青?裸々な日常
2011年2月1日?
第183号 三味線弾きになった理由は。




1日(火) 志の輔パルコ
幕が開き、最後の舞台に出て行く志の輔師匠。
今回は「だくだく」「ガラガラ」「大河への道」の三席。
「ガラガラ」と「大河への道」はパルコ公演以外ではなかなかやらない演目だ。
それゆえに最後の舞台となる今夜、師匠のこの二席への思いはいかなるものだろうか?
「ガラガラ」の最後に、バニーガールとともに抽選会を毎回やった。
バカらしくってすっごく楽しかった。
当選番号が決まる前に幕が下りてしまうのだが、幕が下りたあと、
ちゃんとボードが止まるまでみんなで見守り、当選者を決めていた。
休憩に入っているお客様の誰もが当選者を知らない。
休憩の終わりに発表してバニーちゃんがプレゼントを渡すことになっている。
問題は、その時に客席に座っていてもらわないと困るということだ。
当選者が早々と休憩から戻ってきて着席していれば良いが、毎回そうではない。
休憩15分は済んでいるのに当選者さまの着席待ちということもしばしばあった。
おもしろいことだ。

三席目の「大河への道」は伊能忠敬のお話。
四年前から今年こそは今年こそはと師匠が取り組んできた作品。
ついに今回実現できた。
今まで師匠がつくってきた作品の中でも、格別の思い入れがあるはずだ。
毎回、この噺を語り終えた師匠は、とにかくぐったりしていた。
壮大な物語の語り部としての役を毎晩やりとげている一人の人間。
何日目だったか、師匠が倒れてしまうんじゃないかと心配になったこともある。
それほど体力を使う噺だったのだろう。
「大河への道」を語り終え、サドミカバンドの「黒船」に乗って映像が流れ、幕が下り、
僕らもスタンバイしてアンコールの幕があく。
師匠は22回公演の思いを話し始めた。
これで終演だということをかみしめながら。
手締めの後、幕が下りる寸前、三七郎くんの「大当たり!!」の掛け声が圧倒的な拍手にかき消された。
素晴らしい舞台だった。
袖で迎えるスタッフたち。
クラッカーが鳴り、たくさんの拍手の中、一人一人と握手をする師匠。
おつかれさまでしたーーー。

4日(金)
節分が終わり今日は立春。
良いですねぇ、
「立春」。
春っすねぇ。
結構結構。
なんだか、心なしか暖かい日でした。
いや、現実に暖かい日でした。

昨日も今日も暖かい日。

これがね、「冬の晴れ間」的じゃなくってね、
「ああ、春がそこまで来てるんだなぁ」的なね、
なんつーの、そのぅ、希望が持てるっつーの、
なんか、楽しそうだぞみたいな、ね、んな感じで明るくなれまさぁね。

昨日から東京のお稽古が始まりました。
一月はお休みしましたからね、
そういった意味では「新年」ですよ。
来るお弟子さんお弟子さんに手ぬぐい渡してますからね。

ヨッ、芸人っ!!


5日(土)
三味線弾きになった理由は意外に簡単で。

僕んちは一族NTTで、まぁ電電公社と言われているころからのお付き合いといいますか、
とにかく、祖父の時代から。
特別偉い地位に行った人はいない。

たぶん、電電公社が居心地が良かったのだろう。

祖父母が電電公社に勤めていて結婚して、五人の子どもを授かり、その五人が、まぁ、
こーんな電電公社に入った。
この現象は大人になった今、思うに、我が一族は就職に関して、あんまり考えてないんじゃねーの。
つーか、全く考えてないんだろーな。
とにかく、のんきな一族だ。
まぁ、物事、あんまり深く考えない一族だ。

その血をひいていることは、よーくわかる。

御多分にもれず、僕も、なんとなく、NTTに行くんだろーなーと思っていた。
人生ってそういうものなんだろうなぁと思っていた。
で、20歳の時に「長唄の内弟子にならないか?」って誘われた。
あれっ?
NTTに勤めるんだよな、長唄じゃないよな。
うんうん、絶対NTTだよ。
あー、びっくりした。
なんか誘われたのに断っちゃわるいからと、ちょっと考えそうになっちゃったよ。
おーコワ。
危ない危ない。
僕の人生はNTTに行くことになってるんだ。

・・・・ん?
ちょっと待てよ。
どうしてNTTに行くって決まってたんだっけな?
親父にそう言われたんだっけな?
いや、言われてないな。
お袋が期待してんのかな?
いやいや、NTTに入って何に期待すんだ?

