青?裸々な日常
2009年4月~
第162号 入学式



4月1日(水)沖縄発しおかぜ
沖縄では、いわゆる三大新聞というイメージはなく
「沖縄タイムス」と「琉球新報」が主流なんだそうで。
その「沖縄タイムス」で伝の会や僕を取り上げてくれたことが何度かありましてね、ありがたいことに。

そして今年に入って、ある日突然、「沖縄タイムス」から
「月に一度コラム書いてくだせー」とお声が掛かる。

え?!
いや、なんでもやりますが、コラムってのはなぁ・・・。
とは思ってみたものの、まあ、断る理由がひとつもないので、
喜んでお引き受けしたのです。

「しおかぜ」というコラムで、週に一度のコラムを4人で担当していくという。
つまり、アタシャ月にいっぺん書けば良いわけで。
しかしねぇ、僕が文章を書くなんてねぇ。
「第1回は、ちょいと早めに提出してくださいよ」
というので3月の初めには書き上げていた。
それが3月31日に載ったんですね。
日が経つうちに、すっかり忘れていました。
何を書いたのかも覚えてない。
人ってこんなに忘れっぽいものなのか?
僕だけか?
掲載されたっていうことは、今後も書くってことだよなぁ。
正直なとこ、沖縄の新聞のことなので、どうもどこか実感がわかない。
そんなことではイカンのです。
とにかく、僕にとっては、今年の重大ニュースの一つに絶対挙げられるほど大きなチャレンジなのです。
さて、次は何を書くかナァ。
しかし、僕を選んだ「沖縄タイムス」ってのは、ものすごく勇気があるなぁ。


4月2日(木)
えーっと、4日の松永会の下ざらいです。
下ざらい、「下浚い」って書きますね、「下あわせ」と言ったりもしますな。
要はリハーサルってんでしょうかね、日本語を説明するのによその国の言葉を使うってのもどーも妙なもんですが。
なんか口調がね、中途半端な感じですね。
なにせね、ずーっとね、先月の末からずーっと、「落語のピン」がかかりっぱなしでね、もう目ぇつぶっても、
着物着た人が座布団に座ってる画像がね、チラチラしますな。

さて、久々に車運転して出かけました。
着物着て、座布団ではなく三味線を構えましてね、弾いてまいりました。
ウチに帰って早い時間にお風呂に入りました。
19時。
いいですね、こんな時間に入るべきですね、だってね、もう21時には眠たくなりますよ、でもなんとか22時までがんばってね、とりあえずベッドに横になってみましたよ。


4月3日(金)
気がついたら8時。
めざましで起きたんですけど。
もっと寝たかったんですが、仕事があるんでなんとか起きました。
寝は足りてるでしょうね、充分に。
良い天気だったのでベランダあけたら猫たちはそそくさと日光浴に行きました。


4月4日(土)松永会
年に一度の松永流の演奏会。
もちろんワタクシも出演するのですが、ウチの名取たちも出演している。
鉄駒・鉄二・鉄六・鉄華・鉄七の5人。
舞台に出るという緊張感、事故無く弾けるかというプレッシャー、
挙げ始めれば数限りなくある不安材料。
そんなことがこみ上げてくる自分と戦いながら平然と弾かなければならない。
みんな通って行く道である。
誰も代わることが出来ない。
5人とも、しっかり登って来いよと。
まぁ、人のことばかり気にはしてらんないんだけどね。

今回も、5人はそれぞれの経験を良い状態でしていったように思えた。
終演後の打ち上げで、なかなかお話できない人たちと話す。
これが毎年楽しい。
同じ流派でも、滅多に会わない人たちの方が多いし。
サプライズがあって。
今月お誕生日の僕ら3人へハッピーバースディの合唱とケーキ。
うれしいですねぇ。
うれしいうれしいって言ってたら、昨年もやってくれたんだそうで。
あら!
毎年4月にやる「松永会」。
このままでは、毎年僕らだけに誕生祝いをしなければならない、と幹事さんたちが気がついたのだろう。
「今年でお誕生祝いのサプライズは終わりです。来年はお祝いしてもらった3人から皆にお礼の品物を用意するように」
と発表された。
はははは、なんとウチの一派らしい。


