントの天気予報はスゴイ、ほんとに1時から降り出した。
こないだ志の輔さんと千葉にゴルフに来たときも時間ピッタリに雨が降ってきて驚いたもんだ。
ピンポイント天気予報がスゴイのか、千葉がわかりやすいのか。
何度も乗ろうとしたインディ・ジョーンズ・アドベンチャーがシステム故障のため中断された。
雨は結構な降りとなる。
それでもこんな調子で遊び続け夜も9時近くなったころ解散。
雨の中でも燃え尽きました。


5月7日(木)伝の会 銀ぶらライヴ
銀座の老舗のライヴハウスTACTで伝の会をやることになった。
思えば久々の伝の会ライヴである。
たくさんのお客様に来ていただき、喜んだり、窮屈な思いをさせてしまったことを申し訳なく思ったりと。
今夜は邦さんの52回目の誕生日。
「邦さんに秘密にしている“ハッピーバースディ”」をどのタイミングでやるかを、邦さんも交えて綿密な打ち合わせを。
テ「うーーん、じゃあこうしよ。最後の曲をやって引っ込んだらすぐに僕が出てきて、ハッピーバースディをマリリン・モンロー風に三味線弾いて歌うから、そこでケーキ登場でしょ」
O「そうやってくだされば、こっちのキッカケもオッケーですよ」
テ「だろ。まぁ、俺が最初においしいじゃないね」
T「結局自分かいっ」
S「マリリン・モンローは三味線弾かないですよね」
結局ノリの良いお客様は、三味線でハッピーバースディを弾き始めたら大合唱になったので、僕はそんなにおいしくなかった。
2月の本公演の時に「5月7日のライヴには、お誕生日の邦さんからお客様にステキなプレゼントが用意されていることでしょう」と洒落で言ったのだが、邦さんはちゃんとお客様へのプレゼントを用意してきた。
邦さんの人柄の良さがにじみでますな、みなさん喜んだことでしょう。


5月8日(金)5月9日(土)
8日9日と稽古日。
2日間続けての稽古日は膝が痛くなる。
今までも経験済みで、2日間続けての稽古はやめようと思っているのに、ついつい続けてしまう。
なんと学習しない己であろーか。


5月10日(日)
モイスティーヌというお肌のお手入れに優れている会社がある。
化粧品といえば化粧品だし。
ま、とにかく、ウチのカミさんがやっている。
お肌が根本からきれいになるというのは素晴らしいことだと思っている。
「お肌」
とくに、女性にとっては永遠のテーマと言えるほど重要なことだろう。
齢を取るたびにそう思う。
男性にとってもそうだろう。
「まぁ、一度見ておいてよ」と言うので講習会に出席することになった。友達のダンナさんも一緒だ。
140人のファンデーションがいらなくなった素肌美人の中に、オッサン二人が混じった。
約5時間、人の話を聞く経験って、多分初めてかも知れない。
モイスティーヌのことはもちろん、話し手の心得とかがよくわかった。
いやいや、何に参加しても実になるものである。
その後は渋谷で髪の毛を切りに行った。
70年代フォークの人のように伸びてしまった髪。
はー、さっぱりした。


5月11日(月)長唄協会企画演奏会
家元が伊十郎師と「勧進帳」を弾くのでお手伝いに。
「タテ分かれ」という演奏方法がある。
タテ唄が二人いるっていうことですな。
うーーん、ピンとこないでしょうな。
唄を〇、三味線を▲とすると、五挺五枚は客席から見て(これを舞台面といいます)
    〇〇〇〇〇▲▲▲▲▲
と並びますが今回は
    〇〇〇〇▲▲〇▲▲▲
と並びました。
〇の偉い順は
    5431▲▲1▲▲▲
となるのです。
ね、1が二人いるっしょ。「タテ分かれ」さーね。
いろいろな並び方があるんですが、要はタテ唄が分かれるということです。
結果、三味線も分かれますね。
三味線の偉い順は
    〇〇〇〇13〇245
みたいな感じ。
2が僕ですね。
2が無くて両方1でも良いんですがね、1が家元なんで、明らかに僕は2なのです。
家元は1の隣りの唄方に対する三味線、僕は2の隣りの唄方の三味線を弾くのです。
なんだかこんがらがりそうだけど、面白いやり方ですよね。
久しぶりにやりました。
ま、今回は「勧進帳」ということで、5のところには上調子の三味線方がくるので、偉い順としては5番目ということではないです。
上調子は特殊なもので「役もの」と言われますからね、上手な人じゃないといけないですから。
今回は5のポジションが2番目に偉いです。
おもしろいですね。
企画の会ということで、他にも色々と楽しい編成と曲でお送りしていました。