・・・・あれ?
ちょっと待てよ。
これはひょっとして、一族の血ってやつか。
あんまり深く考えないで20歳まできちゃったってやつか。
僕の人生は決められてないぞ。
ひょっとしたら、自分で決めるってこともあるかもな。
待て待て、いやいや、怖い怖い、そんなの。
NTT行けば、知ってる人ばっかだし。
安心安心。
危ない危ない。

・・・・ん?
してみると、NTTに行く自分ってのは想像つくぞ。
お勤めしてる自分は想像つく。
だから安心なんだ。
だからホッとするんだ。


ふーーん。


内弟子ってまったく未知の世界だな。
NTT入って30年くらい勤めたころ、定年のラインも見えてきて、自分の出世の限界もわかって来て、
子どもはいるのかいないのかわからないが、いたとして、
子どもが、そろそろ就職考えるころになったりして
「親父は、なんでNTT入ったんだ?」と聞かれたとき、
明るく
「ばっかだなーー、おじいちゃんからNTTなんだから、それでいいのだ」
って言うのかなぁ?
言わないよな。

「20歳の時にな、歌舞伎っていう世界の中のな長唄ってのがあってな、ははは、スゴイだろ。
歌舞伎だぞっ、お前見たことあるか?父さんな、その中の長唄のお師匠さんから内弟子にならないかって誘われたんだぞ」
子「なんでならなかったの?」
「ならなかったねぇ・・・でもさ、長唄やってたら、舞台で弾いたりしてな、歌舞伎座なんてとこでな、
すっごい世界だろうな」 って遠い目をしそうだな。

この絵が想像できちゃったんだね。

だったら、内弟子やっとこって思ったわけで。
三味線だとか長唄だとかまったくわかんなかったけど、子どもに遠い目をしてしゃべってる自分が
見えちゃったんだからショックだった。

で、この世界に入った。

たったそれだけ。


たった一度しか生きられない。
だったら、想像できない方面が楽しいのかも。



子「親父、落語好きなんだろ?」
「好きだよ。お前聞くのか?わかるのか?」
子「うーん」
「じゃ、志の輔から聞けよ」
子「誰?」
「立川志の輔だよ」
子「・・・」
「知らないのか?ためしてガッテンの志の輔だ」
子「あー」
「志の輔が面白いぞ、俺は子どものときから談志のファンでな、志の輔は出てきた時からファンなんだ」
子「へぇ」
「CDやDVDがあるぞ、持ってけ」
子「ああ」
「部長のお友達が志の輔と仲が良いそうなんだ、今度サインもらってくれないかなってひそかに思ってるんだ」
子「へぇ、すげーじゃん」
「あぁ(笑顔)」

そんな自分が絶対にいたはずだ。
それは想像できる。
それはそれで楽しそうじゃん。

7日(月) 浜松稽古日
今年はじめての浜松のお稽古日。
なんだか久しぶりに来た感じだ。


8日(火) 岡山稽古日
今年はじめての岡山の稽古日。
やっぱり久しぶりに来た感じ。


9日(水) 浜松稽古日
また浜松にもどってきた。
そしてお稽古して宴会して新幹線に乗って帰京。

四回新幹線に乗ったってわけだ。

13日(日) 名取式&懇親会&スクハジライヴ

9時30分に紋付きに羽織袴姿になった僕は、トンビを来て地下鉄に乗り、
家元んちで鉄春の名取式をしていただき談話していた。
家「お前、着替えるんだろ?」
テ「いや、僕今日はこの格好のままなんです」

