青?裸々な日常
2010年4月1日~
第174号 松永会「鏡獅子」



4月1日(木)
3日の「松永会」の下ざらい。
支度して自主稽古して出発。
ふーー。
三味線弾く。
終わる。
家元と一緒に車に乗り、家元宅へ。
5月28日に家元のお浚い会がある。
そのプログラム製作のため。
家「腹減ったよ」
テ「はい」
家「そばにしよ。何にする?」
テ「あったかいのがいいです」
家「おれもだ。じゃ天ぷらそばとせいろと」
目の前の砂場から持ってきてもらう。
玉子焼きと焼き鳥もあった。
ガツガツ食べる。
なんかやっと日本に帰ってきた気がした。
食べ物ってのはスゴイもんだねー。
家「よしっ、これでいいな」
テ「はい」
家「おつかれさま」
テ「ありがとうございました」
家元宅を出る。
涼しい風にあたる。
さて、今日が終わったぞ。
明日のことを考えなくちゃな。


4月2日(金)鉄九郎ライヴ ホテルオークラ岡山
昨夜からすごい強風。
飛行機大丈夫かな。
9時の飛行機だが、ひょっとして飛ばなかったり遅れたりするとライヴに間に合わなくなる。
11時くらいには岡山に着きたい。
新幹線で行くとしたら7時30分には乗らなきゃ間に合わないな。
ヨシっ、
ということで6時前に起床。
車に荷物積んで、まずは羽田に向かった。
強風は予報だと午後まで続く。
首都高を走る。
事故渋滞だ。
レインボーブリッジ閉鎖されてる。
僕の乗る予定の飛行機は天候調整になっている。
さて、どうするか?
空港行ってイライラしながら飛ぶのを祈るか。
いや、ここは東京駅に行って新幹線にしよう。
飛行機飛んだとしても新幹線が良いだろう。
強風は大丈夫かな、新幹線。
ということで飛行機キャンセルして東京駅へ。
7時30分の新幹線に乗る。
10時56分、岡山到着。
ふー、車内でゆっくりできたわい。
結局、9時の飛行機は予定どおり飛んでいた。
飛行機で来れば1時間、新幹線だと3時間半。
のんびりできたから良い良い。
ホテルオークラに着く。
昨日は雨だったらしいが今日は天気になり
名物の7種類の桜もキレイに咲いた。
桜の咲くときに合わせてライヴをと言われ
今日という日を選んだオークラのスタッフは大したものだ。
ライヴは楽しかった。
お客さま盛り上がってくれた。
「七つの桜」っちゅう曲を作って披露したところ、その曲があまりに素晴らしかったのか、とんでもなく馬鹿らしかったのか、とにかく和んだ、あはははは。
帰りは飛行機。
羽田に到着。
でも車は東京駅。
フッ。
ガラガラひっぱって東京駅へ。
車に乗ったらホッとした。
こういう感じが車って良いよなぁ。


4月3日(土)松永会
うーむ、眠い。
とにかくベトナムから帰ってきて以来、毎日の睡眠時間が足りない。
麹町駅からテクテク紀尾井ホールまで歩く。
この行き方が一番早いのだが、道のアップダウンが激しいのが難点だ。
松永会は家元を先頭にみんなで動き回る。
楽屋にジッとしている暇などない。
それが良いのだ。
ほんとは落ち着きたいと思っても家元がジャンジャン働くからね、ジッとしていたら申し訳なくなる。
だから皆が動く。
それでいいのだ。
それで活気が出るのだ。
邦さんからメールが来た。
「本日、拝見させていただきます」
おおっ、どーしたんだ?
相方が客席にいるってのは妙だぞ。
毎年恒例のコーナーとして家元といろんな話をするというのがある。
今回は左団次さんがフラッと寄ってくださるということになっている。
家「なんかうまく引き出してくれよ」
と頼まれている。
お二人は小学校から一緒の友達。
そりゃ二人っきりじゃ話せないでしょうなぁ。
でも、この二人が並んで座ってる画でも充分楽しいと思いますわ。
ま、そんな感じでいつものぶっつけ。
聞きたいことを質問させていただいた、楽しかった。
そして「鏡獅子」。
なんとあわただしい。
トークのすぐあとに「鏡獅子」を弾くのだ。
まるで「伝の会」である。
上の巻を家元が下の巻を女流が、大薩摩から最後までを僕が弾かせていただくことになっている。
鉄九郎で終わっていいのか?
ま、そんなこんなで無事に終了。
そして打ち上げ。
家に帰る地下鉄。
さすがに疲れた。
ホッとした。
フッと気がつくと小竹向原。
乗り換えなくちゃと電車を降りる。
向かいのホームで僕んちの方に行く電車を待つ。
あら?
バッグが一つ足りないぞ。
三味線とバッグを持っていたのに三味線しかない。
ありゃー、前の電車に置き忘れたかぁ。
ともあれ、自分ちの駅まで行き、忘れ物係へ。
駅「小手指行きですね、小手指駅には問い合わせました。
いま、ダイヤが乱れてるそうです。
ひょっとすると今日中には無理かも知れないですねぇ。
とにかく電車が小手指駅に着いた時点で、お荷物の確認をいたしますのでお電話します」
テ「ありがとうございます。有るか無いかだけでも連絡ください」
と言い残し帰宅。
すぐに駅から電話がかかってきた。
バッグは小手指駅で保管してくれている。
よっしゃー。
さっそく車で小手指駅へ向かう。
22キロ。
結構あるな。
バッグを受け取り帰宅。
いやぁ、疲れた。
そりゃそうだ。
よけいなドライヴまでしてしまったんだから。
明日は予定を切り替えて起きるまで寝よう。