5月12日(火)
一日稽古日。


5月13日(水)那覇
夕方近い便なので午前中はたっぷりと自宅で仕事した。
沖縄へ。
なんだか不思議だ。
沖縄が異国とは言わないが、隣町とは確実に違う。
けれども、フラッと来られる土地ってわけだ。
沖縄に通い出して1年が過ぎた。
感覚的には隣町に行くって感じなんだろうなぁ。
文化講座の第2回が6月に行われる。
今動いているのは、第3回の講座のこと。
その打ち合わせを夜の9時すぎからやるのだから実に沖縄っぽい。


5月14日(木)那覇。
お稽古。
国立劇場の稽古場を使わしてもらってるが、なかなか快適なのだ。
最近、料金の関係で最終の飛行機に乗ることが多い。
これが実にひっそりとしていて良いのだ。
那覇空港に人影は少ないし、帰ってきた羽田空港にも人影が少ない。
なんだか二つの飛行場を貸切にしてる感じだ。
飛行機も空いている。
前の席の人がいなかった。
こんなときは椅子を向かい合わせにして足を投げ出せたらいいのになぁ。
って、列車の旅じゃないんだから。


5月15日(金)チャーリーと赤坂サカス
20日に大阪の松永会があって、僕は「松の翁」を弾くことになっている。
演奏会で「松の翁」を弾く機会は結構多いのだが、囃子入りで弾くのは初めてのことなのだ。
どんなんだろ?
聴いたことない。
伊十郎全集の「松の翁」には囃子が入っているので、かろうじて聴くことは出来た。
感じはわかったけど。
でも生で聴いたことがない(しつこい)。
ま、そんな「松の翁」。
稽古をつけてもらいに家元んちに15時に行くことにした。
三枚目を弾いてくれるチャーリー(忠七郎くん)も来てくれるというので地下鉄に乗った。
さて、家元のお宅は赤坂にある。
千代田線「赤坂」駅が一番近い。
僕んちからだと副都心線で「明治神宮前」で千代田線に乗り換えれば良い。
「赤坂見附」からだって良い。
僕んちからだと副都心線の「池袋」から丸の内線に乗れば良い。
「永田町」駅だって良いわな。
僕んちからだと有楽町線で一本だ。
「溜池山王」駅でも良い。
僕んちからだと「飯田橋」で南北線に乗り換える。
ざっとこの4つが考えられる。
一番時間がかかるのは「赤坂」駅に行く方法だ。
でも駅からは家元んちがすぐ。
なんか微妙。
地下鉄のホームに下りる。
来た電車は副都心線だった。
となると、「池袋」で乗り換えて「赤坂見附」かなぁ。
「池袋」で降りた。
丸の内線のホームに向かおうとしたら、すぐに急行渋谷行きが来るという。
むむむ、急行かぁ。
急行で「明治神宮前」に行って千代田線に乗ったら早いんじゃないかい?
はははは、そんな奥の手があるんじゃん。
降りたホームにほくそえんでたたずむ。
急行が来る。
乗ろうとしたその瞬間にあることに気がついた。
急行は「明治神宮前」には止まらないのだ、「新宿三丁目」で各停に乗り換えなくちゃいけない。
その各停の電車は、今僕が乗ってきた電車じゃないかーー。
うぎゃっ!
乗ってはイカン。
しまった!
丸の内線で「赤坂見附」に行く方法しかなかったんだ。
うーー、時間ロスしたーー。
丸の内線に乗車。
ふーー、なんか遅刻しそうだぞ。
まぁいい。
「赤坂見附」から急いで歩こう。
えっと、「赤坂見附」っていくつ目かなぁ・・・・ゲッ、10駅ちかくあるじゃん。そんなに遠かったっけなぁ。
遅刻しちゃうなぁ。
おおっ、「後楽園」って南北線が通ってるんだ。
次が「後楽園」だぞ。
ここで乗り換えて「溜池山王」に行けばいいじゃん。
ショートカットじゃん。
よっしゃーー乗り換えーーー。
「後楽園」で降りて南北線のホームへ。
下るわ下るわ、こんなに地下深くかよっ。
ホームに着いたとき電車は行ったばかりだった。
完全に遅刻だ。
チャーリーにメール打つ。
「すまん 3時こぼれるわ 地下鉄がうまくいかない 急ぎます」
「溜池山王」に到着。
ふーーー、えっとどの出口から出たらいいかなぁ?
むむむ、「千代田線→」という文字が。
え?こっち行ったら千代田線のホームなの?
へぇ、「溜池山王」と「赤坂」って似たようなとこだからな地下でなんとなく行けたりするのかぁ、はははは、これでいいんじゃん、家元んちの近くに出られるじゃん、はははははは。
「国会議事堂前」
なにっっっ??
千代田線の「国会議事堂前」だとっ!!
し、し、し、しまった!!!
「赤坂」じゃなかったーーー。
「溜池山王」と「国会議事堂前」が繋がっていたんだーーー。
とにかく外にでる。
めっちゃ日枝神社。
うえーーーん。
とおーーーい出口だ。
泣きたい。
いっそ泣いてしまいたい。
もう帰っちゃおうかなぁぁ。
ああ、なさけない。
東京に住んで49年。
家元んちに通い続けて20年が過ぎようとしているのに。
なにを今更!
とにかく急ぐ。
ガラガラっ!
チ「えへ、着いたね」
テ「ふーーー、あづいーー」
奥様「どうしたの?」
チ「地下鉄間違えたんですって」
奥「まさかーー!」
結局時間的には問題なく、家元に稽古も無事につけてもらい、帰り道にチャーリーに一部始終を話す。
チ「めずらしいですね、鉄九郎さんがね」
テ「ああ、鹿児島生まれのチャーリーにそう言われるのもムカッとくるけどよ」
チ「ははは、僕なんか間違わないですよ」
テ「ったく、そうだよ、チャーリーは間違わんよ。ひとつ覚えたら、ずーっとそのとおりに通いつづけるだろーからよ。そこへ行くとなぁ、俺っちは、いろんなパターンを考えることが出来るのさ。いいか、この東京の下にいくつの地下鉄が走ってるか知ってるか?」
チ「さぁ?」
テ「ホーラ見ろ。オメーなんか所詮そんなもんなのだ。そこへいくとなぁ、俺様なんかなぁ、さまざまな行き方を熟知してるのだ」
チ「でも間違ったんでしょ」
テ「いやいや、間違ったんではない。こっからも行けるなぁ、みたいなことを体験したくなったんだ」
チ「すっごい息切れてましたよね(笑)」
テ「・・・・・・」
チ「しかし、赤坂も変わりましたねー」
テ「ああ、赤坂サカスが出来たとき一緒に歩いたじゃねーか、日記に書いたぞ」
(2008年3月23日参照)
チ「日記にですか?」
テ「ああ」
チ「赤坂がこんなにかっこよくなっちゃうと、僕はこの景色には似合わなくなってしまったなぁ」
テ「お前は、前の赤坂だって似合ってなかったよーー」
チ「はははは」
テ「どこの駅から帰るかなぁ?」
チ「あ、鉄九郎さん」
テ「なんだよ」
チ「さっきの話なんですけど」
テ「今も昔も似合ってないって話か?」
チ「そうじゃなくて」
テ「なんだよ」
チ「急行に乗って『新宿三丁目』で丸の内線に乗り換えれば良かったんですよ」
テ「なにっ!?」
チ「来たときの話ですよ」
テ「それはわかってる!何がいいたいんだ?」
チ「だから、急行が来たんでしょ?」
テ「うん」
チ「そしたら、鉄九郎さんは乗らなかったんでしょ?」
テ「そうだ」
チ「乗れば良かったんですよ」
テ「どうして?」
チ「だって急行に乗れば次が『新宿三丁目』でしょ」
テ「うん」
チ「『新宿三丁目』で丸の内線に乗れば四つ目くらいで『赤坂見附』ですよ」
テ「なにっっっ!!!」
夕暮れを迎える赤坂サカス。
ステキなお店たちがライトアップの準備よろしく輝き始めてる。
鹿児島から20年前に出てきて赤坂で内弟子をし、菊五郎劇団音楽部に所属し、日夜、歌舞伎で活躍している、イントネーションがちょっとヘンなこの52歳のオッサン、赤坂サカスに似合うほど似合ってた。