そうなんです。
朝からの紋付き袴姿はずーっと続くのです。

懇親会へ。
年に一度、松永流の人たちが集まっての新年会のようなもの。
本日は西麻布のお店。
司会はもちろんワタクシ。

飲んで騒いで、肉食べて、みたいな楽しい懇親会でした。

そして、ホールDOZへ。
鉄駒・鉄六のユニット、スクイーズ☆ハジキーズのライヴにゲスト出演するのだ。
なんと今夜で40回目だと言う。

「とにかく毎月やりなさい」
と、いいつけてから四年近くたったのだろうか、いやいや、40回とは恐れ入った。
よく続けてきたとおもう。
弟子ながらアッパレである。
そして、なんか悔しい。

三七郎くんもゲスト出演。
鉄六のタテ三味線で「靱猿」を唄ってくれた。
あとはいろんなことやりました。
喋ったり弾いたり。

終演後ビールを。
とにかく、疲れた。
なにがって着物着てることが、っていうよりも、足が。
足袋はいてるのがつらい。
草履もシンドイ。
着物は大丈夫。
足袋と草履だ。
ウーーー。

帰りに乗ったタクシーがおもしろかった。
だってスリッパがあるんだよ。
スリッパ。
ごゆっくりおくつろぎくださいって言うことでスリッパが。
なんだか、タイムリーだね、どーも。



14日(月)
稽古日。

15日(火)
自主稽古をしようと思い予定をキャンセルした。
自主稽古といってもゴルフではない、長唄だ。


16日(水) 那覇稽古日
一か月ぶりの羽田空港。
なんだかずいぶん御無沙汰した感じがする。
冬の時期の那覇行きは修学旅行生が特に多い。
搭乗。
「58番ってぇ、どのへんどわっ」
「Eってどこっっっ?」
「もう飛行機に入ってるってこと?」
「テンションあがるっちゅーの」
「60ってなによ」
「このへん?」

たまりかねた客室乗務員のおねえさんがアナウンスを、
「修学旅行のみなさま、修学旅行のみなさま、みなさまのお席はグーッと後方でございます。
そのままグーーっとお歩きくださりますようにお願いいたします」
いつもの光景である。

飛び立つ前から熟睡。
最近また、乗り物でぐっすり眠れるようになった。
ここ数年、眠れなくなっていて「ははぁ、歳のせいか」と思っていたのだ。
歳のせいではなかった。
だってぐっすり眠れるもの。

目をさますと客室乗務員の方が
「マバシさま、いつもありがとうございます。なにか、お飲み物を?」
と、すかさず声をかけてくるところがエライ!!
俺のことを
うるさい客だと承知している態度だ。
よしよし。

那覇空港に降り立つと、モアッとする。
一年中、いつ行っても。
夏だろうが冬だろうが。
それが今日はモアッとしなかった。
こんなことは初めてである。
気温は18℃。
東京からすれば10℃近く高い。

暖かい

はずである。
暖かくなかった。
こんなこと初めてだ。
何が起こっているんだろ?
ちょいと涼しいのだ。
昨日まではもっと涼しかったそうな。
天気も悪かったし。
寒かったでしょう。
今日は日が出たんだけど、モアッとしなかった。
南国って感じのしない那覇だ。
風も強い。

稽古のあと移動してたら志の輔師匠から電話。
志「どうせ、またどっか行ってるんだろ?」
テ「今日は沖縄日帰りの日です」
志「ああ、そっか。もうそっちはゴルフ日和だろうな」

カルチャースクールをドドッとやる。
終わるとみんながドドッと帰る。
あたりまえだが。
この一瞬がなんとも言えない。
あわただしくやってきた那覇のすべての仕事が終わった瞬間なのだ。
ゆっくり噛みしめてみたいもんだが、せっかちな私は次の行動に出ている。
いつもの洋服屋に行く。
そして空港に行く。
お腹が減った。
お店に入って食べるほどじゃない。
おにぎりを買ってラウンジでビールと一緒に食べた。

ビールとおにぎりかよっ!!