4月5日(日)談奈独演会
起きるまで寝た。
うれしいね。
ウチのお弟子さんのお店で、ウチのお弟子さんが企画している落語会に
出演させてもらう。
なんと幸せなことか。
だってお弟子さんのお店って、自分のお店みたいじゃん、あはは。
と思うのは俺だけかな。
談奈さんは、昨年巣鴨で会っての知り合い。
好きですよ。
彼の独演会に出させてもらうのはうれしいですよ。
出番ギリギリまで何をしようかと考える。
ま、いつものことだけど。
なにせ、一人だとどうにでもなっちゃうので悩む悩む。
「じゃ、これ歌ってみよう」って楽屋で決めたら、なんと歌詞が出てこない。
出番まであと10分。
とにかく三七郎くんに電話。
あはは、出たから良かったものの、いなかったらどーすんだって。
打ち上げで、皆で誕生日を皆で祝ってくれた。
うれしーーねーーー。
49って・・・・・。


4月6日(月)歳時記旅情で稲取温泉
朝なんとか起きる。
ちょいと二日酔いだわ。
昨日は楽しさとうれしさで飲みすぎたのかなぁ。
えっちらおっちら新宿に9時すぎに到着。
ここからはバスだぞーー。
寝るぞーーー。
寝たぞーー。
伊豆稲取に着いても起きられないくらい寝た。


4月7日(火)入学式
早いもので娘が中学生になるという。
近所の中学。
また僕の後輩になるわけですが。
入学式に出席しようということで出かける。
娘「遠いねぇ」
テ「そりゃ今まで目の前の小学校だったんだからな。1キロ歩くんだぞ毎日」
娘「ふーん」
テ「遠かったよ毎日」
娘「パパは一人で通ったの?」
テ「ああ、大抵一人だったな」
娘「だから遠かったんだよ、Mたちと一緒に行くから大丈夫だよ。キャッキャ言ってる間に着くよ」
テ「お前、たくましいなぁ」
久しぶりに中学に行くなぁ。
何年ぶりだろ?
卒業してから行ってないからなぁ・・・。
ゲッ、かるーく30年以上経っている。
30年って・・・・。
まだ、その中学があることすら感動だね。
制服もほとんど変わってないし。
時代が止まってんのか!
とツッコミたくなるね。
お昼過ぎまでかかった入学式。
僕はちょいと早めに帰ってきた。
次の予定があったから。
そりゃ俺だって忙しいっちゅーの。
ま、ゴルフのレッスンなんだけど。
そしてその後はお稽古。
5日に忘れて帰った誕生日プレゼントも再び贈呈してもらった。


4月8日(水)那覇
那覇ーーーっ。
25日に文化講座をやることになり、その宣伝で新聞社回り。
夕方からはお稽古。


4月9日(木)那覇
お稽古して25日の舞台の打ち合わせ。
そしてまたお稽古。
一泊で来ている那覇だが、予定が目一杯でうれしいっす。
飛行機の中で爆睡。


4月10日(金)
朝からお稽古。
良い天気だ。
明日はゴルフなので、稽古の合間に一時間できた途端に打ちっぱなしに行く。
そしたら満席。
なんで?
金曜の午後に満席なんだろ。


4月11日(土)志の輔らくご 北野文芸座
土曜日なんだ。
朝6時すぎの新幹線に乗る。
眠くて眠くて。
長野は終点だから降りそこなうことはないだろ。
志の輔師匠は昨夜長野入りしている。

8時。
長野駅のホームに降り立つ寸前に電話がかかってきた。
「東口で待て」
あたしゃ秘密情報部員か。
車に乗せられ小一時間、ゴルフ場に到着。
いやーー気持ちがいいですなぁ。
素晴らしい景色。
空気もおいしい。
これがゴルフの醍醐味だなぁ。
早く上手になりたいものだわ。
ホテルにチェックインしたのが16時半。
顔がひりひりする。
ものすごく良い天気だった。
北野文芸座へ。