5月16日(土)浜松
そっか土曜日かー。
娘がいつまでも寝ているから安心して起きるのが遅れた。
あわてて東京駅へ。
乗り遅れる時間ではないのだけど、お蕎麦を食べる時間がないという悲しいことに。
満席。
珍しいなぁ、超満員の新幹線。
帰省でもないのに。
なにが起こってるんだーー。
浜松に着いたとき、僕はお腹ペコペコだった。
食べたのは中華。
よーし元気でたぞーー、イザッお稽古開始。
終わるとそのまま宴会。
いつものパターン。
「稽古付宴会」だからな、ウチは。
無事におひらきになり今夜はゆっくり寝ようとホテルに行きかけたところ、お弟子さんのS社長が
S「師匠、今日は(東京へ)帰るのかい?」
テ「いや、久々に浜松泊まりです」
S「じゃ、もうちょっと飲んできなよ」
ということで、美笠のカウンターに席を移し一杯飲む。
思えば、数年前、初めてここ「料亭美笠」で伝の会をやったときのお客様との打ち上げで、このS社長が「おーいテツクローー、一杯飲めーー」と心安く声をかけてくれ、意気投合し、あれよあれよという間に稽古を始めることになった。
あっと言う間の3年間だった。
人の出会いとはありがたいものだ。