17日(木)
休み。
自主稽古。




18日(金) 長崎
20日に鉄文歌師匠のおさらい会がある。
この大きなおさらい会のために我ら松永一派は長崎に集結するのである。
一足先に空港に降り立った私は、空港内で家元たちが着くのを待とうと思っていたが
家「先にチェックインしてろよ」
というあたたかいお言葉に甘え、とっととホテルにチェックインしていた。

風の影響で家元たちの乗った飛行機は結構遅れて長崎空港に降りた。
家「今着いたから」
と電話があったとき私は、もう退屈で退屈で、グターッとなっていた。

小一時間で家元たち20人くらいが到着。
僕も合流してみんなでお食事。
久しぶりに浜勝へ。


19日(土) 長崎
下ざらい。
昼ごはんに出た皿うどんがめちゃめちゃおいしかった。


20日(日) 長崎
鉄文歌師匠は90歳を越えている。
とにかく元気。
とにかく大したもん。
とにかくお弟子さんたちも明るい。
盛大な会だった。

会のあと立派なパーティがあり、そのあとバーで飲み、そして思案橋まで中華食べに、
という身体に悪いことの王道をし、倒れるように就寝。


21日(月)
朝の集合の時にはまだ酔っていた。
バスで寝た。
空港についたとき少し楽になっていた。
帰りもみんなと同じ飛行機ではない。
こなさんのANAを見送り、JALで帰った。
羽田に着いたときは元気になっていた。

よっしゃーー。
とばかりにゴルフのレッスンへ直行。


22日(火) 鉄九郎のわがまま
会場に早く入れた。
リハーサルをたっぷりとできた。

今夜の演目の中で「春の七草」というオリジナルがある。
昨年作って一度だけやったことがある曲。
ちょっとボリュームアップした。
お囃子をつけてもらい、三味線もアレンジしてもらった。
その曲をああだこうだと言いながら、何回か合わせる作業をした。

うん、ミュージシャンじゃん。

他のオリジナル「雨もよう」「ひだまり」も久しぶりにやる。
ちょいとアレンジしてみたりする。
曲への足し引きが楽しい。
「カントリー」は毎回やってるのでずいぶんと手慣れてきた。
今度は四月、オリジナルを一曲は作りたいな。


23日(水)
11時に家元宅で寄り合い。
いま、松永同門会会則を見直している。

午後に家にもどりお稽古。


24日(木)
長唄協会演奏会であった。
僕はスケジュールの都合で出演ができなかった。

観に行ってる鉄六から夕方に電話が

六「シショー!となりに師匠が来てるんです!!」
 ※訳 「鉄九郎師匠、今日の長唄協会演奏会、師匠が出演していないことはまるで火の消えたような
寂しさがありますがいかがお過ごしでしょうか?
ワタクシ、向学のために、本日長唄協会演奏会を聴きに国立大劇場に参っている次第です。
松永の方たちの演奏も素晴らしく、また他のご流儀の名演奏を間近で聴けて、ワタクシは感無量なのです。
そして、ふと、楽屋の方に参りましたら、小劇場の方でなにやら催しがある様子。
目を凝らしてみましたところ、なんとTBSの落語研究会ではありませんか!そして、もっと驚いたことには、
なんと、立川志の輔師匠が御出演のご予定、おそらくそろそろ楽屋入り、
いや、ひょっとしたらもう楽屋入りされているやも知れません。ワタクシはいかがすればよろしいでしょうか?」


テ「あら、あいさつに行ってきなさいよ」

六「えーーーっ、三七郎さんにも言ったんですけどぉ、行かなくてもいいですよね?」
 ※訳 「鉄九郎師匠、なんと気安くおっしゃるのですか。もし鉄九郎師匠がこの状況に出会ったのならば、
それは御挨拶に行かれるのが当然のことですし、志の輔師匠もきっと喜ばれることと存じます。
けれどもワタクシのような端のものが、劇場がとなりだということだけでノコノコと御挨拶になど、
おこがましいにもほどがあります。さっき三七郎師匠にお会いしたときに、
『志の輔師匠がお隣の小劇場にいらっしゃってるみたいです』とお伝えしたところ
『あら、じゃあ、ちゃんと御挨拶に行かないとねぇ』とおっしゃっていましたけれど、
さきほども申したように、ワタクシのような分際で、楽屋に御挨拶に行くなどつつしむのが世の中というものですよね」