おっ、なんか家に帰ってきた感じだ。
そういえば、昨年ここに泊まったんだったな(2008年4月25日参照)。
もう勝手知ったるなんとやら、我が家同然よ。
今夜と明日昼と「志の輔らくご」二公演なのだ。
僕も高座に上がった。
ここで弾くのは実に気持ちがよい。
以前、伝の会ライヴをしたことがある。
気持ちが良いったらありゃしない。
二割くらいうまく弾けたような気がする。
終演後の打ち上げ。
そして昨年も行った(師匠は昨夜も行った)善光寺近所の鳥健へ。
とにかくここの焼き鳥はウマイ。
今回も楽しみにしていたのだ。
今、善光寺は7年に一度の御開帳の真っ最中。
明朝は当然行くのだろうと思っていたら、
なんと回向柱に触れるのに2時間待ちだと言う。
えーーーっ行けないじゃーーん、そんなに待てないじゃーーん。
と師匠とがっかりしていたら、
地元の方々が「じゃこれから行きますか?」と言う。
え?
だって善光寺さん閉まってるんじゃないの?
「境内にあるんですよ、回向柱は。境内は開いてますよ」
志・テ「なにをっーーー!!」
ということで酔っぱらってはいましたが、とにかく行って参りました。
そこそこライトアップされててなんだか良い感じでした。
いやぁ、うれしかったです。


4月12日(日)志の輔らくご 北野文芸座
昼ごはんの後、善光寺さんに再び行ってみる。
おお、スゴイ人だーーー。
昨夜の雰囲気とはまったく違う、当たり前だが。
回向柱に触れる行列が立派に出来ている。
ほほぉ、昨夜、あれに触ったんだなぁ。
14時開演。
今回は北野文芸座の志の輔らくごは2日間二公演なのです。
終演後、
「よし、移動だ」
一路、鬼無里へ。
キナサと読みます。
45分くらい登って行きます。
標高700メートルくらいですかね。
公民館で志の輔らくご。
いやいやこういうところの師匠もおもしろいです。
爆笑爆笑。
終演後、それーっとばかりに長野駅を目指します。
最終の新幹線に乗りますからね。
まぁ、あわただしい。
タクシーの運転手さんの腕が良かったのか、結構早く着きそうなので、
師匠が一言
「運転手さん、すまないが善光寺に向かってください」
お弟子さんたちにも回向柱に触らせてあげようという親心です。
やさしーーーーー。
志「よくがんばったよな」
テ「お疲れ様でした。2日間とは思えない忙しさでしたね」
志「濃かったな」
テ「楽しませていただきました」
志「新幹線に乗ってビール一杯飲んだらコロッと寝られるな」
と会話したのに、
ビール~日本酒~ウィスキーと飲み続け、しゃべり続けあっと言う間に
東京駅。
俺が喋らせちゃったかなぁ、疲れてるところにすまなかったなぁ
と、ちょいと反省はしてみたものの、ワタクシもべろべろですがな。


4月13日(月)
昨夜、別れ際に、べろべろの僕に志の輔さんは
「明日のレッスン、遅れないように行け」と言った。
その言いつけを守ったのか、打ちたくてしょうがないのか、
とにかく僕は二日酔いの身体を支えながらレッスンへ。
帰ってすぐにお稽古開始。
終わって22時、ふーーっ。


4月14日(火)浜松。
さすがに身体がガタガタ言ってるぞ。
ちょいと遅い新幹線にしてもらい浜松へ。
1時からお稽古開始。
終わって20時。
宴会やって最終一本前の新幹線に乗った。
気がついたら東京駅だった。
いやいや、ここんとこの忙しさ、我ながら元気にこなしてると思う。
頑丈に作ってくれた両親に感謝だわ。


4月15日(水)
朝からお稽古日。
最近我が家で盛り上がっているのは、「どうやったら快適に過ごせる空間になるのか」。
この家に住んで5年が過ぎた。
いるものもいらないものも、とにかく荷物が増えた。
大々的に整理をしようじゃないかと。
なんかそういうのってワクワクして良いですな。


4月16日(木)仙台
午後の新幹線だった。
のんびりしすぎて家を出るのが遅れた。
うーー、間に合うのか?
東京駅でなく大宮駅に行けとナビタイムは言っている。
ヨッシャー、トントン拍子に大宮駅に着いたぜーー。
さーて。
・・・
あれ?
大宮駅16時すぎの新幹線に乗るのに、今の時間が15時ちょいと前。
・・・・・・
あれ??
わっ、なんだよー、時間間違えてるーーー、1時間早いんじゃないかーーー。
おーーー、あせって損したーーー。
どーすんのー。
退屈な1時間を過ごし指定の新幹線に乗る。
仙台はさすがにひんやりしている。
それでも今日は暑いね。
演舞集団「紅神楽」の公演の音楽を担当するためにやってきた。
さっそく稽古に参加。