5月17日(日)米團治独演会 浜松
昨夜は遅かったことだろう。
なんとか起きて、尚雅堂に出勤し、午前中はお稽古。
お客様たちと食事をし、浜松市福祉交流センターホールへ。
エンボスのスタッフの皆と顔をあわせる。
なんだか、ここのスタッフたちとはしょっちゅう会っている。
すっかり身内みたい。
4月30日の志の輔独演会ももちろんエンボス主催。
このとき以来かぁ。
なんかもっと会ってる気がする。
広い楽屋の隅でバッグをごそごそしているお兄さんがいる。
テ「・・・・・」
米「・・・・」
テ「探し物っすか」
米「わっ、なんも探してません」
テ「はははは、おどおどしないしない」
米「なんも、やましいことありません(笑)」
テ「おはようございます、よろしくお願いします」
米「今日、出てくれるんやろ?」
テ「はい、一人ですけど」
米「一人でやるのは見たことがないよねぇ」
テ「めったにやりませんからねぇ」
米「楽しみにしてますー」
テ「よろしくお願いします」
米「ほんま、自分としゃべってるみたいやー」
ありがたいことに米團治師匠は、ご自分と僕とがよく似てると言ってくださる。
開演し、米團治師匠の出番。
テ「お願いします」
米「行ってきます」
このりりしさが好きです。
高座に出て行くときの姿も。
中入り後に僕の出番。
テ「何分くらいっすかね?」
米「もー、好きなだけーー」
弾き始める、幕が開く。
あたたかいお客さまだ。
引っ込む。
米「もっと聞いてたいねー」
テ「ありがとうございます」
米「ええよー」
テ「あっ」
米「どないしたん?」
テ「来月の伝の会の宣伝し忘れた」
米「うん、いつや?」
テ「7月19日」
米「どこで?」
テ「K-MIX」
米「えっ?」
テ「ケーミックスです」
米「ケーエーミックスエス?」
テ「いやいや」
米「あー、もう、呼ぶから出てきてーー」
高座に上がった米團治師匠、宣伝し忘れたドジな僕を高座に呼んでくれ
無事に宣伝できた。
ホッ。
そんなこんなで無事に終演。
米團治師匠たちは帰るというので、じゃ僕は今夜ゆっくり寝ようと心に決めたとき、
「ウチで宴会ですから」という尚雅堂の声を思い出した。
エンボスの社長とはしょっちゅう飲んでいるがスタッフのみんなとはなかなか飲む機会がない。
今夜は貴重な時間だ。
浜松に通いはじめて3年。
お弟子さんたちやエンボスのみんな、それ以外にもたくさんのかけがえのない方たちと出会えている。
正直、こんな風になるとは思わなかった。
ありがたいことである。
ただひとつ残念なことがある。
しょっちゅう来る浜松。
東京からは近すぎて飛行機が使えない。
うーーん。


5月18日(月)伝の会 博多編
うーーー、昨夜騒ぎすぎたのか、頭ん中が「わーーーっ」としている。
新幹線に乗る。
こりゃまた混んでる。
なんなんだろ?
岡山行だからかなぁ?
新大阪着。
そっからバスに乗って伊丹空港へ。
この空港バスはすっかりおなじみになった。
25分で空港に着く。
早ければ15分、混んでても30分くらい。
なんと便利なんだろ。
今までバスは苦手と毛嫌いしていたが30分くらいなら問題ない。
今日も問題なく伊丹空港に到着した。
お腹がペコペコ。
何を食べようかなぁぁぁ。
もう、伊丹空港のレストランも行きつくしてるからなぁ。
ま、かるーく定食みたいなのを食べる。
食べ終わったタイミングで邦さんからメールが。
「すっごいお弁当が用意されてるから、お腹ペコペコにして来てね」
食べたとこやん!
どっかで見てるんと違うか?!
食べちゃったんだからしょうがない。
搭乗。そして福岡空港着。
スタッフと合流して唐人町プラザ甘棠館へ。
邦さん昼寝中。
早くから来て準備を進めてくれていた。
博多編は昨年に続き2回目。(2008年7年13日参照)
いやぁ、今回もはしゃいだはしゃいだ。
お客様もノリが良いし、いやいや楽しいライヴでした。
終わって打ち上げ。
今回は邦さんの博多のお弟子さんたちも一緒、それもまた楽しかったです。
打ち上げも終わり、結構な時間となりホテルに寝ドル帰路。
邦「アツシは明日大阪だっけ?」
テ「うん。邦さんはなんなの?」
邦「明後日、ここ(博多)の稽古日なんだけどさ、明日はちょっとゆっくりしようかと思って温泉に行くことになってんだ」
テ「ありゃ、いいねー、のんびりだー」
邦「そうだよ、明日はのんびりだぞーー。明日朝早いのか?」
テ「うん、7時の飛行機」
邦「あはははは、そりゃ大変だな」
テ「まあ今から寝れば大丈夫だよ」
邦「そうだよな、コンビニ寄って行こうぜ」
テ「えっ?」
その後、邦さんとスタッフたちは僕の部屋に集合し、部屋飲みが始まった。
コラコラーーー!!