4月4日(日)
予定を変更して、目が覚めるまで寝た。
宇太の鳴き声で目を覚ましたのが12時ちょいと前。
頭、痛い。
寝すぎか。
コーヒー飲んでボーっとする。
大変な二週間が終わった。
3時に待ち合わせ。
ある雑誌の取材を受けてくださいと三七郎くんに言われて出かける。
彼も顔が広い。


4月5日(月)おみやげはTシャツ
めでたく50歳になった。
芝生に水をと思ったら雨降ってんじゃん。
今月最初のお稽古日。
夕方に家族が帰ってきた。
僕が3月23日から29日までシンガポール・ベトナムに行き、妻と子が26日から今日まで中米に行っていた。
どんな一家やん。
娘「よっ、久しぶり」
テ「おぅ、どうだった?」
娘「日本食が食べたい」
テ「ははははは」
娘は初めて海外に行った。
早いうちにどこでも行かせてやりたかった。
海外に出て一番良いことは日本を知るようになることだ。
日本ってどんな国かってことがちょっとわかる。
良いところ悪いところ。
娘にとって何かの役に立つだろう


4月6日(火)
朝、古典空間に行って打ち合わせ。
そして、お稽古日二日目。
芝刈りもちょっとした。
良いお天気だったので汗をかいた。
芝の中にまじっている雑草をぬく。
これが結構シンドイ作業だ。
庭に出るたびに少しずつやっていたが、今日はまとめてやってみた。
ひどく疲れる作業だった。
でも、芝はきれいになった。
時々思う。
雑草だって立派な植物。
抜いたらかわいそうだと。
なんで抜かなきゃいけないんだと。
でも芝のためには抜かなきゃいけない。
僕は庭を芝生にしたいのだから。
でも雑草が邪魔だとは思いたくない。
うーーん。
「良い」と思うことばかりが「良い」のではない。
「良かれと思った」ことも「良い」ことばかりではない。
でもそれを考えはじめると何も言えなくなる。
何も言わないのが「良い」ことでもない。
だまっていることが「悪い」ことでもない。
「世の中は良い誤解と悪い誤解しかない」
と言う言葉が好きだ。
極論だと思う。
僕は開き直っていて、「受け取る人の自由」としている。
「良い誤解」ならうれしいし「悪い誤解」ならちょっとがっかりする。
じゃ本当はどうなのか?
と聞かれれば、「どっちに転んでも良い結果は出る」と。
甘いといわれるが「性善説」で生きている。
一人っ子でノホホンと生きてきたからだろうと思っている。
イヤなことも山のようにあり失敗したことも見上げるほどある。
人を恨んだこともあれば、憎んだこともある。
ただ、わかったのは、憎んだり恨んだりするのってとてつもなくエネルギーが要るってことだ。
しかも負のエネルギーが。
それが、どうも、シンドイ。
だったら恨んだり憎んだりしないようにしようと。
腹を立てるとエネルギーを消耗する。
元来、ケチなのだ。
負のエネルギーを使うと前に進むエネルギーが減るような気がしてならない。
やっぱりケチだわ。
松永会の時、家元は大きなエネルギーを発していた。
毎年毎年思うことだが、「この人スゲー」と思う。
そのエネルギーに巻きこまれたくなる。
「お話しタイム」で喋り「鏡獅子」を弾く。
ワキ三味線を弾かせていただいたので、よーくわかる。
一バチ一バチ丁寧に丁寧に運び、迫力と確実さを出していく。