4月17日(金)
本日も稽古、というよりゲネプロ、僕らは舞台稽古といいますがね。


4月18日(土)紅神楽公演
第三回演劇公演『ほろほろと、花』 
公演は今日明日の昼夜で全4公演やる。
僕の演奏場所が舞台上手奥、つまりずーっと舞台に出ている。
ほほぉ、こういうのも面白いもんだなぁ。


4月19日(日)第3回演劇公演『ほろほろと、花』 
仙台に来てからというもの、よく寝ている。
睡眠時間をたっぷり取っている。
昼夜公演も無事に終了。
事故がなくてよかった。
なにせ舞台にずーっといるので、役者さんたちにアクシデントが無いようにと見守る感じになる。
この公演、実に面白かった。
良く出来た脚本と味のある役者さんたち。
テンポも良かった。
楽しい時間だった。


4月20日(月)鉄九郎ひとりライヴ 仙台
「あべひげ」という飲み屋さん。
芝居好きの溜まり場のようなお店で、仙台にいながら下北沢にいる気分にしてくれる、なかなか面白い空間。
朝から紅神楽のメンバーが椅子やテーブルを動かし舞台も作ってくれた。
昨日、公演が終わったばかりなのにありがたいことだ。
こういうのを目の当たりにすると自然にライヴにも力が入るもので。
まぁ、たのしい時間でした。
1回目のライヴ後、みんなで牛タンを食べに行き、夜の部に備えた。
2回目のライヴは1回目とは違うものをやってみた。
別に一緒で良かったんだけど、「どんな感じになるかなぁ?」とやってみたのだ。
ホラ、志の輔さんが昼夜公演の時に演目変えたりするじゃない。
あの感覚ってどんなんだろって思っていたので。
ライヴ終了後、最終新幹線の時間が迫る中、とにかく手伝ってくださった方たちと乾杯をしたかったので、あわててビールをつぐ。
カッカッと飲んだところで仙台駅に向かった。
最終の新幹線に無事に乗ることができた。
ガラガラの車内。
静かな空間。
この5日間、毎日紅神楽の人たちと一緒だったことを思い出す。
楽しい時間だった。
いろいろと勉強にもなった。
自分を試したり確かめたりも出来た有意義な時間だった。
妻の両親が仙台にいる。
この5日の間に会えないかと思っていたら昼ご飯を一緒に食べられた。
父は「今日は寒いからこれを着ていけ」と僕にコートをくれた。
母は「うんとおいしいもの食べなさい」とご馳走してくれた。
実の父母がとっくにいない僕にとって、なんだかとてつもない懐かしさがこみ上げてきた。
親はありがたい。
そして出会いもありがたい。


4月21日(火)志の輔らくご 21世紀は21日
おおっ、今日は「志の輔らくご21世紀は21日」の日ではないですか!
毎月21日の会。
でも今年初めて。
なんだか、ものすごく懐かしい感じを持ちながら新宿明治安田生命ホールへ。
あれ?
ここでは何すんだっけな?
鉄七と二人で出囃子を弾くんだーー。
思い出したぞーー。
ヒロ(松元)さんとも久々に一緒。
楽屋には、はだか(寒空)さんも遊びに来ている
ヒ「ちょっとバッファリン飲んだんですよ」
テ「ほほぉ、歯が痛みますか?」
ヒ「大したことは無いんですけどね」
テ「いま、ヒロさん何て言いました?」
ヒ「へ?」
テ「薬」
ヒ「バッファリン」
テ「そうですよね、僕もバッファリンって言います」
ヒ「はい」
テ「でもね、パッケージ見てくださいな、バファリンなんですよ」
ヒ「あっ!」
テ「ね、僕も若い人に言われたの、『バファリンです』って」
ヒ「ずっとバッファリンって言ってる」
テ「そうなんですよ。きっと僕らの世代まではバッファリンなんですよ」
ヒ「バファリンなんだー」
七「私もバファリンって言いますよ」
テ「おおっ、そっかぁ、昭和40年代生まれになるとバファリンなのかぁ」
は「どっちにしても、パッケージは昔からバファリンって書いてありますよ」
ヒ「バファリンじゃさ、効きそうにないよね。やっぱりバッファリンじゃないとね(笑)」
テ「ははは、そのとーり」
は「どっちでも一緒ですって(笑)」
相変わらず賑やかな楽屋でございまして。
安田の会が久々ならば、この会の打ち上げも久々なわけでして。
妙に盛り上がりましたね。
談春さんも遊びに来てたし、寄席文字の右門さんは帰国したし。
おお、今年も始まったなぁという感じでございました。
楽しみ楽しみ。


