3月1日(日) 三美の会発表会
気がつけば3時ではなかった、4時だった。
結構結構。
ただ、ちょいとムカムカするだけで。
大丈夫大丈夫。
二日酔いにはなっていない。
「なんか体がなぁ」程度。
ヨシヨシ。
午後2時頃にお弟子さん集合。
みんなおめかししている。
いいですな。
「三美の会」という。
「さんみ」でないですよ。「しゃみ」です。
多分、いつもお稽古している料亭美笠の「美」と三味線の「三」を取って名づけたと想像できる。
なんで会主のワタシが「想像」なのかというと、浜松でお稽古を始めた初日に、お弟子さんたちで決めたので。
僕は東京に戻る新幹線の中で「三美の会ということに決まりましたよ」とメールをもらって知った。
お弟子さんたちが率先して決めてくれることは大歓迎なのだ。
「三美の会」は2回目の発表会を迎えた。
人前で緊張するってことが大事なことでね。
緊張って年齢とともにしなくなるものね。
いや、するけどさ、全体にしなくなるじゃんねぇ。
習い事を始めて、発表するときにする緊張ってのは良いものですよ。
実を言やあ、間違ったって何したっていいんだけどさ、
なんとかうまくやろうとするとこに緊張が生れるんでしょ。
そんな己と戦うってのは良いことでさぁね。
そして今日は宴会アリ。
みんな楽しかった楽しかったと言っていた。
それが一番うれしいこってす。
新幹線にはちょいとだけ間があったので、E社長んとこでコーヒーを。
昨夜、僕が帰った4時からもう一度三味線を浚ったというE社長はとても喜んでいた。
浜松のお弟子さんたちはみーーーんな僕より年上。
人生の大先輩ばかりだ。
人生の大先輩たち。
生き方や考え方の正しさが何であるかを知っている人たち。
そんな人たちが長唄というものを一生懸命モノにしようとしている姿は僕の胸を打つ。
E社長も僕が吹き込んだ曲を仕事場でずーっとエンドレスで流し
200回は聴いたという。
他のお弟子さんたちも同様。
「とにかく長唄に慣れよう」としている。
聴いて聴いて真似して真似してという原点を身体で知っている人たちだ。
60代70代のガッツはスゴイ。
そのガッツを目の当たりにした僕は、遅れをとらないようについて行くのが精一杯なのかも知れない。
「弟子が師匠」とはうまいことを言ったものだ。
3月2日(月) 那覇
今朝は羽田にいた。
空港は気持ちが良い。
人々の顔がウキウキしている。
トランクを預けるのにどれだけ並んでも怒らないくらいに。
那覇空港着。
浜松も結構色々動いて忙しいが、通って一年になる那覇もなかなか忙しい。
打ち合わせのあと、ラジオに出演。
ここんとこ、来るたびにラジオに出演させてもらっている。
うれしいことである。
いずれ番組持てないかなぁと思うほど。
お稽古終了後、恒例の一人ライヴ。
3月3日(火) 那覇
ぐっすり寝た。
結構なことである。
沖縄タイムスって新聞がある。
伝の会もいつもなにかとお世話になっている新聞社さんで
さまざまな芸能のジャンルの方々が「しおかぜ」という芸能コラムを執筆している。
突然「半年くらい書いてみない?」
みたいなことを言われ「ほんじゃ」と引き受けた。
何を書こう・・・。
3月4日(水) 那覇
4月に企画ライヴがあり、その勉強も兼ねて沖縄の古典音楽を聴いている。
時間が足りないくらいだ。
お弟子さんの稽古を三日間した。
集中稽古するとお弟子さんたちはグッと伸びる。
良い良い。
気持ちよく飛行機に乗れるわ。
3月5日(木)
娘の「行ってきまーす」の声で目が覚めた。
ありゃ、目覚ましいつのまにか止めてたらしい。
最近娘は早起きだ。
ウワサによると5時台に起きているという。
学校行くまでの一人の時間が楽しいらしい。
その間に「めざましテレビ」で政治から芸能までのニュースを繰り返し見ているようだ。
7時半くらいに起きて二階に行くと「〇〇が△△したよ」とトップニュースを教えてくれる。
我が家では「事情通」と呼ばれるほどになっている。
あんなに起きなかった娘が・・・・。
変われば変わるものである。
きょう小学校で娘たち6年生のための「卒業を祝う会」が行われた。
9時からお稽古が始まったが、ちょうどそのころのお弟子さんがいないので、見に行けた。
3月6日(金)
昨日も今日も稽古日。
ウチのお弟子さん、二日間稽古日が繋がると、一日目に集中する傾向がある。