来年70歳。
その集中力を覚えておこうと必死に身体に感じ入れた。
僕は50歳になった。
家元より20歳若い。
この20年は近いのか遠いのか?
父親が50歳の時、僕は20歳だった。
20歳の僕は鉄十郎師の内弟子に入った。
あの時の父と同じ年。
あれから30年。
父は生きていたら80歳。
母も生きていたら79歳。
親って、いなくなるものだとは思わずに生きていた内弟子の頃。
気がついたら自分が親になっている。
たくさんのお弟子さんたち。
僕より年上でも僕にとっては子供だ。
そんな中、総領娘の鉄駒が松永会で「鞍馬山」を弾かせてもらった。
僕の弟子では初めての経験だ。
最初、その話をいただいたとき「お断りします」ときっぱりと言った。
まだ、タテを弾く器ではないからだ。
いや、タテを弾く器でなくても良い。
少なくとも「タテを弾く器になりたい」と思っているとは思えなかったからだ。
諸先輩たちに「そんなこと言わないの、鉄九郎さんは厳しすぎるわよ、せっかくのチャンスなんだから勉強させてあげなさいよ」
と言われ、渋々「はい、よろしくお願します」と言った。
鉄駒は努力した。
ま、当たり前だ。
努力してくれなきゃ困る。
「鞍馬山」という曲の形を作ってなぞらせることは難しいことではない。
でも、それをやらせないようにした。
なぞるだけの演奏はして欲しくなかった。
基本を完全に身体に入れて、自分のノリとして正解のノリを出さねばイカンとした。
まずまずだった。
鉄駒の中で何かが変わってくれることに期待したい。
ったく、親は疲れる。
出来の良いのも入れば、そこそこのもいる。
どいつもこいつも好きなことを言い、それで良いと思っている。
親の考えなど気にしてる風でなんにもわかっちゃいない。
ハー、このセリフを言ってみたかったのだ。
自分もさんざん言われ続けてきたこのセリフを。
理不尽に聞えるこのセリフは面白い。
子供からすると「親もわかって欲しいんじゃん」と言える。
そういうセリフがおもしろい。
今、僕んとこでは鉄駒・鉄六・鉄七が切磋琢磨している。
それぞれがそれぞれの思うプロになりかけている。
この三人も決してプロになるつもりで僕のところに来たわけではない。
ただ、お三味線のお稽古で通っていただけだ。
そういうのがおもしろい。
今日娘が中学校から帰ってくると
「最悪だわ、2回も泣いたよ」と言う。
聞けばクラス替えがあり、見事に苦手な人たちばかりが集まったクラスになったそうな。
「だって2回も泣いたんだよ・・・ま、泣いたってしょうがないんだけどさ」
はははははは。
こいつもおもしろい。
夜になり、ふと僕の部屋に来た娘。
ノートに名前を書いていたらしく
娘「ねぇ、この字、ジィジに似てる?」
テ「ん?」
娘「ママがジィジに似てるって言ったんで見せにきたの」
見ると「馬橋」って言う字が、僕の父親そっくりだ。
父は娘が幼稚園に上がった年に亡くなっている。
テ「うーん・・・・・似てる」
娘「うまく書けたでしょ」
テ「ああ、親父は字がうまかった。俺は親父の字が好きだったよ」
娘「じゃ、アタシのも良い字だね。パパだけヘンな字書くんだね」
テ「ははははは、親父は俺の字を誉めてたぞ」
娘「それを親バカって言うんだよ」
かもしれない。