テ「バカ!いいから三七郎を連れて行ってこい!」
 ※訳 「おいおい、そんなに自分のことを卑下するものじゃない。鉄六よっく聴け
(只合方演奏)チチチチチリチチチン・・チチチン
いいか、お前は私の弟子だ。弟子の分際でと思うのもわかる。けれどもな、お前はもう一人前になっておる。
志の輔師匠も、鉄九郎の弟子だからということはあっても、鉄六鉄六と可愛がってくださっている。
名指しでお前に仕事を下さってもいる。お前も立派な志の輔チルドレンだ。チルドレンと言えば子どもだ。
親が隣の劇場にいると知ったからには子はあいさつに行くのは当然である。
恥ずかしがることも卑下することもない、生意気だとも思う必要はない。
パルコで一ヶ月お唄いになった三七郎師匠を連れて、きちんと御挨拶に行ってきなさい。
あー、心配することはない。志の輔師匠はお優しいお方だ。
緊張してあいさつするお前たちの姿をみたならば、きっと微笑んでくれるに違いない。
よく来たな、と声をかけてくださるに違いないぞよ。
いいか、お前はもう一人前だ、自信を持ってあいさつへ(合方終わる)
いや、『さつあい』に行ってくるのじゃぞぅ。


六「はーい」
 ※訳 義太夫で ♪それを聞いたる鉄六が チチチン 肩をふるわせーーーーー ヅヅン
よよと泣きくずーーーれーーーーー デンデンデンデンデン・・・・・・
「鉄九郎師匠さま、そんなにそんなに、ワタクシ目のことを考えてくださっているなどとは露も知らず、
ワタクシ目は、なんと、小生意気なことを口にしたのでございましょうか。はい、わかりました、申し訳ありません。
ワタクシはワタクシは間違っておりました。自分の都合しか考えておりませんでした。
自分のおかれた境遇に責任を持って行動させていただきます、ありがとうございました。
三七郎ししょーーー、三七郎ししょーーーー、志の輔師匠の楽屋にまいりましょーーーーーー」


しばらくすると再び電話が

六「シショー、師匠が大変です。ぎっくり腰みたいになられたようで、とにかくつらそうなんです。
なんとか会場にはついたものの高座にあがれるかどうか?



なにーーーっ!!!

25日(日)
来年度、国立小劇場を借りたいと思っていて、その抽選日が今日で、あわただしく支度をして
地下鉄に乗って麹町で降りて、外に出たら志の輔師匠から電話が。
どうしていつもスゴイタイミングなんだろ?

志「どこにいるんだ?」
テ「国立劇場に行くとこです。来年借りようと思ってて、これから抽選なんです」
志「へぇぇー、抽選なのかぁ、お前、今日、国立って、昨日国立にいなくちゃいけなかったじゃないか」
テ「あははは、スケジュールの都合で出演できなかったんです」
志「六と三七郎が来たぞ」
テ「はい、御挨拶にうかがったそうで」
志「うん」
テ「で、どうなんですか?」
志「うん、今、また病院に向かってるとこでな。それから雑誌の対談をひとつやって、それから名古屋に入ろうと」

志の輔師匠の独演会が今夜、名古屋で行われる。
そして明日26日が何もなくて明後日27日に岐阜の公演がある。
つまり、26日は名古屋でオフなのだ。
だから、ゴルフしよっかということになっている。
それで、どういうわけか、僕も来いってことになっている。
ありがたいことだが、

テ「明日のゴルフはやめましょうね」
志「いや、そうでもないぞ」
テ「いやいや、お身体が大事なんですから。とにかく、明日やらないにしても予定どおり私は今夜名古屋入りいたしますので」
志「ああ、来てくれるか」
テ「はい、とにかく、お顔を見にだけでも」
志「じゃ、それから考えよう」
テ「はい」