たまたまという見方もあるが、これはやる気の表れではないかと。
うれしいですね「やる気」。
したがって、今日のお稽古は空いている。
合間合間にちょこちょこ出かけた。
雨だったこともあり、娘のスイミングの送り迎えもできた。
娘「今日はずっといるの?」
テ「ああいるよ」
娘「明日は?」
テ「えっと」
娘「何も書いてないじゃん」
テ「ほんとだ、休みじゃん。久しぶりに遊ぶか」
娘「やったー」
父親の「遊ぶか」の言葉に、まだ喜べる小6なり。
3月7日(土)なわとび・えんぴつ・本
テ「ほらほら、キャッチボールするぞ」
娘「はーい」
テ「ボールあんのか」
娘「どっかに転がってるよ」
久しぶりのキャッチボール。
でかくなった娘。
娘「縄跳び買って」
テ「ああ、いいよ。どこで売ってんだよ」
娘「ヴィクトリアとかさ」
テ「おお、そっか、ゴルフ用品も売ってるじゃん、行くぞ」
娘「どれがいいかなぁ」
テ「いいも悪いもない。一番高いのにしろ」
娘「1300円の?」
テ「そりゃ高いな、1000円のでいいだろ」
娘「その300円の感覚って何?」
テ「渋谷に行くから支度しろ」
娘「うん、美容院でしょ。どこに寄って行くの?」
テ「池袋とか寄らずにまっすぐ渋谷に行っちゃおうぜ」
娘「うん」
テ「さーて、なんか買いたいなぁ、バッグだなぁ」
娘「アタシの?」
テ「服も買いたいんだよなぁ」
娘「アタシの?」
テ「お前も欲しいのか?」
娘「やっぱり自分のなんだ」
テ「バカだなぁ、俺のバッグとか服とか見れば、自然とお前のも、ってなるじゃん」
娘「そういうもんなの?」
テ「だけど欲しいものないだろ」
娘「エンピツ買って」
テ「エンピツ?」
娘「うん」
テ「ううう、縄跳びとかエンピツとか、うううっ、な、なんという金のかからない小6だ。ううっ、涙が出てくるよ。昭和な子どもだなぁ。
ああ、買ってやるさ。エンピツな、どこに売ってるか知らないけど、コーナーごと買ってやるよ」
娘「そんなにはいらないよ、かわいいやつ」
テ「キティランドに売ってる感じだな」
娘「キディランドだよ」
美容室のSさんは娘がちっちゃい時から担当してくれている。
S「大きくなりましたよねぇ」
テ「そうねぇ」
S「だって最初は椅子に座るともぐっちゃうんで、立ってもらって切ったんですよぉ。いまじゃ普通ですもんねぇ。さっき切ってるときは気がつかなかったけど、今シャンプーされてる姿を見ると、ほんと、びっくりしますよぉ」
テ「よく食べるからなぁ」
S「今が成長期なんですねぇ」
娘「本買ってよ」
テ「ううっ、お前は、エンピツとか本とか、昭和の・・・」
娘「それさ、うっとうしいからさ、長くなるし」
テ「なんの本だ?」
娘「児童書」
テ「自動車?」
娘「児童書」
テ「そんな言葉があったのか、児童書な、どこで売ってるかは知らな・・」
娘「本屋さんだから」
テ「言わせないな」
娘「もういいでしょ」
テ「本屋がどこにあるんだか知・・・」
娘「さっき通ったとこにあったでしょ」
テ「それでいいのか」
娘「うん、このシリーズ面白いんだよ。」
テ「ああ、俺もそういうの読んでたよ。今日はお前、安い買い物ばっかりだからさ、ここでドーンと、その本3冊くらい買えよ」
娘「同じ本がそんなにあってもしょうがないっしょ」
テ「ハハハ、ああ、ここ、JAL特約店じゃねーか、おい、ほかに買うものはないのか、マイルが倍貯まるんだぞ」
娘「この1冊でいいんだよ」
考えてみたら、久しく娘と一緒に遊んでやることが無かった。
まぁ、そろそろ父親と遊ぶのが楽しい年頃ではないだろうが。
しかし、「なわとび」「えんぴつ」「本」って。
俺が金持ってないこと知ってんのかなぁ。
3月8日(日)休みじゃないもの
娘「パパ今日は?」
テ「えっと、出かけるよ」
娘「あたしも遊んでくる」
テ「はいはい」
娘「明日は?」
テ「えっと」
娘「お稽古?」
テ「いや違うなぁ」
娘「ここんとこずっといるじゃん」
テ「そうだなぁ」
娘「土曜日から休みっぱなしじゃん」
テ「違うわいっ!」
娘「明日は?」
テ「明日は休みじゃないぞ」
娘「いないの?」
テ「いる」
娘「いるんじゃん」
テ「明日はな」
娘「うん」
テ「レッスンがあるんだ」
娘「ゴルフでしょ、そこの打ちっぱなしでしょ」
テ「うん」
娘「休みじゃん」
テ「休みじゃないって、ゴルフのレッスンだって」