4月7日(水)・4月8日(木)
7日・8日と二日間那覇に行っとりました。
いつもの飛行機に乗っていつもの飛行機で帰ってきて、みたいな。
お弟子さんのお稽古とカルチャーセンターのお稽古。
似ているようで違い、違うようで似たような、この二種類のお稽古。
カルチャーセンターで教えるということは初めての経験ですが、
なかなか楽しくやっとります。
沖縄という土地で「長唄三味線を習ってやろう」と思ってくれることがうれしいです。
ま、それを言い出すとどこの土地でも、もっと言えば東京でもそうなわけで、特別「沖縄だから」ってこともないのですけども。
けど、なんとなく、沖縄は違う感じはします。
良い意味か悪い意味かわからないけど「日本ではない」って感じが。
沖縄に通い始めた頃は、その思いが強かったし、人々に感じられました。
でも、もう2年(3年か?)通っていると、「沖縄は日本」としか考えられなくなります。
この感覚ってひょっとすると世界にもあるのかも。
毎月アメリカに通っていたら「アメリカは日本」って感じられるのかも?
いや違うな。
「日本」じゃないものな。
ただ、この時使う「日本」って、自分がそこにいて不自然じゃないって意味だろうな。
そう、不自然じゃないのです。
つまり、最初、沖縄に通いはじめた頃は、どこかが不自然だったんでしょう。
沖縄の人も僕も「不自然さ」を持っていたのかも知れない。
それが双方無くなった感はありますな。
少なくとも、僕の方ではすっかり無くなりましたね。
この感覚ってのが良いですね。
物事もそうなんでしょうね。
この世界に入ったとき、三味線を練習してるとき、「早く慣れたい」と思ってた。
ポーンとその世界やその感覚に自分のまま入れる人もたくさんいると思うけど、僕はポーンと入れない人間だと感じてるから。
いっつもそう。
早くなじみたい、早く当たり前になっちゃいたい。
今はゴルフがそう。
早く当たり前になっちゃいたい。
一生懸命練習したりするけど、早くなじんでその一生懸命さから解き放たれたい。
まだそこんとこにいるんだなぁ。
でも、なじむにはジャンジャン続けるしかない。
まさに三味線がそうだった。
とにかくジャンジャンやることしかなじむ方法はないんじゃないかと思ってやってきた。
違うかも知れない。
もっと他になじむ方法があるのかも知れない。
ものすごく簡単な「なじむ方法」があったりして。
今聞いたらショックだったりして。


4月10日(月)・4月11日(日)仙台でひとりライヴ。
10日、11日と連続お稽古日。
明日は岡山のお稽古日なので、9日から四日間続くお稽古日。
だからなんなんだって感じだけど、四日間続くのはなかなかないことで、いや、あるかな?
しかも結構。
結構あるかな。
ありそうだぞ。
あるあるーー。
そんなお稽古の毎日です。
岡山・浜松・那覇で月六日間お稽古している。
東京の自宅で八日間くらいはお稽古日を設けている。
月の半分くらいお稽古日なんだ。
ああ、そうなのか、そうなのだ。
なんだかいつもスケジュールが埋まると思ったらお稽古日だったのか。
ははぁ、ガッテン。
しかし、こんなにお稽古日でいっぱいになるとは思わなかったなぁ。
だいたい、僕に習おうなんて人がいるってことが信じられなかったものなぁ。
ありがたいことである。
さて、そんな中、仙台でライヴをすることになってます。
ひとりライヴです。
今月は2日にホテルオークラ岡山でもさせていただきました。
今月2度もひとりライヴがあるなんて。
よかったら仙台までいらしていただくと良いなぁ、なんて。
東京から早いのに乗ると1時間半ですからね。
なんだよ、
結局
宣伝かよっ!!


4月12日(月)岡山
今日は無事に飛行機が飛んでくれた。
岡山のお稽古日。
お弟子さんたちが誕生日を祝ってくれた。


4月13日(火)岡山からNHKに行くときは
帰京すべく飛行機に乗る。
羽田からNHKに直行することになっている。
NHK-FM「邦楽ジョッキー」の録音のため。
伝の会で出演するのだ。
飛行機の中で台本を読むと、生演奏とある。
ん?
てことは三味線いるのかな?
それとも生演奏ということにしてCDかけるのかな?
羽田に着き、鉄六に電話。
テ「今日、時間ある?」
六「大丈夫ですよ」
テ「じゃ、三味線持ってNHKに来てみるか、あははは」
六「えええっっっ!!!!??」
ということで、三味線は調達できた。
いやはや、鉄六が空いてて良かった。
お礼になんでも食べていいぞと、NHKの食堂に連れて行き、
310円のきつねそばを振舞う。
なんと心優しい師匠であることか。