5月19日(火)関西松永会中止
ゲフッ。
5時30分にモーニングコールが鳴った。
そっか、ここは福岡かぁ。
なんでこんなに朝早く起きたんだっけな?
そっか、大阪に行くんだ。
明日は大阪の松永会。
今日は下ざらいなのだ。
7時の飛行機に乗るんだ。
あっと言う間に伊丹空港へ。
うーー、眠くてしょうがない。
バスで梅田へ。
まだまだ寝たりなーーい。
堺筋本町のテイジンホールへ。
ちょっと早く着いちゃったかな。
「おっはよーーー」
元気に入っていった僕の目に映ったものは、
マスクをつけた着物姿の女の人たちとマスクをつけたスーツ姿の男の人たち。
なにっ!
そりゃ、新型インフルエンザはわかるけど、そんなに全員がしなくてもーー。
侵略者かと思ったよーー。
「なーに、寝ぼけたこと言ってんの、マスク持ってないの?大変なことになってんのよ」
おお、この声はT師匠だな。
なにせマスクでわからない。
「アツシっ!」
マスクをつけた家元が遠くから僕の名を呼んだ。
家「そういうことなんだよ」
テ「な、なにがっすか?」
家「中止になったんだよ」
テ「え?」
家「明日の松永会を中止にしてくれって言われてさぁ」
なんだと!
そ、そんなことってあるの?
えっ?
大阪はそんな大変なことになってたの?
ここ3日ほどニュースを見てなかった僕はおったまげた。
家「これからどうするか皆で話しあうから」
テ「はい」
かくして、僕ら松永ご一行さまは客席に入り、今後の対策を話し合った。
2時間が過ぎ、なんとか結論も出た。
とにかく、今回はこの時点を以って解散となった。
一方、東京の庚申塚では昼夜「志の輔らくご」が公演される日。
出囃子担当の僕が行けないので鉄六に行かせることにした。
しかし、鉄六は夜に自分のライヴがあるため、昼の部しか出来ないとのこと。
色々考え、志の輔師匠と話し合った結果、最後は志の輔師匠の「俺はかまわないよ、どうせいつかは一人でやんなきゃいけないんだから」の一言で、鉄七にやらせることにした。もちろん、一人で出囃子を弾くのは初めてである。
さあ悩んだ。
帰っていいんだよな。
庚申塚に行けるよな。
夜の部間に合うかもな。
だって心配なんだものーーー。
うーーーん。
いやいや、やらせると決まったんだから師匠にお預けしよ。
親がでしゃばっちゃイカン。
そんなとき、タイミングよく鉄六から電話が。
なにっ!
昼の部で鉄六と鉄七で舞台に出ただと!
夜の部、鉄七ひとりで出囃子させることで充分ドキドキしてんのに、
舞台にまで出ただとっ!
な、なんと大胆な!
昨夜、もし二人で出ることになったらとネタを考えていただと!
・・・ま、たしかにそんなこと聞いたような気がする。
スッゲーな・・・・コイツら・・・太いな。
・・・やめよ、帰るのやっぱやめよ。
和三千紘師匠と打ち合わせがある。
8月に神戸でやる伝の会の打ち合わせが。
自分のことしっかりやんなきゃ、弟子のこと考えてる場合じゃないや。
まずは宗右衛門町のホテルにチェックイン。
シャワー浴びて、明日の飛行機の変更をして昼寝したら夕方になったので和三千紘師匠に電話。
テ「そろそろ行きますか(神戸に)?」
和「ああ、ちょっと寄り道してさ、今帰ってきたとこよ」
テ「あ、そうっすか、じゃあ、都合ついたら電話ください」
和「はいはーい」
次に気がついたら、窓の外は真っ暗だった。
あら、ぐっすり寝ちまったらしい。
電話まだかかってこないなぁ。
もう20時になるぞーー。
おっかしーなー。
と、携帯の着信履歴を見る。
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
和三千紘さん
わーーーーーーっ、めっちゃかかってきてるーーー。
気がつかなかったんだーー。
マナーモードになってるしーーー。
携帯交換したばっかで、操作がうまくできてなかったーーー。
ギャーーーっ!!!
テ「わーーーー」
和「ほらっ、ほらっこれだーー。もう宴会やってるしーー」
テ「すぐいきまーーす!!」
和「三ノ宮に着いたら電話ちょーだーい」
テ「はーーーーい!!」
心斎橋にダーーーシュ!!
梅田にいそげーーー!!
三ノ宮へ新快速だーーー!!
はぁはぁはぁ
和「昼間に会ったときより元気そうじゃない」
テ「ええ、よく寝ましたから」
和「寝すぎよっ!」
宴会しながら打ち合わせしてると志の輔師匠から電話が
志「鉄七、無事に出囃子弾いたから」
テ「キャー、ありがとうございます。師匠のおかげです。わざわざ電話ありがとうございます」
志「松永会中止になったんだって?」
テ「そうなんですよー」
志「ま、ゆっくりして来い」
テ「はーーい」
いやいや、ありがたいですね。
師匠自ら電話してくださるなんて。
鉄七も幸せもんじゃん。
和「どうしたの?」
テ「いやいや、これこれしかじか」
和「やさしーじゃなーい」
テ「この人について行こうって思いますでしょ」
和「そうよーー、そういうことよねーー」
新型インフルエンザ騒動のさなか、大阪よりも神戸の方がスゴイことになってるのを知るのは次の店に行ってからだった。