娘「じゃ、ウチにいるんでしょ。英語送ってってね」
テ「はーい」
3月9日(月)
娘「行ってきまーす」
テ「はい、いってらっしゃい」
娘「いるんでしょ」
テ「いや、レッスンだからさ」
娘「午前中に終わっちゃうじゃん」
テ「まぁ、そういう言い方をすれば『いる』ということになる」
娘「カギ持ってかないからね、行ってきまーす」
娘を送り出すとカミさんも出かけた。
今夜は泊まりだそうだ。
さーて、レッスンレッスン。
あっ、娘の花粉症の薬を貰いに行かなきゃいけないんだな。
ま、とにかくレッスン。
あっ、郵便局に行く用を頼まれた。
ま、まずはレッスン。
みんながいない間に掃除もしたいなぁ、洋服も片付けたいしな。
そうだ、銀行にも行かなきゃな。
うーーん、と・に・か・くレッスンだーー。
結局レッスン半ばで抜け出し病院に薬もらいに。
今夜のご飯は何にしよっかなぁ?
いろんなこと考えながら、二階に行ったり稽古場に来たり。
だーれもいない家ってのが、これはこれで好きなんですね。
娘が帰宅して、
肉を焼いてワーッと食べて、ワーッとお風呂に入って、ベッドに入ったのが9時すぎ。
娘「おやすみ」
テ「よっしゃ、おやすみ」
娘「今何時?」
テ「9時17分だ」
娘「いっくらなんでも早すぎんじゃねぇ?」
テ「お前、最近早く寝るじゃん」
娘「にしても早いっしょ、9時半にもなってないじゃん」
テ「そっかぁ、じゃお先に」
娘「寝られるのかよっ!」
テ「ああ、さっきからアクビが出っ放しだ」
娘「すげーな」
と話したっきり熟睡、な親子であった。
僕が目を覚ましたのは2時間後。
あらっ、目がさえちゃったよ、しょうがない、映画の一本も見るか。
3月10日(火)休みじゃないもの 2
テ「おい、7時30分だな」
娘「わっ、しまった」
ここんとこ娘は、早寝早起きが身につき、起きるのがだんだん早くなり、今では5時ちょいには起きているという「お前はお年寄りか!」とツッコミたくなるような生活をしている。
そんな娘にとって7時半ってのは、ものすごい寝坊なんだろう。
僕が次に起きたのが8時。
娘「行ってきまーす」
テ「え、もうそんな時間?」
娘「そうだよ、行ってきまーす」
テ「あ、俺、見送り当番だから一緒に行くよ」
娘「あ、そうだった」
登校班の見送り当番の週なのだ。
登校班とは、近所の小学生が集合場所に集まり、一列になって登校するというならわし。
僕が小学生の時からそうなので、班で列を作って登校するのは全国でやっていることと思ってたら、実際はごく限られた地域だ、ということが大人になってわかった。
娘「今日はお稽古?」
テ「いや」
娘「今日も休み?」
テ「いやいや、『今日も』って、昨日も一昨日も休んでないっつーの」
娘「休みみたいなもんじゃん。ゴルフのレッスンだけなんて」
テ「いや、確かに今日もあるけど」
娘「今日もかい!」
テ「午前中に獅童事務所でお稽古だ」
娘「アタシ、今日帰りがいつもより一時間くらい遅いからね」
テ「ああ、わかった」
娘が登校すると猫たちが活動し始めた。
宇太は稽古場のお気に入りの場所に行きポーッとし始める。
伽羅はさっきまで娘が座っていたソファで横になる。
寝場所を替えてるだけじゃねーか。
獅童事務所から帰り、レッスンに行き、クタクタになって帰宅したらちょうど娘も帰宅した。
娘「ただいま」
テ「今、俺も帰ってきたとこだ」
娘「キディランド行くでしょ?」
テ「あ、そっか、昨日約束してたな、行こう行こうキティランド」
娘「キディランドね」
テ「20分以内に買い物したら駐車場代タダだから」
娘「買い物するじゃん」
テ「バカ、お前の買い物なんてどうせ数百円じゃん」
娘「ペン2本買うよ」
テ「だからさ、ペンなんて2本だろーが3本だろーが500円止まりだろっての」
娘「サラダ菜も買うんでしょ」
テ「だからさ、サラダ菜なんて一個100円くらいだろーよ、千円とか二千円とか買わなきゃ、駐車券にハンコ押してくんないんだよ」
娘「ふーん」
テ「だから急ぐぞ、ペン買ってサラダ菜買ってさ」
テ「なぁ、夕食、麻婆豆腐にしよっか」
娘「うん、それがいい、麻婆豆腐大好き」
テ「お前、豆腐きらいじゃなかったっけ?」
娘「もう食べられるよ」
テ「へぇ」
娘「成長してるよっ」
テ「よっしゃー、買おうぜ、豆腐だ豆腐だ」
娘「豆腐はあっちだよ」