4月22日(水)
二日酔いではないんだけど二日酔いっぽい。
うーーん。
コーヒー飲んだり水のんだりーー。
今日は和寿三郎くんが来て「菖蒲浴衣」と「三曲糸の調」を浚う。
29日の「テツクロの会」で弾くのだ。
「三曲糸の調」は和佐次朗さんに丁寧に教わった曲。
1998年の伝の会で弾いてるのを見直した。
あの頃はしょっちゅう「三曲糸の調」を弾いていたなぁ。
あれから11年かぁ。
いやいや月日の流れるのは早いものだ。
29日の「テツクロの会」。
スクハジ(鉄駒・鉄六)が企画したこの会も3回目をむかえる。
今回はスクハジに最初何かやってもらい、それから「菖蒲浴衣」演奏して、おなじみになった「師弟対談」やって休憩。
休憩後は「三曲糸の調」をやるというプログラム。
唄方は勝彦くんが来てくれる。
楽しみである。


4月23日(木)
長唄協会の寄り合いのため事務所へ。
里長師、巳太郎師、弥七師、忠五郎師、そして僕。
オイオイ、真打四人に前座一人紛れ込んじゃったみたいだ。
その後、自宅の稽古。
終わって22時、グターッと寝る。


4月24日(金)那覇
10時すぎには那覇にいた。
明日は「第1回文化講座 歌三線と長唄三味線」なのだ。
なんだか那覇にきたら急にあわてだした。
こっちに来ないとこっちの頭にならないんだなぁ。
打ち合わせやらなんやらしてから稽古。
頭が混乱してきた、とにかく睡眠睡眠。


4月25日(土)文化講座第一弾「歌三線と長唄三味線の魅力」
伝の会で、色々な方たちと一緒にやったりナビゲーターのようなことはたくさんやってきている。
でも今回は僕一人でナビゲートする。
隣りに邦さんがいないのだ。
僕の人生始まって以来の大事件なのだ。
まあ、ここんとこ「ひとりライヴ」やらなんやらで、一人でやることにも多少は慣れた、と言っても「だいじょぶかいな?」と言う一文が頭にちらつく。
しかも、まだ先のことだと思っていたら本番の日が来てしまった。
とにかく会場である美術館ホールに行ってみる。
僕が一番乗りだった。
ん???
なんか、ものすごくやる気のある人みたいだ。
舞台照明さんたちとも打ち合わせをやるうちに早くも仲良くなっていたワタシは、彼らと一緒に舞台作りから参加した。
楽屋で90分のステージを頭ン中で作りながらブツブツ言っていると
「よーっ」と比嘉先生がいらした。
先月だったか先々月だったか、最初お会いした時の先生は、なにやら恐そうな感じであったが、お会いする毎に気さくな人になっていた。
懐の大きい人なんだなぁ。
今回のテーマは「歌三線と長唄三味線の魅力」。
比嘉先生は芸大で歌三線を教え、もちろんミュージシャンでもありという方。
琉球古典はもちろん、僕らの古典のこともあざやかなのだ。
これはなんと頼もしいことか。
比嘉先生と僕が舞台に正座して、古典の話をして、時々、歌三線や長唄を演奏する。
とても簡単な作りのライヴなのだ。
だからこそ比嘉先生個人の魅力までも伝えられるだろうと僕は狙っている。
比嘉先生に、最後の曲はお琴と胡弓を入れて三人で演奏してくださいとお願いしてある。
そのお仲間たちが到着。
隣りの楽屋で稽古を始めた。
途端に琉球王国に連れて行かれた感じになる。
明るい曲が終わったなぁと思ったら、先生が僕の楽屋にやってきて
「今の弾ける?」と言う。
テ「え?」
比「最後の最後にさ、鉄九郎さんにも入ってもらって四人で演奏したらと思ってさ」
テ「そりゃおもしろいっ!」
比「コラボやってみますか?」
テ「じゃ、フレーズ教えてください」
途端に先生と生徒と化す。
テ「うーーー、指が痛い。勘所が遠い」
比「おもしろいですねぇ、三味線は三線より大きいから勘所が遠くなるんですねぇ、こんな簡単な動きなのに(笑)」
テ「うーーー、よっしゃーー、絶対弾き切ってやるーー」
比「はははは、ちょっとだけやって『やっぱ合いませんねぇ』ってことでもおもしろいな」
テ「そりゃおもしろい・・・・ん?・・・先生、謀りましたね!」
開演。
コンサートや芝居公演のような見せて聴かせるもの。
ワークショップなどのカルチャー色の強いもの。
その中間という具合に位置づけした「文化講座」。
喋って歌って弾いて喋って歌って弾いてと過酷な状況を比嘉先生は見事にやりきった。
喋りでは会場を沸かせ、歌三線ではジーンとさせながら。
楽しい90分だった。
お客様もとてもあたたかかった。
舞台監督さんたちと飲んだビールはおいしかった。