4月15日(木)浜松
今日は浜松の稽古日。
新幹線で1時間半。
最近、新幹線に弱くなった。
気持ち悪くなってしまうのだ。
揺れが原因なのか体調がおかしいのか。
そんなこんなで浜松に着いたときにはぐったりしていた。
すぐに美笠に行きお稽古開始。
お稽古しているうちにだんだん体調も整ってきた、良かった良かった。
宴会付お稽古。
今夜の宴会の人数がやけに多い。
ま、そんなときもあるかと食事をしていると
突然10人くらいがハッピーバースディを歌いながら入ってきた。
これには驚いた。
浜松のお稽古をして3年くらいが経ったんだそうだ。
その間にさまざまな人たちと知り合った。
その方たちを中心に62人が「鉄九郎」と書いてくれ、それを手ぬぐいにしたと言うのだ。
いやいや、うれしいうれしい。
そうですかそうですかと手ぬぐいの額をいただく。
お弟子さんたちからの最高のプレゼントだわと喜んでいると、
どんな人たちが書いてくれたかと言う目録をいただいた。
一ページ目をめくって驚いた。
志の輔さんが「九番アイアン」と書いてニコッとわらった写真が貼ってある。
ええええっ!!!
し、志の輔師匠にお願いしたのかよーー。
他にも米団冶師匠や喬太郎師匠の字もある。
えええっ!!!
細坪さんに三浦さん、防衛省のトップの人たちやウチの名取たち、邦さんの字までもある。
なにっっっ!!!
三ヶ月に及ぶ壮大なプロジェクトだったらしい。
なーんにも知らんかった。
これはびっくりした。
うれしい限りである。


4月16日(金)志の輔独演会 四日市
めちゃめちゃ二日酔いっぽく目覚め、名古屋で志の輔師匠たちと合流して四日市へ。
雨がかなり降っている。
テ「昨日、浜松で誕生日を祝ってくれたんです」
志「昨日、誕生日だったのか?」
テ「昨日ではないんですが、お稽古に合わせて祝ってくれて」
志「良かったじゃないか」
テ「で、この手ぬぐいが出来ました」
志「ん?」
テ「これ、師匠も書いてくだすったんでしょ」
志「あっ、思い出した」
テ「ありがとうございます」
志「出来たのかーー、手ぬぐい」
テ「はい、ありがとうございました」
志「いやいや、いいじゃないかーこれー」
四日市市文化会館へ到着。
「立川志の輔独演会」である。
終演後、名古屋へと向かう。
志「明日(巣鴨の会)、六は来るのか?」
テ「えーと、どうだったっけな?」
志「あ、来ないのか」
テ「いやっ、遊びには来るはずですよ」
志「ああそうか、いや、お前一人でも二人で(弾いても)もいいよ」
テ「メールが来ました。『二人で弾くか?』と聞いたら『わーーい』と返事が(笑)」
志「ははははは」
テ「なんだかなぁ」
志「『わーい』はすごいなぁ」
テ「明日、何時の新幹線に乗ります?」
志「お前、直接巣鴨に行くの?」
テ「いや、帰ります。師匠は?」
志「俺も帰る。じゃ、早くに乗ろうよ」
テ「はい」