テ「良く知ってんじゃねーか、ドーンと買えよ二丁だ」
娘「何を買ったらいいの?」
テ「豆腐」
娘「絹?それとも木綿子ちゃん?」
テ「ややこしく読むな、『もめん』でいい。絹だ」
娘「あれっ、豆腐のそばに麻婆豆腐の素がないなぁ」
テ「よしっ、あっちだ。ひき肉も買わなきゃ」
娘「ねぇ」
テ「なんだ?」
娘「あわてなくていいんじゃねぇ?」
テ「え?」
娘「この買い物絶対に千円以上するっしょ」
テ「あ、そういう考えもあるな」
娘「それしきゃないっしょ」
テ「よし、ゆっくり買おう」
娘「もうみんな揃ったよ」
テ「帰ったら洗濯物を片付けろよ、お前の洗濯物な、お前の部屋に置いておいたから」
娘「わかってるよ、宿題やってからするよ」
テ「ダメだ。帰ったらすぐにやれ」
娘「どーしてよ、宿題やってからやるって言ってんじゃん」
テ「そうはいかない、宿題やって洗濯物は片付けないさ」
娘「片付けるよ」
テ「お前ね、お前の親を12年もやってんだぞ、お前が洗濯物を片付けるのが面倒くさいってことはよーく知ってるんだ。いっつも後回しにして結局ウヤムヤになっちゃうだろーが」
娘「やるって」
テ「信用ならない」
娘「昨日さ、明日中にやるって言ったじゃん」
テ「ああ、言ったな、だからやれ」
娘「宿題やってから」
テ「このやろー、よーし、じゃ今日は信じてやる。信じてやろーじゃないの、そのかわりだな、宿題やってから洗濯物片付けなかったら絶対信用しないぞ」
娘「いいよ」
テ「『信用しない』じゃないや。ゴツンとしよう」
娘「宇太を?」
テ「ああ、平べったい宇太の顔をもっと平べったくしてやるぞ、ゴツンと・・違うだろ、お前をだ」
テ「サラダ菜のサラダできたか?」
娘「出来たよ、今から宿題やる」
テ「ダメだ。もう麻婆豆腐が出来上がる。そのテーブルに宿題を広げたころに出来る、だから言ったろ、先に洗濯物だ」
娘「えーーっ、じゃ、片付けてくるよ」
テ「出来たぞ麻婆豆腐。洗濯物片付けたか?」
娘「うん」
テ「よし、エライ」
娘「洋服の大半が裏返しになってた」
テ「ああ、そうだ、裏返しに脱いだままにしておくからだ」
娘「洗濯している間に元に戻るってのがあればいいな」
テ「この洗濯機、なんと、裏返しに入れると洗濯し終わるときには元通りになってるんですよーー・・あるかっそんな洗濯機!」
娘「あると思います」
テ「吟じるな!」
3月11日(水)
花粉症って言っても、ごくごく軽い、ほとんど症状のない、名ばかり兄さんのワタクシ。
今日はすごかった。
朝起きたら目はかゆいし、くしゃみは出っ放し。
良い天気で風がある。
まぁ、花粉症のみなさまにとってはたまらない一日の始まりでした。
一日稽古日なので家の中にいられるってだけでもメッケモンです。
それでもくしゃみは出る。
お弟子さんが来る度に花粉を連れて入場するんでしょうなぁ。
夜になったらマシになるかと思いきや、ずーっと鼻かみっぱなしでした。
3月12日(木)
今朝も昨日のような天気だ。
花粉の一日の始まり。
昨夜、稽古終わってから、花粉への腹いせかなにかは知らんが、
パソコンを置いてある稽古場の隠し部屋の模様替えを始めた。
二畳余りの部屋の模様替えつったって大したことはないのだが、
なんとなく居心地の良い場所なので、もっと快適にしたいと思ったのだ。
3回も家具の島忠に行き、模様替えを。
そんな一日でした。
・・・違うがな、仕事したがな。
獅童事務所でお稽古。
半年くらい行ってなかったですな。
一昨日久しぶりに行ったら、また改築してましたからね。
獅童くんのお母様の元気な姿を見、ホッとし、呑気なアタシにはビックリする話が飛び出てくる。
30年余のお付き合いということになりますなぁ。
母「本出るのよ、タイトルがね、『歌舞伎座の怪人』、ジャーン、ははは。それからさ、CMも、もう流れるわよ、おもしろいの。ノリに乗っていくわよーーー!!」
ホンマ
元気な人ですわ。
うれしくなります。
3月13日(金)
稽古場にあふれていた荷物をなんとか片付けて、とりあえずはパソコン部屋完成。
思ってた配置とはまったく違うものになった。
うーーん、そのへんが甘いところだなぁ。
これだっていうものが最初に浮かばない。
身体の感覚と考えが一致してないんだなぁ。
3月14日(土)
変な天気だ。
小雨が降り肌寒い。
けれど16℃になるという、ホントか?