国立劇場の抽選が終わり、新宿紀伊国屋書店で行われている蓮二さんの写真展に行った。
http://www.musicteito.co.jp/blog/sommelier/2011/0208-1932.php

手ぶらで行くのもイヤなので、気に行ってるラーメンを買って行こうと気にいってるラーメン屋に行った。
生のラーメンセットを売ってるはずなのでそれだけ買おうと気に入ってるラーメン屋に入って行った。
その気に入ってるラーメン屋に入って行ったらとたんに気に入ってるラーメンが食べたくなった。

昨日もここ系列のラーメン食べてるし、ここはグッとがまんだと言い聞かせながら、
券売機にお金を投入していた。気に入ったラーメンを食べながら店員さんに聞いた。

テ「家で食べる生のラーメンありますよね?」
店「いえ、ウチはやってないんですよぉ」

ありゃ。

お土産買えずに気に入ってるラーメンを食べただけかい。
仕方なく、恥ずかしいが手ぶらで行く。
まぁ、蓮二さんも忙しい人だから会場にいるとは限らないし。

会場に着く。
恐る恐る受付を見ると、係の女の人がひとり座っているだけ。

ヨッシャー

と入っていったら、奥から蓮二さんが出てきた。
手ぶらで来たことを詫びバカっ話をして会場を後にした。
蓮二さんの写真はとにかくカッコイイ。
男が男に惚れてる感じ。
それがなんとも良い。

新幹線で名古屋に来た。
名古屋に来るのは久しぶり。
チェックインしてアートピアへ。
ホールへあがって行く。
開演をちょいと過ぎた時分。

志「おぅ」
テ「どうですか?」
志「今日のはよく効いた。かなり楽になったぞ」
テ「良かったですね」
名古屋で25回目の公演だった。
10年。
25回目かぁ、スゴイなぁ。
二席やってさすがに疲れたのか、アンコールでは腰の話をしていた。
「しかも、この状態で明日のゴルフをやるかやらないかを楽屋に帰ってから決めるなんて、
何やってんだーっちゅうことですね」

今夜は名古屋でお仕事してた細坪さんもご覧になっていた。

http://www.tsubox.sakura.ne.jp/mailbbs/mailbbs.php    

№6264打ち上げ

打ち上げは賑やかだった。
また、飲みやすいマッコリがあって。
志「これ、うまいな」
テ「はい、発売元を調べておきます」


26日(土)
ん。

目が覚めた。
8時前。
ナイス。

8時30分にロビー集合だ。
エレベーター乗るとこで志の輔師匠と会った。

テ「おはようございます」
志「大丈夫だ。絶好調だ」
テ「ほんとですかーー?絶対無理はいけませんからね。いつでもやめる感じで行きましょ」
志「大丈夫だって」


さすが名門ゴルフ場、支配人さんから皆様からお迎えしてくださり
「立川志の輔さまーーー、とうちゃーーーく!!」って感じ。

そして、お天気が、また良い。
今日ゴルフやらんでいつやるんじゃいっ!!
てな感じで。

そしてスタート。
ナイーーースショッーーーー!!!!
師匠、全然大丈夫じゃん。
一緒にまわるメンバーもとても気持ちが良く、師匠は終始ご機嫌でございました。
いやいや良かった良かった。

茶屋のおばさんが
茶「いつも聴いてます『落語DEデート』」
志「ああ、ありがとー」
茶「もう、お声聴いたらすぐにわかりました、毎週聴いてます」
志「ありがとうありがとう、ずっと聴いてくださいね」
へぇ、だいたい「ためしてガッテン」見てますって言われるのに、このおばさんはラジオが好きなんだなぁ。


キャディさんはだいたい名字で呼びますね。
立川様とか松永様とか。
でも今日お世話してくださるキャディさんはとてもベテランでしっかりした方なんですが、下の名前で呼んでくれるんです。
志の輔さーん、鉄九郎さーんって。
僕らはその方がなじみがあるんです。
普段、名字で呼ばれることがないですから。
それを知ってか知らずか、師匠と僕だけを名前で呼んでくださってるのがとても親近感がわきました。