4月17日(土)志の輔らくご 巣鴨四丁目落語会
8時の新幹線に乗って帰京。
家に帰り、着替えると出かける時間だ。
スタジオフォーに入ると、早くも師匠が来ていた。
志「腹へったなーー」
テ「僕もですよ」
そりゃそうである。
朝起きて新幹線に乗ってコーヒーを二杯飲んだだけである。
テ「あそこやってるかな?」
志「やってるだろ、あ、そうだ、こないだのとこにしよ」
テ「あ、はいはい」
志「番号知ってるか?」
テ「確かメニューが」
志「やきそばだな」
テ「あ、これだこれだ。どうします?」
志「もやしラーメンなら、のびてもモヤシにからまってのびを感じさせないだろ」
テ「そういうもんすか?」
志「もやしラーメンを三つとやきそばを三つだ」
テ「めちゃめちゃ空いてますねぇ、お腹」
志「違うよ!誰が食べるかわかんないじゃないか」
テ「ああ、びっくりした。二人で食べるのかと思った」
今日はちょいと変わった趣向で、まず師匠が洋服姿で出ることになっている。
会場の外でスタンバッてる時に、出前のおじさんがやってきた。
テ「あ、来ましたよ」
志「ヨーシッ」
出前が来た安心感で舞台に出て行く師匠。
15分後に楽屋に戻る。
志「さ、食うぞ」
テ「はい」
志「うーーん、夢のようにのびてる」
モヤシにからんでても、のびはめちゃめちゃ感じさせたラーメンだった。
味はおいしい、僕はのびてても意外に好き。
食べ過ぎてお腹が苦しくなったころ僕らの出番となる。
久しぶりに鉄六と二人で弾く。
昼の部が終わり、師匠はお客様とお話されていたので、コソッとコーヒーを飲みに出かける。
帰ってくると
志「お前、また(中華屋)行ってきたのか?」
テ「いやいや、まさか、コーヒーを飲んで来ました(笑)」
夜の部も無事に終わり、打ち上げ開始。
今日の出演者はトルコ人。
めちゃめちゃ日本語がうまい、普通に話せる。
たまたま夜の部を見に来たハンガリー出身のHさん。
この二人が、めちゃめちゃ普通に日本語で初対面の挨拶をしていたのがスゲーおもしろかった。


4月18日(日)志の輔独演会 前進座
志の輔さんと三日間一緒にいろんなとこに行くという、「志の輔師匠と3days」も最終日を迎えました。
今日は前進座劇場。
まあ、30年の僕の長唄生活の中で、ここほどおなじみのところは無いと言っても良いでしょ。
まさか、志の輔らくごで来るとは思わなかった。
楽屋入り。
知り合いばっか。
T「あら、どーしたの?遊びに来たの?」
S「えっ、どーいうこと?」
挨拶無しにそう聞かれるのも心地が良いものだ。
志「えっと、前座で俺で、仲入り後にテッツァンで俺だ」
おお、ワタクシも出るのですな。
なんだか知り合いばかりのところで恥ずかしいなぁ。
などと言ってはおられない。
ええーい。
無事に終演。
ベトナムに師匠を呼んだ張本人のSさんが来ているので、一緒に食事に。
最近の師匠のマクラの、ベトナムの話の中で「ざまーみろ」と叫んだというのはこの人です。
S「鉄九郎さんさー、『志の輔師匠の追っかけをしていたら、いつの間にか舞台に出るようになりました』って言ってるじゃない」
テ「うん」
S「アタシも師匠の追っかけしてたら舞台にでられるのかなぁ(笑)」
テ「ははははは、今日だって登場してたじゃないですか」
六「そうそう、『ざまーみろ』って聞いたとき、すぐにSさんだってわかったもの」
志「ははははは」
まぁ、エネルギッシュなSさんである。
こんな大人になりたい。
志の輔師匠もそうだが、なんでこんなにエネルギッシュなんだろ。
三日間で4ステージ8席。
志「いやー、疲れたなぁ」
そりゃそうでしょ、疲れなかったらおかしいっすよ。
テ「ありがとうございました」
志「今度は、なかはらだな、じゃな」
さて、家に帰って、片付けでぐちゃぐちゃになっている部屋をなんとかしなくちゃ。
明日は稽古日だし。


4月19日(月)稽古と志の輔らくごの日々。
一日お稽古でした。


4月20日(火)・21日(水)那覇
那覇に到着。
暑い。
この暑さが良いわ。
湿気たっぷりの。
稽古とカルチャーと。


4月22日(木)志の輔独演会 エポックなかはら
この会場は以前、伝の会をやったことがあるのだが、舞台から見た客席の印象までは覚えていなかった。
高座で三味線弾きだす、幕が開く。
客席近い!
わーっと押し寄せてくる感じ。
いやいや、師匠も言っていたが、やりやすいのなんのって。
お客様も良いし。
今朝は那覇空港でやきそばを食べ、有楽町でかきあげそばを食べ、中原でタンメンを食べたのでした。
こんな食生活はアカン!
志「焼肉に行くぞ」
よっしゃー、肉食べなくっちゃ。
焼肉屋さんで妙に盛り上がり、ヘロヘロになって帰宅でした。