相変わらず片付けを続けている。
パソコンとかの場所が決まり納まったので、今度はその周囲を整理し始めた。
なんといっても伝の会のチラシや写真等が多い。
ここは手付かずだった。
写真とかはなかなか処分できるものではないしなぁ。
それでもなんでも、とにかく場所をとりすぎる。
ええいっっっ!!
整理だーーー。
整理してみると最近の写真がほとんど無いことに気がついた。
そりゃそうか、最近じゃデータでもらうからな。
ということは思いっきり場所をとっている写真等は、20世紀のものがほとんどだってことだ。
若い邦さんと僕の写真が山ほどある。
どの写真も鮮明に記憶に残っているものばかりだ。
うーーー、ええーーい、記憶に残っているんだからいいかーーーっ!!
ざっと整理したところ、引き出しが二つ空になった。
よーし、こんなもので良いだろう。
次回は伝の会チラシの整理をしよう。
3月15日(日)
今日も花粉がスゴイ。
目がかゆいし。ちょいと外に行くとくしゃみが出る。
お稽古日なのだ。
娘は友達とテレビ見たりしている。
おだやかな日曜日って感じだ。
小学生活ももうすぐ終わる。
昨夜は届いたばかりの中学の制服を着てみたりしていた。
大きめの制服。
中1って感じだなぁ。
娘「紺じゃん、地味だなー」
妻「いいのよ、毎日着るもの考えなくていいんだからさ」
さっきまでテレビ見ていた娘と友達が、庭で四葉のクローバーを探しだした。
せっかくなので草むしりを頼んだら、快諾してくれ、軍手をしてせっせと始めた。
そうそう、子どもは身体動かさなくちゃ。
思った以上にやってくれたぞ。
偉い偉い。
そのかわり玄関が泥だらけだ。
お弟子さんが何事かと驚いていた。
ま、いいか。
3月16日(月) 京都
芸名と本名で生きてますね。
まぁ、ほとんど芸名の人格ですけど。
本名で行動するときもたまーにあるわけで、もう20年もお世話になってるでしょうか、
その方から頼まれたことがあって、なんとしても叶えて差し上げたくて。
いや、叶えなくてはいけないと思えて、京都に行ってきました。
3月17日(火)
昨日の日帰りの新幹線でも間ずーっと聴いていた。
ここんとこずーっと頭ん中「船弁慶」です。
杵勝三伝といわれる「船弁慶」。
勝三郎家元の甥にあたるウチの家元は、若いときから弾いてました。
今回も23日の温知会で弾くのです。
最初に僕も乗せてもらったのは、家元が40代の終わりくらいかなぁ。
そして50代、60代と度々弾かれる「船弁慶」に乗せていただいてます。
今回は上調子。
家元「アツシ、『船弁慶』の上調子弾けたよな?」
テ「はい」
簡単に返事をする僕。
あの当時一生懸命覚えたっけなぁ。
などと感慨深く思い出したり。
「当時」っていうのが多分20年は前の話なんですね。
当時何回か続けて上調子弾いたので、さらっと弾けるかなぁ、なんて思ってましたね。
こう、ものを簡単に考えるとこが実に僕らしいですな。
浚い始めたら、「オヤオヤさらっと出てこないぞ」となりますわな。
そりゃそうよ。
でもさすがに身体で覚えてますからね、なんとなく惜しいとこまで行くんですわね。
んでもって、ボチボチ稽古してたんですが、さすがに昨日は三味線弾けなかったのでずっと聴いてて、今朝弾いてみました。
今日稽古しなくちゃね、だって夕方から下ざらいなんだもーーん。
そして、下ざらいも終わり
家元「この後なんかあるのか?」
テ「ないっすよ」
家元「じゃメシ食ってこー」
てなことになり、かんぱーい。
テ「家元が来年70歳なんて信じられないっすねー」
家元「はははは、そうだなぁ」
忠一郎「ぼくも40になるんだよ」
テ「やんなっちゃうよ」
家「こいつ、酒、弱くなったぞー」
忠「もう歳ですから」
テ「なにいってやがる」
忠「アツシさん50でしょ」
テ「あたぼーよ」
家「ははは」
テ「しかしあれっすねぇ、あっと言う間ですねぇ」
家「あっと言う間だよ」
忠「ほんと」
テ「がんばってきましたね」
家「な、がんばったよな」
テ「そうですよ、家元ががんばってきて、俺たちもなんとかここにいるんですからね、良かった良かった」
忠「そうだよね、みんな元気にやってるもんね」
家「うん、うれしいよな」
テ「さ、家元、まだまだがんばりましょ」
家「かんべんしてくれーーーー」
3月18日(水)
一日お稽古日でした。
やっぱり花粉がすごくて。
クシャミしながらの稽古、情けないねどーも。
3月19日(木)那覇
娘が学校に行くのと一緒に玄関を出て、私は羽田空港に向かう。
飛行機とか新幹線というと「朝ーっ!」っていう感じで動いているので、
今日のように10時すぎの便だと、ものすごく遅い気がする。
離陸してしばらくするとクシャミも出なくなった。
さすが高度!