一緒にまわったテレビ局の方たちのことは名字で呼んでらっしゃいましたからね、なにか、
使い分けをなさってるんでしょうねぇ。

キ「志の輔さん、この二本でよろしいと思います」
志「ああ、ありがと」
キ「鉄九郎さんこれで?」
テ「はーーーい」
実になめらかです。

めちゃめちゃ楽しく過ごしました。
プレーが終わりみんなで一杯飲む。
このひとときがまた楽しい。
志の輔らくごを主催しているアスターミュージックの社長御夫妻がとても良い方で、
僕も長いお付き合いをさせていただいている。
昨日の会で志の輔独演会が25回だというのを記念して、今日この名門カントリークラブでゴルフができたことを
今さらながらに知る。

私、その御相伴にあずかっていたのだ。
僕、なんにもしてないのに・・。
名古屋の独演会には一度も出たことないのに・・・。
出囃子も弾いたことないのに・・・。
時々、遊びにくるだけなのに・・・。

テ「すみません、ワタクシ御相伴で」
志「いや、お前だって出たことあるじゃん」
テ「いや、ないんです」
志「なにっっっ!!」


帰りの車の中。
志「お腹減ったな、なんか食べましょう。今度は僕がお祝いしますから」
なんと、やさしい師匠。
志「それに、三七郎が来てるんですよ。彼も呼んであげたいので」
わ、わ、やさしーー。
ということで、アスターミュージックさんたちと師匠と僕と三七郎くんとで食事に行くことに。

店を吟味して決定した。
志「よし、じゃ、ここで決まりだな。鉄九郎、三七郎に電話してやれ」
テ「はい、電話してあげたいのは山々なんですが、ワタクシの携帯がなんでか電池切れでございます(笑)」
志「なにっっ!バカか(笑)じゃ、俺がかける三七郎の電話番号は?」
テ「ええ、ですから電池切れなんで番号もわからないという」
志「バカっ!!(笑)」

テ「鉄六に電話してください、で、三七郎くんに伝えるようにと」
志「あ、なるほどな」

志「もしもし、あ、忙しいとこ悪いがな、三七郎にな、俺の電話番号を教えてな、かけてくれって言ってくれないか?
・・・・・・・・・ああ、へんだろ?・・・・・・・うん、全部なお前の師匠が悪いんだ・・・・・
携帯の電池が切れたんだとさ・・・・・バカだろ・・・・ああ、バカって言ってやれ・・・・・・ははははは」


志「ああ、三七郎くんか。・・・・・はいはい、ありがとうございました。・・・・・いやいや、
うんうん・・・・・うん、そいでね今から言うから書き留めて・・・・・・うん、○○っていう店・・・・
電話番号がね・・・・・・・・うん、ゴルフ、やったよ、ははははは・・・・・・そう、それでね、
なんかわからなかったら俺に電話しなさい・・・・うん、間違っても鉄九郎にはかけるな、
こいつの電話はいま電話として機能してないんだ、バカなんだ、ははははは・・・・・・・はははははは」


食事もおいしくいただき、ホテルに帰ってきた。
バーで一杯飲もうとしたが、土曜の夜だった。
満員なので、志の輔師匠のお部屋で飲むことに。

志の輔師匠は三七郎くんにとても興味がある。
いろんなこと聞く。
一生懸命に答える三七郎くんが
実におもしろい。


志の輔師匠は「楽しかった楽しかった」と言っていた。
「こんなにしてもらってありがたいなーー」とも。
僕もパルコ以来、師匠に会っていなかったので会えてうれしかった。

テ「やっと、パルコが終わった感じがします」
志「ほんとだな。ホッとしたな」


翌日、師匠は岐阜の仕事へ、僕は東京のお稽古、三七郎くんも東京で仕事。

とても楽しい二日間だった。

27日(日)
稽古日。

28日(月)
稽古日。
ふ、びっくり、今日で二月が終わる。






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