5月20日(水)
ほわーーい、よっく寝たぞーーー。
昨夜は何時に帰ってきたのだろ?
とにかく6時間は寝た。
昨日の昼寝も効いてるんだろう。
快適な目覚め。
よっしゃー、えっちらおっちら伊丹空港に行き、ご飯を食べて飛行機に乗り込んだ。
家に帰ると娘もちょうど帰ってきた。
娘「ただいまー」
テ「よっ」
娘「暑ーーい」
テ「なんだよ、制服じゃないのかよ、体操着じゃん」
娘「だって、いま、運動会の練習なんだよ、ここんとこずーっとこれ」
テ「へぇ、横になんなよっ、汚い体操着で」
娘「どこから帰ってきたの?」
テ「大阪」
娘「わっ!ヤバイじゃん。パパにさわっちゃったよ、手洗って上(二階)に行こっと」
テ「コノヤロー、でたな、事情通がっ!」


5月21日(木)志の輔らくご 21世紀は21日
うーーむ、とにかく太った。
今年に入ってからの暴飲暴食と年齢によるものだろう。
ライヴの写真を見せられて
「ホラ、見事な二重アゴ」
とか言われるのも当たり前になってきた。
ヤバイ。
そんなことを思いながら、ダラーッと、留守の間にたまった録画した番組を早送りで見る。
夕方に新宿明治安田生命ホールへ。
ヒロさんと雑談していると蓮二さん登場。
蓮「おはよーございまーす」
ヒ「蓮二さん、どーもどーも」
テ「ちはーー」
蓮「俺、今まで花粉症とかでマスクしてたんだけど、こうなってくるとしないね」
ヒ「あ、僕と同じだーー」
テ「なんでよ?」
蓮「なんか、インフルエンザに負けたくないのよ(笑)」
ヒ「そうそう、恐がってると思われたくないよねー(笑)」
テ「はははは、んなアホなーー」
蓮「いや、今マスクなんかつけてたら、予防してるとかって思われちゃうでしょ(笑)」
ヒ「そうそう(笑)」
テ「えっ、それで、今日はマスクしてないの?」
蓮「決まってんじゃん」
ヒ「かっこいーー(笑)」
テ「あのね、二人とも何と戦ってんのよ(笑)」
蓮「『何か』と戦ってんの」
ヒ「ははははは」
相変わらず馬鹿っ話しで盛り上がる楽屋ですが、志の輔師匠の楽屋入りの時間になる。
ヒ「おはようございまーす」
蓮「おはよーございまーす」
テ「ねぇ、師匠マスクつけてなかったね」
ヒ「ね、やっぱり戦ってんですよー(笑)」
テ「んなわけないでしょー」
蓮「だっていっつもつけてるじゃなーーい(笑)」
という話を打ち上げの席で師匠に話した。
志「お前たち、そんなことで盛り上がってんのかーー」
一同「はははははは」
志「俺だって、(マスク)したかったんだよーーー」
一同大ウケ。
んまいっっ!!!


5月22日(金)
ちょっと二日酔いーーー。
9時からお稽古ーーー。
終わったら22時ーーーー。


5月24日(日)龍野
5時に出発ーー。
7時30分の飛行機に乗って伊丹空港へ。
機内で邦さんと会った。
新大阪で伝の会とデンキチが落ち合い、レールスターで姫路へ。
テ「姫路って何県だ?」
デ「兵庫ですっ!」
姫路駅から20分ほど車に乗って、龍野にやってきました。
今日はここで伝の会。
龍野城の本丸御殿の中でということで、なかなかの風情ですね。
まぁ、お客様のノリが良い。
龍野高校出身というデンキチも一緒に一曲やる。
こういうのも楽しいものだ。


