1日(金) 全日空寄席
志の輔さんがこのところ毎年2月にやっているバンコクでの「ANA寄席」。
今年は僕も連れて行ってもらって、舞台に上がった。
そのとき収録された分が今月の機内で流れるのだ。
午後に志の輔さんから電話が
テ「どうも昨日はありがとうございました」
志「どうもだ。全日空に乗ってきたよ」
志の輔師匠は本日札幌公演。
志「機内で聴いたよー」
テ「あ」
志「お前はバンコクに行ってたんだなぁ」
テ「えっ?」
志「はははは」
テ「あ、びっくりした。別に一朝さんと行ったわけではないですからね(笑)」
志「ははははは、ま、今日が1日だからな、今日から一ヶ月だな」
テ「いかがでしたか?」
志「いや、素晴らしいんじゃないか」
テ「良かったです」
志「お前も今月はJALじゃなくてANAに乗りなさいよ」
テ「はいもちろんです(笑)」
志「はははは、じゃな」
テ「はい、ありがとうございました。」
http://www.anaspamphlet.jp/skychannel/jun12/dom.html
2日(土)
夜10時すぎにJR板橋駅前まで行った。
自宅から9キロ弱のこの駅にきたのは初めてだった。
自宅の近所だって行ったことがないとこはたくさんあるのだろう。
ただ長いこと生きているからと
なんでもわかってると思ってしまっていたのかも知れない。
3日(日) 伝の会 仙台
仙台で伝の会をやってくださいとのお呼びが掛かりました、ありがたいことです。
会場はせんだい演劇工房10-BOX別館「能-BOX」という新しくできたところです。
楽しかったーー。
心地よい疲れとともに帰りの新幹線で熟睡です。
4日(月)
昼間は出かけて夕方から稽古。
5日(火)
今日も稽古。
夕方に終わる。
6日(水) 那覇稽古
那覇に来た。
野菜だけの餃子を食べる。
おいしい。
7日(木)
取手に来た。
8日(金) 志の輔独演会 米沢
朝、猫と遊び、昼、打ちっぱなしで汗を流し、午後、東京駅に。
「はやて」に乗って米沢に向かう。
雑誌買おうと売店に入ったら志の輔さんと会った。
米沢市民文化会館。
志の輔さん初めていらしたのだそうです。
ということで僕も初めてなのです。
初めてのところでやるネタをやりました。
泊まりはなんと、かみのやま温泉葉山館。
いやーー、すばらしいぞー。
温泉だぞーー、きれいな宿だーー、部屋に露天風呂とか足湯とかついてるぞーー。
完熟トマトと米沢牛のスキヤキ風のお鍋なんか、めっちゃおいしかった。
9日(土) 志の輔らくご in yamagata
朝早く僕と師匠は出かける。
その後会場へ。
山形県生涯学習センターは300席、
もはや志の輔さんをやるには狭いけれども、会館としてはとても良い空間だ。
ここでも舞台に出させていただく。
そして打ち上げは昨年も行った居酒屋さん。
今年は「三百年の掟やぶり」というお酒が行く先々で待っている。
ここでももちろんいただく。
辛口の「ばくれん」、昨年も飲んだということを思い出して
「これだこれだーー」といただきました。
10日(日)
志「昨日のラーメンうまかったか?」
朝の第一声です。
ラーメン屋に行ったこともラーメンを食べたことも記憶にあるそうですが
味の記憶がないのだそうです。
酔い方にも色々ありますな。
僕は覚えています。
現在二日酔いですが。
テ「おいしかったですよ」
志「そっか」
11日(月) 巣鴨四丁目落語会
昼の部は談笑さんとこの新二つ目の吉笑さんが、夜の部は神田紅さんがいらした。
はだかさんが新しく作ったCDを志の輔さんにお披露目している。
「スカイツリー音頭」聞かしていただきましたよ、ははははは。
年末のにぎわい座のライヴ録音を入れてあるという。
するってーと、僕が弾いている出囃子も入ってるってこと。
「ありゃ、じゃ関係者じゃん」と言ってくれて、僕にもCDをくださいました。
すみません。
今日の楽屋はなかなか面白かったのであった。
12日(火) 岡山稽古
朝の新幹線で岡山に着く。
稽古場に行き何人かお稽古をして、別の稽古場へ行く。
何人かお稽古してまたさっきのお稽古場に戻ってきて何人かお稽古すると終了となる。
今日もその順で、最後は数人のお弟子さんと食事をともにする。
一杯飲むのである。
ありがたいのである。
13日(水) 浜松稽古
お稽古である。
お弟子さんたちがんばってくれているのである。
14日(木) 浜松
良いお天気の中、運動をして夕方の新幹線に乗って帰ってきた。
15日(金)
正直に書こう。
まさか、すでに、6月が、15日になっていようなどとは、まったく、知らなかったわけで。
ただただ、明日のスケジュール、明日のスケジュールと追っていたら
なんと15日にもなっていたのである。
いやいや、驚きである。
びっくりである。
16日(土)
お稽古日。
ガスの点検とか来た。
17日(日)
娘から
「ケーキ買ってきて。ケーキ買ってきて。ケーキ買ってきて。」
とメールが入っていた。
よっぽど食べたいのかと思い、帰りにわざわざ遠回りをして買って帰った。
テ「はいよ」
娘「えっ?ほんとに買ってきてくれたの?」
テ「よっぽど食べたかったんだろ」
娘「わーい、ありがとー」
テ「三回言われるとな」
娘「いや、三回言うとアップデートされるかと思って」
テ「『ATARU』か!!」
18日(月)
打ちっぱなしの一球いくらなのか知らなかったが
先日、いつも行くとこの値段がわかった。
今日はいつもと違うところ。
値段を確かめたら同じだった。
こんなもんなのかな?