そしてベトっとした沖縄に到着。
おー、スゴイ湿気だーー。
と思いますが、まぁ、たしかに湿気はあるのですが、東京がカラッカラに乾燥してるんですわね、そいでもって沖縄に着くとベトッと感じるんですわな。
4月25日に「歌三線と長唄三味線の魅力」という文化講座をすることになっていて、
今日のメインは、琉球古典音楽の比嘉康春先生との打ち合わせなのです。
こないだもお会いしたのですけどね、二度目。
二度三度とお会いしないとね。
今日は芸大の先生の部屋でたっぷりといろんなお話聞かせてもらいました。
もう、そのまま舞台でもいいくらい。
これは楽しみな公演になりますぜぃ。
3月20日(金)那覇
今日は暖かい。
暑いって感じではないけれども。
25℃だそうだ。
まぁ、半袖一枚って感じですな。
もう夏になりつつある沖縄ですねぇ。
お稽古日して飛行機へ。
羽田空港に近づくにつれクシャミが出てくる、なんでやろ?
3月21日(土)仙台
ポカポカとした陽気の中、今日は東京駅へ。
はやてに乗って仙台へ。
4月18・19日に「ほろほろと、花」という、紅神楽がやる演劇公演の音楽を担当することになった。
今日は僕らの世界でいう「付立」の日。
実際に演技を見ながら演奏してみて、合うとか合わないとかを見極める作業ですね。
初めて会う皆さんと作り上げていくわけで、お会いするまでは緊張したりするんですけどね、良い人たちでホッとしました。
なかなかおもしろいものが出来上がりそうですぞ。
「歌三線と長唄三味線の魅力」といい「ほろほろと、花」といい、
新しく出会う人たちと行う公演。
今までとは違う感覚。
「そこにドップリと浸かってたんだよ元々」と言う自分と「いやいや初めてでしょー」と言う自分がいる。
その感覚はオロオロするものだが、ありがたいのは、「こういうことをやらせてもらえること」なのだと思う。
いつも思う。
ありがたいことだ。
3月22日(日)
なにっ、日曜日なのか。
ということで、娘と池袋のデパートへローファーを買いにいくことになりました。
テ「どこに売ってるんだろ?靴売り場なんてあるのか?昨今のデパートに」
娘「さぁ?」
テ「子供服んとこかなぁ?」
娘「とりあえずそこだね」
テ「おお、あのコーナーじゃねーか」
娘「あったあった」
テ「まとまって売ってないなぁ」
娘「ここにもあるよ」
テ「なんか目がまわってきたよ。おなかが減ってきた」
娘「食べようか」
テ「うん、だいたいあたりはついたから、食べてからドーンと買おうぜ」
娘「うん」
テ「天ぷらにするか?うなぎ行こうか?」
娘「えっ?夕ご飯なの?」
テ「うーん、まぁ4時だからなぁ、おやつってとこかなぁ」
娘「どっちにしようかなぁ?」
テ「なんだよ、おやつならもっと軽いもんじゃねーのかよ。うなぎとかでいいのかよ」
娘「うん」
テ「天ぷらにしよっか」
娘「うなぎがいい」
テ「いいぜ」
娘「久しぶりだなぁ」
テ「おやじ(僕の)としょっちゅう食べてたよな、お前」
娘「うん」
テ「だから幼稚園入るころまでか」
娘「うんそうだね」
テ「それ以来食べてないのか?」
娘「お通夜で食べた」
テ「ああ、お通夜で出るねたしかにね」
娘「んまっ!」
テ「うまいか」
娘「めちゃめちゃおいしい」
テ「ははは、良かったなぁ」
娘「ママはうなぎ食べないから、パパもうなぎが嫌いだったらアタシは一生食べられないとこだったよ」
テ「ははは、ゆっくり食べろよ」
娘「ここ最近で食べたものの中でベストワンって感じでおいしい」
テ「はははは、良かったなぁ」
テ「ごちそうさま」
店「お嬢さんですか?」
テ「まぁ、そうでしょうなぁ」
店「おほほほ、よく似てらっしゃるからねーー」
テ「まぁ、間違いなく親子って見られますね」
娘「・・・・・」
テ「お前、複雑な顔するな!」
3月23日(月)ランドセルと船弁慶
テ「んっ、なんだって?」