4月26日(日)志の輔さんと細坪さんと三浦さん
目が覚めたのは那覇だった。
まだ寝ていたーーーいと思う身体をひっぱって那覇空港へ。
次に目が覚めたのは福岡空港だった。
飛行機ガラガラだった。
驚いた驚いた。
自家用かと思った。
オフィスほたるいかからの指令は
「天神のエルガーラ、ってタクシーの運転手さんに言ってください、大丸の隣りです」
タクシーに乗る。
テ「天神のエルガーラ、ってタクシーの運転手さんに言ってください、大丸の隣りです」
運「はいはい」
N「あ、無事に到着しましたねー」
テ「あはは、着きましたねー」
N「タッチアンドゴー大丈夫でしたかー?(笑)」
テ「ドキドキしちゃった、カードで飛行機に乗るなんて初めてだから、搭乗の瞬間に思わずチケットを捜してしまいますね(笑)」
N「じゃ早速サウンドチェックを」
テ「はいはい」
志の輔師匠到着。
志「鉄九郎(ラーメン)行くか?」
テ「はい」
志「どーなんだ(ゴルフ)?」
テ「どこ行っても練習してますよーー」
志「どこだろ(ラーメン屋)?」
テ「そこですよ」
志「やってないじゃん」
テ「あらっ」
志「じゃ、大丸に行こう」
テ「ないですねぇ(ラーメン)」
志「たこ焼き(の店があるぞ)」
志「だからさ、(ドライバー)打てないってことはさ~~~」
テ「なるほどー、よーくわかります」
志「ユーティリティは?」
テ「5Wのことですか?」
志「違うよ」
テ「なんか使いやすそうな名前ですねぇ」
志「たぶん、有利なってみたいなことなんじゃない」
テ「たこ焼き10分かかるって言うから師匠は楽屋に戻っててくださいよ」
志「お前の方が(出番が)先だろ」(前座の出囃子を弾くので)
テ「いやいや、だって師匠をたこ焼き屋に並ばせとけないじゃないですか」
志「ま、いいよ、そのへんウロウロしよ」
志の春「師匠がお呼びです。鉄九郎さんが買ってきたたこ焼きなんだから一緒に食べようって」
テ「はいはい。失礼しまーす」
志「シャフトがさぁ~~~」
テ「なるほどーーー」
志「変わってるな(たこ焼き)」
テ「トロッとしてますね」
いつものように超満員のお客様が建物が揺れるくらいに笑う。
師匠がお客様を自由自在に笑わせてるようだ。

一席目終了。
志「じゃ、いつものやってきてくださいな」
テ「はい」
袴つけて舞台へ。
おお、お客様が押し寄せてくる感じのホールだ。
二席目の師匠はさらに笑わせ泣かせ。
全精力を以ってお客様に向かっていっている。

終演。
春「師匠が(お呼びです)」
テ「はーい」
舞台の興奮冷めない僕はなんだろうと楽屋へ。
志「お前に見せてやろうと(ゴルフ番組)」
テ「あ、やってるやってる」
興奮さめやらぬ主催者の方たちが大勢いらした。
ニコヤカに写真におさまる師匠。
写真に撮られるときの照れくさそうな感じが良いですねぇ。