4月23日(金)
稽古日。
今までの疲れがドッと出たのか、少々しんどかった。
それに引き換えお弟子さんのお三味線の上達することったらない。
最近、みんなが上達してきている。
うれしいことだ。


4月24日(土)志の輔独演会 水戸芸術館
志の輔師匠とスタッフは車で、僕だけ電車で向かうことになっていた水戸。
結局、師匠も一緒の電車で行くことになった。
上野でボーっとしてると、志の輔さん昇太さんの仲良し二人組がやってきた。
その姿がおもしろい。
テ「ははははは」
昇「ヨッ!」
志「乗るぞっ!」
志の輔さんと昇太さんはとても仲が良い。
同期ということもあって、そばで聞いていると幼馴染みたい。
このままお客様に聞かせてあげたいくらいだ。
とにかく笑いっぱなしの一時間で水戸に到着。
しかし、今日のお客様は、まさか昇太さんがゲストに来るなんて思ってもみないだろう。
昨日、志の輔さんから電話で昇太さんが来るからと言われ
昇太さんの出囃子の「デイビークロケット」を練習した。
なにせ初めて弾くし。
志の輔さんが一席目の高座で、ステキなゲストをお呼びしていると伝えた。
志の春「今日のお客様、『デイビークロケット』が鳴ったら、昇太師匠だってびっくりするでしょうねー」
テ「はははは、そうだね。でも、まず俺たちの演奏が『デイビークロケット』に聴こえるかが問題だな(笑)」
僕たちもテンションが上がっている。
言うまでもなく、スペシャルゲストに会場は大騒ぎであった。
中入りになり
志「たのむわ」
の一言で、やっぱり僕も出ることに。
あわてて袴はく。
終演後、以前一度連れていっていただいた志の輔師匠の行きつけのお店へ。
おいしいお魚とお酒とスペシャルなお二人と楽しい時間を過ごす。
テ「昨日、昇太さんの出囃子練習しようと思ってたらCD無かったんで『らくごのピン』を見たんですよ、当時僕が録画しておいた」
志「『らくごのピン』かぁ」
テ「昇太さんが『二席古典をやったら一席新作をやらしてやるって言われてるんで』って言ってましたよ」
昇「うんうん、そういう約束だったからね」
志「あの頃から昇ちゃんはぶっ飛んでたもの(笑)」
テ「キラキラしてますよねぇ、華なんでしょぅねぇ」
志「おっ」
テ「あの頃って、お二人ともどんな考えをお持ちだったんですか?」
昇「なーんも考えてなかったよ」
志「そうねぇ、ただただ必死だったよな」
昇「うん、テレビ出たくってさ(笑)」
志「ははははは」
話は尽きない。
志の輔さんと昇太さんは泊まることになっているので駅で別れた。
一人、スーパーひたちに乗る。
昨夜、家で見た17年前の志の輔さん昇太さん。
あれから17年。
トップを走ってるお二人と一日一緒にいられて幸せだったと思うのと同時に、なんだか夢でも見てる気がした。


4月25日(日)仙台
実は昨日のうちに仙台に行こうと思っていた。
なにせ水戸まで来てるんだから。
でも、志の輔師匠・昇太師匠といる時間があまりにも楽しくて、水戸駅に着いたときには仙台に行く術がなくなっていたのでした。
というわけで、自宅で寝て起きて新幹線に乗って仙台へ。
ひとりライヴは3回目だか4回目だかで。
すっかりレギュラー化した感じでうれしい限りなのです。
まさか仙台でこんな展開になるとは。
いつもの紅神楽の皆さんと打ち合わせをしてたら結構な時間になる。
実は今日のライヴで最後に弾く曲が決まっていない。
決まっていないのではなく悩んでいるのだ。
悩んでるってことは決まってないってことか。
なんとか決まりライヴ開始。
いつものように、良いお客さまたちだ。
育ててもらってる感じがする。
桜が満開だった今日の一人ライヴ。
今月2日の岡山での一人ライヴも満開の桜だった。
岡山にしろ仙台にしろ、スケジュール決める人の勝利。
僕はそこに乗せてもらった感じだった。
感謝感謝。