5月25日(月)
昼過ぎに帰宅。
とにかくグータラしたいがそうもしてらんない。
明日の一人ライヴのネタを考えないと。


5月26日(火)梅雨の沖縄
もう梅雨なのかよーーー、那覇。
カラッとしてくれよーーー、那覇。
んな感じの那覇にやってまいりました。
修学旅行生がそろそろどっと押しかける季節になってまいりました。
僕の乗った飛行機にも高校生らしき団体が乗っておりました。
今日はちょいとゆっくり目の便で来たもんだから忙しい忙しい。
あっと言う間に稽古の時間。
お稽古終わってフラッとした。
朝食を羽田で食べたっきりだった。
お腹減ったーーー。
すぐ近くの沖縄そばへ。
2年振りかなぁ、ここへくるの。
テ「おばちゃーん、沖縄そばね」
お「はーい」
テ「ときにさぁ、沖縄そばを作ってる間にポークたまご作れる?」
お「えっ?」
テ「ははは、お腹すいちゃってさぁ、おそばゆでたりする時間があるんでしょ、その間にササッとポークたまごをさ」
お「そりゃ、無理だなぁ(笑)」
テ「あ、そう、ははは、ならいいよいいよ、おそば作ってからポークたまご作ってよ」
お「お腹へってんだねぇ、これ食べときな」
天ぷら盛り合わせが出てきた。
テ「いやいや、ありがとー。天ぷらはおそばに入れたいんだなぁ」
お「うん、それでもいいよ。ツナギに食べときな、いますぐ作るから」
テ「はーい」
お「どっから来たの?」
テ「東京だよ」
お「(インフルエンザ)大丈夫かい?息子が東京にいてさ、大変なんだよって言ってたよ」
テ「ああ、そうなんだ。作ってるかい?おそば」
お「今出来るから」
テ「うん」
お「天ぷら食べてなって」
テ「もう出来てもいいでしょ」
お「はいよ」
テ「おっ、来たね」
お「そんなにあわてて食べてー」
テ「時間も無いんだよ(ライヴ始まるし)」
お「ほんとに作るの?」
テ「え?だめだめーー、すぐ作ってくんなきゃー」
お「ポークたまご食べるの?」
テ「食べるよーーー。早く作らなきゃーー」
お「はいはい(笑)」
テ「そうそう、これこれ、(笑)」
お「お腹へってんだー」
テ「へってるさーー」
お「ご飯もいるかい?」
テ「え?ご飯もついてんの?」
お「うん」
テ「じゃあ、そんなに言うんなら少しもらっちゃおーかなー」
お「はいはい」
テ「あ、そんなにいらないよ、残しちゃうといけないし、少しでいい」
お「こんくらい?」
テ「その半分で」
お「はい」
テ「なんだか食べすぎだなぁぁ」
沖縄そばと天ぷらとポークたまごとご飯はさすがに多い。
どんどん太っていく自分を実感しているようだ。


5月27日(水)
お稽古2日目。
今月は前半にも来ているから3回目の稽古になるかな。
なかなか素晴らしいペースだ。
6月7日(日)に文化講座の2回目をやる。
その打ち合わせが今月ずーっと続いている。
ここでしか出来ない企画。
公演と講座の間くらいのショー。
おもしろい時間にしたいと思っている。
第1回は大成功だった。
ドンドン続いていければと思う。


5月28日(木)雨の東京
昨夜、梅雨の沖縄から帰ってきたと思ったら、本日、東京、雨模様じゃん。
午後からは結構な降りになってきたりして。
朝、ダッダッダーっと片付け掃除をして、9時からお稽古開始。
14時が空いていた。
おっ、この時間で銀行やら行かないと。
支払い支払い。
うーーん、払うのは悔しいものだ。
まぁ、誰しもそうだろうが。
もらうだけの人生ってないのかなぁぁぁ(アホや)。
なんてことでかるーく落ち込んでしまったりするので、
「支払いは楽しいこと」と考えを改めた。
昨年くらいから。
「よーーし、銀行行って支払いしてさっぱりするぞーーー」
みたいな。
するとなんだか支払いが楽しい。
「次は何を払おう、いつ払わしてくれるんだーー」
みたいな。
いやいや、そのおかげで、支払うということのストレスはなくなったのはいいけれど、
お金も無くなった。
さーて、寝よ寝よーーっと。


5月29日(金)
今朝、カミさんを渋谷まで送るために4時30分に起きた。
モイスティーヌご一同様でウイーンへ行くのだ。
5時に家を出なきゃ5時45分のリムジンバス受付に間に合わないのに
出発したのが5時10分。
こりゃ間に合わないなぁと言っても仕方が無い。
雨がザンザン降る中、久しぶりにぶっ飛ばした。
無事に間に合って帰宅し、娘が学校に出かけるのを見届ける。
9時からお稽古開始。
今日から娘との二人暮らしが5日まで続く。
さて、献立はどうするかなぁ?
今夜は麻婆豆腐に決めている。
稽古の合間に買い物に行く。
夕方、娘は帰ってくるとスイミングに出かけた。
帰ってくるタイミングでお風呂の支度をしておいたので、
娘は帰ってきてそのままお風呂。
19時30分には夕食。
お稽古が21時に終わった。
娘「パパ寝るよ」
テ「はいよ」
娘、就寝。
明日は運動会なので、気合が入ってメチャメチャ早寝。
イベント好きな娘らしい。