そして福岡空港へ。
志「どうしよーかと迷ってる」
テ「はい」
志「このラーメン屋は混んでる、うどん(屋さん)は空いてる、こっち(の店)はサバが食べられる、じゃあ(そっちの店の)刺身ってのも」
テ「はい」
志「お前はどれにしたい?」
テ「決められないでしょー」
志「うーーん」
サバに決まって居酒屋さんのようなお店に入る。
志「あと、なにか食べたいものを頼めよ」
テ「じゃ、おでんにしよっかなぁ?」
志「たぶん、ここを出たあとにうどん(屋)に行くぞ」
N「えーー、じゃアタシももういらないですよ」
志「お前、さっきおでん食べるって言ったろ」
テ「いやいやうどん食べますから」
志「いいよー、ここで終わったっていいんだから」
テ「(ラーメン屋は)2軒ありましたね」
志「ああ、こっちのは(昇太さんと)入ったことがある。(うどんとラーメン)どっちにする?」
テ「それは決められないですよーー」
志「決めろよ、俺も決めかねてるから聞いてるんだ」
テ「じゃラーメン」
志「よーし、(搭乗)時間が大丈夫だったらギョーザから行くぞ(笑)」
目が覚めたら羽田空港だった。
まだ酔ってる。
師匠といる楽しい時間が終わり、一人新幹線に乗るために品川へ。

次に目が覚めたら浜松だった。
テ「ドライバーだけでも打ちたいなぁ、でも、今夜はもうホテル行って寝ますわ」
S「何言ってんですか、細坪さんや三浦さんたちの打ち上げの最中ですよ、今。
私はそこのお手伝いを抜けて迎えに来たんですから」
今夜は浜松で『細坪くんと三浦くん』のライヴがあったのだ。
テ「えっ、やってるの!」
S「真っ最中ですよ。みんな待ってますよ」
三「おーーーー、やっと来たかーーーー」
テ「むむむ、三浦さん酔ってるな」
細「テツクローー、来たかーーー」
テ「むむむむむーー、ツボさんもーーー」
楽しい時間がここにもあった。
15分後。
テ「はっははははー」
細「だろ?」
テ「あってます、そのとーり」
三「調子いいなぁ」
細「テツクローはそうだと思ったものー、はっはっはーー」
H「宴もたけなわですが、そろそろお開きにいたしましょう」
皆「写真撮らなきゃーーー」
エ「じゃ、おもてで撮ろーー!」
W「もう夜中なんですから、おもてはヤバイんじゃないですかーー」
皆「じゃ静かに撮ろーーー!」
皆々「シーーーーッ!!!!」
その音が元浜町に響き渡ったと言う、カシャっ!!


4月28日(火)
昨夜の最終で帰ってきた。
ゴルフの後の宴会真っ盛りの時に中座するのはツライものだ。
でも、帰らなきゃ。
というわけで、今朝は早起きして稽古場の掃除。
9時からお稽古開始。
終わって22時。
おーー、やりとげたぞーー、今月の稽古最終日を。
お弟子さんたちと会うと疲れも吹っ飛ぶ。