時間によっても違うのかも。
19日(火)
外出していた。
台風が来ている。
東京は夜中に通過するかな。
外出している間はほとんど傘は要らなかった。
20日(水)
台風は東北に抜けていったので、東京~沖縄間は問題なく飛べるのだが、
昨夜の影響で使用機が無いということで、いつもの出発便は欠航となった。
鉄六に行ってもらう予定だった那覇の稽古が中止となったのでした。
21日(木) 志の輔らくご 名古屋
志「もしもし」
テ「はい」
志「(お前は)何時に乗るんだ?」
テ「実はもう名古屋に着くとこです」
と、新幹線に乗っている時に師匠から電話があった。
というわけで師匠より一足早くに名鉄ホール入り。
今回は「中村仲蔵」をやるというので
附打・太鼓・笛と私の四人セットでございます。
サウンドチェックをして師匠の到着を待つ。
師匠が到着しリハーサル。
そして本番。
そして終演。
そして打ち上げ。
雨が降っている。
明日もどうやら雨らしい。
よっしゃー飲んじゃえ飲んじゃえーーー。
22日(金)
7時にかかってきた電話で起きた。
「良い天気なので8時15分に出発いたします」
えっ?
な、なんだって?
起き上がれない。
すごい二日酔いで。
目を開けるとまぶしい。
カーテンが閉まってないので日差しがめっちゃ入ってきている。
うそだろ?
雨って言ってたじゃん。
動けるかな?
時間になりエレベーターホールに行ったら
僕よりもっとどんよりした志の輔師匠がいた。
昨年も連れていっていただいた場所、豊田のほうに。
いやー、良い天気になった。
頭が痛いが。
そして終了。
お風呂に入る。
車に乗る。
テ「師匠、着きますよ、ホテルに」
志「あ、うん」
車を降りる。
志「(車内でお前も)寝た?」
テ「はい、ぐっすり寝ました」
志「な」
僕はやっと酔いがさめた感じだ。
それから一時間後。
プリンセス大通りにいた。
お客様に幸楽というお寿司屋さんに連れていっていただく。
7人くらいの食事。
「もう一人来るんです」
と言われ待っていると、内海英華さんが現れた。
「えっ、鉄九郎さんもご存じですか?」
テ「はい、同級生です」
いやいや久しぶりにお会いできましたねー。
じゃ、飲んじゃおっかなーー。
23日(土) 志の輔らくご 長久手寄席
志「ったく、うるさいよ」
テ「すごく二日酔いですよ」
志「でっかい声で」
テ「騒いでましたか?」
どうやらうるさかったらしい。
名古屋のホテルから20分くらい車に乗って長久手市文化の家へ。
先日、伝の会で来たとこだ。
しかも数年前、長久手寄席にも伝の会で出演させてもらっている。
志「出てるんじゃん」
はい、お世話になりました。
長久手町が長久手市になったというおめでたい時に
志の輔らくごがかかるということですな。
二人いるお弟子さんが二人とも出てから師匠が上がって行った。
じゃ今日は僕の出番はないかなと思っていたら
志「この後、長唄三味線も聞いていただきます」
と高座で喋られた。
おしゃべりになったぞ。
こりゃ出番だ出番だ、袴つけとかにゃー。
師匠の一席目が終わり仲入りとなった。
10分過ぎたころに
テ「よろしくお願いいたします」
志「ん、頼む」
スタンバイをしよっと。
座布団無しの高座に座る。
三味線を置く。
目の前には緞帳が。
この一枚の布で舞台と客席が区切られている。
世界を区切っている。
この緞帳の向こうには
ベルが鳴ったのでそろそろ席に着こうかというお客様たちがいる。
舞台に一人座っている僕にはそれが手に取るようにわかる。
一番前の客席と僕の距離は2~3メートルくらいだろう。
たったその距離なのに世界がまったく違う。
志の輔師匠の舞台に何度こうして出していただいたのだろう?