5月30日(土)伝の会 新宿編 初日
娘「なんで目覚まし鳴らないんだよーー」
とバシバシ叩かれ起床。
ただいま6時40分。
7時前には学校に行くのだという。
雨降ってるからたぶん運動会は中止だと思うが
娘は体育委員なので発表前には学校に行ってなければならんらしい。
娘「パパご飯作って」
はいはい。
主夫は忙しい。
なんのことはない、ササッと支度してご飯もきっちり食べて予定時間に出かけて行った。
僕は7時30分になると中学に行き「本日の運動会は延期となります」
との張り紙を確認し、帰宅して二度寝。
電話で起きたのが11時。
ありゃ、目覚まし10時にかけておいたのになぁ。
「なんで目覚まし鳴らないんだよーー」
あわてて起きて掃除と買い物へ。
12時30分にお弟子さん来て稽古。
それが終わると、迎えに来た鉄七と新宿ブラックサンへ。
邦さん、歯が痛いとドンヨリしている。
こういうときのライヴは楽しいものだ、へへへ。
盛り上がってライヴ終了。
娘に電話すると、これからグラタン食べるとこだと言う。
テ「お風呂も入っておけ」
娘「明日は休みだからまだ入らなくていいよ」
テ「眠たくないのか?」
娘「大丈夫」
テ「ソファで寝ちゃうなよ、9時ごろ帰るから」
娘「うん」
お風呂も入らずソファで寝られてしまうのが僕にとってはとても面倒くさいのでそれを避けたいのだ。
邦さんたちと食事をしていると、鉄六から電話。
今日明日と志の輔さんに同行している。日立と水戸での独演会。
日立の会が無事に終わって打ち上げ中だとのこと。
良かった良かった。
帰宅。
娘は元気に起きていた。
やれやれ。


5月31日(日)伝の会 新宿編 二日目
あれっ、雨は昨日だけかと思ったら今日のほうが本降りだ。
お弟子さんのお稽古のあと新宿へ。
娘の夜ご飯どうしようかなぁと思っていたら「一緒に行くよ」と言うので連れてでかける。
テ「お前、大きくなったなぁ」
娘「このパーカーでいい?」
テ「うーん」
娘「ま、パパに聞いてもなんか違うだろうけど」
テ「どーいう意味だよ、俺はうるさいよ洋服のセンスは」
娘「すみません、とてもそうは見えませんが」
テ「そのパーカーじゃなかったら何があるんだ?」
娘「こっちのパーカー」
テ「なんだよっ、どんだけパーカー好きなんだよっ。パーカーじゃなくってさ、なんかフワッとしたやつあっただろ」
娘「あ、これ?」
テ「それそれ、布切れ巻いてるようなやつ、それでいいでしょ」
娘「そうなの?」
テ「そうなの!そういうのが好きなの」
テ「さぁ、雨が降ってるから小田急の中で食べよう、レストラン街で。何にする?ガツンと食べとこーぜ」
娘「うーーん」
テ「何にする?ウナギがいいなぁ、あ、天ぷらいいぞー、ここうまいぞ」
娘「とんかつ」
テ「ガツンとハンバーグにしよっか」
娘「とんかつ」
テ「とんかつ?」
娘「時間がないんでしょ、とっとと行こ」
テ「とんかつってお前『和幸』じゃないか」
娘「うん」
テ「なんだよー、和幸ならいっつも食べてるじゃん。光が丘にあるじゃん」
娘「こないだ池袋でも食べた」
テ「だからさー、そんなしょっちゅう食べられる店じゃなくてさー、もっと違う感じのを食べさせようと思ってたのに」
娘「ありがとう、気持ちだけいただいておくからさ」
ガッと食べてブラックサンへ。
お客様が集まってる間に邦さんと曲を決める。
なにせ20人のお客様が入ってくるのを迎える形の店なので、誰が来るのかが把握できる。
それに合わせて曲決めをするのが慣わしになっている。
昨日より間違いなく湿気ているのに、弾きやすい。
「慣れ」である。
こういうのがおもしろい。
すぐに慣れる。
良いお客様の2日間だった。
ここでしか出来ないライヴ。
毎回楽しみな20人ライヴである。
なんとなく地元の駅まで帰ってくる。
テ「ご飯どうしようか?ラーメンでも食べて帰ろうか」
娘「いっそ、家でいいんじゃない?」
テ「ラーメン食べて行こうか」
娘「ラーメン食べたいのはわかったけど、家で食べようよ」
テ「家にラーメンないぞ」
娘「ラーメンはいいからさ」
結局、家でお肉をサッと焼いて食べる。
中1になった娘は、しかし、よく食べる。
いただいた果物を食後にパカパカ食べている。
育ち盛りとはよく言ったものだ。


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