4月29日(水)テツクロの会 in 庚申塚 第三回
三曲三曲三曲ーーーー糸の調ーーーー。
三味線弾きとしての鉄九郎は「三曲糸の調」という曲、結構弾いてます。
多分、他の三味線弾きよりも多く弾いていると思うくらい。
でもね、最近弾いてなかったんですね、ここ1、2年は。
するとね、フッと出てこない手があったりね。
あれっ?なんでここ弾けないんだってとこがあったりね。
ヘンなの。
それでね、一番キチッと習って弾いたころのものを聴けばいいってことになりまさぁね。
それが1998年の2月の「伝の会 お江戸日本橋亭ライヴ」の「三曲糸の調」なんです。
これは幸いなことに映像で残っている。
もともと「三曲糸の調」は和佐次朗師匠に教わった。
何度も何度も、やるたびに。
たぶん、1998年2月にやるときも稽古に行ったはず。
伝の会の映像を見れば、教わったことを忠実にやろうとしているところが随所に出てくる。
「忠実にやろうとしている」のですよ、「忠実にやっている」ではないところが情けない。
だって和佐次朗さんみたいに素晴らしいのは弾けないもの。
習うけど、足元にも及ばないもの。
だから真似だけ。
同じようにやらせてもらってるだけ。
「同じように」なの「同じ」じゃないのよね、クドイね。
でもね、それがわかってからが精進なんですよね、きっと。
それがわかったのが1998年の暮れ。
和佐次朗師匠が亡くなった時。
2月の時点では、次にまた「三曲糸の調」を弾くときには、和佐次朗さんに教わりに行けばいいじゃんって思ってた。
確実に思ってた。
一生そう思ってた。
それが、プツッと終わってしまった。
亡くなっちゃうんだもの。
その時から精進が始まった。
「『三曲糸の調』弾けませーん、和佐次朗さーん、稽古してくださーーい」ってもう甘える人はいなくなったんだ。
しかも「出来ない」じゃダメなんだってこと。
たぶん鉄九郎の転機がどこかにあったとすれば、1998年の暮れだったのだろう。
それから11年が経った。
そんなことになろうとは知らない僕が、映像の中で「三曲糸の調」を弾いている。
今観ると、和佐次朗さんの教えたいことが伝わってくる。
ということは、まあ、少しは成長したかな。
さて、庚申塚スタジオフォーへ。
唄方は11年前の「三曲糸の調」も唄ってくれてる勝彦くん。
三味線は和寿三郎くんに付き合ってもらう。
11年後の「三曲糸の調」。
良いところも弱いところも11年経った。
面白かった。
来てくださった方たちに深く感謝いたします。


4月30日(木)志の輔らくご 浜松
テツクロの会の打ち上げでメチャメチャ盛り上がって、もう一軒メンバーたちと行き、帰宅したのが0時すぎだった。
起床。
4月最後の日。
いやいや今月はすごかった。
49年の人生で、こんなにすごかった月は無い。
よく30日まで来たというのが実感である。
さあ、ここで安心してはいけない。
まだ、30日が始まったばかりだ。
まずしなければならないことは10時の新幹線に乗ること。
浜松到着。
今日はゆったりしたスケジュールだったはずが慌しくパタパタと稽古したり打ち合わせしたり。
あっと言う間に楽屋入りの時間。
今夜は浜松で志の輔らくごなのです。
サウンドチェックが終わる頃、志の輔師匠到着。
今夜は本番始まる前に僕の出番も決まる。
出囃子は弾くが、舞台に出ることはいつもギリギリでないと決まらない。
開演前に決まるって意外に珍しいこと。

師匠一席終了。
テ「おつかれさまでした」
志「お、じゃ行ってきてください」
テ「はーい」
浜松の「志の輔らくご」で一人でやるのは初めてのこと。
なんか恥ずかしいっちゅうか照れくさいっちゅーか。
ま、そんなことも言ってられないのでとにかく950人の前に出て行くのでありました。
デカイっ!!
まぁ、師匠のやるホールは大きいことが多いけれど、ここもスゴイなぁ。
歌舞伎とか伝の会で大きな舞台に出ても、なんにも感じないけど、たった一人でこのデカイ空間に出るとびっくりする。
志の輔師匠は、よくこの大きな会場を一つにするなぁ。
温かいお客様に気持ち良く響いてくれた楽器。
出番が終わり、すぐに師匠の出囃子を弾く。
二席目に向かう師匠。
かっこいい。
そして終演。

新幹線の中。
志「えっ、浜松で一人でやったのは2回目だったか?」
テ「いやいや、初めてですよーー」
志「じゃあ、見に来てたお弟子さんたち喜んだろうなぁ。さすが師匠ってな」
テ「どうですかねぇ、志の輔師匠の舞台に出て行く僕の姿を見て、めっちゃドキドキしたんじゃないですかねぇ(笑)」
志「『出るのかよっ』ってな(笑)」
テ「みんな喜んだと思います。ありがとうございました」
東京駅で志の輔師匠と別れる。
ふー、新幹線で飲むと酔う。
ついつい、はしゃいじゃうしな。
30日か、これで4月は無事に終了だ。
よく乗り切った。
いやいや、めちゃめちゃ充実した4月だった。
人生始まって以来のスゴイ月だったわ。
さて5月を迎える。
これからも張り切ってまいりましょーーー。
ただいまーーー。
二階に上がると、めちゃめちゃ緊張感の無い伽羅が
グデーっとしていた。


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