最初のころのことをよく覚えている。
さっきまで志の輔師匠が座っていた高座に自分が座っているんだと思っただけで
緊張感と恐怖心が襲って来たものだ。
今それがまったくないわけではないが、経験値が精神的に助けてくれている。
何事も経験値なのだ、と言い切ってしまっては元も子もないが
全ての事に対してとても重要な位置にあるということは間違いない。
こんなことは誰でも知っているか。
今月ANAで流れている僕の舞台を聞いた。
もっとゆっくりやってみよっと。
最初はわざとちょっと焦ってやっていた。
でももう焦ってやることに意味はないようだ。
ゆっくりやろう。
あわてているふりはよそう。
合図があり僕が弾き出す。
緞帳が開く。
拍手が鳴る。
いつものように始めた。
初めての土地でやるネタを。
「ありがとうございました。」と頭を下げ、拍手の中舞台袖に向かう。
調子をなおし、志の彦くんに合図をすると、大太鼓が上がり、締太鼓をテンテン。
中の舞合方を弾き始める僕。
しばらくすると志の輔師匠が舞台に出て行く。
おじぎをするところと三味線のフレーズを合わせる。
考えてみればこれも大した技術だ。
師匠がマクラ無しで話し始めた。
僕は楽屋に戻るべく歩き出す。
志の太郎くんがそばに来て「おつかれさまでした」
テ「ちょっと二日酔いだったかな(笑)」
太「ここの会場、やりやすくなかったですか?」
テ「ああ、良いとこだよねー」
楽屋に戻る。
椅子に座る。
ふーー。
今日は録音していた。
なるべく録るようにしている。
ていうか、全て録らなきゃいけない。
あ、そうだ、何分やったのだろうか?
いつものヤツだから11分か12分かな?
調べて見る。
えっ?
18分。
えっ?
いつものようにやったのに。
12分が18分。
喋りだっていつものようにやったのに。
13分でもなく18分。
心持でそんなに違うんだー。
こりゃ驚いた。
距離を出そうと思って思いっきり振ったドライバーよりも
ゆっくりと身体を使って振ったドライバーの方が飛距離がでるということみたいだ。
わかりづらいですか。
ちょっと、もっともっと研究してみよっと。
これはスゴイことだぞ。
24日(日)
21日から名古屋で二泊してきた。
21日の名古屋と23日の長久手の志の輔らくご。
たった二泊三日でも相変わらずの中身の濃さで
昨夜帰りの新幹線で品川に着くころの景色を見たら「久しぶりだなーーー」って。
今朝は猫の鳴き声で目が覚めた。
めちゃめちゃニャーニャー言う。
片言くらい話せるんじゃないかと思うが。
さて来月のお稽古日を決めた。
まれにみる稽古日の少なさだ。
それだけ来月は忙しいということか。
ありがたいことだがお稽古日をちゃんと確保できるようにしなければならないのはもちろんのことだ。
25日(月)
気圧かな?
なんか今朝おかしくない?
伽羅もポーっとしてるし。
なんか、どんよりした日だなぁ。
26日(火)
五か月に一度、検診を受けているのだが、うっかりして一年経ってしまった。
久しぶりの検診だ。
さて、どんな結果がでるか。
27日(水)
ま、ゴルフはしょっちゅうやらせていただいているわけで。
とにかく足手まといにならないようになるまで頑張っているわけです。
ハーフで食事ですからね、早いと10時くらいに一杯飲んだりするわけです。
朝酒じゃん。
そして夜は近所の中華屋で一杯。
一日飲んでる感じでもありますな。
28日(木)志の輔独演会 前進座
前進座劇場が閉館になるというので、この劇場で是非やっておきたいという演目
「中村仲蔵」をかけることになった。
僕はメンバーを揃え楽屋入り。
僕もこの劇場にはたくさんの思い出がある。
ここで育ててもらった思いもある。
懐かしさもある。
これが弾き納めかな。
29日(金)
昨日だか、ハタと気がついたことがあって、練習場で確認したので
今日は一人で練習ラウンドをしてきた。
いやいや、久しぶりに一人で回ってみて良かったわ。
身になる感じでしたわ、ただちょいと焼けたな。日差し、かなり強かった。
そんなことお構いなしに気ままに回ってしまった。
そして家で仕事して夕方、紫山会館へ。
長唄協会の下ざらい。女流の演奏会なのです。ちょいと覗きに行きました。
行けば行ったで、きっちりと勉強になりました。
いやぁ、得ることは大きいです。
30日(土) 文化放送「ドコモ団塊倶楽部」
9時30分に浜松町に着いた。
いつもの癖でうっかりモノレールに乗りそうになる。
いやいや、羽田に行っちゃいけないのだ、文化放送へ行くのだ。
浜松町の文化放送は二度目だな。
今日は「ドコモ団塊倶楽部」に伝の会が出演する。
11時から13時までの生放送。
お客様も入れてライヴやったりする。
いやいや楽しみなのである。
楽屋に着いたら、すでに邦さんが来ていた。
サウンドチェックをしているとパーソナリティの弘兼憲史さんがいらっしゃった。
わーー、島耕作だーー。
とにかく握手してもらう。
石川真紀アナウンサーも初めてお会いするが、こっちは一方的に知ってるからね、
「くにまるジャパン」も聞いてるからね、初めてという気がしませんね。
いやいや、楽しかったなぁぁ。
伝の会は面白いし、番組も楽しかったーー。
放送後、楽屋に吉田涙子アナウンサーも寄ってくれた。
このまま残って「伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛」の生放送を見たいのだが
伝の会は着物のままタクシーで婦人画報社へ。
撮影とインタビューでした。
9月号に載るのかな。
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