娘「今日でランドセル最後なんだよ」
テ「なにっ!」
娘「明日は終業式だからバッグでいいんだって」
テ「ということは、今日でランドセル背負っての登校が最後だってことだな」
娘「そう言ってるじゃん」
テ「ということは、6年間ともに過ごしてきたランドセルを背負うのは、今日が最後だってことだな」
娘「うん」
テ「って言うこと・・・」
娘「そうは付き合ってられませんよ」
テ「よっしゃ、とにかく写真撮らなきゃイカンだろ」
娘「もう行くよ」
テ「ああ、自然なんでいいよ、顔はこっち向けなくていい、門を開いて、はいはい、あ、ちょっと手をこっち・・・」
娘「自然じゃねーじゃん」
へぇ、今日でランドセルが最後かぁ。
まぁ、もっとも僕らの小学校の時は6年間もランドセル使わなかったけどなぁ。
今のは丈夫だからキレイに6年間持ってしまうんだなぁ。
そしてワタシは国立劇場へ。
温知会なのです。
良い天気になったけど花粉がすごそうだ。
五三郎師の「巽八景」を袖でジッと見た。
うーーむ、なるほどなぁぁ。
良い演奏は素晴らしい。
そして宮田師とウチの家元の「船弁慶」。
久しぶりの上調子、良い手がついてるし、弾いてて気持ちが良い。
また弾きたいなぁ。
3月24日(火)
娘「だからぁ、今日はホントはバッグかなにかで良いんだけど、もう最後だからランドセルで来たい人も良いってことになったんだよ」
テ「ほほぉ、そりゃ味なこと言う先生だなぁ」
娘「だからランドセルで行く」
テ「お前、ランドセル好きなんだな」
娘「うん、好きだよ」
テ「おおお、なんと子供らしい、良いぞ良いぞ、そういうことだ。子供が子供らしいってのがいい、よし、ランドセルで行って来い、よしよし」
獅童事務所の稽古に行き、帰ってきたら、稽古場のテーブルに「あゆみ(通知表)」が置いてあった。
3月25日(水)卒業式
寒いぞ。
小学校の卒業式なのだ。
着物で行こうかと思ったけどやめて良かった。
テ「おお、すっかりおねえさんだな」
娘「へへへ」
テ「喜んでやがる。気に入ってるのかその卒業生ルック」
娘「うん」
テ「学校まで送って行くのか?」
娘「うん、Mと学校のとこで待ちあわせしてるからそこまで行って」
テ「はいよ」
校門のとこで待ち合わせしている娘の友達のMは、娘よりも一回り大きい。
M「Yーーー」
Y「Mーーー」
M&Y「キャッキャキャッキャ」
テ「ヨッ、なんかMちゃん、卒業ってよりは就職って感じだなー」
M「ぎゃはははーー」
Y「じゃ、あとでね」
テ「おお」
と、なんだかわけのわからない見送りをして、ワタシもスーツに着替えて学校へ出直し。
小一時間の式だと思ったら、2時間半くらいあった。
講堂は寒い。
途中で雨も降ってきたらしく、寒い風も入ってくる。
あいつらが無事に卒業するのが早いか、こっちが凍死するのが先かって状態だった。
久しぶりに歌う校歌。
まぁ、ワタシの母校ですからね、覚えてますね、しっかりと。
歌詞見なくたって歌える。
長唄は歌詞ないと唄えないのに。
卒業生退場の時には、娘の一派はみんなポロポロ泣いていた。
俺は泣かなかったけどなぁ、小学校の卒業式では。
泣くってことは別れの悲しさを感じるからなんだろうなぁ。
俺は小学6年の時にそんな感情はなかったなぁ。
なんだか娘たちがうらやましかった。
3月26日(木)浜松
新幹線の時間ギリギリだったわ。
あやうく乗り遅れるとこだった。
珍しいぞ僕にしちゃ。
ていうわけで、お蕎麦も食べずに新幹線に乗ったものだから、
浜松に着いた時点でフラフラでしたわ。
あわてて食事して、打ちっぱなしに行って、事務仕事して、
お稽古開始。
なんとあわただしい。
19時過ぎに終わって宴会して、21時には別の場所に行き、お稽古を。
それからエンボスに行って打ち合わせのような情報交換のような、
あたらしい仲間の紹介みたいなもんのような。