4月26日(月)仙台
今日は「お稽古体験」の日。
一人30分くらいのお稽古をしていくという。
なるほど、面白いことですわ、よくぞ考えたものだ。
途中、時間が空いたときなどは「はい、お礼状書いてください」と、
仕事を作ってくれました。
だんだん、俺の使い方をわかってきている、おそるべし仙台。
はじめて三味線を手にする人で、めちゃめちゃ勘の良い人がいたりして楽しかった。


4月27日(火)
なんだか寒いぞ。
一日お稽古なのだ。
気がついたら10時だった。
よく寝たぞ。
よく寝ると疲れが出てくる。
天気も悪いし、なんかしっくり来ない一日の始まりだ。
けど、それは僕だけじゃないわな。
お稽古に来るお弟子さんだってシンドイ状態で来るんだからな。
むかえる側はシャキッとしていたいとこだな。
と思いつつも、来るお弟子来るお弟子に
「シショー、疲れてるんじゃなーい」
と言われる。
ゲゲッ、いかんぜよ。
やばっ
弟子の目はごまかせない。


4月28日(水)
昨日は少々疲れ気味だったということに気がついた。
なぜなら今日は元気だからだ。
昨日は今日ほど元気がなかったからだ。
こんな感じで「昨日は少々疲れた」とわかるんだから、
「私は健康だ」
ありがたいことだ。


4月29日(木)徳島
僕の乗る便の出発時間、9時15分発だと思ってやってきたら9時45分発だった。
よくあるよくある。
早い時間に間違えるのは全然オッケー。
というわけで、柄にもなくお土産なんぞを物色した。
これも志の輔さんから学んだ。
お土産見るのが好きということもあるんだろうが、
いつも念入りに見てる。
僕にはそういう感覚が無いので、一生懸命真似をすることにしている。
ひとつひとつのお店を丁寧にまわってみた。
志の輔さんはおいしいものをみつけるのがとても上手なのだ。
選ぶ際の目の付け所を真似していたら
おいしそうなものがみつかった。
芸は模倣なり。
徳島に行くのは2年ぶりくらいだろうか?
徳島県とは30年の付き合いになる。
機内の放送で「徳島阿波おどり空港」と言っている。
おお、高知龍馬空港みたいじゃん。
名前変えたんだな。
などとガッテンしてるうちに到着。
先頭切って機外へ。
ん???
様子がおかしい。
広くてきれい。
なんだか関空みたいな感じ。
あれ?
違う便に乗っちゃったのかしら?
と思っていたら、向こうから係員の人が「こっちですよーー」
と呼んでくれた。
あれ?
あれあれあれあれ?????
ど、どうやら空港が新しくなったようだ。
以前の面影はどこにもない。
到着ロビーに出ると緑のハッピ着たおっちゃんたちがたくさんいて
何かをくれた。
マジマジとおじさんの顔を見てしまった。
なんかキャンペーンでもやっているのだな。
迎えに来ているはずのHがいないので
外に出てみた。
んんんん????
全然景色が違う。
えええ????
以前の場所と違うのかな?
だって海が見える。
Hにも会えないし、こりゃやっぱ徳島じゃないかな?
いや、阿波踊りのオブジェはある。
よく見るやつだ。
どうやら徳島らしい。
Hに電話しても出ないので到着ロビーに戻ってみる。
ロビーに出てくる人たちをキョロキョロ見ている背の高い女の人を見つけた。
テ「こらっ」
H「あ」
「あ」じゃねーよ。
車内でいろいろ聞いたら、以前の場所から2km離れたところにこの徳島阿波おどり空港が出来たとのことでした。
ほほぉ。
30年間「ホンチョー」と呼んでいるお稽古場に到着。
懐かしい顔・顔・顔。
5月28日の家元のお浚い会に徳島の方たちが15人くらい出演する。
その方たちのお稽古に来た。
お稽古をつけるんじゃないのです。
そんなに偉くはないのです。
一緒に弾いて本番の緊張感を味わおう、みたいな。
この稽古場は和佐次朗さんの思い出が山ほど詰まってる。
大きなパネルまで飾ってある。
僕の位置から、そのパネルが鏡越しに見える。
なんだか一緒に弾いてるみたいだ。
夕方からみんなで食事。
そして行き着けの飲み屋さんへ。
ここのマスターとも20年の付き合いだ。
とにかく大勢で騒ぐ。
徳島に来るといっつもこんな感じ。
30年間ずーっとこう。
30年間ずーっとこうしてられることが素晴らしい。



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