とにかく、全ての用事が済んだのが3時。
最近、浜松はほんとにハードスケジュールだ。
那覇もだが。
しかし、これがなんとも心地よいのである。
ワシ、どんだけ貧乏性なのだろ。。。
3月27日(金)伝の会 同志社大学
同志社大学内での伝の会。
伝の会を何度か観てくだすった山田先生が企画してくれた。
数年かかりましたね実現まで。
だから特に楽しみにしていました。
だいたい同志社がどこにあるかも知らないんですからねぇ。
御所の近所なんだぁ。
ホールもカッコイイんだぁ。
学生さんたちもノリがいいんだぁ。
いやいや、楽しかったです。
校内にイタリアンレストランがあるんだぁ。
打ち上げすぐ出来るんじゃん。
いやいや、おいしかったです。
また機会があったらぜひやりたいですわ。
3月28日(土)大阪
ちょいとゆっくり寝ました。
午後からお稽古をして伊丹空港に向かいました。
新大阪から空港バスで30分ほど。
もうこのバスを知ってからというもの、伊丹空港行きが便利になりましたわ。
マイラーのワタクシにとっては飛行機乗るのが何よりの楽しみですからね。
マイラーって感じでもないな、フライオンポインターだな。
よくわかんないですよね、ただ、今の僕は、マイルよりもフライオンポイントのほうが重要なんだということなんですけど、えへへ。
ほんっとに思うことはただひとつ。
東京~浜松を飛んで欲しいですな。
あり得ないんですけどね、飛んで欲しいです、JAL。
そうすると随分うれしいんですけどね・・・。
羽田に着くと娘から連絡が。
なんでも、ヤマダ電機につれてって欲しいらしい。
DSのソフトを買いたいんだそうだ。
子供だからなぁ、欲しいとなったら今夜中に欲しいんだろ。
お店が空いてる時間に行こうとすると、僕が一度家に帰ってからでは間に合わん。
娘と平和台の駅で待ち合わせをしてヤマダ電機へ。
ついでにご飯も食べて、やっと帰宅。
娘「宇太ーー、伽羅ーーー」
タッタッタッーー
娘「おお、宇太も伽羅も玄関にむかえにきたよ」
テ「大したもんじゃん」
娘「パパー」
テ「え?」
娘「2003年の12月30日って何の日か知ってる?」
テ「うーん」
娘「いまではもう欠かすことの出来ない大事なメンバーの日だよ」
テ「わかんないなぁ」
娘「宇太が来た日」
テ「おお、そうかぁ。まだちっちゃかったよなぁ、生れて二ヶ月くらいだったよなぁ」
娘「うん、手に乗ったもん」
テ「そんなにちっちゃかったか?」
娘「そうだよ」
テ「それがこんなになるかい」
娘「デカイよねぇ」
テ「ゴスペルがものすごく上手そうな感じだよな」
娘「ははは」
この数年で娘は大きくなったが猫たちもでかくなっていたのだ。
3月31日(火)落語のピン
29日30日とお稽古日が続いた。
そして今日。
なんか調子が変なんだよなぁここのところ、と思っていたら、
娘が学校に行かないのである。
春休みなんですね。
ていうか、小学校を卒業したので中学行くまでの休みっつーんですかね。
小学生なのか中学生なのかという中途半端な時期なんですな。
で、なんだか学校が無いもんだからつられてこっちも休みのような気になって、なんだか緊張感が無い。
今日に至ってはDVDなど借りに行ったりして海外ドラマ見たりして。
昨夜からは「落語のピン」をハードディスクにダビングしている。
「落語のピン」。
1993年にやっていた談志さんメインの落語番組。
談志ファンのワタクシは一回目から律儀に録画していたらしい。
それをずーっとハードディスクに入れている。
だからずーっと落語が流れているわけで。
今は、志らくさんの「死神」が流れている。
松永会が近いので稽古をしようしようと思っているのに。
うーん、こりゃ、長唄の頭にはなんないわなぁ。
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